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レムケの亡き未亡人(2) Lemkes sel. Wwe. (2)


幼児洗礼式 Kindtaufe

「地下の小母さん亭」にカール叔父が姿を見せている。そして赤ん坊を抱いたアンナに向かって「オォー、五千ターラー!」と繰り返し叫んでいる。「何に使うんだ? 家を買うのか? 株を買ったら大金持ちになれるぞ!」と、もっぱら関心は生まれた子供より富くじの賞金のことだ。「まだわからないけれど、このお金は子供のものと夫婦で決めている」とアンナは答える。「まずはマリー叔母に支払いしなきゃ。このお店を任せてくれたのだから。一度にそっくり支払えるわ。あとは手を付けないで子供に残すの。」

ここでようやく子供の話題となる。「このチビ、エトヴィン Edwin なんて名前にするのはなぜだい?」「アウグストにしろと言うの?」「カールさ」「叔父さんには悪いけど、カールは平凡すぎるでしょう!」というやり取り。エドウィンかエートヴィンか、どう発音されたのかわからないが英語風の名前には違和感があるのだろう。たしかに19世紀後半までドイツには無かった名だと思われる。

その日、ヴィルヘルムはシェーネベルクに両親を訪ねている。「地下の小母さん亭」のビールの仕入先がレムケ家のビアガーデンと同じ醸造元だったので、配達人を介して母親とのやりとりが続き、ついに出奔以来初めての訪問となった次第。夜も更けてようやく、手土産のガチョウやらニワトリをぶら下げて戻ってきた。どうやら勘当は解けたようだ。子供の洗礼式のこと、若夫婦としては祖父母をこちらに招く心づもりだったが、教会での儀式とそのあとの祝宴も逆にシェーネベルク側の世話で行うことになった、と報告。訪問の成り行きを詳しく尋ねられてヴィルヘルムはポツリポツリと語るのだが、祖父母のもとにも「亡き未亡人」が現れたことを言うと、マリー叔母は「やっぱりそうだよ、ここに出たのと同じ時なんだ」と大いに納得した様子。

* * * * * * * * * * * *

若夫婦と洗礼を受けたばかりのアウグスト・カール・エトヴィン・レムケ(洗礼名には叔父さん二人の名前もくっつけている!)、その乳母役をするマリー叔母、そして式参列者が教会前で続々と馬車に乗り込む。祝宴会場となるレムケ家のビアガーデン「メルツヴァイセ」に到着し、主役が別室で控えている間にレムケ氏が、初対面の参加者が多いからと一行に、「男女の2列に並んで、私が間を通ってお名前を呼ぶので、互いにお見知りになっていただきたい」と求める。名を呼ばれた男性はお辞儀をし女性は会釈をする。一同の前に姿を現した三名を「妻はよくご存じでしょうが名前はクラーラ・エミーリエ、アンナ・レムケ夫人、旧姓ツァンダー、息子ヴィレムの嫁」と紹介する。マリー叔母は強い日差しを避けて室内に赤ん坊と残った、とアンナ。

この間、しきりにブラヴォーと叫んだりヤジを飛ばしたりのカール叔父を、「静かにして、目立ち過ぎよ」とたしなめるアンナ。親戚一同がテーブルにつき、料理が運ばれてくる。レムケ夫人が「皆さん、全員には私の目が行き届きませんので、それぞれで料理をお取りください」と宣する。
こう促されてそれぞれ自分の分を皿に取った。ヴィルマースドルフとテンペルホーフから来た寡黙な親戚の人々は、思慮深く分量を確かめながら鉢から料理を取り分けたし、他の人たちも控えめな態度で、自分たちが飢えてやって来たのではないことを示そうとした。カール叔父だけは肉とソースに猛烈なアタックをかけることでツァンダー家の評判を落とすことなど意に介さなかった。そのてんこ盛りの肉の山に皆が驚いて目を見張ったので、周りの視線に気づいたアウグスト叔父は足で突っついた。しかしカール叔父はそれを誤解した。「嫌だね、ジャガイモなぞ取るものか。家でたっぷり食べているよ。肉が主役だ、肉だよ、ライオンだってそうだろ。ジャガイモなんか食うライオンがいたらおかしいだろ!」
Auf diese Aufforderung suchte sich jeder seinen Teil zu sichern. Mit bedächtigem Ernst, prüfend die Portion abwägend, nahmen die sehweigsamen Verwandten aus Wilmersdorf und Tempelhof von den Schüsseln, auch die anderen suchten durch gemessenen Gebärden zu beweisen, daß sie nicht ausgehungert hergekommen waren, nur Onkel Karl blieb es vorbehalten, das Ansehen der Zanders durch einen ungestürmen Angriff auf Fleisch und Sauce in Mißkredit zu bringe. Alle sahen ihm staunend zu, wie er sich das Fleisch auftürmte, und Onkel August, der die verwunderten Blicke bemerkte, stieß ihn deshalb mit dem Fuß an. Onkel Karl jedoch verstand das falsch: "Nee, August, Kartoffeln nehm' ick nich, die ha' ick jenuj ßu Hause. Fleesch is die Hauptsache, Fleesch, det sieht man ja bei'n Löwen. Wat jloobste woll, wie der aussähe, wenn er Katoffeln fressen wollte!"
言い争う二人に「お好きなだけ存分に召し上がれ」とレムケ夫人。「大事なのは美味しいかどうかだけ」とレムケ氏も言葉を添える。カール叔父は我が意を得たり、の顔。全部のテーブルにワインのボトルがありグラスにも注がれているが、だれもあまり飲まないようだ。白い服の若い娘たち三人が額を寄せて囁きあっているのにレムケ夫人が気づく。
「グレーテ、何がほしいの?」とレムケ夫人が声をかけた。
「少し粉砂糖を貰えないかしら、伯母さま。ワインを少し甘くしたいの。」
「牛といえどもそんなに馬鹿ではない(*)」とカール叔父が言った。「このワインは上等だろう、しかし通向きである! 私はヴァイセのほうがいい!」
「そう――ラズベリー入りね、伯母さま」と娘たちが大声を出す。「私はラズベリー抜きだ、伯母さん、というか、われわれはどういう親戚関係なのでしょう」とカール叔父が言った。

