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メモ帳 -- 抄録、覚え (その5)



カリタス

イギリスの支配階級や貴族の子弟が学業の最後の仕上げとしてイタリア旅行を行うが、これを「グランドツアー」と呼ぶ。ドイツの王侯貴族の子弟も同じで、外国に見聞を広める旅に出るのだが、その際、自然と芸術の宝庫、イタリアは外せぬ目的地であった。後には学者・芸術家もこの列に加わることになる。

イタリア旅行に行くと言うと、ひったくられないように、だまされないように、ナンパされないようになどと口やかましく注意された、というのは身近によく聞く話。日本人はフランスでもスイスでもスリや窃盗の被害にあっているのに、イタリアがなぜ殊更にアブナイ国になるのか。岡田温司『グランドツアー』はイタリア人についてのこのような芳しからぬ先入見から話が始まる。

「イタリアは素晴らしいが、イタリア人は・・・」という見方は実は300年前からあったという。18世紀の初めにイタリア半島をナポリまで下ったジョゼフ・アディソンは『イタリア各地の報告』(1705年)なる旅行記を残していて、そのなかで「田舎の美しさと住人たちの極度な貧困」を目にして、かつてのローマ帝国の栄華を思えば「驚きを禁じ得ない」と書いている。
アディソンはさらに筆を進めて、「巡礼者の名を借りた放浪者の群れ」や「信じられないほど多数の若くて丈夫そうな物乞いたち」についても報告しているが、その真意は、そうした「放浪者」や「物乞い」を容認するばかりか助長すらしている--と、彼の考える--カトリック教会に批判の矛先を向けることにある。教会が運営する数々の病院は、「人々を仕事にいざなうどころか、むしろ怠惰を奨励している」と酷評される。要するに、カトリック教会が甘やかしてばかりいるから働けるものも働かなくなる、というのである。
  --岡田温司『グランドツアー。18世紀イタリアへの旅』(2010 岩波新書)
輝かしい過去の栄光と、その栄光にすがりつくしか能のない現状。酒と女と賭けごとにおぼれるならず者たち、旅行者を襲う盗賊の群れ、安心して泊まれない怪しげな宿。このような光景を語る旅行記が広く読まれ、南国イタリアに対する北ヨーロッパの人々の優越感もあって、「イタリアは素晴らしいが、イタリア人は・・・」なるステレオタイプの見方が醸成されていったという。

それはともかく、カトリック教会の慈善(カリタス)と現代社会の福祉(ウエルフェア)の違いはあるものの、貧しい人に手を差し伸べるのも行き過ぎては良くないという主張は、なんだか極東の国の最近の生活保護費をめぐる議論を見るようですね。



編集文献学

《編集文献学》とは一般には耳慣れない研究かも知れない。これが多少とも知られるに至ったのは一冊の翻訳書のサブ・タイトル(副題)による。
ピーター・シリングスバーグ著、明星聖子他訳『グーテンベルクからグーグルへ--文学テキストのデジタル化と編集文献学』
最近の急速な電子技術とネットワークの発達が書物の世界にも大きな変化をもたらしつつあることは誰もが日々感じ取っている。ただそれはネットからダウンロードした書物をパソコンの画面で、またはスマートフォンで、あるいはまた Kindle など専用の端末で読む読書スタイルの変化として、音楽作品がCDからネット配信ダウンロードに移行するのと並行した現象として、デジタル社会の一風景として映っていたのではないか。

シリングスバーグの書は、『グーテンベルクからグーグルへ』というタイトルのために、いかにも今風の受けを狙った、はやりのデジタル時代に乗っかった出版かと思わせるかもしれない。しかしまったくもって時流に乗ったお気楽な書物なんかではない。ここでは詩人や作家の全集・作品集の出版を根本から問い直す議論が提起されている。つまり全集刊行という事業がいまや従来の方式では立ち行かなくなったことを鮮明にして、同時に「編集文献学」という研究分野の存在を我が国の学界に一気に知らしめることとなった(ように思える)。

