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大阪生野区で 日本の子供を騙す韓国人の“上から目線”の日本批判 
−見て・聞いて・学ぶ 生野コリアタウン−
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読売 夕刊(第3種郵便物認可)      2017年(平成29年)12月20日(水曜日)

見て・聞いて・学ぶ 生野コリアタウン
  校外学習 昨年度1万人超
  商店インタビュー「親近感わいた」



 多くの在日韓国・朝鮮人が暮らす大阪市生野区の通称「コリアタウン」が、全国各地から訪れる
小中学生らの校外学習の場として定着しつつある。地元のNPO法人が参加校を募り、子どもらが住民らから話を聞くプログラムで、年間参加者は昨年度、1万人を突破。各学校かちは「異文化理解の生きた教材」と好評という。

 校外学習を受け入れているのは、同区桃谷の「コリアNGOセンター」。
 同区では戦前から戦後にかけ、深榔島などから多くの人が移り住んだ。中でもコリアタウンと呼ばれる御幸通商店街には、約120の食材店や飲食店などが集まり、母国語が飛び交う

 そんな場が学校教育に活用されるようになったのは、同NPO事務局長で在日3世の金光敏さん(46)が昔、こんな話を知人の高校教諭から聞いたのがきっかけだ。

 「生徒らは、在日コリアンヘの差別など歴史の暗い側面は教わる。でも、韓国・朝鮮のリアルな生活や文化を知る機会は少ない」

 さんは以来、大阪府内の学校に呼びかけて、商店街を案内するようになり、2004年、他の在日3世らとNPOを設立。「まちのがっこう」と名付けたプログラムで、本格的に参加校の募集を始めた。

 児童・生徒らには、まずさんらが在日社会や街の歴史を説明。その後、参加者は商店街を巡って店で働く人らにインタビューしたり、朝鮮の伝統的な楽器や遊びを休験したりする。

 参加校の教員らが研究会で報告したことなどから徐々に認知され、昨年度の参加は100校を突破。修学旅行の一環として訪れる北海道や島根県などの
小中学校もあり、PTAや行政関係者の研修などを含めると、昨年度の参加者は約1万1000人に上った。

 最近は北朝鮮情勢の緊迫がニュースで伝えられるが、「こういう状況だからこそ、
子どもたちに知ってほしい」と、申し込んできた学校もあったという。

 大阪府高槻市立第六中は10年前から参加。今年も11月に1年生約240人が、6〜7人の班ごとに分かれて店で話を聞き、浅田侑己さん(
13)は「本当の韓国の雰囲気で驚いた。みんな気さくで、親近感がわいた」と振り返った。

 
在日コリアンを対象にしたヘイトスピーチも問題になる中、さんは「日本の若者も、様々な外国人と関わる時代を迎える。民族の違いに寛容な姿勢を持ち、多文化共生理解するきっかけになれば」と話す。
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 一体この記事は
日本人が書いたのかと疑問が生じる記事です。判断力が十分ではない小中学生洗脳を意図したプログラムを批判することなく、肯定的に報じる読売新聞に国籍はないのかと言いたくなる記事ですが、特に最後の部分(アンダーライン)に注目します。

 外国人との関わりが増すことは今に始まったことではありませんが、いろいろな
問題を起こしているのは韓国・朝鮮人だけであり、他の外国人との間では何も問題は起きていません。韓国・朝鮮人との問題は終戦直後から始まっている韓国・朝鮮人特有のものであって、これから外国人との関わりが増えると言う事とは何の関係もない問題です。
 在日韓国・朝鮮人が日本人ではなく“外国人”に属する事はその通りですが、韓国・朝鮮人特有の問題をあたかも
外国人一般の問題であるかのようにすり替えるのは、嘘を言っているのと同じです。

 また、いわゆる“ヘイトスピーチ”の対象になっているのも、
韓国・朝鮮人だけであって、他の外国人は中国人台湾人も対象にされたことはありません。“外国人”としての一般論の中で、この問題を引き合いに出すことは、露骨な話のすり替えです。この問題に限らず多くの問題で、韓国人には一般論は当てはまらないのです。

 “
寛容云々”も同様です。日本人は在日外国人から概ね“親切”と評されることが多く、“不寛容”と言う評価はあまり聞きません。一方で在日韓国・朝鮮人はことあるごとに“差別、差別”と訴えていますが、何が差別に当たるのかを明確にせず、理由があって自分たちに向けられた嫌悪、非難の視線を、すべて差別”のひと言でレッテルを貼り、居直っているケースがほとんどなのが実態です。

 金さんは「
民族の違い、多文化云々」といいますが、民族性、文化の違いの一例を挙げれば韓国・朝鮮人は嘘つきで、約束を守らず、人の物を盗むという特性が挙げられます。
  D102嘘つきコリアン  D110ウソつきがウソつきを非難するウソつきの国 
  D111ウソつき朝鮮人に鉄槌を  D112白昼、公然と人のものを盗む韓国人 
  D118わが隣人(韓国人)は大嘘つき 
 これは日本人とは対極の民族性、文化であって、日本人が彼等を嫌悪する大きな理由として指摘できます。子供を洗脳することも嫌悪すべき事です。彼等が何と言おうとこのような人間に対して、日本人が寛容であったり理解を示すことは絶対にあり得ません。

 金さんは何を以て“
不寛容”と指摘するのでしょうか。理由のある嫌悪や非難は“不寛容”ではないし、それに対してまで“不寛容”の汚名を着せる韓国・朝鮮人の主張は到底受け入れられません。仮に日本人がその点に関して不寛容であったとしても、それは韓国・朝鮮人に不寛容なのであって“外国人”に不寛容なのではありません。
 
 "ヘイト(憎悪)”の対象が韓国・朝鮮人だけで、他の在日外国人が対象になっていないという事実は、“ヘイト”する日本人に問題があるのではなく、
“ヘイト”の対象になっている韓国・朝鮮人に問題があると言うことを意味しています。

 従って金さんの説教は
的外れであり、事実を歪曲した非難に他なりません。これこそがまさに韓国・朝鮮人が蛇蝎のごとく日本人に嫌悪される理由であるにもかかわらず、被害者意識に凝り固まった彼等は、己の非行に気付きません(気付かない振りを止めません)。

 この最後の数行は何気なく読むと、韓国人のセリフとしてはよくある感じで、特別注意を引かず見過ごしてしまいそうですが、改めて見直してみると全体として日本批判のトーンは感じられるものの、何を言いたいのか、
曖昧・漠然としている事に気付きます。

 この記事に限らずこの種の韓国・朝鮮人の日本批判は、
漠然としていて、曖昧で具体性に欠けるのが特徴ですが、具体的に言うと日本人から反発・反論に遭って論破され、日本人の韓国・朝鮮人嫌悪には正当な理由があり、彼等の日本人批判は的外れである事が歴然としてしまうので、漠然・曖昧にするのが癖になっているのだと思われます。

 さらに、故意に漠然とした言い方をするのは、細かいことを言っているのではなく、
大局的な見地からの意見であるかの様に相手を錯覚させ、またそれ以上に自身も自ら錯覚に浸り、あわよくば上から目線の快感を得ようと言うのが動機だと思われます。
 彼等が日本の子供を
洗脳せんとするに止まらず、具体的な指摘をせずに、日本人を“不寛容”とか、“無理解”と批判するのは無礼だと思います。そしてこの種の主張・行動は結局日本人の韓国・朝鮮人に対する嫌悪感を増幅するだけで、彼等が期待するような何かのきっかけになることはないと思います。

平成30年1月1日   ご意見・ご感想は こちらへ   トップへ戻る   目次へ