この山道は 行き悪しかりけり

平城宮跡。遠景は春日奥山と若草山。
3729 愛(うるは)しと我が思う妹を思ひつつ行けばかもとな行き悪しかかるらむ
3730 畏(かしこ)みと告(の)らずありしをみ越道(こしぢ)の手向けて立ちて
妹が名告(なの)りつ
の三首の歌とともに、中臣朝臣宅守(なかとみのあそみやかもり)の
道に上りて作る歌四首となっている。
これは、彼の妻・狭野弟上娘子(ささののおとがみのをとめ)が別れに臨んで
作った歌四首(3723−3726)につづくもの。
宅守は東人(あずまひとの七男)であるが、739年頃、越前に配流された。
(絵はがきですので、画伯の説明はありません。説明は上田欽一の蛇足です。)