・AMP SWAN LAKE・
2003, Japan Tour Report Vol.1

By Natsumu


 舞台を観るのは、実に5年ぶりとなるAMP「SWAN LAKE」。1998年11月、NYブロードウェイで観てからもう5年になるのかと、今回改めてその年月を数え、驚きすら覚えてしまいました。
 アダムの白鳥に心奪われ、スコットの王子に切なさを覚え、ウィルの白鳥にはらはら(笑)した日々。時の経つのは早いものです。そして、その5年の重さ、意味というものが、AMP「SWAN LAKE」来日公演にあらわれているなという舞台でした。
 AMP「SWAN LAKE」がこの世に生まれて今年で8年。その8年の重みは、日本でのこの公演の成功にあらわれています。

 さて、2003年2月にAMP白鳥が来日してから、皆さんの感想を読ませて頂く日々を経て、漸く私も3月22日大阪フェスティバルホールに足を運びました。

 今回の来日公演。正直なところ、まずテープ使用というアナウンスに、何故だろうとひっかかる所がありました。前年の「Car Man」よりも長い公演期間で、チケットの売れ方も「白鳥」の方が売れるに違いないという状況(実際、全公演ほぼ完売だったのではないでしょうか)にあるにもかかわらず、「Car Man」ではオケ付きで来た舞台がテープになる。AMPがKDMのものになる前には恐らく無かった事です。
 以前AMPがヨーロッパツアーに出た時、どんなに短い公演でもオケと一緒に回っていたと記憶しているのですが…あそまでこだわっていた音をテープにする。どうしたのでしょう。

 2002年琵琶湖ホールでの公演が終わった後、アーサー・ピタに「白鳥で来年も来てくれますか?」と聞いた時、「うーん。ツアーには参加しない。若い子達でツアーは組むんだ」という答えを貰い、ロンドンで2002年マシューに「日本に白鳥で来られますか?」と聞いた時「多分・・・行かないと思う」と答えをもらった時。そして、「Car Man」で来日したAMPのダンサー何人かに「白鳥で来年もくる?」と聞いた時、「くるみ割り人形に出ると、白鳥のツアーには参加できないから・・・」と皆が答え、実際彼等が「くるみ」に出演した事実。
 それらを考えていくと、白鳥はどうやら本当にマシューの手を離れたという確信のようなものが去年から私の中にはありました。

 彼が携わっていたら、恐らく音楽はオーケストラが、そしてツアーにはもっと多くのお馴染みのダンサーが参加したでしょう。そして、ツアー・ディレクターはヘザー・ヘイベンスとアンドリュー・コルベットの他に、スコットやエッタ(何度か稽古場に彼女は来ていたそうですが)の名前も加わっていたかもしれません。そして、その確信が現実のものとなったのです。マシューは2002年でAMP芸術監督を辞めました。
そのような環境の変化の元、今回のツアーは行われました。

 さて、3月22日マチネ。実は今回、仕事のからみもあって行けるかどうかが危ういかもしれないという事もあり、ぎりぎりになってからこの日のチケットを購入したので、前から4列目の右端という、余り良い席でないというより、舞台奥、右端が見えないスピーカーのすぐそばのちょっと辛い席で、首藤白鳥、ベン王子の舞台を観ました。でも、見える所は表情もすごく良く見えるのです。そういう意味では、思ったより良い席でした。

 まず最初のベッドの上の白鳥の登場。残念ながら見えません…見えるのはベッドでうなされるサイモン・カレイスコス演じる幼年の王子ばかり。首藤さんが見えない…でも仕方ない。悪いのは私。ちゃんと前もって買っていなかった私(笑)
 さて、王子のお目覚めのシーンで起き上がるサイモン君。でも、幼年にしては育っている(笑)
登場した執事スティーヴ・カーカムは「ざます」言葉が似合いそうな執事。そして、どこから見てもAMPダンサー!物腰の柔らかさはフェミニンで、ちょっと意地悪そうで癖があり、どこかコミカルなこの味。そう、この味はマシュー作品には欠かせないキャラクター。極めてAMPな人。アトキンソンの執事とは全く違うタイプですが、カーカム執事は極めて昔のAMPしています。

