拾遺集、拾九 Aus meinem Papierkorb, Nr. 19ハーネマンの妻 Hahnemanns Frau前項でハーネマンが登場するミステリーを取り上げたが、その妻を主人公とする小説を見つけたので、今度はこれを読んで見る。タイトルもずばり『ハーネマンの妻』と題されたこの物語は《歴史小説》と銘打たれている。Angeline Bauer: Hahnemanns Frau (Aufbau Taschenbuch, Berlin 2005)医師としてあるいは研究者として長年各地を転々とする生活を続けていたハーネマンは、1811年ザクセン王国のライプチヒに移住し、ここでは新しい著作も生まれ、主たる研究テーマである薬剤の効能評価も進捗し、大学で講義を行うなどようやく落ち着いたかに見えたが、正統派の医師や薬剤師と激しく衝突して、10年後の1821年には、アンハルト・ケーテン公の侍医としてケーテン Köthen に移り住んだ。ここはザクセンの法律が及ばず、宮廷の保護のもとに医療と調剤の権利を認められ、ホメオパティーの研究を精力的に進めることができた。 1830年にハーネマンが、48年間連れ添って11人の子を生した妻を亡くした、その4年後のことだった。パリでいかなる治療を受けても右腹部の痛みと脱力状態が改善しない一人の女性が、遠いドイツの医師の評判を聞き、著書も読んで、これぞ自分の求める療法だと確信して訪ねてくる。34歳の画家メラニー Mélanie d’Hervilly (1800-1878) であった。そこから『ハーネマンの妻』、すなわち彼と彼の二度目の妻の物語が始まるのである。 この小説は、自尊心が強い頑固者同士の魂が共鳴して引き合うというモチーフを軸にストーリーが進行する。はるばるフランスからやってきた若い女流画家と80歳になんなんとする老医師は急速に愛を深め、結婚に向けて準備を始めた。これは狭い町に騒動を引き起こした。誰より父と同居していたハーネマンの娘二人が猛反対した。あの女は父の研究成果と財産が目的で近づいたのだ、フランス貴族との触れ込みだが知れたものじゃない、という噂を町中に振りまいた。これに誇りを傷つけられたメラニーはパリから書類を取り寄せ、それを二人に突き付けて、毀損された名誉の回復を迫るのである。 「私の出自はフランスの古い家柄の高位貴族です。私はナポレオン皇帝の家族と知り合いです。友人にはフランソワ・ギローム・アンドリュー、グレゴワール神父、バルザックや画家のドラクロワがいます。パリで重んじられている男性たち、たとえばルイ・ジェローム・ゴイエとか・・・そのほかパリ上流社会の男性の結婚申し込みを断ってきたのです。」翌年1月には結婚、45歳差の夫婦となってパリに移る。パリではメラニーの人脈もあって上流階級や名士の患者が訪れた。売れっ子作家ウージェーヌ・シュー(*)が性病治療に来訪したシーンでは、「もっと早く来ればよかったのだが、先生は水と砂糖しか処方してくれないって聞かされていたものだから、二の足を踏んでいた」と言わせている。新療法の評判が高まれば、またこれに反対する正統派の医師たちの執拗な攻撃を受けるが、彼の療法に関心をもち、教えを請う医師も少なくない。そのような同種療法の賛同者に対しても意固地なハーネマンは一切の逸脱を許さない姿勢で臨む。共同研究者で協力者のヤール Georg Heinrich Jahr 宛てにこんな手紙(実際に手紙が残っているのか、創作か不明)を書いた。 これも貴兄の関心を惹くでしょう。こちらに越してきてまもなく、私の弟子になりたいという数名のホメオパートの訪問を受けました。だがそのとき、私の理論を「もし」とか「しかし」とか無しで従い、何ひとつ自分の裁量を混ぜ込むことがない者のみを受け入れる、とはっきり誤解の余地なく言ってやると、すぐに連中は反対の態度を取りました。誇り高く一徹な魂の共感、と共にこの小説にはもう一つのモチーフとしてフェミニズムの揚言がある。パリでハーネマンの診療を求めた著名人のなかにヴァイオリンの超絶技巧で知られたパガニーニ Niccolò Paganini がいた。尿閉など泌尿器の病気だったといわれているが、1837年のこと、ハーネマンの診療所を訪れた。これは診療拒否の結果となったようで、小説中ではこう書かれている。