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メモ帳 -- 抄録、覚え (その20)


変異した新年

2021年の1月。例年と違うところがいくつか。
元日は息子たちの家族が年始に来てくれた。これは例年通り。ただ、おせち料理は少し変わった。例年なら暮れの28日前後に、歳末風景を楽しみがてら錦市場へ買い出しにでかけるのが、この年末は京都行きを控えた。結婚当初(向日市に住んでいた)から40年近く続いた恒例の行事が終了した。ここ数年、錦市場の雰囲気も変わり、決まって訪れる店が閉店したりして、餅や数の子などは地元で購入するようになっていたので、疫病が終息しても歳末の京都詣では復活しないだろう。小鯛ささ漬け、八幡巻などが正月の食卓から消えた。


タイマー撮影、初めての正月を迎える赤ん坊の姿は、母親に抱っこされているが、フラッシュが効かなくて、よく写っていないので、別の写真から切り取って張り付けておく。

二日は初詣。これも例年通り。

興福寺南円堂。→

例年なら列を作ってお参りしているところ。鐘の紐は引き上げられたまま。御神籤の窓口も閉じている。
境内のいずこを眺めても人出は少ない。東金堂の前もひっそり。

今年の新年の、疫病対策とは関係ない変化、一つは年賀状をやめたこと。それに代えて寒中見舞を送った。ここ数年に出した賀状が、次第に旧年中の家族の近況報告のようなものになってきたので、思い切って切り替えた。五日の小寒の日、見舞いはがきをプリントアウト、投函。


十日えびす。例年通り高畑町の志賀直哉旧居近くのパーキングに車を停め、「下の禰宜道」(ささやきの小径)を経て春日大社、そして佐良気神社へ。福娘たちはビニール・カーテンの向こう。日曜日と重なったからか、そこそこの人出があった。


12日、うっすらと積雪。久し振りの雪景色。マンション敷地の珍しい光景を階段の踊り場から写真に収めておいた。

25日、ウォーキングを兼ねて町の様子でも眺めようと、昼前から奈良公園へ。いつも通り猿沢池南の駐車場に車を置き、興福寺境内から公園を散歩、東大寺は二月堂まで足を延ばす。今年の修二会(お水取り)は、お松明拝観など一般の参拝はかなり制限されるようだ。
あぜくらやで昼食。大和茶粥などの定食。滅多に買わない鹿せんべいも買って出る。道すがら鹿に煎餅をやりつつ駐車場まで戻り、帰途に。
秋には少し戻った人出も、四月、五月なみに少なかった。


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もう一つの変化。日常生活でこの冬変わったのは、暖房をエアコンと電気ストーブにしたこと。昨年までは、本格的に寒くなるまで足元のヒーターと電気ストーブで過ごし、11月の末ともなると電気こたつを出し、その上にブックパソコンを広げて読み書きしていた。疲れるとこたつに潜ってゴロンと横になっていた。冬はこたつ中心の書斎生活だった。

これでは何をするにも、まずはこたつを出ることから始めねばならず、ものぐさになる。書棚から本を取るのすら面倒と感じる。立ったり座ったりが負担に感じるようになってきたのだ。そこで思い切って生活スタイルを変えた。寒さに耐えられないようだったら、こたつ生活に戻る心づもりだったが、いまのところ新スタイルが続いている。手指、耳たぶに軽く霜焼けができているが、昨年と同じ程度で、主因は早朝散歩の方にあるだろう。



愛用の電気ストーブはおよそ20年前に買った年代物。400ワットのヒーターが上下に二本、別々に通電できる。キャスター付きの台に乗せ、近づけたり離したりして使っている。中学生になって買って貰った勉強机とは60年を超える付合い。
ディスプレイは2台、左は辞書専用。


横になりたいときはソファーに。とくに冷えるときには足元まで電気ストーブを引き寄せる。


春先から初夏へ

2021年の春。退職後の生活は寝転がって本を読むか、机でパソコンのキーボードを叩くかの毎日で、運動は早朝散歩くらいだから、去年・今年の stay home 時期も例年とさほど変わらない日々を過ごしています。日中の町歩き、ショッピングセンターでの放浪(書店、百円ショップ、カフェ巡り)はちょっと減ったかな。電車に乗って出かけることは無くなりました。それで遠出と言えば、女房殿の運転で奈良公園、奈良町へ出かけるくらい。それも月に1度か2度のことです。