"Jrete, wat wollt ihr?" rief Frau Lemke hinüber.
"Ob wa nich 'n bißken Streizucker kriejen können, Tante, wa wollen den Wein 'n bißken sißer machen!"
"Die Kälber sind janich so dumm," sagte Onkel Karl, "der Wein mag ja sehr jut sind, aba des is bloß wat for Kenna! 'ne Weiße wär' ma lieba!"
"Ja -- mit Himbeer, Tante", riefen die Mädchen. "Mir ohne Himbeer, Tante, oder in wat für 'ne Verwandtschaft wia nu stehen", sagte Onkel Karl.
レムケ氏は即座にビールを用意させる。ベルリン・ヴァイセというビールは、男たちが仕事の合間や仕事が終わって一息つくときの飲物であるが、18世紀になってラズベリーなどのシロップを加えて甘くてさっぱりした飲み口のものも生まれ、若い女性にも好まれるようになった。現在ではそういう清涼飲料水風の飲み方(「ベルリン対ミュンヘン」 参照)が大勢である。

* * * * * * * * * * * *

食事が終わってみな思い思いにパイプを吹かしたり九柱戯に興じたりする中、カール叔父は若い娘たちを引き連れ野原の散策に出かける。植物園(**)のそばを通って緑の野辺へと進み、道々遭遇する動植物について博識ぶりを見せつける。曰く、これはカエルの卵で「クィベルクァベル」 Quibbel-Quabbel という、ロシアではこれでキャビアを作るのだとか、石の下に見つけた虫を捕えて、これは「スペインバエ」 spanische Fliege(***) だといい、歯痛に効くからと一行の一人に恭しくプレゼントする。また目の前で鳥が飛び立ち、皆がカラスだというのを、あれはカラスではなく「タゲリ」 Kiebitz だ、卵を見れば違いが分かると断言するが、卵は見つからない。柳の根元に生えていたキノコを採って、これは希少で美味なものと言ったが、歩いているといくらでも見つかるので、そこら中のキノコをステッキで薙ぎ払う始末。

そのあと草の上に座って夕日を眺めながら合唱しましょうと、カール叔父は "Wenn ick am Fenster steh'" と歌い始めるが、この歌(****)は若い娘たちにはあまり共感を呼ばず、彼女たちは「少年の魔法の角笛」の "Scheiden und Meiden" など民謡を合唱する。歌っているうちに一人の娘が白い衣装に緑のシミを見つけてわっと立ち上がった。カールはスペインバエを使えばシミ取りができる言うのだが、先ほどその虫をプレゼントされた娘はこっそり捨てていた。「ならば、ドレスを全部緑に染めるしかない、草の上で転げまわることだ」と無茶を言うので、ついには娘たちはカールを置いて、どんどん先に帰るのであった。

ビアガーデンでは赤ん坊の世話をするマリー叔母とレムケ夫人が話し込んでいる。話は「亡き未亡人」に及び、「これには何かがある、これを鼻で笑うような者は分からず屋で人を傷つけるだけ」と、完全に意見が一致した。互いにヴィレムとアンナの幼いころの様子を語り合い、マリーがここに集まった他のメンバーと交わらないことをレムケ夫人は残念がって、皆と合流するよう勧めるがマリーはかたくなに断る。
この控えめさが却って関心を高め、レムケ夫人がまた他のご婦人方にマリー叔母の優れた人柄について語り続けたものだから、皆の好奇心は抑えがたくなり、――子供を見たいという口実で――婦人方がマリーのもとにやってくることになったのである。子供の病気の話題から入って次第に「遺伝」や、それからレムケの亡き未亡人にテーマは移り、ついにカード占いに行きついた次第。
Schließlich erreichte sie es, gerade durch diese Reserviertheit, daß die andern Damen, denen Frau Lemke fortwährend von Tante Maries vortrefflichen Eigenschften Bericht erstattete, ihre Neugierde nicht länger bezwingen konnten und -- unter dem Vorgeben, sich das Kind ansehen zu wollen -- zu ihr kamen. Und von den Kinderkrankheiten, mit denen das Gespräch angefangen, glitt die Unterhaltung allmählich auf das Thema "Vererbung" und von da auf Lemkes sel. Witwe und schließlich aufs Kartenlegen.
マリーは集まった女方にカード占いを披露する。知ったかぶりで粗野な引率者を見捨てて帰ってきた娘たちも加わり、マリー叔母が生地を傷めないシミ取り法を知っていると言うので件の娘は大喜び、座はひときわ盛り上がるが、一方でカール叔父はみなの軽蔑を一身に集めることとなった。
* "Nur die dümmsten Kälber wählen ihren Schlächter selber" 「ごくごくバカな牛しか自分の屠殺人を選ばない」という言い回しがある。まったく無意味な行い、という意味だろう。
** 植物園は今はシュテークリッツにあるが、かつてはもっと近く、現在クライスト公園となっている場所にあった。
*** Spanische Fliege スパニッシュ・フライは Fliege (fly) と呼ばれるがハエではなく甲虫の仲間である。樹上に棲息する。粉末にすると(カンタリス)催淫剤としての効能があるとされる。
**** ベルリンのはやり歌らしい。Hermann Lukas Richter: Der Berliner Gassenhauer, 1969 (2004) に収録されている。
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合唱協会 Gesangverein