パガニーニは、もう50歳を過ぎていたが、初対面のメラニーの美しさに感銘を受けて、手早く言い寄るのである。この場面を遠くから目にしたハーネマンは診察室で怒りを爆発させて、激しい口論となる。 ここでメラニーが割って入った。「あなたがた、ちょっと行き過ぎです。知性ある立派な大人は文明人として向き合わねばならないでしょう。」女性は男性に従い属するものとする通念、そして女性は医師になれない(***)社会に対する告発が作品を貫くテーマである。1843年にハーネマンが亡くなった後、彼女は自ら病人の診療に当たる。彼女はアメリカ合衆国で1835年に設立された学校 Allentown Academy of The Homeopathic Healing Art が発するディプロームの学位は得ていたが、それはフランス国家の認めた医師免許ではないので、無免許で医療行為を働いていると訴えられ、法廷に召喚される。 「もし私たち女が、男性を診察し薬を処方するのは相応しくないと、医師になるのを拒否されるとするなら、病院の看護婦たちのことを思い出していただきたいと思う ―― そしてナポレオン皇帝とともに、負傷兵を世話するために戦場に赴いた勇気ある健気な女たちを思い出していただきたい。この女たちは兵士に包帯を巻き、傷口に触れ、介護し、身体を洗ったのです・・・」彼女は献身的な協力者の助けを得て、ホメオパティーの市民権獲得のために奮闘を続けるが、患者が減り、次第に経済的に追い詰められ、家具や美術品を次々と手放して食いつなぐ状態となる。偽りの投資話に騙されて最後に残った土地も失ってしまう。夫の遺志に従い、ホメオパティーの理解が進むまではと、『オルガノン』第6版の出版を控えていることについて、貴重な原稿を抱え込んで離さないと、支持者の中からも彼女への風当たりが強まる。1848年に二月革命が勃発、新政府の面々を見てホメオパティーが認められるという淡い期待を抱くが、さらに患者が減り苦境が強まるばかり。クリミア戦争、イタリア統一戦争と続いて世情騒然、そしてビスマルクのプロイセンの興隆と普仏戦争で、パリに住むドイツ人あるいはドイツ人の縁者に住民の迫害が激しくなるなか、『オルガノン』の原稿を携え国外脱出したところで物語は終わる。 ホメオパティーについて調べる中で、この小説の存在を知り、ここまで来たからにはと勢いに乗って古書で取り寄せた次第だが、さてさて。著者は Friederike Costa なる筆名でも作品を発表していて、作家になる前はダンサーだったとのこと、そして心理療法カウンセラーとしても活動していた。著者の夫ルネ・プリュメルが(クラシック・)ホメオパティーの治療師で、作品の巻末にこの療法についての短い解説を載せている。 ところで、同種療法に用いられる薬剤はレメディ remedy と呼ばれ、植物・昆虫・鉱物などの成分を水とアルコールで薄め砂糖玉に染み込ませたものである。希釈の割合によって D-Potenz (10倍希釈)、C-Potenz (100倍希釈)、LM-Potenz (5万倍希釈)などと呼ばれる(****)。薄めた液を、例えば C-Potenz ならさらに100倍に (C2)、そしてまた100倍 (C3) に薄める、これを何十回も繰り返す。作中のウージェーヌ・シューも「水と砂糖」と当時の世評を語っているが、ホメオパティーが最も手厳しく批判されるのは現在もこの点にあろう。これほどまでに薄めた薬液はもはや単なる水で、何の効果もないというのが大方の論評である。 D24 とか C12 つまり 1:1024 に希釈するのは「頭痛薬の一錠を大西洋に溶かすようなもの」と揶揄される。これに対して、著者の夫は巻末解説で次にように反論する。 ホメオパティーの薬剤についてしばしば「薄める」と言われるが、その表現は正しくない。希釈そのものが薬剤の効果を定めるのではなく、すり潰し・希釈・振動という手間暇かけたプロシージャが効果を高めるのである。こういう強化あるいは増強すること、プロシージャと呼ばれる手続きを経て初めて、ホメオパティーの薬剤ができる。なかなか首肯しがたい説明だが、もしそうだとすれば、そのプロシージャ Prozedur こそまさに生命の秘薬 《エリクシール》 を作る処方箋ではあるまいか! それはあり得ないだろう思っても、作中の裁判シーンでメラニーの弁護人は、あり得ないだろうと思われることも、あり得ないと断言することはできないと、法廷でガリレオ・ガリレイの名を出して、こう主張する。 