『文学テキストのデジタル化と編集文献学』との副題が本書のテーマを示している。今後、研究の対象とする学術版の作品テキスト、権威ある真正のテキストなるものは、従来のように印刷した書物の形で出版することはできないとシリングスバーグは言いきる。1980年代から編集出版の作業にはコンピューターが用いられてきたが、それは印刷の版下を作るまでの電子化だった。今後は、紙に印刷しての刊行ではなく、電子化テキスト自体でもってネット上にアーカイブを築く方式に移ってゆくというのが著者の認識だ。

ここでは欧米の作家を対象に論じられているのだが、ひとつの著作について初版、再版、さらに原稿に遡って「著者の意図に沿った」テキストを確定し、成立事情や背景を注につけて出版する、これが全集の作り方と考えられていたが、実はこの様々な段階で、編者の判断が紛れ込むことは避けられないというところから議論が始まる。シリングスバーグが実際に携わった編纂の仕事を例に取り、著者の意図を正確に再現することの不可能性を具体的に証明する。手書き原稿、初校、印刷工による句読点の変更、印刷初版、著者校正のある/ない再版、そのすべてにおけるテキストの変更、イラストの扱い・・・すべての段階で「編集」が行われる。雑誌連載から単行本になる場合はもっと大きな「編集」があるだろう。

従来の編集者は「著者の意図を再現する」ことを目指した。あたかも「著者は神であり、テキストは聖典である」かのように。だが、それはもはや正当化できない欺瞞となった。そうではなく「編集行為は批評行為なのだと理解する」ように求める編集者でなければならないとする。学術版のテキストは、成立・出版・受容状況がすべてクリアに見渡せる形で提示されるべきで、となると電子的なアーカイブとして構築するほかない。シリングスバーグは自らが携わったウィリアム・サッカレー全集の編集について次のように述べる。
オリジナルのドキュメントを集め、照合し、修正し、テキストの歴史を示したり変更の責任がどこにあるかを特定したりするための資料を集成し、それらの資料を本文の脚注と付録に配置し、できあがった仕事の正確さを検証する--これが、一九七六年に始まり、一九八九年から二〇〇五年までの間に八巻の刊行が済んでいる、大きな編集プロジェクトの仕事の内実であった。全部で二三巻の印刷版として計画されたこのプロジェクトのうち、書物の形で刊行されるのは一一巻だけということになるだろう。もし誰かが残りの「巻」を、本としての形で必要だと思わない限りは。
  --ピーター・シリングスバーグ著、明星聖子他訳『グーテンベルクからグーグルへ--文学テキストのデジタル化と編集文献学』(慶應義塾大学出版会、2009年)
これからの学術版全集は図書館の棚に並ぶのではなく、電子的なアーカイブとして、さまざまな利用者の用途の応じたアプローチが可能なナリッジサイトに納められる。一般読者に向けた印刷本もそこから製作される。なるほど、そういう時代がもうそこまで来たのだと納得するほかない。

《編集文献学》という訳語について。訳者の後書きで詳しく触れられているが、研究の底本となるような全集を英語では scholarly edition という。これを「学術版」と呼ぶなら、scholarly editing は「学術版編集」となろうが、その語をあてないことについて訳者は、「scholarly editing はそれだけを独立させて見れば編集作業を表す言葉だが、本書においては(また他の英語文献においても)、明らかに、作業そのものと同時に、編集作業をめぐる方法論の議論全体を指す言葉として二重の意味で使われている」ことを理由に挙げている。確かにこれまでわが国では無かった概念だから訳すのは難しい。私に別に名案があるわけではないが、《編集文献学》ではしかしどうもしっくり来ない気がする。
[追記] 最近目にしたニュース(毎日新聞 2012年7月5日 朝刊)によると、小学館が新編の日本美術全集全20巻を刊行するらしい。近年の研究や人気動向を踏まえて美術史を編み直すそうだが、電子書籍化が進む中「最後の紙の全集」となる可能性があるとのこと。むべなるかな。