 さて、ヘザー・レジス・ダンカン演じる女王が登場しました。うーん。ちょっと庶民的というか、若いというか、女王の気品に欠けるというか。「ロイヤル」という言葉が所作から滲み出てこないのです。
 ビデオ版のフィオナ・チャドウィックの女王が凛とした空気をかもし出していたのとは明かに違う。下々の者に上から手を差し出すという雰囲気ではなく、同じ高さから手を差し出しているようなというか…

 しかし、お付きの人や国民の動きは実にいい。コールドの動きが非常に面白い。やはり良く出来た振り付けです。衣装もやはり完成されていますし、セットもちっとも古くなっていません。

 そうこうしているうちに、王子が幼年から大人に、サイモンからベン・ライトに変わりました。この二人、そう変わった感じがしないので、舞台の遠くから初めて見る人にはもしかしたら、変わったと分からないかもしれません。
 サイモンが大人なのに加え、ベンが若い!そして、ベンもスコットに比べると庶民的。非常に育ちの良さは出ているのですが、彼にも何だか「ロイヤル度」の薄さが感じられます。そして若さがある。スコットの王子が、大人でありながら子供のように愛を欲している人であるなら、ベンの王子は大人になりきれていない人というのでしょうか。
 それぞれのダンサーにそれぞれの王子が出来上がるというのは、非常に興味深くそれが醍醐味なのですが、王子に余り見えないというのが少し気になります。

 そして、彫刻の登場。彫刻はご存じの通り、その日の白鳥が演じます。つまり、今日の彫刻は首藤さん。今回初めて私は首藤さんを舞台で観ましたが、思った通り結構小柄な方です。筋肉の付き方、お尻の形が非常に日本人しています。
 このシーンのチェックポイントの一つに、「王子の像に対する興味のほど」というのがあるのですが、スコット王子が男性の「彫刻」とはいえど裸体の像が気になる様子で、何度も何度も振り返り名残惜しそうにするのと違い、ベン王子はさらっと流していました。
 ふむふむ。そうか。ペン王子はそう来ますかって、何が?って感じですが(笑)

 さて、フィオナ・マリー=チーバス演ずるガールフレンドの登場です。初演の頃はセーラ妃を連想させたガールフレンドの趣味の悪い色のドレスも、今となっては「セーラ妃って誰?」というほど時間が経ってしまったなぁ…とちょっと遠い目をして眺めてしまいます。

 ガールフレンドは以前より、よりオーバーアクションになり、思慮のかけらもないような様子でチャーミングさにもかけるような…しかし、そのチャーミングさに欠けるのは決してダンサーだけの問題ではないのです。
 劇中劇を観賞するシーンで、彼女は女王様より先に座り、パンフレットと舞台のダンサーを指さしながら照らし合わせて騒ぎ、鼻をかみ、お菓子を食べ、バッグを落としと次々に問題を引き起こして行きますが、その行動が何だかしっくりこないし、詰め込み過ぎで一つ一つの動作のインパクトが薄まっています。
 更に、フィオナというダンサーの、生まれ持ったかわいらしさ育ちの良さのようなものが、決められた行動とのチグハグさを生じさせてしまっているのです。品が悪い女を演じているのだけど、彼女の本質が表にどうしても出てくるので、かわいそうに無理をしてる、というように見えてしまう。しかも、以前よりこのシーンでする事が増えているので大変忙しそうです。
 特に「鼻をかむ」ところなどは、鼻をかむ音が大きく響くわけでもないので気付いている人も少なさそうで、本当に必要な演出なのかしらと思わされました。
 とにかく、「こういう人」というキャラクターをはっきりさせたいと思うばかりに、極端な演出になっているような気がします。少なくとも王子は一度彼女が好きになるのですから、彼女に魅力がなくてはなりません。なってない所も多いけど、憎めなくてかわいい人というチャーミングさは、このキャラクターには必要だと私は思います。

 さて、その劇中劇の「蛾の少女」。この衣装がビデオ版と比べると、なかなか変貌を遂げていました。頭につけた「白い蛾」の飾り。以前はこんなに大きくなかったはず。巨大化した蛾の羽はまるで、アマゾンの半魚人のエラ(笑)のよう。もしくは、動物の耳のよう。ちょっとデフォルメが大胆でした。(NYの頃には既にこのサイズだったかもしれませんが)

 さて、宮殿に帰って王子が一人自室で酒瓶を手に座り込み(昔は鏡の前に座っているという設定でしたが、鏡の向こうに座る観客には、王子が見えないのでそれはやめて、鏡の形の枠が設置されています。衣紋掛けのように見えます)女王が部屋に入って来るシーン。ここは非常に重要な場面です。これは女王と王子、この二人の関係を明確に表現するシーンなのですから。