21年3月22日
好天に誘われ昼前から奈良公園ヘ出かけた。猿沢池近くのいつものパーキングに車を置いて、歩きはじめる。


最近の運動不足を解消するため、遠回りして歩こうと、まずは浅茅ヶ原の方へ廻る。花の下で鹿たちはのんびり。

鷺池に下る斜面。桜が満開に近いか、見事な眺め。

コブシ、アシビも満開。斜面だから花が目の下、近々と撮れる。

そのあと大仏殿方面に歩き、夢風広場の吉野本葛黒川本家で昼食。公園を離れ、近鉄奈良駅から、小西さくら通りを下り、シャトードール本店でパンを買い帰途に。久し振りに1万歩を越える散歩になった。

21年3月24日
リビングの窓辺の桜がいっぱい咲いてきた。

もう7分咲き、8分咲きだろうか。


ベランダに出て写真を撮っていると、


その花の中に小鳥が。ヒヨドリか。花の蜜を吸っているようだ。


21年3月30日
窓の外の桜が満開になった。

24日と比べてみると、全然違う。24日はまだ五分咲きくらいだったのか。

21年4月15日
昼前から奈良町へ。猿沢池近く、元林院町に最近オープンした中川政七商店 奈良本店(旧・遊中川本店)を訪れた。売店とカフェがある。


あちこち散策して、元興寺。花(何の花?)がきれいだった。

元興寺から少し歩いて、遊悠工房(毘沙門町)。そこから、

少し離れたギャラリー・カフェ Takeno (今御門町)で昼食。店内から無人のテラス席を見る。
そのあと CONFECTION Artisanal Bread&Sweets(中院町) でパンを買って帰途に。

21年4月26日
喜寿の誕生日。

祝賀の御馳走はティータイムのケーキから。本人の望みと言うよりは、側でお祝いだ! と興に入っている人の意向を反映していた気がする。
予定では息子たちの家族も集まって会食となるはずだったが、感染状況を考慮し、日本酒(誕生日の日の讀賣報知つき)と松坂肉をそれぞれ届けてくれ、リモートで祝ってくれた。



子供たちにお礼のメールを送る。「喜寿か! ここまで生きるとは予想外。高校・大学時代、自分の人生は(なぜか)38歳まで、と考えていた。その倍を生き終えたこの日、祝詞及び祝いの品々を頂戴し、とにかく感謝です」

21年5月6日
昼前から奈良公園へ。例の猿沢池南の駐車場に車を置いて、散歩開始。今回は興福寺を北へ突っ切り登大路を渡って、県庁から依水園前を通って東大寺まで歩く。


興福寺境内。地面に座って鹿と遊ぶ子供。

大仏殿前。行き帰りの人を分ける分離帯があるが参拝者はちらほら。

南大門から南を見る。やはり人の姿はない。
帰途、県庁のカフェ couleur で昼食。いつものように近鉄駅前から小西通りを歩いて車まで戻る。


梅雨から夏、初秋へ

2021年の梅雨から夏、秋。春に続いて変りばえのしない日々を過ごしています。
近畿地方の今年の梅雨入りは5月16日、1951年の統計開始以来最も早いとのこと。明けたのが7月17日、過去に例のない長梅雨となった。そのあとは猛暑日が続いた。8月中旬は雨が多く、気温は低めだったが、下旬からまた暑くなった。

早朝の散歩も日陰ばかり選んで歩き、ごく短時間で切り上げました。そして日中の外出はいっそう減りました。9月になって足早に夏が去り行く気配ですが、疫病流行ゆえにまだまだ行動の制約は続いていて、最近の〈遠出〉は、やはり月に1度か2度、せいぜい奈良公園・奈良町へ出かけるくらいです。

21/06/01(火)
この日は独り歩き。昼前からバスで近鉄奈良へ、奈良町散歩。下御門郵便局あたりまで下がって、ゆっくり引き返す。

窓格子の中、テナント募集の看板。「お待たせしました! やっと空きました!」南市町あたり。ずいぶん前から掲げられている。「やっと空いて」から相当時間がたったぞ。

よく訪れる今御門町のギャラリー・カフェ Takeno。閉まっています。人出が少ないから開店しないのかと思ったが、同店WEBサイトの「マンスリー予定表」を見ると定休日は水曜だが、月に1度は火・水曜と連休になる。この日は火曜日だった。

中川政七商店(元林院町)へ。ここは奈良晒の老舗が4月14日に複合商業施設として新規開店させたばかりで、店舗もカフェもほどほどの賑わい。店内の「猿田彦珈琲」で軽い昼食(フレンチトーストとカフェラテ)にする。
帰途は近鉄電車で。南北通路が作り替えられた西大寺で途中下車、少しだけ見物。駅中のショップなどが新しくなっている。バス停、タクシー乗り場として整備された駅南の広場もチェック。再度入構、高の原まで乗り継ぎ、バスで帰宅。

21/06/07(月)

書斎窓外の花台の南天。花がたくさん咲いた。今年は実をつけるか? 一昨年だったか、その前だったか、たわわに稔って小鳥がついばみに来た。
[残念ながら今年も実は生らなかった]