編集文献学、続き

シリングスバーグ『グーテンベルクからグーグルへ』では、論証の進行からは脇道にそれるようなトピックの中にも興味をひかれる箇所が多々あった。例えば、英米系とドイツ系(大陸系)の学者同士が、学会や機関紙上でいくら議論しても、全集編纂の考え方に誤解・意見の相違が解消されないとするところもその一つ。なぜ意見が異なるかについて、テキストの「人工物としての性質」と「審美的対象」の評価において異なっているからだという「仮説」が提示されている。

テキストの「人工物としての性質」とは、文字が印刷された紙の綴じられたモノとしての書物である。「審美的対象」とは作者の感性・嗜好だが、読者が作品を読みながら思い描く「審美的対象」と読者が作者のものだと考える「審美的対象」、その二つをどう意識しているかに違いがあって、(ここはいたって晦渋な議論!)英米系は作者に帰せられるものを実現しようとの姿勢で編集するが、ドイツ系は、誰かが「これが作者の意図だ」と考えたことを実現するための編集という考え方を拒絶する。つまりドイツ系は「作者の意図をくみ取るというよりも、基本的にドキュメンタリー的だ」という。
私の理解では、ドイツの編集者は概して、現存のドキュメントのなかのテキストを読者に提供することを重視し、作者の考えた「審美的対象」により近似している新しいテキストを提供しようとはしていない。つまり彼らは、ベーステキストや基底コピーテキストを、審美的対象により近似させるための編集は、しない傾向にある。その一番の理由は、そこには個人の解釈がどうしても入ってしまうというものだ。ドイツ系の編集者は、記録のなかに含まれる審美的対象を個々人が解釈する際の基盤として用いることができるように、歴史的な記録とモノとしての情報を、読者に提供しようとする。
こうした違いの生じた所以は、それぞれの全集編集の原点とも言うべき、シェイクスピアとゲーテのテキストに由来する伝統にあると言う。
シェイクスピアの場合は、一つとして作品の手稿は現存していないが、ゲーテの場合、多数残っている。シェイクスピアの場合、彼が自分の作品を出版するために何らかの努力をしたのかどうかは定かではない。ゲーテの場合、彼が実際に作品の出版の企てに関与していたという明らかな形跡がある。[中略]シェイクスピア編集にまつわる諸問題によって進んできた英米系の編集の傾向は干渉主義的であり、一方、ゲーテ編集の諸問題によって形成されたドイツの伝統は、あくまで客観的な記述と整理を志向する。なぜならゲーテについては基本的に満足な歴史的テキストが存在するが、シェイクスピアの場合は違うのだから。
英米で「学術版」、すなわち scholarly edition と呼ばれるものは、ドイツでは「歴史的批判版」と呼ばれる。すなわち Historisch-kritische Ausgabe である。それはまさしく「ひとつの著作について初版、再版、さらに原稿に遡って著者の意図に沿ったテキストを確定し、成立事情や背景を注につけた」版である。この名称の違いからして英米とドイツの相違が看て取れるのか・・・と思ったとき、なんだ、シリングスバーグの編集理論とはとどのつまりドイツ流を否定する議論になっている、ここは脇道どころか彼の理論の本通りかもしれないと考え直した次第。

