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大学院受験大作戦 1999年10月16日掲載

阪教育大学天王寺学舎内に併設されている放送大学で、選科履修生となって学士号取得を目指して、初めての単位認定試験中の1月末のことであった。ふらっとトイレに行きたくなり廊下を奥に進んでいくと、健康科学研究室の札が掛かった教室が並んでいた。そう言えば放送大学では「乳幼児」「青年期」「成人」「老年期」などの健康科学と名のついた教科がたくさんある。きっとこれらに関係した教室だと簡単に考えてはみたが、待てよ??、放送大学はそういう大学ではない。なんだろうか??、共に就学している友人に話をしてみると、ビックリしたことに大学院の教室だという。それも夜間に開校されていることが分かったのである。学生時代には国家試験に合格することが第1目標で、大学院など考えも及ばなかったし、ましてや3年制の医療短大卒では受験資格すらなかったのである。しかも、国立大学大学院ともなると凄く難しくて、とてもとても手に届く物ではないなとあきらめかけていた。それからしばらくして、大学で共にサッカーをしていた先輩にこの話をしたところ、偶然に何と、2人の卒業生と現役院生の存在が明らかとなったのである。何たる偶然。運命的なものを感じつつ、早速に大学院の概要について事細かく説明をしてもらい、教育大学ではあるが精神・社会専攻には内科医の高折教授がおられる。医療関係者の自分にとって社会人を対象としたこの大学院での就学は、全く可能性が無いわけではないことが分かったのである。だだし、初年度の学費は入学金277000円と年間授業料478800円が必要となる。これは、当然だが放送大学の学費と比べると高額で、少し目まいがした。しかし、私学やアメリカなどに比べるとこれでも安いそうだ。

ず、基本的な事項すら知らなかったのであるが、大学院は自分で何を研究したいかと言う、「研究計画書」を作成して、入学後の就学の方針を自分自信で明らかにする必要がある。大学のように適当に試験を受けて、何となく単位を取ればいいわけではない。そして指導教官と自分の研究計画の方向性が一致していないと就学は難しくなる。如何に自分の研究テーマに合った指導教官を探すかが重要である。また、社会人として業績があれば認定してもらうことも可能で、小論文試験などが免除されたりもする。この場合の業績とは原著論文・研究論文がこれにあたる。私の場合は原著論文で業績認定を受けることが出来た。試験も研究室単位となり、指導教官の受持も数人だけとなる。従って、受験に際して募集人数で難易度を考えるというよりは、あくまでも、どれだけしっかりとした、2年間で完成しうる研究計画の作成が出来たかが問題となる。熱意をもって熟考を重ねれば可能性も開けてくるということであった。

送大学において平成9年10月から1年でなんとか必要単位を取得し、秋に学位授与機構に学位申請して、3月末までに学士号が取得できる予定であった。自分自身では当然として学士号取得予定と思いこんでいたので、受験に向けイソイソと準備していたが、いよいよ願書取得の段階になって、念のため問い合わせてみたところ、大学卒業予定者と違い、何の予定も証明できないので学位取得後でないと受験資格が有るとは認められないということだった。万事休す。しかし考え方を変えると、放送大学での就学や試験も順調に腰を据えて取り組むことができたし、学位授与申請も計画通りに無事達成できた。いろんなことを自分なりに整理する時間が持てたことは良かったと思っている。それに職場でのコンピュータ更新に伴う検査システムの再構築の作業など4月まで息つく暇もない状態であり、途中体調を崩すほどのハードスケジュールであった。

月にコンピュータの更新作業は一段落し、英検の試験が終わった頃には心身ともにガタガタと成っていた。本来ダラダラとした事が嫌いで、メリハリをつけて何事にもあたる性分である。これだけ精根を詰めた後は、気晴らしが必要ということで、大学院の受験が差し迫った7月に何もかも空っぽにしてアメリカ旅行を楽しむことにした。この時点で研究計画は二転三転して未だ白紙の状態といってよかった。願書もすでに配付されており、業績認定を申請する為には7月末までに研究計画書を完成させる必要があったのだが、完全休養を強行した。

行の効用は絶大であった。帰国後、懲りもせずに旅行記録の作成やビデオ・デジカメの編集をする傍らで、ピンボケ状態の研究テーマが見違えるほどに完成度の高いものにランクアップできたのには我ながら驚いた。本では読んだことがあるのだが、これが「おく」と言う効果であった。パンを発酵させるようなものである。完成した研究計画を職場の医師に添削してもらい、各関係医師や職場の仲間に了承を頂いた後に、業績認定の申請を提出することができた。結果は約3週間で返却され無事に申請は受理された。本試験では午前中の試験は免除され、午後の面接試験を受験し、一年越しの大学院入学計画も無事完了した。仕事と両立して大学院で夜間に研究するには、職場での研究が中心となり、研究計画もそのようにしないとむずかしい現状にある。放送大学で履修して、単に学士号を得ただけで満足することなく、その上の大学院で就学して初めて、この学位授与制度の真価があるのではないかと考える。皆さんの健闘をお祈りいたします。 

成11年9月20日、雨の降りしきる中、合格発表を天王寺学舎に見に行きました。この日は平日の午前10時前とあって、誰も見に来ておらずただ1人待っていると、事務の方が発表用紙を持って来ました。しかし1人では張れないのでなぜか手伝うことになりました。すべてを張り終えて、『ところで、どうでしたか』と聞かれ、初めて自分の番号を確認しました。「ありました」、『おめでとうございます』、「これからお世話になります」こんな感じで大学院に無事合格できました。仕事との両立ですが頑張っていく予定です。

 

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京都大に専門大学院が、医学研究科の社会健康医学系専攻として設置されるそうだ。現場の医師や看護婦などを対象に22人を募集するようである。「医療経済」「医療政策」「予防医学」などのコースを設けて、疫学的な立場から病気や健康状態に関するデータの分析、評価を行う専門家を育てることを目指しているそうだ。

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