 必死で母性を求める、母の愛を欲しがる王子と、自分自身王室で育ったが為、子供にどう接していいのか分からず、愛を欲しがる息子に戸惑い、切望されても拒絶するしか出来ない女王。
 このシーンを近親相姦的なものと受け止める人も居ますが、スコットとチャドウィックの映像を見る限り、私は前述した関係だと理解しています。あくまでもマシューが考える彼等の親子関係はそうだと思っていますし、このシーンはその関係を表現するのが非常に難しく、下手に踊ってしまうと後述した関係のように見えてしまうリスクを背負っていると認識しています。

 さて、ベンとヘザーはどう踊るのか。この物語を演じる上でのキーとなるこの大事なシーン。残念ながらまた席の関係で女王の登場が見えず、他もところどころ隠れて見えなかったのですが、私が見る限り、その背景に「王室」は感じられず、女王と王子という設定はどこかに行ってしまい「母を追い求める息子」と「ひたすら逃げる母親」という関係に終始しました。
 お互いのキャラクターが秘めた内面を感じるのは少し難しいというか、感じられないほどシンプルな構図になっています。これを観て観客が思うのは、「ベン君がかわいそう」。その一言に尽きるというか…

 ここでまた、あの得難いキャラクター、カーカム執事が登場。舞台は一変して「Swank Bar」へ。
 皆さんも書かれていましたが、非常にこのシーンの音楽、アップテンポになっています。でもちゃんとダンサー達はそれについて来てノリノリですので、小気味いい感じで、よりポップ感が出たなぁと思いました。

 それにしても、前から本当にマシュー・マジックと思っているところですが、まるでロックか何かのように、このシーンとこのチャイコフスキーの音楽がぴったりあっている。出てくるのは水兵、ポップアイドル、ジミヘンのようなアフロの男、ジェームス・ディーンのようなリーゼントの男の子、ドラッグクイーン(というか、服装倒錯者というか、とにかく白い髪、白いレザースーツの女性に見える男性です)にファンダンサーなど、およそバイオリンやフルートの音が似合いそうにないシーンなのですが、オーケストラの音、チャイコフスキーの曲があつらえた様にしっくりくる。凄い。やっぱり凄いです、マシュー。
 そして、多種多様なキャラそれぞれの動きも面白く、王子と執事、ガールフレンドの動きをチェックして物語の進行も気にしないといけないので、観る方も非常に忙しいシーンです。

 さて、ここでまたマイナーチェンジが行われていました。途中で出てくるファンダンサー達。以前に増して「やる気がないのよ」というジェスチャーが派手になっていて、更に主になっているダンサーはくわえ煙草。
 ビデオ版の頃がソーホーのバーだとしたら、これはもっともっと「場末のバー」という感じ。正直、そこまで必要なの?と作品の品格にちょっと関わる所でもあるので、少し気になってしまいました。

 そして、ガールフレンドに執事がバーを出てお金を渡すシーン。王子がその姿を見て、更に深く傷付く場面です。NYの頃までは確かガールフレンドは少年に貰ったお金を全部あげてしまっていたのですが、この日の演出では少年の登場は無く、そして彼女に躊躇いは無く、そのまま受け取って立ち去ったのです。
 席の関係で見えなかっただけかもしれませんが、ここはお金を貰う事に戸惑い、躊躇、そして拒絶が欲しいところです。このシーン何気ない場面にも見えますが、実は彼女が後に命をはって王子を庇いに行く行動に繋がる大切なシーンです。彼女は初めお金で雇われていただけだったのが、徐々に王子を愛しはじめてしまったというのが良く分かるのはここなのですから。身を徹してでも守るという行動は、この彼女の心の変化が観客に伝わってこそ説得力のあるものになるのです。
 どうも今日のガールフレンドは役の掘りさげがいまいちに感じられます。演出もかなり災っています。

 さて、いよいよ王子は白鳥の居るセント・ジェームス湖へ。首藤白鳥の登場です。が、しかし。また席の関係で残念ながら王子が入水自殺をしようとして白鳥が止めに入るという最初のシーンが全く見えません。辛い…という訳で残念ながら王子と白鳥の最初の出会いという、ここでその二人の出会いが「恋に落ちた」になるのか、「未知との遭遇」になるのかが決まる(笑)非常に大切なシーンが見えなかったのです。

