・AMP SWAN LAKE・
2003, Japan Tour Report Vol.2-3

By Natsumu


 横になり、満足げにくつろいだ様子で女王と王女たちのダンスを観るストレンジャー。我々が期待する通りの長い体、もっとはっきり言えば長い足(笑)をアダムは見せながら背中を向けて横たわっていました。うーん、さまになっています。くつろいでいる様に見えて、当然の事ながら全く気を抜いていません。

 女性だけのダンスが終わり、いよいよ男性陣と女性陣のダンスの掛け合いへ。アップテンポの音楽が始まり、ウェストサイド物語の「アメリカ」を彷佛とさせるシーンが始まりました。
 アダムがタップを踏むシーンが好きなのよねと、ここは何も考えず純粋にダンスを楽しんでみていましたが、どうも違う。何かが違う。あれ?あの華麗なステップが目立たないうちに終わってしまった!!というか、振付けが変わってる?ここも手を入れられてしまったのね!!うーん・・・ちょっとなぁ・・・と唸っているうちに、女王のテーブル越えが始まりました。

 3幕の一番の見せ場とも言えるこのシーン。華麗にドレスの裾が翻り、美しくテーブルを越えて行きます。このテーブル越え、私は失敗したのを見た事がありませんが(今回の公演で失敗を見た方もいらっしゃったそうですが)、ずっと踊って来てこの高さを何回も越えて行くのはなかなか大変なのではないでしょうか。それに、テーブルを前に押すタイミングと跳ぶタイミングが結構難しいのかもしれませんね。

 見事今回も全てのテーブルを越え、観客から盛大な拍手をもらう二人。そして、抱きあい、すっかり恋人モードになっている女王とストレンジャーの二人にベン王子が近付いて行きました。
 二人を離そうとする王子。スコットの王子はストレンジャーに「ああ、どうして君は…僕の事は、どう思っているの?」と追いすがる様子を見せるのですが、ベン王子は「傷付いたよ、本当に。悲しいよ。僕の心はずたずただよ。」という台詞が聞こえてくるような、自分の感情で頭がいっぱいの様子。やっぱりどこまでも男の子なベン王子です。
 そして、一途な彼が次にとった行動。それは母親に拳銃を向ける事でした。いよいよこの幕も大詰めです。王子が構えた拳銃に両手をあげて説得しようと語りかけるストレンジャー。そして、女王の後ろから拳銃を構える執事。ガールフレンドが執事が銃を王子に向けたのを目に止め、彼を庇うべく間に駆け込んできます。トレイシー演じるガールフレンドは王子への愛情の芽生えをしっかり演じてくれていますから、何てけなげな子なのかしらと、見ているこちらに彼女の死への悲しみが生まれてきます。

 あっという間に王子は拳銃を取り上げられ両脇を抱えられて退散。悲しみにくれる王子というより、茫然自失のままベン王子はずるずると引きずられていきました。そして高らかに笑うアダムのストレンジャー。以前はずる賢さ、邪悪さが前面に出ていましたが、今の彼は実に満足そう。満足だ!というのがひしひしと感じられます。おお、ここでも落ち着きが(笑)
 と、こっちまで落ち着いてしまっているうちに3幕が終わってしまいました。ああ、ストレンジャーをもっと目に焼付けておくはずだったのに!と今更遅いのよと言われそうですが、心が慌ててるうちに視界からアダムが消えてしまいました。いつもながら、あっという間の3幕でした。

 2回目にしてすっかり見慣れてしまった病院の巨大な壁の前に、放り出されたようなベン王子が一人心細げに立っています。白い壁に映し出される大きな影。女王と同じ顔の看護婦たち、そして執事の顔をした医師が威圧的な影を伴って入ってきました。このシーンは現実ではなく、王子の悪夢なのでしょう。

 この物語を観る時、どこからが王子の心の世界でどこからが現実なのか、その辺りの境界が非常に曖昧で、このシーンは夢と現実のどっちなのだろうと、常に頭のどこかで考えてしまいます。実際境界そのものが揺れ動いている訳で、それは王子の心そのものであり、その曖昧さがこの作品の魅力にもなり、演じる人によって物語が違ってくる原因にもなっているとも言えます。
 この物語は王子の物語であると先に述べましたが、この物語を語っているのも実は王子なのでしょう。彼の視点、彼の目から見た世界がこの物語なのです。

 現実の世界で起ったことが王子の夢に影響を及ぼし、それから逃れる為に王子の願望、自己防衛も夢に現れる。ここで一番気になるのは、白鳥の存在です。彼は実際に存在しているのか、それとも王子の心が生み出した空想の産物なのか。

