・AMP SWAN LAKE・
2003, Japan Tour Report Vol.2-1

By Natsumu


 何の舞台でも、引っ越し公演を見に行くなら出来るだけ最終日と決めている私が先行予約で手に入れたAMP「SWAN LAKE」のチケットは、大阪最終日の3月23日でした。
 今回のスワンは3人いる。その決定を聞いた時、アダムじゃなかったらどうしようという気持ちと、でも締めはきっとアダムがするだろうという根拠無き自信の間で心を少々揺らした後、アダムのオフィシャルホームページで、23日出演予定の文字を発見!
 去年(2002年)の秋、偶然ロイヤルオペラハウスのバックステージツアーで練習で来ていたらしいアダムとすれ違った事といい、たった一枚しか(その時点では)買っていない「Swan Lake」の白鳥がアダムだった事といい、やっぱり私はアダムと縁があるのね!!と、一人勝手に悦にいってしまったと、ここで告白しておきましょう(笑)

 と強気に出たものの、23日当日フェスティバルホールでキャスト表を確認する時には、心臓がバクバクと激しく打ちはじめ、自分の心音が聞こえてくるほどの緊張に包まれました。
 もし違ったらどうしよう。その昔ロンドンで「Cinderella」を見に行き、初日がアダムでなかった時、足下から床が崩れ落ちる錯覚に陥った(笑)記憶がふっと私の脳裏を過りました。いやいや、とにかくなるようにしかならないし、今日のキャストは決定しているんだから落ち着いてと自分を宥めます。

 そして、望んだ通り「アダム・クーパー」の文字を発見。思わず「YES!」と叫んで拳を振り上げそうになってしまいました(笑)キャスト表の前で吠える女・・・になる寸前に自制心を取り戻し、しかし口元が緩みっぱなしになったまま、その他のキャストをチェック。
 王子はベン・ライト。アダムとベンの舞台を一度見てみたかったので、とても幸せ。そして、残念ながら女王は見たかったポーターではなく今日もヘザー・レジス・ダンカン。幼年の王子は見たかったギャヴ・パーサントではなく、今日も同じサイモン・カレイスコス。王子と女王は昨日のキャストのままです。でも執事はリチャード・クルト、ガールフレンドはトレイシー・ブラッドリーと、この二人は昨日と違うキャストになっていました。本日、ギャヴ・パーサントの出演はありません。残念…

 アダム出演、その事実だけで既に今日の目的の半分は達成されたかのような安心感と喜びに包まれ、ホールに入場。昨日と同じ、白鳥にしては首がかなり細く、顔のとんがり方と短さからむしろ鶴に見える(あ、言っちゃった)白鳥のシルエットが描かれたセーフティーカーテンが現れます。
 今日の席は昨日の右端、舞台奥と舞台右端が見えない辛い席とは違い、前から13列目のほぼ中央、フェスティバルホールではかなりBestな席です。アダムの日にこの席で、本当に私って幸せ!!とまた一人浮かれてみる私。始まる前から、今日は色々忙しいです。

 さて、快適な視界が保証された席に着き、いよいよ舞台が始まります。幼年の王子が横たわるベッド、そして昨日は見えなかった窓。言うまでもありませんが、舞台は正面から見るべきですね。そして、アダムが登場しました。
 大きい!本当に大きく見えます。あっという間に終わるシーン。でもこの一瞬だけの登場が、舞台の空気をある種の緊張を持つものに変えてしまいました。圧倒的な存在感。それだけで、これから先の期待が更に膨らんできます。

 物語は朝になり、昨日と同じ王子なのでほぼ同じ展開で目新しさはありませんが、執事の登場で空気が変わりました。クルトを見てまず最初に思ったのは、ビデオ版執事のアトキンソンに似ている!でした。どこがって、そのスキンヘッドが(笑)でも、すぐにそれは否定。クルトの執事はまた他の誰とも違うのです。
 昨日のカーカムは「ざます執事」、ビデオのアトキンソンは「うさんくさい執事」、そしてクルトは「教育係的執事」でした。体育系かと思うほどの規律正しさ、躾にうるさい先生のような態度で幼年の王子に接しています。ほお。そうですか。なるほど。面白い!

