茶筅の由来


室町時代中期、高山の城主の次男・宗さいがその称名寺住職・村田珠光の
依頼によって作ったのが始まりと伝えらえられる。ときの帝・後土御門天
皇の行幸の際にこれを献上「高穂」の名称も賜わった。宗さいは以後、城
主一族にその製法を秘伝として伝え、代々「一子相伝」の技とした。後、
高山家は没落したが、その秘伝は十六名の家臣によって脈々と伝えられて
今日に至り、全国唯一の茶筅の里となった。


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