21/06/11(金)
久し振りにバスでJR奈良へ、スーパー・コーヨーでお握りと茶を買って県立図書情報館行きのバスに乗る。恋の窪2丁目で降りて図書館まで歩く。館内は感染防止のため座席が使えず、閲覧ができなくなっていて、貸出だけ。『ウズ・ルジアダス』を借り出す。この本が必要なので(理由は「ルシタニアの夜」を見られたし)この図書情報館まで来た。

21/07/31(土)
出窓外の桜の木、セミとスズメの競演。今年はセミが多い気がする。ベランダへ出て植木鉢やプランターに水を撒く時、思わず「うるさい!」と怒鳴ってしまうほどだ。

21/08/07(土)
毎朝、セミの抜け殻の多さに驚く。幹といい、葉といい、大変な数だ。


こちらは椿の葉。


こちらは欅の幹。

21/08/20(金)
11時過ぎから奈良公園・奈良町へ。いつもの駐車場に車を置き、散歩。カフェ・オアシス(しばらく前まで「メロー・カフェ」だった)で昼食。店を出ると強雨。アーケードの下で数分過ごすと、降り止んだ。


東金堂前で発掘をしていた。
興福寺鐘楼の発掘調査(平城第625次調査)とのこと。


五重の塔と東金堂はもともとは回廊で囲まれていた、その遺稿の発掘調査らしい。


東金堂前から少し北へあがる。公園の木陰でのんびり過ごす鹿たち。


21/09/15(水)
月が替わって初めて奈良町へ。いつもの駐車場に車を置き、歩きはじめる。
猛暑が去って出歩きやすい気候となったのだが、人通りは少ない。南市町あたり。例の看板、「お待たせしました! やっと空きました!」が相変わらずあります。

ここは大正から昭和にかけて賑わった「花街」元林院町・南市町の一角で、いまもスナックやカフェが散見されるが、夜はいざ知らず、昼間はこんな風情の通り。 (南市近辺の様子は「奈良の五日えびす」を見られたし)

今御門町から光明院町方面へ、餅飯殿センター街に出た。きょうはちょっとした雑用があるので、散歩は短めに切り上げる。

その雑用の前に、まずは腹ごしらえ。
LA TERRASSE ALL DAY DINING」(小西町) で昼食。 タコライスプレートとハンバーグプレートを注文。

テラス席ではないが、道に面したガラス戸は全開、テーブルから1メートルほどでさほど広くない歩行者道路。写真は料理を待つ間に道路から撮ったもの。ヨーロッパのカフェテラスの気分。


用事を終えて、猿沢池畔の「スターバックス」、チャイ ティーとアイスコーヒー・ラテを選んで休憩。こちらはテラス席で。池畔の道を人が歩き、鹿も歩く。

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奈良公園のシカに関する最近のニュース。
シカも少子化? 奈良公園の子鹿、前年調査の3分の1に
奈良の鹿愛護会(奈良市)は7月15、16日に奈良公園に生息する国の天然記念物「奈良のシカ」の頭数を調査し、結果を発表した。鹿苑に保護されている鹿を含めた頭数は1481頭で、前年より189頭少ない。公園に生息する子鹿は82頭(前年は254頭)と前年の3分の1以下になったことが影響した。[毎日新聞 2021/8/4 10:44]
この記事に驚いて、改めて奈良の鹿愛護会の調査報告(奈良の鹿愛護会 頭数調査)を見ると、ここには2008年度からの記録があるが、
 2020年度 オス鹿 224 メス鹿 808 子鹿 254 総頭数 1,286
 2021年度 オス鹿 217 メス鹿 806 子鹿 82 総頭数 1,105
昨年と比べて、確かに子鹿の減少が尋常ではない。愛護会によると、頭数調査日が雨だったので子鹿がどこかに隠れていた可能性も考えられるとのこと、しかし原因は明確にはわからないようだ。オス鹿 217とメス鹿 806、この大きな違いも気になりますが、2008年度からずっと、毎年3~4倍の差があります。


秋深まる

2021年の秋。最近の外出といえば、近くの奈良公園・奈良町を散歩するばかりだったが、COVID-19 新規感染者の急速な減少という状況を見て、これまで控えていた〈遠出〉をする。この秋の〈遠出〉は、京都へ二回である。

21/09/21(火)


旧暦8月15日、中秋の名月。出窓に饅頭と近所の原っぱで取ってきたススキを飾る。8年ぶりに満月とのことだが、デジカメではこんな写り方。
だが今年の秋は11月19日の部分月食が話題となった。「ほぼ皆既」月食。89年ぶりで、次回は65年後とのこと。多くの人は生涯に一度きりの体験。