 女王は相変わらずのロイヤル度が低いダンカンです。うーん。今日も普通のおばさんに見えてしまう…
 昨日一緒に見た友人が「彼女が両手を組んだ時、とっても手の位置が低い。もう少し高くすれば、凛としたというか、背筋がぴんとのびた感じがして、きりっと女王らしく見えると思うのだけど。」と言っていましたが、確かにそうかもしれません。
 ダンカンの女王は、相手にある種の緊張感をもたせる、ぴりりとした所があるように見えない。そう見える為に必要な力が、入るべき所に入っていない。それがこの女王に庶民っぽさを与える一因になっているように思えます。

 昨日見えなかった女王の肖像画は、NYの頃と同じアンディー・ウォーホール風。アメリカ公演からウォーホール風になったので、もしかしたらリオンではフランス印象派風、日本に来たら(余り見たくはありませんが)浮世絵風とかになるのかしらと、ちょっとそのお遊びを期待していましたが、全く何も変わりなく普通に通過。

 違和感無く王子は幼年役のカレイスコスからベン・ライトに交代。どこかぼんやりしていて、心ここにあらずといった様子で、公務である「お手振り」を女王と共に行っています。
 さて、注目の彫刻の登場です。言うまでもなく、今日の彫刻はアダムです。布をかぶせられた状態で運ばれて来た彫刻。そして、拍手の中さっと布が取り除かれました。昨日の彫刻は木像って感じでしたが(笑)今日の彫刻は大理石!均整のとれた体を惜しみなく見せつけてくれています。
 しかし、この演出。随分マシューはいじ悪というか(笑)何度見ても、最初は恥ずかしかったかも、と思わずにはいられません。でもダンサーたるもの、全身を見せる事に躊躇してる場合ではありませんよね。それにしても、かなり極端な衣装ですが(笑)

 さて、今日もベン王子はさらりと彫刻をお見送り。そうこうしているうちに、女王のお戯れが始まります。若い将校たちとのダンス。その大胆な足さばき、そして満足げな笑み。うーん。ただの若い子好きなおばさんにしか見えない。その様子を見ている人たちに気付いた王子は、急いで自ら人払いに出ます。そして、最終的に将校たちを追い払い、女王の手を取って退散する王子。
 スコットの王子の場合、あくまでも関心は女王、母親に向いています。戯れが過ぎる母親の姿を人々から隠そうとし、将校を追い払った後、「この人は・・・まったく」という表情で女王の顔だけを見ています。
 しかし、ベンの王子は、まず世間体を気にしているようです。奔放な母親を止めるより先に見ている人を遠ざけ、将校を追い払った後女王の手を取ってからも、繰り返し繰り返し後ろを振り返り、皆が居なくなったかどうか、パパラッチは居ないかどうか確認するかのように辺りを見回しています。うーん。興味深い。

   さて、今度はガールフレンドの登場です。昨日は非常にしっくり来ないガールフレンドで、説得力に欠け、ダンサーのせいだか演出のせいだか、いや、多分両方のせいでこうなっちゃったという、ちょっと辛いキャラクターになっていましたが、今日のキャスト、ブラッドリー演じるガールフレンドは好感が持てました。
 まず、昨日よりずっとチャーミングに見えます。かわいらしさがあるのです。これなら、王子が気に入るのも納得出来ます。表情、しぐさ、その雰囲気が非常にいい感じにまとまっています。意に添わない演出だけど無理矢理演じているという感じはなく、自然に見えます。