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英米流とドイツ流の違いはそうなのか、では、日本はどうなっている? ということは誰しも気になるであろう。この問題については、訳者明星聖子氏の「訳者解説に代えて」で注目すべき言及がある。我が国の編集の問題を検討しようとしてすぐにわかったのはと、明星氏は述べている、「日本ではどうも編集に関してはまったく表立っては議論されていないという点だった」と。いったい、なぜだろうと考えているうちに明らかになってきたのは文学全集編纂における欧米と日本の決定的な違いであった、と。
ところが、あるとき、次の事実を発見してびっくりした。九〇年代に刊行された新しい「漱石全集」の「編者」が無名となっていたのである。実際の編集担当は、「岩波書店編集部」だったようなのだが、しかし、日本近代文学の代名詞といっていい夏目漱石の全集が、なぜ実名を立てて仕事をする研究者によって編集されていないのか。
なぜそうなったのか。明星氏が調べていくうちに、当時の編集部の一員であった秋山豊が退職後に出版した『漱石という生きかた』の「あとがき」に解答が見つかる。それによると結局漱石の全集を担当してきた小宮豊隆などにしても漱石の自筆の原稿を見たとはいっても、その「見た」は「眺めた」に過ぎず、実地に原稿をつぶさに検討したわけではなく、実際の作業にあたったのは出版社の編集部員、校正の担当者であった。秋山は「ここにおいて、私は実務の伴わない著名な作家や学者・評論家を名目だけの編集者として奉るのはやめたいと思った」とのこと。

「お偉い先生方は、編者として名前は出すけれども、実際の作業は行っておらず、全集編集の実務はすべて出版社」に任せるという日本の(一般的な)システムを、訳者の明星氏は「編集の空洞化」と呼ぶが、それを論難するのではなく、むしろ「おそらく一般に日本の編集者・校正者たちは、とても高い職業倫理、高い使命感でもって、非常に優れた実務を行っている」と、わが国の特殊な状況を指摘する。
そして研究者たちもそれを十分に知っているのである。だから、実務者たちの仕事に厚い信頼を寄せることができる。[中略]つまり、研究者たちが集まって理論を議論して、自ら指針を示して現場の陣頭指揮をとらなくても、これまではずっと、研究が基づくことのできる〈正確〉な、緻密に編集された〈信頼のおける〉テキストが供給され続けてきたのである。
これは私の僅かな経験からもうなずける。そもそも「編集者」といえば日本では第一義的に出版社の社員を指す。そして執筆者・研究者の優秀なアドヴァイザーとなるケースが多い。しかしこの日本的システムがいつまでも続くとは考えられない。やがては変わってゆくだろうが、出版社の編集任せではなく研究者主導の編集、が思い通りに実現する保証はない。わが国では、官僚任せではなく政治家主導の政治、と大見得を切っても・・・あんな有様だものね。

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ところで明星聖子氏の、なかなかに読みごたえのある解説の中で、他の人は読み飛ばすかも知れないが、わたしが引っ掛かったところが一箇所ある。
今回の翻訳では、おまけに、ねじれた次元の横断による新手の齟齬にも遭遇した。技術の言葉と文学の言葉のコンフリクトである。一例だけあげれば、text は、文学の言葉としては、明らかにテクストなのだが、技術の言葉としてはテキストでしかありえなかった。そして、文学用語のテクストはテキストとしてもなんとか通じるが、text file は、テクストファイルと訳すことはできない。結局、これも訳し分けは不可能で、全部テキストで統一した。
  --ピーター・シリングスバーグ著、明星聖子他訳『グーテンベルクからグーグルへ--文学テキストのデジタル化と編集文献学』(慶應義塾大学出版会、2009年)
わたしは前に text のカタカナ表記について「テクスト? テキスト!」で話題にしたとき、フランスの記号論や構造主義以降の文脈で用いられるときにテキストはテクストと表記されるようになったようだが、原音に忠実なつもりなら浅はかだ、インク、エクストラ、マクシマムは可笑しい、インキ、エキストラ、マキシマムだ、「わたしはテキスト墨守派だ」と宣言した。実は、本書ではすべて「テキスト」となっているので大変心地よく読み終えたのに、最後に、いまではもう text は「文学の言葉としては、明らかにテクスト」と言われて、そうなのかとため息しきりです。