「ねえ、ヴィレム」とアンナは言ったのだった。「ピアノとかいろいろ備えた協会の部屋を作らないと!」
この計画がアンナの胸で固まったのは ―― 一週間前 ―― シェーネベルクでの洗礼祝賀宴からアッカーシュトラーセへ戻るクレムザー(*)の車中であった。一行がドラ声を張り上げて歌ったりお喋りをしている中で彼女は ―― トルコ・ショールにくるんだエトヴィンを膝に乗せ ―― 黙りこくって考え込みながら馬車の天井に吊られ揺れている色とりどりの提灯を眺めていた。

"Wa müssen sehen, Willem," hatte Anna gesagt, "det wa een Vaeinszimmer inrichten, mit'n Klavier und wat sonst noch zu jehört!"
Dieser Plan hatte sich in ihrem Kopf festgesetzt, als sie – vor acht Tagen – im Kremser saßen und von der Tauffeier in Schöneberg nach der Ackerstraße zurückfuhren. Während die andern sich heiser sangen und schwatzten, hatte sie – den kleinen Edwin, in ein türkisches Umschlagetuch gewickelt, vor sich auf dem Schoß – schweigsam und nachdenklich die bunten Lampions angestarrt, die unter der Wagendecke schaukelten.
いまの建物の一階に部屋を新たに借りて住居を移す、地下酒場の奥の寝室として使っていた部屋は、床を塗り替え壁紙を張って「協会集会室」に作り替える。居住の場を地上に移すことは、何より生まれた子供のために望ましい・・・計画を固めたアンナは家主に掛け合って、空いている住居を借りるので家主の負担で地下を模様替えすること、と話をまとめた。

早くも数日後には寝室からベッドが新しい住まいに移され(日の光の下で見るとあまりにみすぼらしいので買い替えることになる)、地下酒場の模様替えが始まる。ピアノが運び入れられ、窓ガラスに白ペンキで麗々しく「協会集会室」と書かれた。そこには誇らしげに「ピアノ装備」と付け加えられ、さらにガラスの余白には泡が溢れるヴァイスビール・グラスの絵が描かれた。イタリア人の行商から買った石膏像、油絵、そして鹿の頭部が壁に飾られた。

ところが集会室は立派に完成したものの、使う機会はなくずっと空いたままである。ヴィルヘルムがそれを言うと、
「急がない、急がない! あなたが愚図でなきゃ、協会なんかとっくにできて、あなた、会長に納まっているところよ。一度カレル叔父に話してみるわ。こんな事にはあの人の方が向いているでしょう。この部屋を使わせてほしいという人をどっさり引き連れて来るわよ!」
「うん――こういう話にはあの叔父さんが向いている。いい考えだ」とヴィルヘルムは賛同して言った、「でも、協会は音楽協会でなければいけないな、高いピアノを買ったんだから。しかしまあピアノを買ったあと弾ける人間なんて誰も来ていないぞ!」
「それで頭を痛めているなら、ピアノの名人を雇いましょう」とアンナは言った。― ― ―

"Abwarten, abwarten! Wennste nich so schlafmitzig wärst, hättste schon längst eenen jejründet und dia zum Vorsitzenden machen lassen. Aba ick werd't mal Onkel Karrel sajen, der eijnet sich bessa zu sowat, und der kommt ooch mit Leite zusammen, die nach sowat 'n Bedirfnis haben!"
"Ja – zu sowat eijnet der sich, die Idee is jut«, sagte Wilhelm anerkennend, "aba et muß natierlich 'n Jesangvaein sind, wegen det teiere Klavier. Aba ick seh's schon, nachher wird wieda keena druff spielen können!"
"Wat du dir den Kopp zabrichst, denn nehmen wa eben 'n Klavierhengst", sagte Anna. – – –
間もなくやってきたカール叔父は、レムケ若婦人に合唱協会設立の件を任され、大いに自尊心をくすぐられた。「メンバーの一人はもう決まりだ。アウグスト叔父にはその気があろうがなかろうが入ってもらう!」と浮かれるが、「それはいいけど親戚だけじゃだめよ。ここで何か歌ってタダ酒を飲むだけになる」からと釘をさすアンナに、「任せておきな、今日は火曜だろ、土曜には旗上げだ」と叔父は自信満々である。

事実、土曜日になると「地下の小母さん亭」に見るからに珍妙な一団が勢ぞろいした。そしてお終いに登場したのが、「楽長」と自称する若い男、ピアノを試したいとのことだが、これが極めつけの奇人であった。ベストのポケットから取り出したブラシでブロンドの口ひげを撫で、頭髪の分け目に指の爪を走らせながら、「まずはビフテキとポテト炒めをいただけませんか」とのたまうのである。