 舞台はスムーズに進み、劇中劇のシーンへ。女王より先にガールフレンドが座ってしまうというシーンは、今日も会場からの笑いは起こりません。これは、現実のロイヤルファミリー入場シーンを日本人が見なれていないから、とんでもない事をガールフレンドがしでかしたという事が分からないというより、いまいち間が悪く、目立たず笑いを引き出すには至っていないと言った方がいいかもしれません。あるいは、女王にそこまでの威厳が感じられないからか。ちょとこのギャグ、すべったなぁ…という感じです。でも、ここからは、ロイヤルボックス席は「すべってしまう」があちこちに発生するのですが。

 蛾の少女の登場で、俄に会場は笑いモードに突入します。確かにクラッシックバレエのパロディーは分かりやすく、いつ見ても面白い。しかし、以前に増してその動きに作り物っぽさが強調されたような。そして、本編に余り関係ないのですが、蛾の少女のダンサーがとても背が高く大柄で、ちょっと男性的、もっと言えばトロカデロ・デ・モンテカルロ風に私には見えました。これなら自分で敵を倒してしまうのに説得力があるなぁ、などと妙に納得してみたりして。

 さて、斧を持った貴族の登場。最終的に彼は網を持って少女を捕まえようと追いかけまわしますが、ここで残念な事が一つ。さあ、捕まえるぞと網を持った貴族の手から、蛾の少女のお付きの一人が網を取り上げるシーン。ビデオ版ではフィルが小さく、取り上げた女性との身長差があって、取り上げられた後、取り戻そうにも手が届かずとても悔しげに見え、一方取り上げた方は、「やってやった。どうせあんた、手が届かないんでしょ。ふふん」、とばかり誇らしげな勝利の笑みを浮かべて立ち去るという、なかなか憎らしくておかしい場面です。
 が、今回その身長差が余りない事と、これもまた間の取り方が良くなかったのか。残念ながら会場からの笑いはほとんど起こらず、そして私自身もおかしいと感じられず、このシーンが過ぎてしまいました。笑いを生み出すというのは、実に難しですね。

 さて、劇中劇と同時進行中のロイヤルボックス。こちらも忙しそうにガールフレンドがあれこれやっています。パンフレットを広げて、あれがこの人、これがこの人とやったり、短パン白タイツの貴族が出て来たら、笑いころげて女王の肩をドンと叩く。この時、女王は露骨に怒り、ガールフレンドにくってかかろうとし、男性陣全員がなだめにまわりました。
 その瞬間、あ、これかもしれないと私の中でピンと来るものがありました。ビデオ版のチャドウィックは、馴れ馴れしく肩をドンと叩かれた瞬間驚きとともに、憮然とした表情を浮かべ、「この礼儀知らずが」と思うに留まります。しかし、今回の女王はそのまま怒りを露にする。女王たるものが、身内以外の人間を直接怒るでしょうか。誰かを呼びつけ、誰かを通して注意するはずです。また、彼女が言わなくても、周りがちゃんとしてくれるぐらいの威厳があってしかるべき。女王に対して、尊重、尊敬が周りにあるはずです。
 うーん。この女王のロイヤル度の低さは、彼女のアクティブさというか、直接行動による所が大きいかもしれない。普通の人すぎるのです。

 今日もガールフレンドが鼻をかむというのは健在で、今回は劇中劇の区切りの所で派手にくしゃみをしてくれました。しかし、大きなホールで「くしゅん」というのはそう目立つわけもなく・・・彼女の頑張りも空しく、笑いは起こらず、ほぼ無視されて終わってしまいました。このシーン、本当に必要ないと私は思うのですが、どうでしょう。
 その後も彼女はお菓子を食べ、プログラムを落としと昨日と同じ行動に出ますが、それでも昨日よりかわいく、まだ上品に見えるから不思議です。同じ役でも本当に人によって違って見えるものですね。