 ですが、あっという間に首藤白鳥が目の前に現れました。見た瞬間感じたのは、「武士道」な白鳥。両手のひらを合わせてくちばしのように構えるポーズの時には、「寄らば斬るぞ」と言わんばかりの緊張が走っていました。気迫というより、かなり固い空気が流れています。
 もしかして、今物凄く彼は緊張しているのかもしれない。テクニック的には非常に安定していて、いいダンサーだというのは分かります。怪我をしていると聞いていたので、もしかしてかなり無理をして踊っているのかしらとも思いましたが、どうもそればかりでは無いようです。

 白鳥達が勢ぞろいして王子の前で翼を動かすシーン。ここではこの湖に生息する白鳥達が王子を見つめ、冷たい水に引きずり込んでしまうような恐さが感じられる所ですが、他の白鳥達と違い、首藤白鳥はこの辺りに生息しているようにはちょっと見えない。彼自身が他の白鳥とは違いどこかから渡って来たような異分子なのです。そして、翼を表す手、その手、その足があともう少し長ければ白鳥のしなやかさが出るのにと最初は思って見ていたのですが、それは長さではなく、体のしなやかさが原因だったのではないかと思うようになりました。彼の体がしなやかでないのではなく、彼の精神的な緊張のようなものが体にも出て来ているように思えるのです。

 このシーンでの白鳥、これはあくまでも私のイメージですが、アダムの白鳥は包容力があり父性を感じさせる白鳥、ウィルの白鳥はあくまでも野生の白鳥で思い通りにならないが故に手に入れたいと思わせる白鳥という風に、それぞれの白鳥像があり、彼等はそれを作りあげています。
 残念ながらパスターの白鳥は見られませんでしたので、彼の白鳥がどういう白鳥だったのか分かりませんが、それぞれのダンサーが作り上げた白鳥を観るというのがこの作品の醍醐味でもあります。
 必要なのは、自殺までしようとしていた絶望の中の王子が生きる喜びを見つけてこの湖から去って行くという、そこに至る心の変化に説得力を持たせる事です。

 しかし、残念ながら首藤白鳥は彼自身がまだどういう白鳥にするのかを悩んでいるのか、王子が白鳥に夢中になるに至るまでの説得力が感じられませんでした。相手に対して優しいという風にも見えず、包み込むようにも見えず、そして王子が魅入らされてしまうような妖しさというのも余り感じられず。どちらかというと、緊張が走り相手を拒絶するかのような固さが私には感じられました。
 という訳で、白鳥が去った後、王子が生きる喜びに満ちた表情を浮かべているのを見て、何故この人はこんなに喜んでいるの?という疑問がわいて来てしまう。白鳥と王子の心の交流、あるいは王子が恋い焦れる存在としての白鳥が、残念ながらこちらに感じられなかったのです。

 これは私の勝手な考えですが、首藤さんには日本人にしか出来ない白鳥をぜひ踊って欲しい。イメージする所は、日本刀。持つものを魅入らせてしまうような美しいけれども、思わず触れてしまうと知らず知らずのうちに切られている、目が離せないほどの魅力を持ち、静かに語りかけてくるのだけれども触れると拒絶されてしまうような名刀。そんな日本人にしか踊れないような白鳥をぜひ首藤さんに踊って欲しい、彼にはきっと踊れるだろうと思いました。

 さて、白鳥達ですが、やはり小白鳥は凄いです。おかしい!面白い!そして、私もギャヴ・パーサント君(だと思います)にやられてしまいました。かわいい!!!そして、時々止めのポーズでよろよろっとくるのもかわいい!!そしてあの、ちょっと生意気できかん気そうな表情は、昔のウィル・ケンプとフィル・ヒル(ここがポイント!ビデオでは劇中劇で斧を持った貴族の役で出ています)を合わせて2で割ったような感じで、キュート!!!なのです。彼が出ていると必ず目で追う、もしくは視界には絶対入れているようにしてしまいました。

 今回、ビッグ・スワンと呼ばれる4人の白鳥のダイナミックな踊りも、時々「ビッグってこのダンサーが?(笑)」と思うキャストだったりするのですが、ちゃんとビッグでその迫力を堪能できました。でも、振り付けは前の方が好きなのですけれど。