 まず冒頭、幼年の王子は白鳥のぬいぐるみを抱えて眠っています。白鳥と王子の関係。きっとそれはテディベアと子供の関係なのでしょう。
 テディベアというのはイギリス人にとって日本人が考えるそれとは全く違う存在で、ある時は友達、ある時は親であり心の友であると聞いたことがあります。幼い子を寄宿学校に入れるときテディベアを持たせるという事からも分かるように、親は子供を自立させる時、その子の心の拠り所としてテディベアを子供に贈るのです。この物語の王子が抱える白鳥のぬいぐるみは、彼にとってのテディベア。友であり守ってくれる存在である心の拠り所であるはずです。夢の中に出てくる白鳥は、抑圧された彼の心の産物でしょうか。

 うなされ、目覚めた王子の居る部屋に女王は一度様子を見に来ますが、甘えさせる事はなく彼女は退出します。彼に残されたのは白鳥のぬいぐるみだけ。再び白鳥を抱き王子は眠りに入ります。お目覚めの時、王子は寝ぼけ眼で白鳥のぬいぐるみを撫でていますが、この事からも彼と白鳥の密着度が感じられます。
 その後の場面の早い展開で王子はあっという間に大人になり、ここから白鳥のぬいぐるみの登場はありませんが、彼の心の中に白鳥はずっと存在していたのでしょう。
でなければ、Swank Barで心身ともにぼろぼろになり自殺を考えはじめた時に、白鳥たちを思い浮かべるはずがありません。この時の白鳥はThe Swanではなく白鳥達ですが、どうしようもない孤独を感じた時に思い浮かべたという事から連想するに、白鳥は王子にとって恐ろしい存在ではなく、むしろ拠り所であるはずです。

 さて、自殺を考え公園にやってきた王子。この湖に白鳥は実際に居たのか、居なかったのか。白鳥は実際に居たはずです。何せ「エサを与えないでください」と街灯に警告が貼られているぐらいですから(笑)。

 王子が公園にやってきて遺書を書き、入水自殺しようとしたところまでは現実の世界。湖に白鳥の姿を見つけたところまでは現実なのでしょう。しかし、その後のThe Swanが人となって現れるところからは、彼の空想の世界なのではないでしょうか。

 冒頭幼年の頃に夢でThe Swanが既に出てきているのでこれは考えすぎかもしれませんが、気になるのは王子が除幕式に出た例の彫像です。理想的なスタイル、男性的な力強さを持つ美しい男性がヨーロッパのあの手の彫刻の持つ特徴だと思うのですが、それをその日のThe Swanが演じるのは、もしかすると演出上のお遊びではなくもっと意味のある事なのもしれません。私にはあの彫像が、王子が彼の心の中でThe Swanを創造する上での一つの要素となったような気がするのです。
 心の拠り所として子供の頃から親しんできたスワンと、男性的な力強さと美しさの象徴として彼の前に現れた彫刻。この二つが王子の無意識の中で組み合わされ、彼の前に出現したのではないでしょうか。

 The Swanは王子の理想の存在であると同時に彼の心が生み出したものであるが故に彼の一部でもある。そして、The Swanを取り巻く白鳥達は、王子が逃れることが出来ない、「実社会」の象徴なのでしょう。ですから、The Swanをリーダーと位置付けながらも、容易に彼等は牙をむきます。

 3幕のストレンジャーは現実の世界に生きる男で、王子の白鳥と彼が似ているのは物語としては必然ですが、現実の世界として考えた場合、恐らく偶然の一致なのでしょう。
 3幕は言うまでもなく、現実と王子のイメージがあちこちで交錯しています。白鳥を連像させるようにストレンジャーが鼻筋にタバコの灰を塗りつけるシーンや、王子が女王やゲスト達に囲まれてあざ笑われるシーンは王子の白昼夢です。自殺を試みるまで追い詰められていた彼ですし、最終的には母親に銃口を向けるわけですから、この幻覚を見ているところぐらいから既にかなり精神的におかしくなってきているのだと推測出来ます。

 投薬や手術のイメージも恐らく実際に彼がされた事から発生していると思われますが、その記憶は彼にとってより強烈な脅威、プレッシャーとなって現れます。それが、母親であり執事の姿なのでしょう。
 彼が逃げようとするといつも前に立ちはだかる二人が夢の中で、母親などは一人ではなく何人にもなって現れる。彼にとっていかに母親の存在が大きいかをこちらに感じさせる演出です。