表層こそが

定期購読している講談社の「本」10月号が届いたので、目次を見ると佐藤亜紀の名前があった。何だか久しぶりのような気がする。そう思ってネットで調べてみると著作リストには『バルタザールの遍歴』以降これまで大きな空白期間なく次々と小説、評論を上梓しているので、たまたま私の目に触れなかったか、気付かなかっただけのようだ。

掲載のエッセイは「十八世紀の表層」と題され、出版社のPR誌だから最新作『金の仔牛』を作者自らが紹介する文だ。「フィガロの結婚」の演出という話題から入っている。

二〇〇六年のザルツブルク音楽祭の「フィガロの結婚」が「心ある人々の大顰蹙を買う、ある種の名上演であった」と始める。古典オペラの上演には時代の流れの中でさまざまな演出が試みられる。「フィガロの結婚」のいくつかを例にとり、またワグナーの「ラインの黄金」「ニーベルンゲンの指輪」の上演などにも触れながら、現在は、歌手の声も性格も昔とは変わった、その中で「フィガロ」にはどのようなアプローチがあるのか。
言わばこれは、社会の変化とそれに伴う人間の変化が要請する「フィガロ」の在り方だ。「フィガロ」がかつて上演されることで作りだしてきた表層を、今日の舞台は維持できない。とすれば、その薄皮を剥ぐって下にあるものを剥き出しにする舞台は、二〇〇六年のザルツブルクでなくともいつか、どこかでは出現していただろう。
  --佐藤亜紀「十八世紀の表層」(講談社「本」2012/10)
もう十年以上前になるが、彼女のHP「新 大蟻食の生活と意見」から 秘密結社、大日本投石党 をこのHPで取り上げた折、「大蟻食氏は現在《メッテルニヒ氏の伝記》執筆を計画中だそうで、日本語で最初の本格的なメッテルニヒ伝となるのかな、と私は大いに期待しております」と書いたが、これは実現したのだろうか。

あのHPに見られた辛辣な語り口、これは今も変わらないようですね。十八世紀を描くのに彼女は「深層が表層より価値があるとは限らない」という。いわくありげに深い意味とか隠された問題点とかを云々し、実質がないとか中身がないとか言えば批評になると思っている言説に飽き飽きしている向きには爽快な物言いではないか。『金の仔牛』は「十八世紀を舞台にして書いた三番目の小説」らしい。前二作は見逃してきたが、「十八世紀をいきなり近代以後(ポスト・モダン)に接続しかねないマネーの問題を中心に据えた」今回の作は、久しぶりに読んでみようという気にさせられ、書店に発注しました。

ところで、「本」10月号の目次で佐藤亜紀の隣に平野啓一郎の名が並んでいて、おやっと思わされました。別にどうでもいいことだけど・・・



魔女と日本

魔女裁判の文献に日本の名前が出てきて、少し驚いた。

その文献とは、アンリ四世の命でバスクに派遣され、ラブール地方を舞台に苛烈な魔女裁判を行ったフランス人裁判官ピエール・ド・ランクルが、自らの経験を基に執筆した『堕天使および悪魔の無節操の図』(1612)である。この書は英仏でヴォアイヤー、ボダン、スコット、ギフォード、パーキンズの著書と並ぶ、魔女裁判研究史上で重要な資料とされている。