 あっという間にインターバルへ。それにしても、音楽の高音はきれいに響いているので気付いている人は意外と少ないのかもしれませんが、低音がテープの劣化かスピーカーの調節ミスか(恐らく劣化)音が割れ、更にそれが反響したようになりトレモロのようになっている・・・のが非常に気になります。
 マンドリンのようなトレモロが、下の方で「ブルブルブルブル」っと、コントラバスのピッチカートの時などは特にひどく発生してしまう。スピーカーの前に居るので余計に気になってしまうのです。そして、過去に音楽が専門だった私には非常にそれが耳に来るのです!
 コンダクターとダンサーの息が合わない場合があるし、下手なオケで音をはずされるぐらいなテープの方がいいという人も居るかもしれませんが、色々な意味でやはり生がいいと、今更ながら思ってしまいました。

 さて、そんな事を思っているうちに舞台は3幕へ。各国の王女とエスコートの登場です。お馴染みの、本物のロールスロイスを、狭い舞台用に思いきって半分にカットした車も登場。イタリアン・エスコートを見ながら、昔はウィルがこの役をやっていたのよね・・・とまた遠い目を思わずしてしまいます。

 さて、宮殿のボール・ルーム。これまたお馴染みのバルコニーと大きな手が灯りを持つ壁。しかし、またまた席の関係でバルコニーが見えない…という訳で、言うまでもなくストレンジャーの登場が見えない…

 非常にマシューらしい妖しい腰付きの(笑)ダンスが終わり、いよいよバルコニーから首藤ストレンジャーが登場。完全に死角です。辛い…
 でもあっという間に視野に入ってきました。スタスタという感じで、随分早足です。しかも、表情が固い!!このシーン、私としてはガムを噛んで入ってくるぐらいの不敵さが欲しいところですが、そんなふてぶてしさ、図々しさ、人をくったような所は全くなく、とにかく表情が無いというぐらいに固い!
 今、この部屋に居る誰よりも大胆不適でこの場を仕切っているのはストレンジャーのはずですが、首藤ストレンジャーは頑なで非常にまじめ、彼が入って来た事により周りに緊張が走るシーンのはずが、逆に今この場はストレンジャー本人に緊張が走っているように私には見えてしまいました。

 きっと首藤さんは、非常にまじめでナイーブ、とても繊細な方なのでしょう。ジゴロのような甘いそして背徳の香りを持ち、人の心を弄び捨てる事を何とも思わない悪、ストレンジャーを演じるのは、今現在の彼には難しいような気がしました。

「あなたのダンスを見ればあなたがわかる」という言葉がフランスにあると教えてくれた友達が、一緒にこの舞台を見て「もっと沢山恋をして、もっと遊ぼうよ、首藤さん!」と言っていましたが、私も同じように感じました。今彼を見ていて感じる「殻」が破れたら、首藤さんというダンサーはもっと素晴らしくなると思うのですが。彼自身短い白鳥のドキュメントでも、ここのところ行き詰まっているというような事をおっしゃっていたのを、思い出させられました。

 各国の王女たちとの踊りも、ドイツの王女が体を預けた状態で開脚するのに失敗した以外は(これはサポートの問題か、王女役の問題か分かりません)テクニック的にはきれいに踊っているのですが、遊びの恋の駆け引きという所には至らず、動作が生み出す台詞がこちらに聞こえて来ない。
 王女たちが彼の魅力に参ってしまい、はしたなくも彼の体に触りたくて仕方なく、お尻をぎゅっと掴むように叩いてみたり、しなだれかかってみたりというシーンの連続のこのダンスが、色っぽいものに見えない。決められた通りに動いている、踊っているというように見えてしまう。

 ダンスの後、女王が居たテーブルの上でのむ煙草も、煙をくゆらして次にどう動けば自分の目的が達成できるのか、悪巧みを考える不敵な男、猛禽類のような恐さがある奴という感じがなく、煙草の煙すらくゆっているように見えない。自分の周りの人間をどういじって、どうかき回してやるかと考える余裕が感じられない。
 それが為に、イタリアの王女が投げたキッスも、ストレンジャーに受け止められる事無く壁にぶつかってそのままどこかに行ってしまいましたし、踊りの最後、イタリアン・エスコートに思いっきり煙草の煙を吹きかけるという完全に相手を見下しているシーンが、目立つ事なくなしくずしたように過ぎ去ってしまいました。