21/10/11(月)
「サマプロ、あれから20年」冊子到着。
この企画は、2021年7月初め、20年前のミュンヘン・サマープログラム参加者の、いまも時折メールが届く3名とのやりとりから始まった。
生まれてからサマプロまでの人生と同じ長さを、あれから生きて、みなアラフォー。20年たったいま、あの時の思い出や、近況報告の文集を作るのはどうかと提案。即座に賛同が得られ、3名のマネージメントで、原稿集めと編集が進められた。参加者18名中17名から文章と写真が寄せられた。

WEBサイトに載せる方向かと思っていると、不特定多数に読まれるのでは自由に書けないかも、というまっとうな参酌で、「PDF版で関係者限定で配信」にするという。担当教員の私にだけは冊子を作製してくれました。「喜寿をお祝いして」とのこと。

21/10/14(木)

本当に久しぶりの京都行き。途中の駅も風景も懐かしいなと感じつつ、近鉄の京都駅、あちらに見えるのはJRの駅。もう1年以上来ていない。今回は駅ナカ・駅周辺を歩くだけ。「THE CUBE」の「ことこと」で昼食。

「伊勢丹」、店内は普通の賑わいに思えたが、いたるところに注意書きと消毒液。
各階を見て歩き、地階でパンを買って帰途に。

21/10/18(月)

いつものとおり、猿沢池南の駐車場に車を置いて歩きはじめる。今回は登大路の北側、奈良町北をメインに散歩する心づもり。
猿沢池から「五十二段」を上がり、興福寺。五重塔が特別公開していたので拝観。

奈良町北には面白いものがあります。東向北商店街のアパレル店「EIGHTH SENSE」は壁解放で、落書き自由。

古いポストがビル玄関のオブジェに? 間違って投函しないように、ガムテープで口がふさがれている。

昔ながらの雑貨店。さまざまな台所用品が所狭しと陳列されている。

近鉄奈良駅付近で登大路を南に渡り、三条通りに戻って、角振町三条会館の「AIDA」で昼食。定食800円、安くておいしい。そして散歩を続ける。


21/10/28(木)
昼前から京都へ、今回は四条通まで上がる。烏丸から地下道を東へ、高島屋で地上に上がる。 久し振りの〈都会〉だ!

河原町通りを少し上がり、新京極、寺町を下がる。久し振りの錦天満宮。

錦市場を歩いて大丸、パンを買う。長刀鉾町B1F「そじ坊」で昼食。ココン烏丸のアクタスなどを巡って帰途につく。

21/11/04(木)

今日は単独行。バスで近鉄奈良へ。乗り継いで春日大社本殿。
久し振りに見る修学旅行の団体。

七五三を祝う姿もちらほら。

下禰宜道を下って鷺池横を抜け、荒池を見降ろしつつ歩く。

高畑町。今日歩いた中ではもっともきれいな紅葉。このあと奈良町へ。「シャトードール」で昼食。

バスで高の原に戻る。
ソフトバンクのショップへ。使用中のスマホ iPhone6s が勝手に消音スイッチが on-off するようになったと相談すると、いま iPhoneSE_v2 を割引き価格で提供しているので買い替えた方がお得との勧めに乗った。もう6年使ったからいいか、と思った次第。

21/11/06(土)
「サマプロ、あれから20年」文集、参加メンバーはファイル共有と聞いてから、この仕組みは特定の人にだけ見せる文書には好都合ではないかと思い至り、短篇小説の翻訳1、2点をPDFにして、GOOGLEドライブにアップ、大学時代の同窓、参加学生や家族に協力を仰いで共有設定の実験を始める。

21/11/25(木)
天理へ向かう女房の車に便乗して東寺林町あたりで降りる。今日も単独行で紅葉狩り。奈良ホテル敷地を突っ切り荒池を北に渡って浅茅が原から飛火野へ。





浅茅ケ原。片岡梅林を通り、鷺池、浮見堂を眺めて歩く。

この近辺では必ず見かける鹿たち。

春日野園地(飛火野)。中学生の遠足か修学旅行らしいグループ。

興福寺を抜けて今御門町から光明院町へ、餅飯殿センター街に出た。東向商店街のラーメン店「元喜神」で昼食。バスで帰途に。


桜、サクラ

2022年の春。近場の生活空間を越える〈遠出〉は、いよいよ少なくなっている。 COVID-19 のせいであり、身体の衰えのせいでもある。そのため花見は近場で済ませることになった。

22/03/27(日)
これが文句なしにいちばん近い桜。マンションのわが住居前の桜の木。二分咲きか三分咲きまで開花が進んできた。


22/03/29(火)
同じ桜を出窓から見たもの。
五分咲きくらいか。

22/03/30(水)