「この男はまそっくり200年も前に、世界は平板ではなく丸いのだ、そして、太陽系の中心にあるのではないと主張した。彼は異端審問所で自分の理論を取り下げると誓約させられ、終身刑を言い渡された。今日に至るまで、この男の名誉は回復されていない。しかし、この間に我々はみな、彼の主張が正しかったと知っている。これでもって明確にしたいのは、私たちには馴染みがなく理解も証明もできないことはすべてが誤りだ、とは断言できないということだ。」現在は説明のつかないこと、誤りとされることも、やがては解明されるかも知れないではないか、との言い回しはハイケ・コシュィク『夜の錬金術』でも出会いました。「説明できないことは全部、試しもしないで断罪するという、そんな姿勢には君は注意しなければならない。いつか、千年後のことかも知れないが、いまの知性だけでは把握できないことを、何らかの装置を使って解明できるほどに科学は進歩するだろう。」 こう同じパターンの主張を繰り返して聞かされると、いささか辟易しますね。 * 作品の多くが訳され、ドイツでも有名であったウージェーヌ・シューについては 「カール・マイ Karl May ―偽りの書物 3―」 参照。 複雑な出版事情をもつハーネマンの著作はドイツでは現在様々な版で出版されている。代表作2作について de.wikipedia で見ると、 »Organon der Heilkunst« Organon der rationellen Heilkunde. Arnoldische Buchhandlung, Dresden 1810. (Digitalisat und Volltext im Deutschen Textarchiv); Digitalisierte Ausgabe der Universitäts- und Landesbibliothek Düsseldorf Spätere, jeweils vermehrte und veränderte Auflagen unter dem Titel: Organon der Heilkunst. 2. Auflage: Dresden 1818. 3. Auflage: Dresden 1824. 4. Auflage: Dresden und Leipzig 1829. 5. Auflage: Dresden und Leipzig 1833 (Volltext bei Google). 6. Auflage (posthum): Leipzig 1921 (hrsg. von Richard Haehl); (Online unter zeno.org). »Die chronischen Krankheiten«Die chronischen Krankheiten. Ihre eigenthümliche Natur und homöopathische Heilung, Theil 1–5. Erste Auflage: Leipzig 1828–1830. Zweite, veränderte und vermehrte Auflage: Leipzig und Dresden 1835–1839. (Online unter zeno.org) この2作には邦訳もあるようだ。版元(ホメオパシー出版)のウエブ・サイトを見ると、 澤元亙(訳)『医術のオルガノン第六版<改訂版>』 (2009/08/12) 商品の説明(抜粋) 「『オルガノン』は、ハーネマンが都合30年以上をかけて改訂を重ねているため、初版で書かれた部分が変わらず残っているところもあれば、途中で修正を加えられた部分や新たに書き加えられた部分もある。ハーネマンはたゆまぬ研究と経験の蓄積に基づいて常に原理原則を進化させていったが、それゆえ、オルガノンのなかでは、初期に提唱した原理と、研究によって後に変化した原理が混在する形となって、平板に一読するとハーネマンの最終の本旨と矛盾するように解釈されうる部分が出てくる。『オルガノン』はこういった複雑な背景をも斟酌しつつ、慎重に読み込まなければならないテキストなのである。」 