ド・ランクルが行った「魔女裁判は、僅か四か月の裁判期間中に六〇〇人の被告が裁かれたという説があるほど激しいもの」だったという。彼はバスクの魔女とインディオ(南北アメリカの先住民)を同類と見なした。この地方が悪魔を媒介にしてアメリカと結びついているからというのがその理屈である。バスクの男性が遠洋漁業を生業としていて、夫の不在中に妻が悪魔に誘惑されやすいという理由も挙げる。「悪魔を媒介にして」と言うのだから、アメリカの悪魔がバスクに来て悪事を働いているとの見立てなのだろう。
このように魔女とインディオを同類と見なす認識は、新大陸とラブール地方の悪魔が同一であるという考えにもとづいている。ド・ランクルは言う。
私には、次のことは確実であるとおもわれる。すなわち、何人もの優れた修道士たちの信心と素晴らしい教導によって、西インド諸島や日本、その他の場所から追いだされた悪魔や堕天使どもが、大挙してキリスト教国に飛び込んできたということである。(後略)
十六世紀以降、新大陸アメリカや日本に向けてヨーロッパから派遣された宣教師によってキリスト教の布教活動が行われ、それらの地域から悪魔が追い出された。その結果、居場所を失った悪魔がヨーロッパに押し寄せ、最適な住処として選んだのがラブール地方であった。

  --黒川正剛『魔女とメランコリー』(新評論 2012)
キリスト教国で魔女作りに励んだ悪魔のなかに、日本を出自とする悪魔もいたという訳か。

黒川氏の研究は、16世紀後半から17世紀前半に猖獗を極めた魔女裁判・処刑を、西欧近世社会における「他者」のイメージという視点から問い直すものだ。魔女が古代からの四体液病理説のもとで理解されていたこと、すなわち、血液・黄胆汁・黒胆汁・粘液の四体液のうち黒胆汁を多量にもつため「メランコリーに冒された存在」だと考えられていたこと、その表象が時代と社会の移り変わりの中で変質・遷移していくあり様を当時の文献に探ってゆく。

この時期なぜ魔女裁判が多くなったのか。その主要な原因として貧民人口が著しく増大し、貧民の救済が教会から世俗権力へ移ったことが挙げられる。それまで貧民に施しをするのは施主の徳で天国への道行を助けるものだったのが、貧困は放浪者を生み・盗み・人殺し・反逆・疫病流行の原因として都市の施設に隔離される存在となった。魔女とされたのは貧しい老女が圧倒的に多かったのである。

そして大航海時代を背景に「新大陸」の発見・征服・植民地化の進展によってインディオ(南北アメリカの先住民)という新たな「他者」が出現し、気候風俗・民族の地理分布の要素も加えられて「他者としての魔女像」が完成する。それがデカルトに始まる近代思想と自然科学の進展で終息してゆく過程までていねいに追跡されている。これまで知ること少なかったフランス・イギリスの魔女裁判について教えられることの多い、読みごたえのある一冊だった。



行為者の属格

最近マルティン・ルターの評伝が新書で出たので読んでみた。サブタイトルに『ことばに生きた改革者』とあって、波乱に満ちた改革者の生涯を簡略にスケッチするのに、《ルターとことば》という視点で貫かれている。

大学の法学部で勉学を始めたばかりのルターが、雷に打たれて死の恐怖を覚え、修道士になる決意をして(「落雷の回心」)、アウグスティヌス派の修道院に入る。ルターは当時の教会や修道院の腐敗堕落と戦うため敢然と立ち上がり、それが宗教改革の発端となったと語られるが、そう単純ではないという。
中世末の教会や修道院に関しては、しばしばその堕落が指摘されるが、ルターのいた修道院は最良の部類に入るものであったと思われる。したがって、ルターが宗教改革を推し進めた背景として、修道院の堕落を挙げるのは適切とは言えないであろう。むしろ、当時の修道院の最善の部分に潜む根深い問題、すなわち自己満足と傲慢とに気づいたために、ルターは宗教改革に取り組むことになったのである。(22・23頁)
ルターは清貧を貫く修道生活において、いかに努力しても、神の前で自分が罪人であることから逃れられないと苦しみ続けた。この煩悶がルターの出発点であった。彼は後に「罪人を罰する神の義を愛さず、憎んですらいた」と述懐しているとのこと。言うには、神に対して怒っていた、原罪のゆえにあらゆる種類の災いで圧迫し、福音を持って苦痛に苦痛を加え、その義と怒りをもって、人間を脅している、と。司祭に叙階され、大学で学生たちに聖書を講じるようなっても、迷いから逃れられなかった。

