拾遺集(34) Aus meinem Papierkorb, Nr. 34チェス Das Schachspiel『チェス』はフリードリヒ・ゲオルク・ユンガー Friedrich Georg Jünger (1898-1977) の第三短篇集「十字路」(Kreuzwege, 1961) に収録された作品。前項で取り上げた表題作『十字路』と同様、これもかなりの長さがあり、ところどころで読解困難な箇所に突き当たるが、物語の時間はリニアに進行するので、まだ読み易いかも知れない。とはいえ、何者か得体の知れない人物が名前だけ、あるいは物語の現場にも登場して、やはり読者を惑わせるところがある。物語の舞台は、山岳地帯(ドイツ・アルプスだろうか?)にある中世あるいは近世に建てられた古い領主の宮殿で、近代に入って市民社会・産業時代と時代が変わり一時は見捨てられた存在だったが、近年観光地として賑わうにつれて修復された宮殿と、斜面を少し登ったところにある砦の廃墟も歴史遺産・観光資源として注目を浴びるようになっている。 この宮殿内をガイドに引率されて一群の人々が見学している場面から、物語が始まる。 先導のガイドは広間で立ち止まった。床中央に赤白の大理石の正方形が嵌め込まれていた。ヨーロッパの公園などではときどき縦横数メートルの市松模様のチェス盤があって、大きな駒で戦っている光景を見ることがある。この物語では場所は宮殿の広間で駒は人間だった。人間が駒になるチェス、"Lebendschach" (人間チェス)も昔から屋内屋外の様々な場所で行われていたようだ。 見学者の中の一人、若い女性のシルヴィアは、人間をチェスの駒に使うとは「品位を傷つけること、尊厳を損なうこと」と批判の言葉を口にするが、ガイドは性急な判定をたしなめ、歴史の現場を観て聞くために見学していると説明する。「このゲームは、チェスのゲームそれ自体は、象徴的ではなく、本来のものでした」と述べて説明を終えようとしたが、「その最後の言葉は何のことでしょうか?」と一人の男が、彼のグループのなかで〈教授〉と呼ばれていた人物が疑義を呈する。これに対して同じ見学者の一人ゲオルクが「象徴的でない」のは当然のことと口をはさんで、二人の間で議論が起きる。 「ゲームが象徴的にプレーされるなんてことが可能ですか」とゲオルクが答えた。「ゲームは終わりませんか、もし対戦者がゲームを別のものの象徴だと、本来とは違うものだと取ったりすれば?」いきなり面倒な議論である。「チェスのゲームそれ自体は象徴的ではない」、つまり駒が木や石で作られていようが人間であろうが、ゲームはゲームとして行われた。だがガイドはそこに「別のものが含まれていた」とも言う。すなわちゲームに参加できることは君主の恩寵を意味していた。ゲームの初めに盤上に配置されるチェスの駒の位階は廷臣・女官の恩寵の度合を反映した。そしてポーンは敵陣の端まで到達すれば変身する。この時こそ緊張が最も高まる、注目の瞬間となる。ナイト、ビショップ、ルーク、クィーンのいずれにも変身できるが、たいていは最も強力なクィーンに変身する。これに新しく選ばれる女官はだれか。これが「別のもの」、第二のゲームである。「第二のゲーム、愛のゲームも象徴的ではなく本来のものだということは申すまでも無いでしょう」とガイドは言う。 すべては、とゲオルクは思った、ゲームで、ゲームを越えて政治的な神学的な暗示にまで流れ込んでいるように思われる。そこには強制と自由の関係、指定と選択の関係が含まれている。我々は自分では動けない、盤上を何もわからないまま動かされる駒に定められていながら、同時にこの強制によらずに自分のゲームを進めているのか? (S.92)ここに物語の基底にあるテーマが語られているようだ。人間は大きな枠組み、本人が気づかない、あるいは気づいても抗いようのない枠組みの中で、自分の意思を通して生きている、その気でいるのだが、実態はどうなのか。 前項で取り上げた『十字路』に、次のような箇所があった。そこでは「像、フィギュア」について語られているが、「像」とはチェスの駒でもある。 語り手のガルは、女性二人のやり取りを聞くともなしに聞いている。というか、食事中なのに自分の思弁世界に入り込んでいて、ときおり二人の声が外から聞こえてくる、という状況らしい。いまは会話 Gespräch と像 Figuren について思いを巡らせている。会話はフィギュアを作り出し、会話が強い力と妙なる響を持つなら、そのフィギュアもより力強く響きの良いものとなる。フィギュアの位置と形が変わると、駒の動きは見えるがその隠れた意図が見通せないチェスの対局に似てくる。