 繰り返すようですが、ダンスは美しく安定して首藤さんは踊られています。女王とのダンスもスムーズに過ぎ、王子とのデュエットもきれいに踊っています。
 しかし、女王とのダンスはアバンチュールを楽しんでいるようには見えず、どこか固い。王子とのデュエットは、王子に手を差し伸べてはつき離す、冷たくした後、再び偽りの優しさで近寄り、相手の心を弄びいたぶる、甘い痛み、殺さない程度のダメージを王子に与えるという駆け引きと支配がここでも感じられず、冷たい拒絶と暴力的な印象が残りました。
王子が何故彼にこだわるのか、惹かれているのか、ここはその理由を生み出す大事なシーンです。

 本当に、マシューの作品は踊る事と演じる事が半分づつというぐらい、ダンサーである前にアクターである事が要求されると思います。むしろ、踊る事より演じる事の方が大切なのじゃないかと思う時があるぐらいに。事実、彼の作品に出演しているダンサーは、役者志望で後にダンスを勉強したという人も少なからず居るようです。
 皆さんが馴染みの所では「CAR MAN」来日公演に出演したリチャード・ウィンザー。彼も最初は役者志望で、数年前からダンスを始めたばかりという逸材だったりするのです。ウィル・ケンプも白鳥での成功をおさめた後も、演技の勉強をしにスクールに通っていたと聞いています。
 マシューが以前、シンデレラでサラ・ウィルドーを選んだ時に、「他にもロイヤルに優れたダンサーは沢山居ますが、何故彼女に?」との質問に答えて「彼女はとにかく、素晴らし女優だからね」と語っていたのも記憶に鮮明に残っています。
 とにかく、アクターであり、その次にダンサーである事が、マシューの舞台に立つ人には必要な条件。マシューの作品を考える時、これはかなりキーワードだと思います。

 さて、パーティーの出席者達のダンスに舞台は移ります。女王と王女たちのダンスを満足げに見るストレンジャー。そして、アップテンポの、クラッシックで言えば黒鳥の例の回転がある音楽が始まりました。
 マシューにかかると、爽快なダンスナンバーと言えるこのシーン。ここに来て、初めて生き生きした首藤さんを見る事が出来ました。その晴れやかな顔と言ったら!実に明るく、実に楽しそう。今日初めて彼は踊りを楽しんでいる、そんな気がします。
 確かにこのシーンは男女のダンスの掛け合いで、今までの精神的な緊張は解け、心理的駆け引きもなく、純粋にダンスするお祭りのような楽しいシーンですからね。

 さて、何度見ても「ストレンジャーを親子で奪い合い、王子がピストルで母親を撃とうとして、執事が王子を撃とうとするなんて、凄い国〜(笑)」なシーンを経て、ズルズルとベン王子が引きずられ退散させられて行きました。ここで暗転。白鳥のシルエットが描かれたセーフティーカーテンが下ります。

   急いでセットを組んでいるらしき音の後、幕が上がった所にあったのは…白い壁に窓とドアが、味気ない黒一色で恐らくフリーハンドでただ書かれた病院。左上の方に、小学生が描くような窓があり、右下によれよれの黒い線で長方形が書かれているのがドアです。とてもこれがちゃんと開くドアには見えません。そして、フェスティバルホールの舞台が大きすぎたのか、白い壁の端には、継ぎ足した白い壁。つなぎ目には白いテープが貼られていて、「継ぎ足しました」と正直に物語っています。……これはないだろう。レズ・ブラザーストーンが泣くよってな感じのセットです。今までこれは、NYでも見た事が無い。

 ただ、白い大きな壁は女王や報道官演じる医者、母親と同じ顔をした看護婦たちのシルエットを大きく大きく映し出すには実に効果的。王子の恐怖感を良く表しています。王子が恐い目に会ったのは事実としても、このシーンはその記憶に残った現実の恐怖を王子が夢の中、彼の精神状態の中で再現している、彼のイメージだと考えるなら、手術を施す医師は執事、看護婦は全員母親という設定に無理が無くなります。とすると、この急ごしらえなセットも、彼の不安定な精神状態が生み出したものと考えられ(という理解にしておくのは、かなり苦しいですが・・・百歩か二百歩、今譲りました。笑)まあ、仕方ないかという事にしておきました。