満開に近いか。


22/04/01(金)
これはもう満開だ。
バルコニーから写した。

22/04/04(月)
今春の花見で一番の〈遠出〉。とはいえ自宅から北へ車で10分たらず、木津川市、鹿川のほとりの花見にでかけた。鹿川は平城山丘陵に発し北流する小河川。しかがわ/ろくがわ、両方の読み方があるようだ。
木津川市中央体育館前の鹿川橋から北へ向かって歩く、山松川(平城ニュータウン朱雀4丁目あたりから北流する小河川)との合流地点に作られた「ふれあい広場」まで。広場にはソメイヨシノのほか、枝垂れ桜、八重桜もある。



22/04/12(火)
窓の外の桜は葉桜となった。

22/04/15(金)


マンション西側の遊歩道には枝垂れ桜がある。
枝の先は地面すれすれまで垂れ下がっている。


遊歩道からさらに西に足を延ばすと、特別養護老人ホーム「サンタマリア」、ここには八重桜が数本植わっている。
ここで車椅子を借りたことを思い出しました。私の母は1997年7月に亡くなったのだが、その年の初めに大阪から奈良に来て、10日ほど滞在したことがあった。車に乗せて近辺で買物したり東大寺まで足を延ばしたとき、足腰が弱っていた母のために「サンタマリア」で車椅子を借りたのでした。快く貸してくださいました。我が家はその前年に京都から奈良に移住してきたばかりだった。


さらに西に進む。朱雀2丁目の県立高校にもみごとな八重桜がある。ここは奈良の高校再編でこの3月、平城高校が42年の歴史に幕を閉じ、その校舎に奈良高校が移って来た。



校庭脇の階段を昇ってゆくと、手の届くところに枝が伸びてきている。この八重桜も美しい。

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八重桜といえば、
  いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな(伊勢大輔)
という『百人一首』の有名な歌が思い出される。

平安時代には京都では八重桜は珍しかったようだ。「八重桜は奈良の都のみありけるを、このごろぞ世に多くなりはべるなる」(徒然草139段)

私など、八重桜の種類を見分けることは到底できないが、「奈良の都のみにあった」という八重桜、ナラノヤエザクラという品種があるようだ。カスミザクラが重弁化したもの、とのこと。
ナラノヤエザクラ(奈良の八重桜)もしくはナラヤエザクラ(奈良八重桜)(学名: Prunus verecunda 'Antiqua')はサクラの栽培品種の一つ。オクヤマザクラ(カスミザクラ)の変種で、4月下旬から5月上旬に開花する八重桜である。他の桜に比べて開花が遅く、八重桜の中では小ぶりな花をつけるのが特徴である。(ウィキペディア)
奈良県ホームページの《天然記念物「知足院ナラノヤエザクラ」》によると、
大正11年に植物学の権威である三好学博士が、知足院の裏山崖の上に優雅な気品のある美しい八重桜が咲いているのを発見し、これこそが、古来から記録され、古歌に詠ぜられる八重桜に合致することを確認。
大正12年に文学上、歴史上、貴重なものとして国の天然記念物に指定された。
といういきさつがあるようだ。知足院は東大寺の最北端にある塔頭。
先日、たまたまラジオで桜研究家・浅利政俊氏のインタヴューを聞いた。浅利氏は北海道松前町を拠点に、交配によって現在までに100以上の栽培品種を作出してきた、八重桜を究めた大家である。明治維新以降ソメイヨシノばかりが植樹されてきたことを嘆かわしく思われて、あたらしい桜文化を広める活動に、90歳を越える高齢ながら、なお精力的に取り組んでいらっしゃるようだ。

大阪には「造幣局の桜通り抜け」という有名な花見行事がある。「通り抜け」は明治16年に開始したらしいが、造幣局のサイト《桜の通り抜けのデータ》を見ると、ここにも浅利政俊氏の作出したかなりの本数の八重桜が植えられている。多くは「松前***」という名称で、ほかに「暁鐘」、実生の中から選出した「紅華」もある。

これだけの業績を挙げた人物ながら「ウィキペディア」にはまだ浅利政俊のページは作られていない。《キューガーデン》などいくつかの項目の中で名前が出現するが。ウェブマガジン<カムイミンタラ KAMUI MINTARA>にも浅利氏の業績が紹介されている。これは1984年から2010年まで発行されてきたウェブマガジンのアーカイブ《カムイミンタラ》に残されている記事である。表紙から「北海道の桜」で検索すると、1998年の求める記事に行き着く。