 さてここで、発見がありました。昨日は私が気付かなかったというか、席の関係で見えなかったのだと思うのですが、この日、この場面でガールフレンドは急いで退散する前、王子にメモを手渡していました。恐らく、『今晩「Swank Bar」に来てね』と書いたメモでしょう。ビデオ版の頃には無い演出、そして、NYでは私が気付かなかっただけなのかもしれませんが、やはり無かったシーンだと思います。とにかく、これであのバーは王子の行きつけではなく、彼女があのバーに王子を引き寄せたという事が、今回の舞台では明確になりました。
 ビデオ版を最初に見た時には、ロイヤルファミリーもお忍びで息抜きしているのね、と思ったのを思い出します。とにかく、この演出は分かりやすくて、おおっ!明確になっていると思わされました。

 結局すったもんだの果てにロイヤルファミリーはカーテンコールの前に散り散りに退散。昨日もそうでしたが、忘れ物を取りに来た将校がスポットライトを浴びてしまうというシーンが一番の笑いを集めていました。ここが一番間がいいという事なのでしょう。

 さて、王子と女王の葛藤のデュエット。母親を追う王子と逃げる母親。昨日と同じ印象を受けますが、今日のベンは王子らしさ、ロイヤル度が何故か気になりません。
 二日目で彼の王子に慣れたという事もあるのでしょうが、それだけではないようです。正面から見ているので王子の行動で見えない所がなく、トータルで見ているからでしょうか。ベンの王子は、王子としての重圧を感じていない事はないけれど、彼は非常に普通の人。そしてまだ子供のピュアな部分を残しているというキャラクターが出来上がっています。ガールフレンドが昨日と違う事もきっと影響しているのでしょう。

 ここで再び教育係的執事、クルトが登場。携帯電話でバーに連絡を入れます。うーん。しめしめ、とか、よしよしという感じはなく、淡々と仕事をしているという感じです。王子を陥れる為に自ら行動というより、どこかから依頼を受けているというのも有りかな?と思うほど、仕事人的雰囲気が漂ってるように感じます。

 Swank Barに場面が移り、例のノリのいい音楽が始まります。時々新キャラ発見もあるシーンですが今日もバーのキャラクター達はほぼ同じ。そこに例の嘘くさいカツラをかぶったクルトが登場。昨日のカーカムはそのまま自分の髪での登場でしたが、スキンヘッドの時には例の「アトキンソン執事の嘘くさいカツラ」が復活してくるのね!と、妙に喜ぶ私。

 ますますやる気の無いファンダンサーを見、その昔はウィルが演じていたポップアイドルのダンサーを見ながら、彼も成長株なのかしらと思っているうちに、いじめにあった王子が今日もスピーディーに表に放り出されてしまいました。とても短いシーンなのに、沢山の出来事が凝縮されている。何度見ても必ずどこかを見落としているというか、全てを把握するのは不可能なシーンだと思います。AMPの舞台は本当にいくつ目があっても足りないのですよね。

 冷たい夜の町に放り出された王子。ベンにはスコットのような、「いたたまれない孤独」というほどの絶望感は感じられませんが、「拠り所の無い孤独」が感じられます。大人が人生を諦めて絶望しているというより、思春期の青年が孤独を感じているというか。
 一人で踊るベンを見ながら、やっぱりぽっちゃり型だなぁと思い、顔のつくりといい、体型といい、「男の子型王子」と命名(彼の実年齢を考えると「男の子」では全くないのですが。笑)しながら、いよいよアダムの白鳥が近付いて来たと、徐々に気合いが入ってきます。