澤元亙(訳)『慢性病論 第二版』 (2009年1月) 澤元亙(訳)『『慢性病』序文』 (2014年3月) 商品の説明(抜粋) 「ハーネマン著『慢性病』第二版の第三巻、第四巻、第五巻の序文を原典から邦訳。 『医術のオルガノン』初版から最終版に至る道筋を理解するためには必携の書です。ホメオパシー発展のために、実験の精神と自由な発想を大切にするハーネマンの面目躍如たる姿が読み取れます。」 三位一体 Dreieinigkeit古いドイツの小説を積んである本棚からヘルベルト・オイレンベルク『二人の女の間で』 Herbert Eulenberg (1876-1949): Zwischen zwei Frauen. Eine Schicksalsgeschichte, 1926 を引っ張り出してきて読んだ。ヴェーザー川 Weser の中流域、近代化の流れから取り残されて、中世の騎士領がそのまま残っているような僻村、その地の領主の末裔アルノルト Arnold が主人公。祖父が――フランス大革命の時代であろう――民主主義思想に共感して von Hümme という家名から von を取り除いた。邸宅を《Schloß 城館》と言わずに《Kotten 小屋》とか《Klitsche 納屋》と呼ぶ。代々の紋章――二頭の雌ライオンの間に一頭の雄ライオン――は、屋敷に通じる門から外して倉庫に打ち投げ、塔も撤去しようとしたが、これは相当な費用が掛かるとわかって諦めた。 その息子、主人公アルノルトの父親は、打って変わって旧習墨守の保守的な人物で、放置され錆び付いた紋章を再び取り出して、門に取り付けた。この父は早くに亡くなってアルノルトは若くして当主となった。結婚も早く、近隣の小都市カールスハーフェン Carlshafen(*) の退役軍人の娘エメリーネ Emmeline を娶った。早々に子供も生まれたが、早産で死産だった。彼女にはヤコーベ Jakobe という少し年上の女友達がいた。もともとは姉の友達だったが、姉が亡くなってエメリーネと親しくなったのだ。彼女は花の絵を描く絵描きだった。 アルノルトが、長らく放置してあった川向こうにある領地で、新たに花卉の栽培を計画する。そのおり、花に詳しいヤコーベが花種の選定やら植え付け場所のアドヴァイザーとして働くことになり、ガーデンハウスに移り住んだ。あるとき、川を渡って花畑の検分にやってきたアルノルトは、花々の香りに漂う花畑をヤコーベと二人で歩いた。彼女はユリの花と油絵具の香りに満たされたガーデンハウス内も案内し、鋼色のユリと碧紫色のオダマキを指し、「まるで恋人同士のように並んでいないこと?」と言ってふと隣を見るが、そのとき自分を凝視するアルノルトの眼差しに驚く。彼はヤコーベの瞳の独特の明かりに引き寄せられ、その明かりを捕まえようとするかのように瞳を覗き込んでいたのだ。たき火を見て、少々の火傷をものともせず、粗朶を一切れ取り出してもて遊ぶ、そんな子供のように。 ヤコーベが、こんな遊びに疲れて目を落としたとき、彼は彼女にキスした。はじめに一度。そしてすぐさま二度目、三度目、そして十度目までも。彼女は、襲い掛かる激情のほむらに当惑し、あわてて身を守った。だが同時にそれが引き起こした炎熱のめまいに捉えられた。[中略]そしてもはや彼の手が体中を触れるのに抵抗できなかった。そして彼は、限りないキスとさらに優しい抱擁によってヤコーベの抵抗が薄れたのを感じ取るや、いきなり彼女を軽々と抱き上げ、ベットに横たえた。 陶酔の時が過ぎると、彼女はすぐさま川を渡ってエメリーネのもとに行き、このことを告白し謝罪する。エメリーネはなかなか事態を呑み込めなかったが、こういう成り行きを予期しないわけでもなかったと思う。「そうなるしかなかったのよね」と。そして「すべてをめちゃめちゃにしたのね」と、相手に言うより、自分自身に語る。二度とあなたたちの前には姿を見せませんと言って、立ち去ろうとするヤコーベを、エメリーネは夫と話すまで待って、と留める。長い交友がどうしても優しい気持ちにさせるのであった。 その日の夕刻、夫婦が対面しているところに、たまたま教区牧師クヴィリーン Quirin が訪ねてくる。彼は道心堅固なキリスト教徒というのではなく、つねに信仰と教義について悩んでいる珍しい牧師である。この日も子供たちと問答していて、そのうち自分でも神とキリストと精霊の三位一体というのが、何か理不尽で理解できないものに感じられた。