どうやらエリーゼはビリング医師について厳しい見方をし、それを直接言わないで、医師のイメージを攻撃することで自分の意図を表現している、とガルには思える。この「隠れた意図」と「駒の動き」は、ゲオルクの考える「強制と自由の関係、指定と選択の関係」とパラレルであろう。隠れた意図の持ち主、強制、指定するのは誰か、何者か? それは象徴を生じさせるものなのか? そう言えばゲーム理論(game theory, Spieltheorie)というものもあった。「社会や自然界における複数主体が関わる意思決定の問題や行動の相互依存的状況を数学的なモデルを用いて研究する学問である」(ウィキペディア)とされ、この理論の形成にはチェスも関りがあるようだが、ユンガーがこれに通じていたかどうかはわからない。チェスについては彼が相当の知識と技能を持っていたのは確かだ。ユンガーは少年時代、シュタインフーダー・メール西方の町レーブルクに住んでいたが、父がチェスの並外れた愛好家だった。 父は40歳から習い始め、プロの棋士たちを自宅に招き、その多くが数週間滞在した。父は年齢とともに理論研究に集中していった。フリードリヒ・ゲオルクも父に倣ってチェスを学んだ。上達は速かったが、時間を取られ過ぎることを恐れて深く極めるまでには至らなかった。この物語『チェス』で焦点となるのは人間を支配する二つの力である。強制と自由の関係、指定と選択。無意識と自我。象徴の問題もこれに含まれるだろう。「事物に<象徴>なるものを生じさせる無意識という未知の世界に、初めて解釈を与えたのがフロイトであった。そして、そのフロイトを越えて、ユングは、意識下に生まれたイメージに、深く精神にかかわる意味を見出し、その源をさぐって、神を希求する人間の心を浮き彫りにした」「象徴とは、人間の内面的な感情や思考が外面に投射されたときのイメージである」(ジェイナ・ガライ『シンボル・イメージ小事典』序文)とされる。象徴も事物と意識との間に生まれる。この問題の系列には、同一性(identity、Identität)、表象(representation、Vorstellung)も関わっているだろうが、深入りしないことにする。 この物語では軍事技術の争奪を巡るシュトラウスとセラフィーネなる人物が、それぞれ対立する力に動かされる存在として登場する。その二人に国家機密の防衛に当たるゴットハルトが絡むという構図だ。まさにスパイ小説である。 ここで登場人物を整理しておく; ゲオルクは物語の「語り手」に最も近い人物。まだ若い軍人であるらしく、休暇でこの山岳地帯を訪れている。詳しい身分・職掌は不明だが、軍トップの元帥に近づける地位にあるようだ。 初めから終わりまで読者の前に現れてくる若い娘シルヴィア。その父シュトラウスは工場長で兵器廠の所長、しょっちゅう新聞などに写真が載る、一般に知られている人物らしい。兵器廠の所長でありながら、兵器工場を運営する企業家でもあるという、このあたり国の軍事部門と軍需産業との関係がよくわからない。 そのシュトラウスに近づいてくる美女、年齢は三十歳過ぎらしいセラフィーネ、実は敵の諜報機関の女エージェントである。 宮殿見学の一行には入っていなかったが、同じ宿所でゲオルクの部屋と共通のテラスにいたゴットハルト、敵のたくらみを察知して、それを阻止するためこの山岳地帯で網を張る、防諜機関のボスである。 このあとのストーリー展開をごく簡単にたどると; 見学者のひとり、セラフィーネがシルヴィアの父に、「二つのゲームを同時にプレーすることなんかできるのでしょうか?」と話しかけて近づく。シュトラウスは彼女の色香に惑わされ、夕食に誘う。食事の時になって、何も聞かされていなかった娘シルヴィアは父の振舞いに驚き、むっつり黙りこくって食事は進む。シュトラウスはメインディッシュを終えて、テーブルの空気がいよいよ気づまりになった時間に、シャンパンを注文し、昼間の宮殿見学で顔見知りになったゲオルクを探してテーブルに連れてくる。そして娘とゲオルクをそこに残してセラフィーネとともに自室に移る。そのあとシュトラウスが美女セラフィーネに薬で眠らされ、身に着けていた大切な品物を奪われるのである。 ここからゴットハルトとその部下の活躍が詳しく描写され、物語は一気にサスペンスに満ちたスパイ小説に変わっていく。敵の諜報機関が送りこんできた車を捕捉、セラフィーネとの連携を絶つ。そうしておいてゴットハルトは単身、武器も持たず彼女の部屋に押し入る、その顔を見て侵入者が誰かわかった女エージェントは完全に戦意喪失、シュトラウスから奪った電子兵器を素直に差し出す。他の持ち物を調べるためにセラフィーネに裸になるよう命じる。「ゴットハルトは彼女から目を離さなかった。