奇妙だとは思いながら食事を用意したが、そのあと披露された軽快なピアノの腕前に感心させられ、芸術の天才とはこんなものかと、このピアニスト、ハーン氏を受け入れることになった。彼は駅から受け取ってきた荷物を「集会室の片隅に」置かせてほしいと願った。許しを得るやトランクの中身を部屋のあちらこちらに、ストーブの後ろ、窓枠、ピアノの上、ソファーの下に収めてゆくのであった。

他人の家にずかずか入り込んでこういう振る舞いをする人間をヴィルヘルムは快く思わないが、アンナは「あの方は天才だから。カール叔父さんが言ったでしょう、天才というものはああなの!」と言い、店にとって得もあるとハーン氏の肩を持つ。確かに彼がピアノを弾くと通りがかりの人を引き付け、客を増やした。そうだとしても、「その人たちはマリー叔母の言うように、以前の常連さんとは違うよ」とヴィルヘルム。
その通り、マリー叔母はハーン氏と彼がもたらした変化に対しては断固として反対だった。「あの人にはね、何だかわからないけれど、反感を覚えるの。ここで一日中あの緑色のスリッパでうろついているのが許せない。まるであんたたちの親戚みたいにして。ここで寝泊まりしていないだけ、めっけものだよ! 私にはわからないね、アンナ、お前がどうしてあの男に弱腰なのか、どうしてはっきり言ってやらないのか!」
Ja, Tante Marie hatte einen entschiedenen Widerwillen gegen Herrn Hahn und die Veränderungen, die er einführte. "Ick hab' wat jejen den Kerl", sagte sie, "ick kann't bloß nich saren wat. Ick wird's ihn nich alooben, det er hia den janzen Tag mit seene jriene Schlafschuhe rumlooft, det sieht doch aus, a's wenn's 'n Vawandter von eich wär'. Fehlt bloß noch, det er hia ooch noch pennt! Und ick vasteh' dia ooch nich, Anna, dette den Kerl jejenüber so schwach bist und ihm det nich mal janz jehörig sajst!"
マリー叔母は以前のように常連席に姿を見せてカード占いをするようになった。いろいろ未来を占うが、ハーン氏は理解を示さなかった。将来のことを悲観的に予言されても、態度を改めるどころか、「私はフォルトゥーナ(幸運の女神)を追うことは断念している、幸福とか栄光など要らない。死んだ後に初めてどんな人間だったかわかって貰えるだろう」と澄まし顔で、またピアノを弾く。

だが突然マリー叔母の方を凝視し、何かを追うように首を廻らせ、不安そうな調子で言った。「おや、あれは何だったんだろう! 後ろに誰か立っていましたよ。まるで叔母さんの肩に手を置いているように見えました!」と。叔母は気味の悪い冗談はやめてと言うが、「冗談なんかじゃないです。それに別に怖がることもありません。ショールを巻いた老婦人が立っているように見えただけですから!」
「私が鏡に映っているのを見たのじゃない?」とマリー叔母は怪しんで詮索する。
「よしましょう。もうこのことはお終いにしましょう」とハーン氏は言った。「何が起こるにせよ、それは星に書かれていることです。我々の運命は循環に過ぎません!」
「あら、本当は牧師さんになられたほうが良かったのでは。だったらいつも説教を聴きに行ったことでしょうよ」とマリー叔母は言った。
「わかります、伯母さん、わかってるんです。叔母さんは根っこではたいへん私に共感をお持ちです。それなのに往々にして心にもないことを言ってしまうのです。さてと」――ハーン氏はすっかり解放されたかのように楽しそうに立ち上がり――「いったいちびのエトヴィンはどうしているかな?」

"Se haben ma villeicht da in'n Spiejel jesehen?" forschte Tante Marie.
"Lassen wir das, sprechen wir nicht mehr davon", sagte Herr Hahn, "was da auch kommen mag, es steht in den Sternen geschrieben, unser Schicksal ist nur ein Kreislauf!"
"Wahaftij, Se hätten lieba Pasterich werden sollen, denn wäre ick imma bei Ihn'n jekommen", sagte Tante Marie.
"Ich weiß ja, liebe Tante, ich weiß ja, daß Sie im Grunde genommen eine große Sympathie für mich haben, nur äußert sich das manchmal etwas anders, als wie Sie es selbst wollen. Und nun" -- Herr Hahn richtete sich fröhlich auf, als sei er von allem befreit --, "was macht denn nun eigentlich unser kleiner Edwin?"
うーむ。「天才」ハーン氏はさすがに霊感が強いようだ。そしてマリー叔母の予言攻勢に一歩も引かないところなど、したたかなところのある人物のようです。