それでアルノルトの家に《De trinitate》という古い書物があったことを思い出し、借用に来たのだった。いつもと違って長居することなく、それがまるで魔法の書のように、書物をわきに挟んで、そそくさと帰っていった。 太陽の明かりのもとに取り残された二人の間のテーブルには郵便で届いたばかりの、秋まきのバラのカタログが載っていた。それは三人で話し合って選んだ中で最も美しくなるはずのものだった。アルノルトは、これまで長年の経験で適切な苗を選んでくれたヤコーベがいなくなったのだと、思い知らされた。バルコニーの下の土地を眺め、川をながめ川向うにいるヤコーベに思いを馳せ、何かを話すために口にしただけだったが、「最近ガーデニングの本で読んだんだが、この時期にはもうバラのつぼみから香りが出ているのだね。どう思う?」と言った。 エメリーネは黙したまま顔を挙げた。なかばまだ今去って行った牧師のことを考えていた。怪しみながらもあの出来事のあと初めて夫の目を正面から見た。という成り行きで「二人の女」と「あいだの男」の物語が始まる。三人の関係はさしあたりは順調に進行しているように見えるが、やがて当然ながらぎくしゃくし始める。ことに、アルノルトが最も親しくしていた戦友が亡くなり、その子供を預かることになって、亀裂が大きくなる。このひねこびた性悪な子供はまさに悪魔の申し子のように、人の弱みにつけこみ、人と人との不和を引き起こすのだった。主人公の不倫関係を暴き立てたのみならず、牧師の信仰を揺さぶってローマ巡礼に向かわせ、教会で牧師に変装してエメリーネの懺悔を聞き出し、さらに(なぜこのストーリーが嵌め込まれているのかよくわからないが)すでに亡き作家の遺作として発表された作品が評判になって、町に肖像まで建てられたが、実は当人は別の場所で別名で生きている、その事実を暴いて作家を自殺に至らしめた・・・ この作品は、二頭の雌ライオンの間の雄ライオン、という紋章が暗示する男女の「三角関係」を、「三位一体」というキリスト教の教理に(強いて?)絡めて組み立てられた物語である。結局は女二人それぞれが自分の生命と引き換えのように女の赤ん坊を生み、それぞれが赤ん坊に相手の名前、エメリーネとヤコーベと名付けて亡くなり、最後はアルノルトがその二人の娘に看取られて世を去るという、なんとも風変わりな小説で、これ以上ストーリーを辿るのはやめる。ちなみに、資料によると、作者は『二人の女の間で』の2年後に『二人の男の間で』Zwischen zwei Männern. Eine Lebensdichtung, 1928 を書いているようだが、これはいったいどんな物語なのだろうか。 オイレンベルクは数多くの戯曲、小説、エッセイを書いた売れっ子作家だったが、わが国ではあまり知られていないだろう。おそらくは、その短篇の一つ『女の決闘』Ein Frauenzweikampf を森鴎外が訳した(**)ことでその名を知る人がいるくらいではないか。かくいう私もその一人で他の作品を読んだことはないが、いつかドイツから取り寄せた古書の中にこの『二人の女の間で』があって、今回読んでみたという次第である。 鴎外が訳した『女の決闘』はごく短い作品ながら印象的な物語である。若い女子学生に夫を寝取られた妻が拳銃による決闘を申し込む。相手は心得があるようだが、彼女は銃など扱った経験はなく、前日に銃器店で撃ち方を習って購入した。もともと撃たれるつもりであったのが、交互に一発ずつ発射した最後の弾が相手に当たる。彼女は警察に出頭して頼み込むように勾留され、予審に掛かって未決檻に収容される。夫の面会も拒否する。ある日、女看守が床に倒れている彼女を発見し、抱いて寝台の上に寝かした。「その時女房の体が、着物だけの目方しかないのに驚いた」とある。 女房は小鳥が羽の生えたままで死ぬように、その着物を着たままで死んだのである。跡から取調べたり、周囲の人を訊問して見たりすると、女房は檻房に入れられてから、絶食して死んだのであった。渡された食物に手を付けなかったり、また無理に食わせられてはならぬと思って、人の見る前では呑み込んで、直ぐそれを吐き出したこともあったらしい。丁度相手の女学生が、頸の創から血を出して萎びて死んだように女房も絶食して、次第に体を萎びさせて死んだのである。(***)女房は絶食死していたのであった。