 さて、女王に銃を向ける王子が病院につれていかれ、手術を受けるとしたら、イギリスの歴史を考えるに、凶暴性を取り除くロボトミー手術しかありません。あいかわらず、恐い恐い(笑)あの、全員女王顔の看護婦たちが、両手の指を広げて指をのばしたまま何度も組んで威嚇する姿は、本当に良く出来た振り付けです。
 ベッドに寝かされ、更に悪夢を見る王子。いよいよ大詰めです。暴力的で恐ろしい白鳥がどんどん王子のベッドの周りに集まってきます。美しいと同時に恐ろしいシーン。不意に目を覚ました王子に見られないようにさっと姿を隠す白鳥達。そして、起き上がった王子は錯乱状態の中で、記憶の断片に追いつめられる姿を痛々しく我々に見せていきます。
 スコットの王子が、こうなってもまだ、しゃんとしなきゃ、ちゃんとしなきゃと思う自分と闘っている所を残しているとしたら、ベンの王子は、何でそんなに皆僕にあれをしろ、これをしろとプレッシャーをかけてくるの?もう、僕の事は放っておいてと心から泣いている王子です。

 そこに傷付いた白鳥が登場。セントジェームス湖での白鳥と王子の出会いの時、首藤白鳥が王子に対して抱いている気持ちが観客には、余りはっきりとは分からない状態なのでは?と感じていたので、初めてこの物語を見る人には何故この白鳥が命をかけて王子を助けにくるのか、その理由付けが希薄に思えるかもしれないと勝手に心配。
 でも、ここからは白鳥の王子を助けたいという一途な思いが全てになりますから、首藤白鳥の本領発揮になるはず!思った通り白鳥は必死に王子を助けよう、守ろうと白鳥達と闘います。

 さて、この白鳥達。何度見てもいじわるなほど凶暴です。特に、ベッドの上に全員が乗り、翼を広げて威嚇するシーン。NYではこのシーンの写真が大きく引き延ばされ、劇場の壁に宣伝用に貼られていました。ニューズウィークで取り上げられた時、記事についていた写真もこの、ベッドに乗り威嚇する白鳥達でした。

 NYで見た時、この場面が本当に恐いぐらい美しく、改めてこの作品の持つ力に圧倒されたものですが、今回少し振り付けが変わっている事と、ライティングがちょっと変わった為、前ほど水底の暗い恐い、でも魅入られてしまうような深い青という色が感じられず、うーん、残念。しかし、あの皆で王子をつついて攻撃する時の音やハンドクラップの音など、本当に恐いです。凶暴性全開という感じですね。そして、やっぱり私はチェックしちゃうギャヴ君。一生懸命踊っています。

 同じぐらいの背丈のベン王子を首藤白鳥が翼で包む時、ちゃんとリフト出来るのかしらと、ウィルの時と同じ心配を勝手にしてしまいましたが、軽々とは言いませんが、どうにかちゃんとクリアー。
 そして、白鳥達の総攻撃に合い、倒れ込みました。背中の傷が痛々しいです。首藤白鳥、「いじめられてる度」はかなり高いです。

 絶望の中、息絶える王子。そして今になって初めて息子をその腕に抱き、号泣する女王。王子を優しく抱きかかえる白鳥が登場し(今度は斜めからですが、見えました)舞台が終わりました。

 会場に溢れる歓声の中、出演者が勢ぞろいします。皆、惜しみない、盛大な拍手を贈っていました。スタンディングオベーションしている人もちらほら居ます。
 私も拍手をおくりながら、この舞台の主要キャストを演じる難しさを改めて感じ、作品がワールドツアーになり誕生から8年経った時の経過を色々な意味で感じていました。それにしても、スティーヴ・カーカムが来日していて、良かったです!

 数年後、もしまた首藤さんが白鳥/ストレンジャーを踊る事があったら、どんな風な白鳥、ストレンジャーを生み出しているのか、見てみたいと思いながら、私は劇場を後にしました。

 さて、明日。23日は、以前オフィシャルサイトで予告されていた通りであれば、アダムの白鳥です!


March 22,2003 : Matinee
 The Swan 首藤康之
 The Prince ベン・ライト
 The Queen ヘザー・レジス・ダンカン
 The Prince's Girlfriend フィオナ・マリー・チヴァーズ
 The Private Secretary スティーブ・カーカム
 The Young Prince サイモン・カレイスコス


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