* * * * * * * * * * * *

19世紀後半のドイツは「協会」が一種のブームだった。48年の三月革命以来、集会・結社の自由を巡って政府と市民の間で対立が続くなか、政治的な結社、スポーツ、芸術活動を目的とする協会が雨後の筍のように生まれた。中でも多かったのが合唱協会であった。 そして、これら結社の集会場所として居酒屋・ビアホールが用いられた。それは一方で、まとまった人数の固定客につながるので居酒屋の経営にも大きな意味を持っていた。昔のベルリンのさまざまな店舗の写真を集めた本があるが、ある酒場の写真に次のキャプションが付けられている。
酒場経営者が生き延びるためにもできる限り多くの協会を自分の店に取り込むことが重要であった。スポーツあるいは体操協会、職業組合や労働組合、合唱協会や政治的集会は酒場にとっていつも歓迎であった。
Für das Überleben der Wirte war es wichtug, möglichst viele Vereine an ihr Lokal zu binden. Für irgend eine Sport- oder Thurnverein, einen Berufsverband oder eine Gewerkschaft, einen Gesangverein oder eine politische Zusammenkunft stand immer ein Vereinszimmerbereit.
-- Alte Berliner Läden (1982 Nicolaische Buchhandlung Berlin)
アンナの発想にも、そのころ流行となっていた合唱協会のための集会室を作って、店の格を上げ、ひいては売り上げも・・・という考えがあったのかも知れない。
* 「クレムザー」は乗合いまた貸切としてベルリンで走っていた大型馬車。「静けさの前の嵐」参照。また『コープランク一家』(Paul Franke Verlag 版)にはハインリヒ・ツィレの描いたクレムザー("Die Kremserpartie nach Pichelsberge")が扉絵に使われている。
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ピクニック Landpartie

カール叔父が組織した合唱協会「青いコーヒー袋」Blaue Kaffeetiete は次第に出席メンバーが減ってゆき、ここ三回続けて定例の土曜日に姿を現して歌うのは叔父一人だけとなった。ハーン氏は律儀に伴奏を続けるが、とうとうアンナは集会室に来て言う。
「叔父さん、やめてよ。豚でも我慢できないわ。素晴らしいかどうか知らないけれど、これ以上がなり立てるのを聴かされたら気が狂うよ。気持ちばかりが強いんだから、また他の人が一緒に歌ってくれるまで待ったほうがいいよ。その方が叔父さんの声、そんなにひどく聞こえないから!」
"Onkel, hör' uff, det kann keen Schwein vatrajen, et maj ja sehr scheen sind, aba ick werd' varrickt, wenn ick det noch länger mit anhören muß, wie du jrölst. Du hast ßu ville Jefiehl, warte lieba, bis mal wieda die andern mitsingen, denn hört man deen Orjan nich janz so schrecklich!"
自分の芸術活動にこれほど痛烈な剣突を食ったカール叔父は、「協会はやめた。帽子はどこだ、家へ帰る」と、出てゆこうとする。しかし、階段を昇っても誰も引き留めてくれないのでまた降りてきて、「ヴァイセの小ジョッキ、金は払う」とカウンターに硬貨を投げると、アンナは躊躇なく受け取る。――
「そうなんだ」――カール叔父は自分自身に話しかけるように言った。初めはまだ猛々しい口調だったが、急に調子が変わってこみ上げる思いに声を詰まらせた。――「そうなんだ、あんなに骨を折ったのに、うまくいかないとなると、みんな腹を立てて怒るだけ、いつもこうなんだ。俺なんか死んだほうがいいのだ!」
"Ja" -- sagte Onkel Karl, zu sich selbst sprechend, und seine Stimme klang zuerst noch barsch, bekam dann plötzlich aber einen Bruch und war nun gerührt und halb erstickt -- "ja, da jibt man sich die jrößte Mihe und rennt sich de Hacken schief, und denn hat man nischt als Ärjer; ob's ma aba nich imma so jeht. Wenn ick ma schon erst tot wär'!"
アンナはちっとも同情しないが、ヴィルヘルムは叔父を常連席の丸テーブルまで引っ張って行き、「さあ、元気を出して!」と薬草酒を勧める。そのとき鏡を見てブロンドの髭にブラシを当てていたハーン氏がぽつりと言った。
「郊外に出かけなきゃいけないのではないかな。グルーネワルトへピクニック。そうすりゃ、またみんな来るだろう。それに戸外の美しい自然の中で歌うとまた趣が全然違う。《美しい森よ、だれがおまえを・・・》」
「《・・・作り上げたか、かくも見事に》(*)とつられてカール叔父は歌ってしまうが、その声はまだ打ちひしがれた調子。そして意を決したかのように付け加えた。「そんな楽しく歌えるんだったら、文句はない!」

"Man müßte eine Landpartie machen, nach dem Grunewald, da würden schon alle kommen. Und dann wäre doch das was ganz anderes, wenn man da draußen in der schönen freien Natur anstimmen könnte: »Wer hat dich, du schöner Wald ...«"
»... uffjebaut so hoch da droben«, fiel Onkel Karl unwillkürlich mit noch ganz gebrochener Stimme ein. Und wie zur Entschuldigung setzte er hinzu: »Ick kann doch nischt dafor, wenn ick so jerne singe!"
「叔父さんのこと、誰も悪く思っていないよ」と、アンナも態度を和らげ、「さあ、これお金。叔父さんのお金で金持ちになろうとは思わない」とさっきの硬貨を返す。こうして皆で郊外へ繰り出す相談が始まった。