 ファンダンサーの周りで踊っていた踊り子にちょっかいを出したそうなおばさんと、彼女につれないダンサーを見ながら、このおばさんレズビアンなのかしらと思っているうちに、ガールフレンドと執事が出てきました。お決まりの、執事が報酬を払うシーンです。
 今回もまた躊躇もなく貰っちゃうのかしらと、その行動をチェックします。すると、ブラッドリーのガールフレンドは手渡されたお金を「いらない」と首を振って一度拒否しました。それでも手に押し付けてくる執事。仕方なく彼女はそのお金を受け取りましたが、昨日よりずっとガールフレンドの心が分かる演技です。思わずベン王子に、「見た?今のちゃんと見てた?」と教えてあげたくなるぐらい。私の中でまた一つ、ブラッドリーのポイントが上がりました。

 さて、いよいよ「情景」の有名な音楽が始まります。王子の後ろで羽ばたく白鳥達。そして、白鳥達が音楽の盛り上がりと共に消えた後、ついにアダムの白鳥が舞台奥を横切りました。深い青の中、白い美しい白鳥が現れます。ああ、何て幻想的なのでしょう。大きな翼を持った白鳥が、ゆったりと静かに水面を移動して行く。ここでもまた、その存在感の大きさを感じさせられました。

 アダムの余韻を引きずったまま、場面は白鳥の居る公園に。寂しさに耐えられなくなってしまった王子がゴミ箱から紙を探して遺書を書くシーンです。
 何度見ても、ゴミ箱の紙で遺書を書き、チューインガムで「(白鳥に)餌を与えないでください」という看板をつけた街灯に俄遺書を貼付けるって、一国の王子の行動とは思えない(笑)と、一応突っ込みを入れておきます。ファン故のお約束の突っ込みです。

 いよいよ、入水自殺という所にさしかかり、白鳥の登場に対する期待と、喜びを伴った緊張が私を襲って来ました。ふらふらと水辺にその歩みを進める王子。いよいよです。
 湖の中から突如現れた白鳥。そして、その登場の瞬間から今にも水に飛び込もうとしていた王子の脳裏から、死という言葉が消え去りました。あっという間に王子を含む我々の前に現れた白鳥。白く光り輝いています。

 その瞬間、体が震え、圧倒的な存在に魅了された王子と私が居ました。この存在感、この包容力、この魅力。神々しくさえ見えてしまいます。
 アダムの姿を見た瞬間に、「私がNYまで行って彼の白鳥を見たのは、やはり間違ってなかった!」という思いと、「何て彼は大きく成長したのだろう」という感動が私を支配していました。
 NYで彼の白鳥を見てからはや5年。その5年という時間は、アダム・クーパーをダンサーとして、人間として大きく成長させました。この圧倒的な包容力は何でしょう。父性度のアップも目覚ましい。アダム・クーパーという人は何とスケールの大きいダンサーになった事でしょう。

 王子でなくても彼の前では誰もが魅了されてしまうでしょうが、すっかり彼に夢中になってしまったベン王子。その目の輝きはすっかり恋する青年です。
 次々に白鳥達が登場し、アダムの白鳥もそこに加わります。登場シーンの、大きく翼を羽ばたかせるシーン。大きい!改めてその大きさに驚かされます。舞台以外の場所で彼に会った事のある人は分かると思いますが、彼は長身ですが思ったより顔がとてもちいさく、体も考えるよりは華奢に見えるのです。この舞台で感じる「大きさ」は、彼の存在感の大きさなのです。
 そして、今、ゆったりとアダムの白鳥は白鳥達を引きつれ翼を動かしています。その圧倒的な存在感は、他の白鳥達の絶対なるリーダーであるという事を瞬時に我々に理解させます。白鳥達が王子に向かってある種の緊張を持ったプレッシャーをかける中、アダムの白鳥はただ一人、王子を観察し見守っています。

 包容力を持ちながらも、人間ではなくあくまでも鳥であるアダムの白鳥。厚く気密性の高い、温かで極上の手触りの大きな白い翼でそっと、しかし、しっかりと包んでくれる白鳥。その翼に包まれている間は、どんな雨にも風にも脅かされる事はない。そんなイメージが私の中に生まれてきます。
 まるで、その翼の手触りが伝わってくるよう・・・そうなのです。その温かさ、その何者からも守ってくれるという安心感、慈愛が私の心に響いてくるのです。
 まいりました。改めて、やられてしまいました。完敗です。NYの頃の白鳥とはまた違う魅力にやられてしまいました。