とくに遺書もなく、一度監房へ来た牧師への書きかけの手紙が残されていただけ。それには、もう二度とお越しくださらないようお願いします、すべての不治のきずと同じに、恋愛のきずも死ななくては癒えない、夫を奪われてじわじわと腐るように死ぬより、相手の女学生に殺してもらおうと思った、拳銃を手にしたとき狙う的は自分の心臓だと分かったのだが、結果は反対になってしまった。女学生の流した血が元に戻らぬように、自分の心臓を元に戻すことはできない、「あなたの御尊信なさる神様と同じように、わたくしを大胆に、偉大に死なせて下さいまし。わたくしは自分の致した事を、一人で神様の前へ持って参ろうと存じます」とあった。 どうやらオイレンベルクはキリスト教の教義やら信仰について、かなり深刻な懐疑を抱いていたようにも見える。私は、決して、決して、極東の島国で最近相次いでマスコミを賑わす「不倫」報道に唆されて『二人の女の間で』を読んだわけではないが、オイレンベルクはこれらとはずいぶん異なる男女の愛の物語を書いたのであった。鴎外訳『女の決闘』を、「その描写の的確、心理の微妙、神への強烈な凝視、すべて、まさしく一流中の一流である」と評する太宰治が、語り手の視点を変えて書き改めた『女の決闘』(****)があるが、今回はこの作品に触れることはしないでおこう。 * Carlshafen は 1935年に Karlshafen と改められ、1977年からは温泉療養都市として Bad Karlshafen に改名されている。 誰を愛してる? Wen liebe ich?「熱々のソーセージだよ!」という売り声で物語は始まる。ヘルベルト・オイレンベルク『二人の男の間で』Herbert Eulenberg: Zwischen zwei Männern, 1928 だ。前項で同じ作者の『二人の女の間で』 Zwischen zwei Frauen, 1926 を取り上げたとき、その2年後に『二人の男の間で』という作品も書かれていることを知り、これは読まねばなるまいと、ドイツの古書店に注文を出していたのが届きました。男と女が入れ替わるとどんな物語になるのか、興味津々で読み始めたのですが・・・導入部から雰囲気はずいぶん変わったものの、読み進めてゆくとやはり、なんだか微妙です。時代設定は前作と同様、第一次大戦後と思われる。物語は小汚いソーセージ屋の売り声で始まるが、その場所はゴータ Gotha 近郊の飛行場(*)、そのすぐそばで離着陸客が「不快な、粘ついた」売り声を浴びせかけられているのである。今しも着陸した飛行機から降り立った女性がいる。物語のヒロイン、相当な資産を相続した裕福な娘リカルダ Richarda で、彼女はゴータに住む婚約者ハルトヴィヒ Hartwig を訪ねてきたのだ。彼女の自宅の場所はあいまいになっている。 リカルダがゴータを訪れるときは最近はもっぱら飛行機を使う。機を離れるとき、すでに顔なじみになったパイロットは「明後日、私の便で帰りますか?」と声をかける。彼、ヘラルト Herald は軍隊の飛行機乗りだったが、戦後は旅客機のパイロットとして働いている。彼こそヒロインにとって、もう一人の男性となる人物で、こうして物語のメイン・キャラクター、女1人男2人、が出そろった。 飛行場で客待ちしていた車に乗ってリカルダは町の宿所へ向かう。部屋に入ると香りの高いバラの花束とともに婚約者が待ち受けている。これがいつもの歓迎スタイルであり、ハルトヴィヒは飛行機なるものが嫌いで決して空港まで出迎えることはない。彼はゴータ公国の宮廷図書館(**)の館長に次ぐ地位にあり、姉のシュペラーテ Sperate と二人暮らし。この姉はかつて事故で片足を失い、車椅子生活になっている。 ハルトヴィヒの住まいでシュペラーテに迎えられ、なごやかに談笑しているとき、奇妙にもリカルダを訪ねてきた者がいる。それはあのソーセージ売りで、「あなたが落とされた紙片を届けに来ました」との口上。紙片には「誰を愛してる?」 Wen liebe ich? と書いてあった。彼女にはまったく覚えがないが、これは酒手目当ての振る舞いだろうとチップを渡して返す。(この辺は妙だ。ソーセージ売りになぜこの場所が知れたのだろうか。宿でこの家を聞いてきたと語るが、宿はどうしてわかったのか?) 「誰を愛してる?」、思わせぶりなフレーズだが、これが『二人の男の間で』揺れる女の気持ちを示すモチーフで、さまざまに変奏されて物語が展開する。ソーセージ売りの男の振る舞いにはハルトヴィヒも驚くが、ここでシュペラーテが、弟が図書館で見つけた古文書のことに話題を変える。最近のこと、古文書の中にかつての公妃のフランス語で書かれた手記を見つけて自宅に持ち帰り、これを姉がドイツ語に訳しつつあったのだ。それを聞いてリカルダは、ぜひにと朗読を促す。