* * * * * * * * * * * *

聖霊降臨祭の休日初日、「地下の小母さん亭」前に一台のクレムザーが停まった。レムケ一家とハーン氏と「青いコーヒー袋」のメンバーが乗り込み、森で「渇きで死ぬことのないよう」ビール樽を積み込んで、近所中が好奇の目で見守る中、出発した。目指すはシルトホルン(**)。カール叔父は御者の横に座って大張り切り。馬車はブランデンブルク門を過ぎて、車中も御者台もにぎやかだが、やがて楽長ハーン氏はその日のプログラムを言い渡す。
「シルトホルンに着いたら挨拶の歌を歌う。それからコロネードに荷物を下ろし森に行って、昼食の用意ができるまで休息する。ガチョウのローストとグーズベリーが出るはず。そして午後は目隠し鬼ごっこと回転鬼ごっこをするか、それともゴンドラにも乗りメリーゴーランドに乗る、成り行き次第で。」
"Wenn wir in Schildhorn sind, singen wir das Begrüßungslied, legen dann die Sachen in der Kolonnade ab und gehen in den Wald und lagern uns dort, bis das Mittagessen fertig ist. Es gibt gewiß Gänsebraten und Stachelbeeren. Und am Nachmittag spielen wir Blindekuh und Plumpsack oder gondeln auch und fahren Karussell, wie sich's eben trifft!"
一曲歌ったら、あとは食べること遊ぶことだけとはまた見事なプログラム! 昼食の後、女たちはコーヒーを沸かし、さてみんな何か一緒にするか、それぞれが自分流で楽しむか話し合った。カール叔父はアウグスト叔父に声をかけ、「さあ出かけよう」と一行を誘うが続く者は僅か。あとは間をとり三々五々散らばって出かけていく。マリー叔母がエトヴィンの世話で残っていると、そこへヴィルヘルムがしょんぼりと戻ってくる。「アンナは?」と尋ねると「ゴンドラ」との答え。ハーン氏と二人でゴンドラに乗ったとのこと。どうやら朝から妻とハーン氏の親しげな振る舞いにご機嫌斜めのようだ。
「そうかい――ゴンドラに二人きりで?」 マリー叔母は思いを巡らせながら尋ねた。しかし勢いよく首を振った。「いいや、お前さんの考えてるのは違うよ、ヴィレム。その正反対だよ。あの子はそんなつもりじゃないんだから。あの子にはエトヴィンがいるし、お前さんにこの私、そしてお店があるから火遊びは高くつくとわかっているさ。でも私、あのハーンには思うところがある。あいつはいかがわしいと感づいたのは私が最初でしょう。でもヴィレム、もう一度言うが、お前さんの考えは違うよ。あの子に私油断なく目を配るのは誰も邪魔できないから。ね、――まだ割って入る時間がある――違って?」
"So -- jondelt er mit sie alleene?" fragte Tante Marie nachdenklich. Aber dann schüttelte sie energisch den Kopf. "Nee, wat du denkst, Willem, is nich. Ins jerade Jejenteil, weil se sich nischt bei denkt. Se weeß doch, se hat Edwin und dia und mia und det Lokal, der Spaß käm' sie zu teier. Ick hab doch 'ne Pike uff den Hahn, und ick wär' jewiß die erste, die wat röche, aba du irrst dia, Willem, ick saj's dia noch mal. Wat mia aba nich abhalten soll, 'n wachsamet Ooje uff ihr ßu haben. Na -- und denn is ja noch imma Zeit, zwischenzufahren -- wahr?"
マリー叔母はさらに別の話題を持ち出したりするが、ヴィルヘルムの気持ちは収まらない。合唱協会のメンバーもぽつぽつと戻ってきて、カール叔父とアウグスト叔父も、団員の一人のホルンを手にして大声で議論しながら帰ってくる。どうやら正しい音を出すためにと勝手にホルンの朝顔部分に木の枝を差し込み、抜けなくなって遣り合っているようだ。やがてアンナとハーン氏の舟も姿を現した。「急がないと置いて出発するぞ!」とカール叔父が、岸辺の不穏な雰囲気を伝えようと声をかける。
「はい、はーい」と答えが返ってきて、そして申し合わせたように舟の二人は歌い始めた。
    「家へ――家へ
    家へは帰らぬ――(***)
「じゃあ放っておこう――」とカール叔父は言った。「俺は行くよ―― 一緒に行くのは?」

"Ja -- ja --", kam die Antwort, und wie auf Verabredung begannen die Bootfahrer zu singen:
    "Za Hause -- za Hause,
    Za Hause jeh'n wa nich --"
"Dann laß se --," sagte Onkel Karl, "ich jeh' jetz -- wer kommt mit?"
その場の全員が従った。やがてクレムザーに乗り込んだアンナが夫に「楽しかったね。あなた、どうしてゴンドラに乗らなかったの。マリー叔母とエトヴィンは?」と言うが、ヴィルヘルムは「これまで心配なんかしなかったんだから、いまさら子供を起こすことはない」と言い放って、二人の間は怪しい雲行き。
ハーン氏はヴィルヘルムのところにやってきて言った。「奥様が不当な非難を受けないように口出しすることは、ご了解いただけると思います。もし何か罪があって誰かが非難されなければならないとすれば、それは私一人のことです。なにしろ奥様はずっとエトヴィンのことを気にかけていましたが、でも岸まで泳ぐことはできませんでした!」
Herr Hahn aber trat inzwischen zu Wilhelm und sagte: "Sie werden es begreiflich finden, daß ich Ihre Gattin vor ungerechten Vorwürfen zu schützen suche. Wenn ein Verschulden vorliegt und jemandem ein Vorwurf zu machen ist, so trifft er nur mich allein, Herr Lemke, denn Ihre Gattin hat sich fortwährend um Edwin geängstigt, aber sie konnte doch nicht ans Land schwimmen!"
「その通り」とカール叔父は大声で言った。「さあ、出発だ!」
* アイヒェドルフ詩、メンデルスゾーン曲「6つの歌(作品50)第2番、狩人の別れ」 "Der Jäger Abschied"
** シルトホルン Schildhorn はベルリン西方グルーネワルト Grunewald のシュプレー川とハーフェル川が合流するシュパンダウのすぐ南にあたる。1880年代からベルリン市民が休日を過ごす行楽地となった。
*** 不詳。ベルリンのサッカーチーム Hertha BSC の応援歌とよく似ているが。
  Nach Hause, nach Hause,
  Nach Hause gehn wir nicht, ...
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中傷と殴打 Klatsch und Keilerei