聖書を講じているうちに、詩篇第三一編2節の「あなたの義によって私を解放してください」の箇所で彼は行き詰まった。
「あなたの義によって私を解放してください」という言葉からは神の「義」が、われわれ人間に解放、すなわち「救い」をもたらすものとして期待されていることが読み取られる。神の「義」と人間の「救い」とが、なぜ一つに結び付くのか。神の「義」を、「怒り」「裁き」「罰」との脈絡でとらえてきたルターにとって、この結びつきは矛盾であり、どうしても理解できなかった。(37頁)
講義が詩篇第七一編まで進み、ここで再び「あなたの義によって私を解放してください」という言葉を目にして、突如光明が射し、ルターに新しい認識が訪れる。神の「義」とは神からの「恵み」であって、それはイエス・キリストという「贈り物」として人間に与えられる。神の「義」はイエス・キリストの福音として示される。神の「義」が神のものであると同時に罪深き人間に与えられたものでもあることに気づき、「罪人を罰する神」から「救いの神」への認識の転換を遂げたのだという。この認識をルターは修道院の塔の小部屋で得たので「塔の体験」と呼ばれている。

「神の義」を考え抜いたところにルターの転回点は訪れたのだが、この認識を得るに際しては文法の問題が大きな契機となったと著者の徳善氏は指摘する。すなわち「神の義」という言葉には「行為者の属格」が使われていたという。「行為者の属格」という文法用語は、私は初めて目にした。ヘブライ語の知識は皆無なので、氏の解説に頼るしかないのだが、たとえば、として「お父さんの贈り物」という言葉でそれは説明される。
この場合「贈る」という行為をする主体は「お父さん」である。お父さんがひとたび「贈る」という行為をすると、その行為によって贈られた品物はお父さんの手を離れ、それを送られた人の手に渡り、その人の所有物になる。ここでの「の」は、行為する主体を指すと同時に、行為の後にはそれが行為を向けられた相手に及ぶという意味合いをもっているのである。
この用法は、もともとヘブライ語の聖書ではよく使われていたものである。ところが、当時広く読まれていたラテン語によるウルガタ版の翻訳では、この用法がほとんど使われていなかった。そのため、言葉の意味を理解する際に困難が生まれていたのである。
ルターはそこに気がついた。「神の義」と言うときの「の」は、行為者の属格として理解されるべきなのだと見抜いたのである。(39・40頁)
  --徳善義和『マルティン・ルター/ことばに生きた改革者』(岩波新書 2012)
さてどうだろう、私には残念ながらすっきり腑に落ちることなくモヤモヤが残った。属格とは英語で genitive、ドイツ語で Genitiv といい、それぞれ「所有格」とか「2格」とも呼ばれる。もともとのラテン語による文法用語は casus genetivus で、その原義の出生、誕生の意味から「生格」とも呼ばれる。

「お父さんの贈り物」は、ドイツ語では Geschenk des (meines) Vaters となるだろう。英語なら (my) father's gift か。これらは「父がくれるもの」とも「父に与えられた私のもの」とも、どちらの意味にもとれる。しかし「お父さんのネクタイ」「お父さんの車」となると趣が異なるだろう。つまり上の例では属格の機能というより「贈り物」だから両方の意味を持つように思える。とすれば「行為者の属格」というのは、そもそもいかなるものなのだろうか。いつか機会を見つけて専門家に、詩篇第三一編をヘブライ語、ラテン語、ドイツ語と対比してじっくり説明を聞いてみたいと思う。

2017年には宗教改革500年記念を迎えるので、これからルター関連の出版が増えることであろう。この書もその走りの一冊かもしれない。