シュペラーテの朗読は、公妃の「誰を愛してる?」という言葉が現れたところで、止まった。 シュペラーテは、おそらく公妃もこの箇所をしたためるときため息をついただろうと思われる、その同じ溜息をついて朗読をやめた。亡き公妃の手記の翻訳はこの先はまだ進んでいなかった。彼女はリカルダの顔が紅潮しこれまで見せたことのない表情をしていることに気付いた。たしかにリカルダはこの最後に読まれた言葉の、それはまだ胸元に挟んである、あの紙切れに書かれた言葉との奇妙な一致と関連に衝撃を受け、急な激しい胸の動悸に襲われたのだった。このように手記の中にまた「二人の男の間で」揺れる女が描かれていて、ここから物語は二重化されて進むという仕掛けである。 自分と手記の女性との類縁に衝撃冷めやらぬまま、帰途も同じパイロットの飛行機を使い、「次回はいつ?」と尋ねられ、「2週間後」と約束した。婚約者のハルトヴィヒ、そしてこのヘラルトへの思いが胸中で入り乱れ、自宅に戻っても動揺が収まらないリカルダは、何とか落ち着こうと、ハルトヴィヒが持たせてくれた手記を読み続ける。(この辺も妙だ。シュペラーテの翻訳はまだ未完だし、複製との断りはないので、貴重な資料である原文を持たせたことにならないか?)
ここまで読んでリカルダも身震いし、窓から吹き込む微風がヘラルトから送られた挨拶のように感じるのだった。今日、飛行機を離れるとき外套を着るのを助けてくれた、その折の背中に触れた彼の手の感触を思いながら眠りに落ちた。 さて次のゴータ訪問のおり、ヘラルトの飛行機が故障で、修理のため出発が相当遅れる事態となった。多くの客は口々に不満を言いながら、鉄道などに向かったが、リカルダは修理が終わるまで待つことにした。この時間を利用してヘラルトは空港近辺を案内しようという。実は彼はすぐ近くにある、いまは廃墟となった工場の所有者だった。すでに彼の父が工場の閉鎖を決め、設備機器を売りに出していたが、父の死後、状況はさらに悪くなり、この前の戦争で工場が爆撃を受け破壊されてしまったのだ。 不幸な事情を聴いてリカルダは同情をおぼえる。かつてのボイラー室に足を踏み入れた時、ヘラルトは、いきなり、「あなたが好きだ、空を飛んでいるとき、あなたのこと以外何も考えられなくなった」と言い、あの紙切れ、「誰を愛してる?」はあなたを思って自分が書いたものだ、と打ち明ける。リカルダは、お互いに妻子や婚約者があるのにと驚くが、彼は激情に駆られて猛禽のように襲い掛かり、彼女も同じ陶酔に引き込まれる。 リカルダの方はといえば、またもや自分の弱さによって婚約者に不正な行為を犯してしまったと、じわじわと思えてきた。この感情が彼女の目の前に、彼女の行為を妨げる障壁として、高い黒い山のように立ちはだかり、彼女の情熱を急速に沈ませ溶かしてしまうのだった。夜になって婚約者の家に着く。罪の意識に責められて沈んだ様子だが、彼が詩を作り、姉がそれに作曲して披露してくれるという思いがけない出来事があったので、告白はしないまま、その夜は過ごす。翌朝、リカルダは、初めて、婚約者の勤務場所たる図書室へ行く。古文書と公妃の手記に登場するゴータ公やその他の人物たちの肖像画。それらに囲まれ、手記の写しを眺め、そして以前に読み終えた個所から読み続ける。ゴータ公から疑惑の目で見られるようになったあとの公妃の振る舞いが詳しく語られるが・・・やがてリカルダは、喪神状態になる、今読んだものが手記の中の出来事か、あるいは自分の身に生じたことか、まったくわからなかった。ふと気がつく彼女の前にはハルトヴィヒが心配そうに立っていた。 このように、物語の中にもう一つの物語が手記として4回に分けて挿入されている。ざっとページを数えてみると、全280頁のうち、4か所合計で110ページ、全体の五分の二にあたる。