聖霊降臨祭のピクニックが終わった後、「地下の小母さん亭」では表面上は以前と変わりない日常が続いている。ただ、クレムザーの御者による夫婦喧嘩の一報が翌日にはアッカー通りの人々すべてに知れ渡り、尾ひれがついて広まっていた。うわさを脚色し流布させた発信元は管理人の女房。早朝から家の廊下で、また商人の女房たちが集まる場所で、夜はまた家の門口で、いつも新たな噂の材料を提供することを怠らなかった。
「まあ、本当に――亭主が盲目で何も見えないのか、それとも」――管理人の女房は肩を耳たぶに付くほどすくめた――「それとも見たくないのか!」
「そんな男がいるなんて信じられます?」 そう尋ねた女を憐れむように見やって、世故にたけた管理人の女房は、愚かな反問にもお答えして差し上げる。「営利主義、ということを聞いたことがあるでしょう、クファールの奥さん? ない? あのね――営利主義というのはね、他はすべてどうでもよくて金儲けだけ、ということ。わかる?」

"Jott ja -- entweda is der Mann blind und sieht nischt, oda" -- die Portiersfrau zog die Schultern bis an die Ohrläppchen -- "oda er will eben nischt sehen!"
"Jlooben Se, det's sonne Männa wirklich jibt?" Die welterfahrene Portiersfrau sah die Fragerin mitleidig an, dann ließ sie sich herab, auch diesen törichten Einwurf zu beantworten. "Haben Se mal wat vons Jeschäftsinteresse jehört, Frau Kufahl? Nee? Na -- Jeschäftsinteresse is, wenn eenen allet ejal is und man nur Jeld vadienen will! Wissen Se't nu?"
あの夫妻はそんなに強欲でもないでしょうという反論にも、昔は違ったが今はそうなんだ、毎月初め銀行へ通って貯金に励んでいる。もう十分な財産があるくせに、あの亭主は平日も日曜もカシミアのズボン、継ぎの当たったシャツでいる。あの奥さんもそうよ、特別の礼服以外、日曜日にちゃんとした身なりをしている? なにしろもともとは飲み屋の娘だから。レストラン経営者だなんていくら格好つけてもお里がね・・・

管理人の女房はさらに悪意ある誹謗中傷を行う。
「これが何を意味するか、わかるわね」と管理人の女房は言って、唾を吐いた。「まだ誰も知らないし誰にも見えてないけれど――私は知っている! この顔の二つの目が見逃すことなんてないよ、レムケ夫人をよーくご覧、じっくり見てから、この私が間違ってるかどうか言って。あの人、二人目が生まれるよ!」
管理人の女房は自分の報告の効果を満足して眺めることができた。
「そうさ ――」と言ってまた唾を吐いた、「これは恥だよ!」
「まあ、驚き桃の木山椒の木、あのご亭主、どう言うつもりかしら?」
「どうして――ご亭主?」と管理人の女房は言った。「あの人が父親でないなんて言ったかしら? お願いだからね。私が言ったのはレムケ夫婦にまたコウノトリがくる、とだけ。それ以上は何も。ねえ、法廷でも証言できるでしょう・・・」

"Wat dabei 'rauskommt, sieht man ja", sagte die Portiersfrau und spuckte aus. "Wat noch keener weeß und noch keene jesehen hat -- ick weeß et! Ick laß ma meene Oogen in'n Kopp nich blind machen, kieken Se sich die Frau Lemken 'mal janz jenau an, wenn Se se ßu seh'n kriejen, und denn sajen Se, ob ick nich recht hab', wenn ick behaupte, det da bald wieda wat Kleenet ankommen wird!"
Die Portiersfrau konnte mit dem Effekt, die diese Mitteilung machte, zufrieden sein.
"Ja --", sagte sie und spuckte noch mal aus, "ne Schande is's!"
"Du lieba Jott, du lieba Jott, wat wird denn nu der Mann ßu sajen?"
"Woso -- der Mann?" sagte die Portiersfrau. "Ha' ick etwa jesajt, det er nich der Vata is? Da muß ick doch recht sehr bitten. Wenn ick iberhaupt wat jesajt hab', denn ha' ick nur jesajt, det bei Lemkens bald wieda der Klapperstorj kommen wird, weiter nischt, det können Se mia vor Jericht bezeijen. ..."
こうした陰口はやがて当人たちの耳にも聞こえてくる。マリー叔母は何とかしなければというがアンナは勝手に言わせておこうとの構え。叔母はハーン氏をどうして追い出さないのかとアンナを問い詰めるが、いまそれをしたら噂を裏書きするようなもの、こんなことはみな嫉妬から来ている、ここが何もかも順調だからだ妬んでいるのだ、不幸なところにはみんな同情と善意を見せて近づくが、慈善を施す必要がないとカラスのように襲ってきて目をくり抜くのだ、と。