夏は去り

この春は、なかなか遠出ができないので、自宅から車で10分たらず、鹿川と山松川の合流地点付近で、お花見を楽しんだことは前項で書いた。そのおり二つの小河川について、地図上で、あるいはネットの河川データで調べてみた。鹿川は平城山丘陵に発し、山松川は平城ニュータウン朱雀4丁目あたりから北流するとされている。

山松川については「奈良市朱雀付近に源を持つと思われるが、平城山を削って開発されたニュータウンのために詳細不明。北東流し、木津町相楽の皿池の西を過ぎ木津地区南西部を流れ、木津幼稚園付近で鹿川下流部左岸に注ぐ」との記述もある。特に下のサイトが参考になった。

 山松川 [8606040417]
 国土数値情報「河川データ」2006年〜2009年

山松川の「詳細不明」の源流とされる場所はわが住居からごく近くだ。左京三丁目のマンションの西側が少し低い谷となっていて、その緑地帯の中に、幅1~1.5メートル、深さ数十センチ、石積みの両岸で、底は玉砂利をコンクリートで固めた、人工的に作られた川が蛇行している。清楚なせせらぎであったはずだが、いまは雨でも降らないと枯れていることが多い。これが本来の姿でないことは言うまでもない。


[註]
朱雀と左京境界の古い地形図があった。ニュータウン造成以前、この境界はやはり低地になっていて、歌姫街道に沿った小河川が現在の山松川に切れ目なくつながっていた。その「源流」となると平城山丘陵のどこかであろうが、やはり詳細不明。手元に1922年、1947年、1967年の地形図のコピーがある。何からコピーしたのか記憶がないので転載は控える。
[註・続]コピー元を発見(2022.9.22)
大阪教育大学・社会科教育講座・地理学教室・山田地理研究室の「市町村別地形図空中写真」のページだった。「社会科あるいは地歴科の地理で行う身近な地域の学習などの教材としてご利用ください(2011/6/3公開開始)」との注記がある。
 市町村別地形図空中写真
ここに大阪府と奈良県の様々な地形図がリストアップされている。奈良県のトップ、「奈良市中部」で、例えば「2万5千分の1 地形図」「1960年代」をクリックすると、1967年の奈良市地図が表示される。地図上でカーソルのプラスマークをクリックすると、拡大地図が表示され、ニュータウン造成前の歌姫街道に沿って流れる小河川の状況が読み取れる。
このせせらぎと山松川とのつながりが気になって探索に出かけた。マンションの中央ステージから階段を降り緑地帯に出る。ほぼ南北に走る木津平城線を平城左京線が交差する地点の手前。ここで人工的なせせらぎが地下に潜ってゆく。

地上の交差点を斜めに渡って先ほどのせせらぎの延長を探す。付近で水面が地上に現れるところはなく、さまざまな雨水・下水の蓋が多数散在している。道路脇にある格子状の蓋の下に見える流れは、恐らくせせらぎの続きだろう。



数十メートル北へ歩くと、水面が地上に現れる(左写真)。ここからは鉄柵で仕切られて、いかにも農業用水という風情である。さらに北に進むと小さな建物が見える。水流を調整する機械の入った小屋だろう(右写真)。



さらに北に進むと、右岸に同じく水流を調整する小屋だろう、また小さな建物が見える。右に見えるのが皿池だ。この農業用ため池にはときどきカルガモが見かけられる。皿池の向こう、京奈和自動車道をくぐると、田畑の中を流れる平凡な小河川になり、合流地点に至る。



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22年4月28日
藤が見事だという噂を聞いて、夫婦で春日大社・萬葉植物園に出かけた。


多くの品種は残念ながら最盛期は過ぎていたが、まあ、美しかった。

そのあとカフェ・ショップ「鹿音(かおん)」で休憩。春日大社本殿、若宮へ足を延ばす。

22年5月31日
午後、バスで近鉄奈良、久し振りに奈良町を歩いた。見慣れぬ店舗がいくつか増えていた。



どの店も覗かず、すべて前を通り過ぎただけ。いつか改めて。

22年6月
ツバメがマンション通路の下に巣をつくった。通路の下には毎年のように何カ所か巣が作られるが、こんなに人に近いところは初めて。





22年6月8日
いつもの猿沢池の駐車場に車を置いて国立博物館。「大安寺のすべて」展を見る。
そのあと修復が始まった興福寺五重塔の横を通って駐車場に戻る。



22年7月
マンション横の電線にとまるヒヨドリ? ベランダから写す。ヒヨドリはセミを食べるとのことだが・・・



セミは、出窓の前の欅にも群生しているが、ほとんど毎日、出窓の網戸にとまる。ときには半日ほども滞在する。

22年7月某日


マンションから木津方面を見る。ときどき雲海が出現する。木津の向こうの、山城町、井手町、和束町あたりの上空と思われる。

22年9月10日
十五夜。テレビの朝のニュースでは夜は雨模様、月は雲の中か、と予報していたが、見事に外れ。煌々と輝く月が見えた。(左・ベランダ、右・出窓)