 昨日は白鳥達のコールドが非常に魅力的に感じられましたが、アダムの居る舞台では、コールドが面白いと思いつつも、心ここにあらず。困りものですね。
 次の彼の登場のタイミングを自分の記憶の中に探し、その瞬間を見落とさないように場所の確認をしてしまいます。舞台に集中したいのに、アダムに集中しちゃう。ううん、贅沢な悩み(笑)

 私の好きな、白鳥達が月に向かって腰を折り、両手を後ろで組んで月光のなか、一斉に開くというシーンが始まります。このシーン。NYで見た時にはライティングが素晴らしく、実に幻想的に見えたのですが、今回劇場の関係もあるのか、ライティングがかなり関係しているようで、夢のような美しさに今ひとつ届かない。うーん。残念・・・でも、アダムがその後ろから登場しました。再び甘い緊張がはしります。
 ヴァイオリンの音色が美しい、王子と白鳥のデュエットです。振り向く白鳥。それを見つめる王子。すっかり映像では見なれたシーンなのに、切ない!ああ、私の心も今、ぎゅっと白鳥に掴まれてしまいました。
 白鳥の一つ一つの動きを、息をつめて見てしまいます。その安定した動きに、再びダンサーとしての成長を感じさせられます。振り付けのマイナーチェンジがところどころにあり、前の方が好きだったと思う所も多いのですが、それでも呼吸するのを忘れてしまうぐらい(実際息苦しくて何でだろうと思ったら、息を止めていたという…我ながらばか過ぎ。笑)魅入られてしまいました。

 王子に白鳥が体重をかけて寄り添う所では、私もその重みを感じてみたいと思い、白鳥が逃げるようなそぶりを見せては、私も追いかけてみたいと思う。今日のベンは恋に落ちてしまった男の子そのもの。その喜びに満ちた生き生きとした表情、君しか見えないという一途さに、白鳥もぐらっと来てしまうだろうと感じてしまいます。

 ベンとアダムの間には、スコットとアダムの舞台にあった、濃厚な「愛」を感じる空間とはまた違う関係が出来上がっています。
 スコットとアダムのデュエットは、互いを見ていても、見ていなくても関係ない。相手の存在をその空気で感じとり、不思議なほどにシンクロしている。強い絆が二人の間にはあり、何者をも介在させない魂の結びつきを感じ、私がアダムのパートナーであるサラ・ウィルドーだったら、スコットにジェラシーを感じてしまうかもというほどの二人だけの空間が出来上がっていたのです。お互いがフィフティーで、がっぷり四つに組んだデュエット。そして、愛に満ちたデュエット。もうこれは恋愛以外の何ものでもないと感じたのがNYで見た舞台でした。
 しかし、今見ているアダムとベンのデュエットは、フィフティーな関係ではありません。恋に落ち生きる喜びに満ちた王子とそんな王子を包み込む白鳥。ためらう事なくその胸に飛び込んで行く王子と、それをしっかりと受け止めてくれる白鳥なのです。スコットとの時のような切なさやある種の緊張感は薄まり、ベン王子の場合はもっと晴れやかで明るく、恋に落ち、生きる喜びに満ちています。そう、観客である私の心情に近いというか(笑)
 何度も目にして来た事ですが、同じ作品でもダンサーによって本当に違う物語が生まれる。うーん。実に興味深いです。

 それにしても、このデュエットの時にバックをつとめる4羽の白鳥。この動きの変更がどうもいただけません。動き過ぎです。以前はもっと静かに湖を漂っていたのに。せっかくのデュエットを邪魔するほどに動きが大きくなっています。