ヴィルヘルムも妻の意見に同意する。だがマリー叔母は、ピアノが来てからというもの何かと調子が悪くなった、近所からは夜がうるさいと言ってくるし、家主は家賃を上げた。ということで楽器の処分を主張。アンナはこんなものバラバラに砕いてコーヒーを沸かす薪にしようとやけくそ気分。マリー叔母はリーゼ叔母に売ろうと提案、なにしろあの人はピアノのような上品そうなものが好きだし弾けなくても欲しがるから、と少々意地悪い物言い。

その交渉のためマリー叔母とヴィルヘルムがリーゼ叔母を訪ねている間にアンナは「協会集会室」をきれいに片づけ、ハーン氏の荷物を一つにまとめた。夕方やってきた氏は、この事態を予期していたのだろう、「ご主人とマリー叔母さまに、そしてちびのエトヴィンによろしく!」と述べて、静かに去って行った。

* * * * * * * * * * * *

ある日。「地下の小母さん亭」の入り口近くで管理人の女房とクファール夫人が例のごとく「お聞きになりました、またですよ――ご亭主が狂ったようにに暴れて・・・」と声高に話している、とそのとき玄関ドアがバーンと開いた。あたりは一瞬静寂に包まれ――そして中庭中に叫び声が響き渡った。ヴィルヘルムが飛び出してきたのだ。泡を食って逃げる管理人の女房を追い、袖をつかむと逆に爪で顔を引っかかれる、後ろから管理人が埃叩き棒で殴りかかる、ヴィルヘルムが棒を奪い取って・・・と大変な騒ぎ。ついに警官が呼ばれ、騒動はようやく収まった。アンナもマリー叔母もこれは告訴しなければと言う。

ヴィルヘルムの告訴に対して管理人も逆に提訴して裁判。事実をありのままに話せば理不尽な相手の不法な行為がおのずと明らかになる、と単純に考えていたヴィルヘルムに対して、裁判に通じていた管理人側はクファール夫人を証人として自分に有利な証言をさせたので、ヴィルヘルムの正当防衛が認められず1ターラーの罰金という有罪判決になった。管理人は暴行による前科が数回あるにも関わらず「10ターラーの罰金もしくは禁固10日」の軽微な判決。

裁判の後、レムケ一家は近所の人々との関係がすっかり悪くなり、日常の生活でも摩擦が多くなって、このままでいるとまた不測の事態が起きかねないと恐れ、一家は引っ越す決意を固めることになる。マリー叔母は長年住み慣れた「わが町アッカーシュトラーセ」に愛着があるが、商売が繁盛し富くじも当たるというとんとん拍子のレムケ一家に対する妬みが根っこにあるので、近隣との関係改善の見込みがないと思い知らされて町を離れることに同意した。

引っ越しの日、緑色の大型の荷馬車が「地下の小母さん亭」前に停まった。カール叔父の指揮のもと大勢の男たちが荷造りに来た。地下から上がってくると、長年地下への入り口を飾っていたオレアンダー(西洋夾竹桃)の鉢を脇に除けて荷物を馬車に積み込む。積み終わってマリー叔母が御者台に上る。
そしてレムケ夫妻が小さいエトヴィンを連れて姿を見せ、伯母の横に座った。御者も昇って馬が動き出そうとしたとき、マリー叔母が大声を上げた。「大変、オレアンダーを忘れてるよ!」
みすぼらしい植木の緑色の鉢が馬車の後ろに積まれた。そして車輪が回り始めた。何人かの好意を持ってくれている人たちが声をかけてきた。「さようなら、さようなら、また様子を報せてね!」
レムケ夫妻はうなずいたが少し物悲しく哀切な風情。今後どんな運命が待ち受けているのか、誰にもわからないからだ。そして馬車は角を曲がり、レムケ一家はアッカーシュトラーセを離れた。

Dann erschienen Herr und Frau Lemke mit dem kleinen Edwin und nahmen neben ihr Platz. Auch der Kutscher stieg hinauf, aber gerade als die Pferde anziehen wollten, schrie Tante Marie: "Um Jottes willen, ihr vajeßt ja den Oljanda!"
Der grüne Kübel mit dem trübseligen Baum wurde hinten auf den Wagen gesetzt, dann begannen sich die Räder zu bewegen, und einige freundlich gesinnte Leute schrien hinterher: "Adje, adje, lassen Se mal wat von sich hören!"
Und Lemkes nickten ein bißchen wehmütig und traurig, denn wer konnte wissen, welchen Abenteuern sie entgegenzogen? Dann schwankte der Wagen um die Ecke, die Ackerstraße lag hinter Lemkes.
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最後はずいぶん飛ばして法廷場面などはぜんぶ端折ってしまったが、ここで『レムケの亡き未亡人』第一話「地下の小母さん亭」がようやく終わりだ。作品の全体は第1冊3話、第2冊3話、合わせて全6話からなる2巻本として刊行されている。
    第1冊
  • Zur unterirdischen Tante
  • Die Sache macht sich
  • Edwin kriegt Nachhilfestunden
    第2冊
  • Das falsche Gebiß
  • Der blaue Amtsrichter
  • Berlin W W
レムケ一家が新しい土地に移って新しい人物も登場し、物語はいよいよ多様な展開を見せ、また昔のベルリンの興味深い風物が次々と出てくるが、この調子で紹介を続けてゆくと相当長くなりそうだ。さて、どうするか。

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