イタリア旅行記  〜ベニス・宮殿編〜  

<6/26午後>

ベニスはおいしいなぁと思いながら店を出て、いよいよサンマルコ広場へ。

途中色々なお店に目をとめながら、とにかくベニスの一番の中心地に移動しました。 着いてみると、人、人、人!それに加えて鳩、鳩、鳩!

サンマルコ広場は丸ではなく四角い広場で、周囲を建物で覆われています。その建物の一階は全てお土産やさんとバール(カフェ)なんです。ガラスとレースのお店が主流で、バールは人であふれていました。

有名なんだそうな二軒のバールは、ボーカルなしのバンドまで出ている豪華さ。
曇りとはいえ一応晴れていたので、その2軒は広場に椅子を出していました。演奏している曲はイタリアのものかと思いきや、スティービーワンダーの"I JUST TO SAY I LOVE YOU"とかイパネマの娘とかで、あれっ?っていう感じ。

大鐘楼、時計台、サンマルコ寺院に目を奪われながらドゥカーレ宮殿の入り口へ。
そこにイタリア人のガイド(男性)が待っていました。この人、ものすごく日本語が達者で、人数確認の時にイタリア語で数を数えた時以外はずっと流暢な日本語で話していました。

まず入り口を入ると宮殿の中庭に出ました。宮殿内部は撮影禁止という事で、とりあえず皆で写真を撮り、漸く中へ。

まず現れたのは黄金の階段。これが鳥肌がたつぐらい豪華!天井が全て黄金の彫刻で埋めつくされ、床は全て大理石。しかもひし形の中抜きの模様(白、黒、グレー、黄土の4色)が入っていて、上から見ると立体に見えました。
階段で既に度肝を抜かれた私たち。この豪華さは今までイタリアで見てきたものとはまた違うものでした。贅を尽くすとはこういう事をいうのだと思いながら最初の部屋へ。

大きな壁画が印象的な謁見控えの間。この部屋の絵は赤い色で有名なティントレットの作品です。そして、その部屋の奥にあるのが天井画と壁画そして黄金の額縁で埋め尽くされた謁見の間。ここは共和国の評議委員と面談を希望する大使や要人が待機する部屋で、壁には大きな時計がありました。
この時計は壊れているそうで、修理が必要だそうです。

ところで、謁見の間に入った途端、ガイドさんが
「皆さん、何か気が付きませんか?」と言いました。
「じっとして下さい。ほら、揺れてるでしょ?」 言われてみればぐらぐらしているんですよ。
「ここは水の上で、天井に使っているような木組みの上に建っているので常に揺れているんです。地震じゃないので、大丈夫です」
水の上に浮いていると言うことは、埋め立て地の様なもの?よくそれで今まで何事もなく保存出来たなぁと驚きました。

謁見の間の隣は評議員の間。ここがまた素晴らしく豪華!なんです。
金の豪華な彫刻のついたフレームと壁画と天井画に装飾しつくされた部屋で、本当に会議なんか出来たの?と思う所でした。
今でこそ金も色が落ち着いてますが、出来た当初はさぞ輝いていた事でしょう。
私だったら部屋の装飾に見とれてしまって会議どころではないと思います。でも、ここは一応会議室という事で、壁には議員の椅子(材質はさくらの木)が備え付けられていました。
そして壁には1カ月に一時間分動く12星座の時計が。これも実は壊れていて、仕方がないので、1カ月に一回こっちは手で動かしているそうです。

再び控えの間を通過して10人評議会の間へ。ここは政治犯の裁判が行なわれていた場所です。

次の部屋は民事の裁判所。ベニスの商人が裁判にかけられたのはここだとガイドさんが言っていました。(本当なんでしょうか?)