ただ、この日の昼間、近くの草原へススキを探して、例年採取する場所をずっと辿ったのだが、一本も見当たらず。最近、近辺で草刈りが行われていて、ここまで徹底したその仕事ぶりには舌を巻くほかなかった。

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四月の桜以降、またも COVID-19 新規感染者数が拡大し、また梅雨と盛夏が間を置かずに襲ってきて、こちらの体調の不良も続いて、外出が極端に減った。

五月になって、例年と同じく、ベランダのプランターにアサガオとゴーヤの種を撒いたが、異常気象のせいか、はなはだ生育が悪い。この月はまた、昨年末の白内障手術の延長戦のような、後始末のような手術のため、数回の通院。「眼瞼内反症」という診断だが、まぶたのたるみにより、下まつ毛が眼球に当たる、要するに加齢のための症状と言い渡される。五月末に術後診断と視力検査を受けて無事終了。

目は良くなったが、身体全体(筋肉、神経、頭脳)の衰えは隠しようもない。少し歩くと疲れ、足が上がらなくなり、心臓がパクパクする。椅子から立ち上がるとふらつき、片脚で立てない、まっすぐに進めない。つまづいて転倒しそうになる。転倒してしまう。物忘れがひどい。

昔からの習慣でスケジュール帳を作っているが、いまは通院の予定ばかり。月一回の内科検診、三カ月に一回の眼科、歯科。そしてワクチン追加接種。六月も七月も八月もフリーの外出といえばせいぜい月に一度か二度、奈良公園、奈良町を歩くだけ。あとは涼しい近所のスーパーマーケット、イオン・モールで過ごす。そんな怠惰な日々が続いているが、在宅中は種々の読書と気に入ったドイツ語小説の翻訳に励んでいる。昔日の研究の残り火を燃やして、記憶力の衰え、ことばの喪失と闘っている・・・のだが。


縮かむ生活

22/09/21(水)
前項は、4月から COVID-19 のため極端に外出機会が減ったことに触れ、中秋の名月(9月10日)の、自宅のベランダと窓越しからのの写真でもって区切りをつけたが、その後も外出は減る一方だ。市中を離れるのは月に一度あるかないか。


この日は秋の彼岸。久しぶりに奈良を離れる。大和路快速で天王寺、お寺参り。茶臼山から河底池、てんしばを歩く。



22/09/23(金)
秋分の日。雨。昼過ぎ、長男夫妻来る。昼食(押しずしなど)とおやつ(プリンなど)。




22/09/24(土)
長男夫妻から一日遅れで次男一家来る。まずは父と子供二人。母は仕事なので、遅れて登場する手筈。縄跳びや電車ごっこ、すべり台。



3時前から次男と子供たちは母親を迎えに。到着を待ってカレー・ライスと手羽先ローストなどの夕食。

22/09/29(木)
町中の散歩も少なくなった。この日は久しぶりに奈良町へ。例のごとく猿沢池近くの駐車場に車を置いて、散歩。「シャトードール もちいどの店」で昼食。ここは初めて。






22/10/15(土)
大仏さま秋の祭り。奈良県合唱連盟の選抜メンバー10名による「盧舎那仏讃歌」(大仏讃歌)の合唱を奉納。2021年はコロナ禍で中止になったので、二年ぶりとのこと。 2020年の記録は「この秋の奈良」にあります。この時は20名に人数を絞って実施、今回はさらに縮小したものの、歌うことはできたのですね。三年前までは百名くらいの大合唱だったようです。


盧舎那仏の左(向かって右)は如意輪観音菩薩坐像

22/10/19(水)
天気がいいので、昼からバスと電車で出かける。尼ヶ辻で降りて、宝来山古墳(垂仁天皇陵)周辺を散歩。久しぶりの一人歩きだった。




22/10/26(水)
最近開店した柏木町のモンベルへ。広い店内を1階、2階と見て、別棟のレストランに向かうが満員でパス。写真だけ撮っておく。



郡山イオンへ。「四六時中」で昼食、スーパーでハンドペーパーを探し、カルディで菓子などを買う。

22/11/05(土)
孫二人の七五三を祝う日。8時45分頃車で家を出る。9時過ぎ次男宅着、そちらの車に全員乗り、さらに妻の実家の両親を乗せて写真館スタジオへ。回転すし店で予約してあった大量の寿司を受け取って次男宅へ、昼食。1時半ころ車二台で御岳神社へ。参拝・祈祷を済ませて帰途に。