彼は彼女を見ていて、見ていなかった。彼の厳しい禁欲的な視線は彼女を見るのと椅子やテーブルを見るのと異なるところはなかった」のだ。 セラフィーネが差し出したものは「形がウニの骨格に似たものだった。ウニの半球には突起の連なりが走り、放射状にシンメトリカルな秩序を見せているように、それには放射状に光る金属の突起」があった。表面に銀の帯が一本通っていて、そこには目盛りが付けられていた。小さな時計がこの金属の物体に組み込まれていると見て取って、ボタンを見つけ押すと、かすかな鼓動が聞こえた。ガイガー計数管を取り出し、ウニに結びつけると、パリパリと鳴る音がすぐに生じた。 このレ・ウンダ・ガンマ(*)と称する小さなウニは強力な道具だった。これは道具なのかあるいは機械なのか? 正確にはどちらでもないし、統合したものでもない、というのもかつて存した差異は、自動制御される新しい機器類においては失われたからだ。明らかにその名前は意図的に選ばれたものだ、なぜなら構造の一部はベータを受けついでいるからだ。原子兵器の貯蔵所に進路を向け、空間的に固定することは、ベータで最初に成功した。このスパイ電波を探す防御装置は、費用がかかるだけでなく、役に立たないと証明された、なぜというにまずはシェード自体の位置が探知され、次いで増幅器によって打ち抜かれたからだ。ベータはその価値を保持し、コントロールとストックの探査を可能にする。ガンマは比較にならないほど多くを約束した、単に位置測定、探り出し、継続的な制御だけでなく、ストックの破壊すらも。(S.118f.)こう描写される機器については、モデルがあるのか無いのか、わからない。その詳細に立ち入る必要は無いだろう。ここではゴットハルトの反応に注目すべきである。「明らかに、いま手のひらにある半球は、鋭い洞察と精密さの驚くべき作品で、それを見て覚えた喜びと熱狂は、小鳥や花を見て呼び起こされる喜びとは比較にならないほど強かった。「自然」――引用符の中に置かれて――それは彼の内に嘲笑的な反応を引き起こすだけの言葉だ。その法則性を模倣し利用することだけが彼の自然とのつきあいだった」(S.118)と、彼が徹底的に自然を失った近代人として描かれている。 ゴットハルトは美女の裸身に関心がないだけでなく、そもそも「自然」なるものに無関心な人間であった。それに対してシュトラウスは色欲と利殖に突き進む産業資本家の典型として描かれている。ここまでくれば両者は、機械人間と企業家を戯画化したものとすら見える。以下は、二人の対決場面である。 「あなたは知っているだろう、ここで起きたこと、どうなるのかを。ここの芝居全部があなたによって演出されたのか?」思想も性格も異なるが、機密を守らねばならない、という点では同じだ。シュトラウスも、利得のことを考慮すれば、不愉快ながらゴットハルトと同じ結論に至った。彼の知性はきっちりと計算できたし、あらゆる合理的思考に備わる冷静さを持っていた。 彼の経験に依れば、発明家はみな空腹なところがある;彼の周りを蚊のように飛び回る空腹なインテリの群れに、彼はほとんど注意を払わず、資金提供者の熟慮した厳しさでもって扱った。レ・ウンダには長い、費用の掛かった前史があった、それは近接起爆装置つき弾丸にまで遡ることができた。榴弾に組み込まれたマイクロ波送信機が電磁波を発し、その電波が硬い物質に当たって反射するのを微小な受信機で受信された;この過程が榴弾を爆発させるのに用いられた。これをきっかけに、作業上さまざまな方向が考量された。発明という観点ではシュトラウスは誰にも明かすことのない意見を持っていた、発明の特許を取り、生産し、需要のある所へ販売することより合理的なことはないだろう。発明が何かの役に立てば、儲かるだけでなく、急速な需要を生み出すだろう。これを秘密にしようと思うのは、無駄な思惑だろう。あらゆる発明には時がある、それはみずから利益を上げ損なうことになりがちなもので、用いられないままの時間は利益を減少させる。(S.129f.)この〈スパイ小説〉の登場人物はみな、何かに動かされる〈チェスの駒〉であるかのように見える。シュトラウスは近代産業の、セラフィーネは諜報機関の、ゴットハルトは自然を失った近代人のフィギュアだ。そうしてみると他の登場人物も、〈教授〉は学問の、シルヴィアは近代ヒューマニズムのフィギュアに見えないだろうか。ゲオルクは物語の「語り手」に最も近い人物で人間らしい人間として動かされている。いずれも作者が動かす駒ではないか。この物語の「隠れた意図」と「駒の動き」は、畢竟この物語の作者ユンガーと登場人物たちの関係だ、というなんだか間の抜けた話になりかねない。