現代と18世紀、産業社会とロココ文化という対比、飛行機・鉄道・工場・戦争・廃墟の現代社会における愛と、狩・オペラ・仮面舞踏会・靴下止め・秘密の部屋・女装・陰謀・刺客などなどロココ的な宮廷の愛の物語、こうした全く異なる背景の中での、異なることのない男女の関係を描き出そうとしたのだろうか。 ソーセージ売りは、他人を不幸にするのが生きがいのような男で、前作の陰険な少年に比せられる。その死に方も無様、前作の少年は漁師に海中に投げられ、こちらは自分の作った不衛生なソーセージに当たって死ぬ。また、飛行場近くの街道に、中で眠るための樽を転がして世界旅行をする、のっぽとちびの二人連れの男が出現したりするが、なぜこんな挿話を加えたのだろう。文明社会に対する批判なのか? 読者の前に展開する「一人の女と二人の男」はリカルダと婚約者ハルトヴィヒそしてパイロットのヘラルトだけでなく、たまたま飛行機で乗り合わせたヴェトゥーサ夫人 Frau Wetusta と夫と息子の友人と情事も加えられている。古文書のゴータ公妃と夫ゴータ公とリュヒョウの組み合わせには、公の伯母ショラスティカ Scholastika が絡み合わされる。伯母は多数の書簡交換で有名で、「女ヴォルテール」 »Frau Voltaire« と呼ばれている。彼女は「女というものは、肉体的にも精神的にも、二人の男性と、どちらかに貧乏くじを引かせることなく、きちんとやっていけるようにできている」という考えの持ち主だ。 ヴェトゥーサとショラスティカ、この二人の女性について、リカルダは思う。 両性の関係についての見方を比べると現代の方が昔より自由になったように見える。そして女性の地位は、今日は昔より男性に依存しなくなったし、束縛されなくなっている。しかし精神的な葛藤は昔のままだ。そして女性の自立度が大きくなった分だけ、まさしくその分、より悪い苦しい境涯に導くことになる。読み進むにつれ、前作と同様、あるいは前作以上に、ストーリーを追うのが面倒になる展開だ。リカルダの気持ちが婚約者に戻り、かと思うとまた愛人に惹かれ、改めてまた自らの不実を反省したかと思うとまた欲情に溺れ、の繰り返しである。手記に記される公妃の心情も同曲で、どちらを愛するのか揺れ動いた果ては、愛人が暗殺されゴータ公は不慮の死を遂げる。物語の「現在」の世界では、ハルトヴィヒはついに、親しいお付き合いは続けるが、「愛とか結婚とかは金輪際ない」と宣言するに至る。 物語の結末は、家庭にも仕事にも絶望したヘラルトが飛行機の航跡で宣伝文字を描く仕事を受けて、その実行の日、懇願してリカルダを機に乗り込ませる。離陸し予定の高度に達するや、依頼の宣伝文字ではなく LIEBE (愛)と描いて、そのあと、最初から決意していたのであろう、かつて自分のものであった工場跡に機を墜落させる。地上に激突寸前、リカルダは運よく外に放り出されて一命をとりとめる。そして2年間の入院を経て、ハルトヴィヒと結ばれるのであった。 結婚して10年後、息子が生まれる。ハルトヴィヒは、これは天から降りてきた子供だからヘラルトと名付けようと提案するが、リカルダは父の名を継ぐことを望み、ほほ笑んで言う。これが物語を締めくくる言葉である。「あなたは、自分は愛することができない人間だなどと、自らを貶める間違ったことを仰るけれど、あなたは愛するよりはるかにすごい、他人を幸せにすることがお出来になるじゃありませんか。」 『二人の女の間で』は、二頭の雌ライオンの間の雄ライオン、という紋章が暗示する「三位一体」、つまり男女の「三角関係」の物語で、なんだか変な小説だという印象を持ったが、こちらの『二人の男の間で』も腑に落ちないところが多い作品だ。キリスト教の信仰については、こちらでも敬虔な振りをした高位の聖職者を揶揄するような描写があるが、前作のような深刻な懐疑を窺わせるところはない。作者は『二人の女の間で』と『二人の男の間で』とではずいぶん色合いの異なる男女の物語を書いた。それぞれの表題に付された副題も微妙に異なる。前作は Eine Schicksalsgeschichte で、後の方は Eine Lebensdichtung だ。この差異(日本語で訳し分けるのは難しい)に作者のどんな思い入れがあったのだろうか。 * ゴータは20世紀に入って急速に近代化が進み、多数の工場が建設された。航空路線の拠点としての発展も目覚ましく、1910年にゴータ近郊クライン・ゼーベルクの南に飛行場が建設された。 |