イタリア旅行記  〜ミラノ・最後の晩餐編〜  

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7時に起床、8時50分集合でバスへ乗り込む。
今日もイタリア人ガイドと日本人ガイドがつく。既に完全お疲れ状態の私たちは、朝からぐったりしてバスの座席に座っていました。

すると、ミラノに在住の50代ぐらいの日本人ガイドさんがマイクを持って挨拶を始めました。髪はボブ 、サングラスをかけ、おしゃれにジャケットとブラウスの色を合わせた小柄なその人は、マイクをもった途端、機関銃の様にしゃべり始めました。

「皆さまおはようございます。良く眠れましたか?最後の街ミラノへようこそお越し下さいました。まず今通っておりますのはブエノスアイレス通りといい、ここはミラノの若者向けのブティックが軒を連ねており、今丁度右に見えたのはロレート広場、そして左に見えましたのは中央駅、皆さん見えましたか?!この駅は大変古く建物を見るだけでも価値のあるものです。そして今通りました公園は動物園だったのですが、ミラノはご覧の通り車が大変多く、それによる空気の汚染により動物が死んでしまうという事態になりました。今、丁度右に見えたのがライオンの檻です。見ましたかっ?!ところで、ミラノは良くご存知の様にファッションの街で、ミラノコレクションの頃には世界中から沢山の人がやってきて、街は大変な混雑になります。そして、この看板、男性が足をふりあげていますが、最初は足首ぐらいまでしかなかったのですが、先日つま先がつけられました。この看板はシーズンごとにかえられ、ミラノっ子達の感心を集めています。これから向かうサンタ・マリア・デッレ・グラッツェ教会ですが」

という調子で猛スピードで話してくれます。とにかく今見えているものは全て説明してくれるのです。既にぐったりのツアーの皆はただただ呆気にとられて聞き入るばかり。

「ところで、明日ですが、皆さんもうお帰りですよね。それについてですが、皆さんはワシントン条約に違反するような物を購入なさっていませんか?皆さん!今笑ってらっしゃいますけどね、そう言ってていざとなると困ることになる人がとっても多いんだからっ!」
と今度は怒り始めました。
「ワニ皮とか買ってないでしょうね!とにかく、皆さん買ったものは全て、いいですか?全てですよ!全てトランクに入れて下さい。高いものは人情として手で持って帰りたくなりますけど、とにかくトランクに全部、全部入れちゃって下さい!さ、着きましたよ。みなさん、行きますよ!」
既に疲れが倍増してバスを降りる。皆で「話し聞いててバスに酔いそうになっちゃったよ」とか「怖いね〜」と言いながら移動。

少し歩くとサンタ・マリア・デッレ・グラッツェ教会が現れました。でも、世界中から来る観光客の目当てはその横の建物。厨房の壁画だった「最後の晩餐」です。

 既に長い列が出来ていて、とにかく並ぶ私たち。すると、物売りが叫び始めました。
「全部で1000円。全部で1000円。ミラノのガイドブックと最後の晩餐のポスター、それに絵ハガキまでつけて、全部で1000円」そう言いながら、1セット分の商品を手に持って掲げながらイタリア人の男性が日本語で叫んでいます。
「これ、お父さん、お母さん、お兄さん、お姉さん、友達、皆喜ぶ!とっても安い!超ベリグー!買わないと超ベリバー!全部で1000円。もうかりまっか、ぼちぼちでんな〜」
何処でこんな日本語を覚えたの?!と思いながら皆で笑って聞く。すると、先ほどのガイドさんがやって来ました。
「ジプシーが来てますから、気をつけてください」見ると、教会の壁に寄り掛かって、色の黒い女の子(と言っても15、6ぐらいに見える)が赤ん坊をだっこして立っていました。
「あれがジプシー?初めて見たね」と皆が騒ぎだす。すると、ちょっとした騒ぎが教会の方で起こりました。どうやら、他のツアーの日本人がお財布を教会内ですられたらしいのです。教会の中でもスリはいるのねと困惑する私たち。でも、その横では相変わらず、
「全部で1000円。超ベリグー!」男が叫んでいました。

漸く「最後の晩餐」のある建物の内部へ。既に列は倍ぐらいの長さになっていました。
何故こんなに長い行列が出来てしまうのかと言うと、これが有名な絵であるからというのはもちろんですが、ここには厳しい入場制限があるのです。「最後の晩餐」は油絵で痛み方がひどく、最初から厨房に描かれたものであるので保存状態が非常に悪いのです。その為、これ以上この絵の状態を悪化させないために、厳しく湿度調節が行なわれています。その為部屋に入れる人間の数を決めているのです。そして、この部屋はもちろんフラッシュ禁止です。

まず入り口を入ると、ゲートをいくつもくぐらなければなりません。それは全て手動で行なわれており、カメラを通して確認した係の人が、ガラスのドアを操作します。はっきりとは覚えていませんが、2つめのドアをくぐった時、漸く絵のある部屋の入口のガラスのドアに辿り着きました。先に入っているグループが出てから、おもむろにドアが開きました。
列に並んでから30分近くがたち、漸く「最後の晩餐」に会うことが出来ました。

入って右手奥、少し暗い室内の壁にその絵はありました。思った通り結構大きな絵です。
イエスの左目はこの絵の中心、そして彼は裏切り者を知っている。ダビンチらしい計算し尽くされた構図。そして、美しいキリスト。
この絵は修復中で、現在は半分だけ修復が終わっています。そう言われてみると、右半分の絵ははっきりしていますが、残りはぼやけています。全部の修復が終わるのは、今世紀中か、2000年を過ぎた頃かという話しでした。

今度もし来る事があったら完成してから来てみたいと思いながら、近くに行ったり離れたりしながら、何度もこの絵を見ました。
余りにも有名なこの絵は、その暗さのせいか私の心にストレートに響くところまでは来ませんでしたが、これまで見てきた宗教画の中では、やはり非常に優れたものでした。人間の表情だけでなく、人物の描かれている位置によってもその人間関係、その人の人間としての器の大きさが表されています。

この絵の反対側にも壁画があるのですが、こちらは知られていないという事実が物語っているように、普通の宗教画で、「最後の晩餐」とは比べる気にもならないようなものでした。

後ろ髪をひかれながら、ガラスのドアを通って外へ。そして再びバスに乗り、スフォルツェコ城へ行ったのでした。

・上の写真は「最後の晩餐」があるサンタ・マリア・デッレ・グラッツェ教会を撮影したものです。 (著者撮影)

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