 さて、その悪夢から覚めた王子は、更に状態が悪化し、目覚めてもなお幻覚に悩まされ、前にも増して夢と現実の境界線があやふやになっています。その姿を見る度に、私はここまで追い詰められてしまった王子に心が痛み、せつなさと供に守ってあげたいという思いでいっぱいになります。と同時に、彼を救えるのはThe Swan以外に居ないと言う事も強く感じるのですが。

 続くシーンで、白鳥が彼の夢、彼の創造物であるという事が決定づけるられます。王子の枕の中から現れるThe Swan。これは彼が王子の夢の産物であり、ベッドの下から出てくる白鳥達は恐ろしい幻覚であるという事をはっきり示しています。
 白鳥の背中や胸につけられた大きな傷は王子の傷付いた心。必死に王子を助けようとする白鳥は、王子の拠り所であると同時に、それでもまだ生きて行こうとする王子の心の現れなのかもしれません。
 それでも白鳥達は情け容赦なく彼等に襲いかかります。白鳥の姿をしていますが、これは世間であり、彼が生まれた時から追い回されたマスコミである・・・王子は幼い時から彼の友達であり、拠り所であった白鳥(The Swan)に助けを求めます。そして、幼い時から彼の話し相手であり拠り所であったThe Swanも彼を必死で守ろうとする。しかし、白鳥達はその二人を放っておけないのです。いくら逃げようとしても、彼らはしつこく追まわし、攻撃をしかけ、自由を与えてはくれない。彼が王子である以上、世間が彼を放ってはおかないように、白鳥たちも彼等を放っておいてはくれないのです。

 その事に気付いた時、彼を守る白鳥は息絶え王子もまた絶望のうちに絶命します。息絶えた王子が横たわるベッドに駆け寄り泣きじゃくる母親を見下ろす位置で幼年の王子を優しく抱きかかえるThe Swan。このシーンで何故に王子は幼年になっているのか。それは、あのぬいぐるみの白鳥に庇護されていた頃に戻ったから。彼の唯一の友である白鳥の元に還ったからではないでしょうか。

 4幕も他の幕と同様に、マイナーチェンジが行われています。相変わらず恐くて美しい闇とライティングに心奪われ、The Swanと王子の強い心の結びつきに切なくなるのですが、ところどころで見られる振付け、演出の変更に前の方が好きだったと感じずにはいられません。
 しかし、そんな事を吹き飛ばしてしまうようなアダムの存在感。枕の間からはい出して来たアダム演ずるThe Swanは更にスケールの大きさを増していました。

 とにかく彼を傷つける者全てから逃げたいと怯えている王子を力強く抱きかかえます。必死に彼の生命の糸を繋ごうとThe Swanは努力しますが、王子はどんどん弱っていく。彼が絶命したのではないかと思った時のThe Swanの慟哭は以前にも増し激しいものになっていました。

 これは全幕を通して言える事ですが、今や白鳥の物語になってしまったともいえるアダムの白鳥。それが故にこの舞台を観る限りでは、先に述べたように白鳥が王子の想像の産物であるとは思えません。それほど、その存在は揺るぎなくインパクトが強いのです。
 しかし、この王子を何ものからも守る事が出来るとこちらに思わせる包容力と力強さを持つThe Swanがこんなにも痛めつけられ、弱っているのを見ると、また違った意味で彼が王子の想像上のものであるという事に説得力が出てきます。

 彼の白鳥が遂に姿を消してしまった今、王子にはもう心の拠り所は何処にも残っていません。ベン王子は今、自分の悲劇を悲劇と感じる余裕もないほどの悲しみに打ちひしがれています。スコットの王子がもう僕には亡く力も残っていないというような表情を浮かべながらぽろぽろと涙を落とすのとはまた違い、押さえる事の出来ない悲しみ、嗚咽に支配されています。まるで子供のように泣きじゃくっているように見えました。

 もう生きる希望が全て奪われた王子。生きて行く理由が無くなったいま、王子は彼の白鳥が消えて行ったベッドの上で息絶えました。痛々しい。いつもこの物語の最後、この姿を見ると胸が痛み、駆け付けた女王を見ては、「何もかも手遅れです」と私は言いたくなります。

 星の輝く空を背景に優しく彼の元に戻った幼年の王子を抱く白鳥。そして、幕が下ろされました。  


March 23,2003
 The Swan アダム・クーパー
 The Prince ベン・ライト
 The Queen ヘザー・レジス・ダンカン
 The Prince's Girlfriend トレイシー・ブラッドリー
 The Private Secretary リチャード・クルト
 The Young Prince サイモン・カレイスコス


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