 息を潜めるようにして見たデュエットが終わり、4羽の白鳥が登場しました。いつ見てもこの振り付けは完璧です。今日ギャヴ君がここに居ないのは不満ですが(笑)でも今日の小白鳥達も十分かわいいのですけれど。

 会場から笑いを引き出したキグナス達が退散した後、再び会場に緊張が戻ってきました。アダムのソロです。
 昨日あんなに大きく感じられたフェスティバルホールの舞台が、全く大きく感じられません。白鳥は大きくその翼を広げ、王子に語りかけています。このシーンのラストにかけてのジャンプと回転。その姿がまた実に安定していて美しい。
 映画「リトル・ダンサー」の時にも感じた事ですが、スローで見ても、写真に撮っても、動きの中のどの部分を切り取っても絵になっている。そう私は感じてしまうのです。映画のラスト、数分の登場、一回のジャンプであれだけの人を魅了したアダムです。その時に感じた彼の大きさ。ビデオ版の時よりずっとスケールが増したと映画を見た時既に感じていたのですが、今日の舞台でそれは確信になりました。

 白鳥のソロに続きビック・スワンの登場です。このシーンを見ながらいつも思い出してしまうのはウィリアム(その昔、ウィル・ケンプはウィリアム・ケンプだったのですが、AMPアメリカ進出ぐらいからウィルになったのです)のあの遠心力を感じさせる踊りです。かわいかったな〜と思わず顔がにやけそうになってしまいますが、今は舞台に集中しなさいと自分を律して鑑賞を再開。
 このシーンも振り付けの変更があり、ラストシーンの、一羽ずつ舞台を左右に交互にジャンプしながら横切るというのがなくなってしまいました。これは、かなり不満です。羽ばたくのではなく、動きを止めてしまうというのは、どうかと思います。

 でも、そんな事を考えている余裕はほとんどありません。再び王子と白鳥の登場です。すっかり仲良くなってしまったこの二人を微笑ましく見るも、そろそろこのシーンが終わってしまうという寂しさが私の心に訪れます。そして、更にしっかりアダムの姿を目に焼きつけておこうと、これ以上は無理というぐらい真剣になってしまいます。
 全く同じ振り付けで踊る王子と白鳥。盛り上がる音楽。湖の方から二人、ジャンプしながらこちらにやってきます。その明るい音楽と、王子の晴れた心、そして白鳥の優しさが感じられて好きなシーンです。でも、それは同時にこのシーンの終わりを意味するのです。
 王子と白鳥が蜜月という感じで互いの肩を組み、湖の方へと手に手をとってという雰囲気で走って行きます。ああ、終わってしまう。 そして、ぱっと白鳥が王子の前から姿を消しました。

 残された王子は輝く笑顔でベンチへと戻ってきます。その晴れやかな顔。その恋した瞳。「わかる!わかるよ!!その気持ち!!」と思わず叫びそうなってしまいます。
 遺書を街灯からひっぺがし、餌やりのおばさんにキスして立ち去るベン王子。その足取りの軽やかさ、その生きる喜びに満ちた動き。ああ、私も今そんな感じだわ(笑)と心でつぶやいているうちに、2幕が終わりを告げました。

 明るくなった会場で、私から出て来たもの。それは、ため息。もう、「ほぅ」としか言えません。もう、ため息しか出ません。(笑)あのアダムの成長ぶり。あのアダムの圧倒的な存在感。

 興奮冷めやらぬ劇場で、今この目で見た舞台をもう一度記憶というスクリーンに映し出し鑑賞します。

と、その時、私はある事に気付きました。


March 23,2003
 The Swan アダム・クーパー
 The Prince ベン・ライト
 The Queen ヘザー・レジス・ダンカン
 The Prince's Girlfriend トレイシー・ブラッドリー
 The Private Secretary リチャード・クルト
 The Young Prince サイモン・カレイスコス


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