どの部屋だったのかは忘れてしまいましたが、青がとても美しい絵を描くヴェロネーゼの絵がありました。目の覚めるような青は、宝石を粉にして絵の具に混ぜて描いたそうです。(豪華さが違いますよね)

宮殿にはこの他に投書箱(イタリア人ガイドが目安箱のようなものですと言っていました。どこで知ったんでしょうかね)といって、市民が告発等をするポストのようなものもありました。

ポストの口は最初、ベニスのシンボルであるライオンの口だったそうですが、ナポレオンがことごとくライオンを壊してまわり、それ以来このポストの入り口はただの四角になっていました。
ナポレオンはその他にもこの宮殿の天井画ヴェロネーゼの傑作「悪徳に稲妻を落とすジュピター」を略奪し、今でもこの絵はルーブルに展示されているそうです。

途中昔の武器などの展示を見てから大表議会の間へ。
この部屋は舞踏会などにも使われていたそうですが、とにかく広い!長さ54M、幅25M、高さ15Mという広さです。しかもこの部屋は壁画と黄金のフレームのついた天井画で埋め尽くされているのです。
部屋の正面には世界一大きいらしい油絵の壁画がありました。どこをとっても過去のベニスの繁栄がうかがえる建物でした。

部屋を出てそのまま「ため息の橋」を渡って牢獄へ移動。このため息の橋には2つ窓があります。先ほど見てきた裁判所で判決を受けた犯罪者は、このため息の橋の2つの窓からもうベニスは見納めだなと、ため息をついて渡ったという事からこの名前がついたそうです。

橋を渡ると通路はぐんと狭くなり、昔のままの牢獄が現れました。太い鉄格子は、どうやっても壊せるものではありません。ここには未だに絶望の空気が漂っています。 囚人が記したという文字が牢獄の天井 に残されていました。彼らは黒い太い字ではっきりと自分の名前を書いていました。

牢獄の見学を終え、漸く外の明るい世界へ。巨人の階段の写真を撮り、ドゥカーレ宮殿を後にしました。

ここでベニスの街についてちょっと説明します。
ベニスはいくつもの島で出来ています。その島と島を結ぶのは水上タクシーや水上バスといった船。そして橋。車は前に説明した通り禁止されています。

イタリア本土からベニスに行くには鉄道かバスを使うのが一般的です。ベニス周辺には「ベニスに死す」で有名な高級リゾート地のリド島や、ガラスで有名なムラーノ島などがあります。

ベニスのシンボルは翼を持ったライオンで、このマークや彫刻はベニスの街のあちこちで見ることが出来ます。ベニスと言えばゴンドラが有名ですが、ゴンドラはデザインを変える事なく、昔も今もほとんど同じ形をしています。

水の都は美しいですが、大変な事も多く日常的に高潮に脅かされています。サンマルコ広場や大聖堂が水浸しになる事もしばしばで、水位が50cm増になると、サンマルコ広場をゴンドラが渡るという光景がみられるそうです。

ベニスはシェークスピアの「ベニスの商人」でも知られるように、過去において経済的にとても栄えた場所です。貿易の盛んな独立した国として存在し、侵略してくる国も後をたたないという状態の中で、ベニスの文化は混沌とし、その影響が今でも街の随所に現れています。時計塔や大聖堂はトルコの影響を受けているように見えますし、時計塔の頂上にはムーア人の像が置かれています。ナポレオンの侵略の時には色々なものが壊され、略奪されました。でもベニスは全くと言っていい程、昔と変わらない町並みを維持しています。

現在ベニスはイタリア共和国ですが、未だにここに住む人々にはイタリア人である前にかつて栄光を手にしたヴェネチア人だという意識とプライドがあるように私には思えました。そして、ヴェネチア人が昔と変わらず今も商売人であるという事は、この後の話しで垣間見る事になります。

・上の写真はサンマルコ広場(左上)とため息橋(右上)、ドゥカーレ宮殿巨人の階段のマルスとネプチューンの像(下)を撮影したものです。 (著者撮影)

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