22/11/08(火)
夜、月食と惑星食。手持ちのオペラグラス程度の倍率では、さすがに天王星食は観測できず。





22/11/17(木)
天理病院へ行く女房殿の車に便乗して奈良町で降り、散歩。夕方、岡山商大時代に同じ下宿に住んでいた学生N君から電話、同じ下宿生のM君が5月に亡くなっていたとのこと。そのあと岡山市番町の下宿へ連絡すると、下宿の女将さんも9月にすい臓がんで亡くなっていたと重ねての電話。UやKは健在らしいがEは連絡がつかないとのこと。

22/11/19(土)
大和郡山市で女房殿の参加するコーラス団の発表会。「コール朱雀30周年記念コンサート」、会場「やまと郡山城ホール」は2001年竣工の立派な会館。



会館の駐車場は満車だったので、市立三の丸駐車場へ。こちらは昭和の建造物という雰囲気をプンプン発散していた!


22/11/25(金)
京都へ。大学独文専攻の四名による同窓会。三人はすでに到着していた。中華レストラン「維新號」でちょっと遅いランチ。16時過ぎに店を出て、東本願寺前の珈琲館。皆より先に抜け出して帰途に。

22/12/01(木)
独りで京都へ。丹波橋で近鉄から京阪に乗り換え祇園四条。高瀬川あたりから、錦市場、大丸へと歩く。道路を南へ横断する。



四条烏丸FTスクエア、四条通りから路地を南へ入ると、FTスクエアWESTとFTスクエアEASTに二棟のビルに分かれ、中間の「奥庭」の植栽が見事。



COCON KARASUMA このビルにはたいていは地下から出入りして、めったに外観を見たことが無かった。2021年の改装らしいのだが、不思議なファサードだ。(上の「秋深まる」に21年10月の写真があった!)
四条駅地下の星乃珈琲で軽い昼食。お土産に漢プリン(おとこぷりん)を買う。

22年12月
足温器と電気ストーブで書斎の暖房を始めたが、寒さが耐えられないので、3年振りにこたつを設置。下旬には寝室のオイルヒーターのタイマー設定、使用開始。寒さに耐えられなくなっている。早朝散歩も中断したまま。
恒例の年末大掃除、担当は照明器具、電気製品など。そこそこに手を抜いて済ませる。年の瀬が押し詰まって、長男からコロナ感染とのメール。次男妻の両親も。さらには大阪の兄嫁。

23/01/01(日)
七時過ぎ、初日の出をカメラに収めにゆく。







元日は長男・次男一家がそろう予定だったが、長男はコロナ感染のため、次男一家のみ。少し寂しい年初となった。二日は夫婦で興福寺南円堂へ初もうで。

23/01/10(火)
十日戎、春日大社駐車場に車を置いて、佐良気神社へ。例年より早い時間に来たためかかなりの行列。帰途、オランダ屋で昼食。




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四月の桜以降、またも COVID-19 新規感染者数が拡大し、また梅雨と盛夏が間を置かずに襲ってきたり、体調の不良も続いて、出歩くことが極端に減った。
秋になっても、外出といえばせいぜいひと月かふた月に一度、奈良公園、奈良町を歩くだけ、あとは週に二、三回、エアコンの利いた近所のショッピング・モールで過ごす、そんな日々が続く。
年末には長男、年明けには次男がコロナ感染との連絡。

家にこもって何をしているか、何もしない、ぼうっと過ごしている、これでは最近あらわな記憶の喪失、失語症状が亢進するのみ、その進行にいささかでも抵抗するため、ドイツの短篇小説の翻訳を少しずつ続けている。訳文はMS・Wordで縦書きに仕上げ、ごく少数の人に読んでもらっている。プリントアウトして郵送するのは半世紀以上の長い付き合いの人だけ、それ以外の若い人にはファイル共有で。
作品の解説・解釈らしき駄文はサイト(HomePage)に発表している。

共有には GoogleDrive を利用しているが、これには「閲覧者」「閲覧者(コメント可)」「編集者」の3パターンがあり、「編集者」がデフォルトになっている。ビジネス文書の共同作成がこの装置の目的なので当然だろうが、私のように読んでもらうのが目的の場合、「閲覧者」に設定し直すことになる。

ただ「閲覧者」設定では、GoogleDrive 上のファイル本体の編集はできないが、閲覧する者がそれのダウンロードは自由にできることを畏友Y・Ⅰ・氏に指摘された。これでは何かの手違いで訳文が拡散する恐れが無いとは言えない。もうひと手間、デフォルトの「ダウンロード」「印刷」「コピー」の項目を表示するのチェックを外さねばならないと気づかされたのである。

これでとりあえずはOKである。ただし閲覧者が手元のパソコン画面をコピーしてOCRで文字に起こす、というファイル化の手段はあるが。