もう一度読み直した方がいいかな。 事件の翌日、ゲオルクが山歩きに出発するため宿所を出ようとしていると、シルヴィアも姿を現し、車に同乗させてほしいと頼む。ゲオルクが車ではない、徒歩旅行だと言うと、それでも「私を連れて行ってくださいません?」と願う。もちろんゲオルクは断る。父親のもとを離れるのではなく、父親と折り合うようにと助言し、物売りの老婆からワインと青いイチジク(**)を買っていたので、「イチジクをお食べなさい」と青い果物を一つ差し出した。 「私、これは好きではありません;私には甘過ぎます」残されたシルヴィアは、「少々の甘味は害になりません」と呟き、これは自分に向けて言われたものだと理解した。「他に身の置き場が無いなら、自分はあの父親の娘なのだ」と自らに言い聞かせ、父親のもとに帰るところで物語は終わる。シルヴィアは「アイデンティティの追求=自分探し」に区切りをつけたのだろう。 [使用テキスト: Friedrich Georg Jünger: Werke. Erzählungen 3 (Klett-Cotta, Zweite Auflage, 2004) S.88-133] ルシタニアの夜 Lusiadische Nachtこの作品も前2稿で紹介した『十字路』、『チェス』と同じく第三短篇集「十字路」(Kreuzwege, 1961) に収録されているが、前2篇と異なりごく短いものである。作中に漂う雰囲気もまったく異なっている。冒頭、このように始まる。領事は親切だった。ドロレスを領事室に招き入れ、コーヒーを運ばせ、ビザは午後に発行すると約束した。彼のポルトガル語は一点のかげりもなく純正で、植民地訛りがなかった。領事が語る言葉には次第に弱まり遠ざかってゆく妙なる響きがあり、耳を傾けていると、ルシタニアのさまざまな記憶が彼女の中に浮かび上がってきた。何がこの記憶を呼び起こすのか、言葉で言うのは難しかった。彼女が思い浮かべた詩人と同じく、彼はインド洋航海者の末裔でありえた。場面は領事の執務室。領事館の所在地は、どこと特定はできないものの、ポルトガルの植民地のいずこかであろう。領事の言葉に耳を傾けながらドロレスが思い浮かべた詩人とは、ポルトガルの国民的叙事詩『ウズ・ルジアダス』の作者ルイス・デ・カモンイスのこと。ユンガーが用いる「ルジアードの」lusiadisch という形容詞は普通のドイツ語辞書には載っていない。原題 ≫Os Lusíadas≪ から、あるいは最初の独訳(1806年)以来踏襲されている独語タイトル "Die Lusiaden" から派生させたものだろう。だが英語などで用いられるラテン語表記 Lusitania の方が通りがいいので、ここではこちらを用いる。「ルシタニア」はイベリア半島西部の古代のローマ領の名で、ポルトガルの古称として用いられる。 [註記]『ウズ・ルジアダス』≫Os Lusiadas≪ の作者、ルイス・ヴァス・デ・カモンイス Luís Vaz de Camões (ca.1524-1580) は、ポルトガル史上最大の詩人とされる人物である。その作品はホメーロス、ヴェルギリウス、ダンテなどの古典叙事詩と比較される。領事の純正なポルトガル語を聞きつつ、彼はインド洋航海者の末裔でありえた、とドロレスは思う。「インド洋航海者」とは叙事詩『ウズ・ルジアダス』で描かれたヴァスコ・ダ・ガマなど大航海時代のポルトガルの冒険家たちを指す。ドロレスの心に浮かぶ「ルシタニアのさまざまな記憶」とは『ルジアダス』の物語なのか、遠い祖国のことなのか、それともまた彼女がこの植民地で過ごした時間のことか。その地を今夜、船で離れるのである。 物語の場所と時間を絞り込むのは難しい。ポルトガルの植民地はほとんどが大航海時代に獲得された。主なものはアフリカ海岸、インド、中国、そして南アメリカにあった。大使館でも書店でもコーヒーが供されるが、コーヒー豆はほとんどの植民地で栽培された。この物語に通奏低音のように流れる『ウズ・ルジアダス』の強い印象から言うと、ここはインドのゴアかカルカッタか、それともスマトラ、ジャワ、モルッカといった島嶼の港か。ドロレスは領事の勧めで公園と書店で最後の時間を過ごすことにするが、公園は「熱帯の庭園」で、ヤシの木々、ハイビスカスとランの花が強烈な色彩と香りを放っている。ツタ植物がアーチを作っている。ヘビがいる。人の噂では「ときどきジャガー Jaguar が森から公園へ」やって来ることもある、という。ジャガーが生息するのは南米大陸だろうか。「黒いハゲタカ(ハゲワシ)」schwarze Geier も登場するが、これは属・種がわからなければ場所の特定に資することはない。 時代も特定できない。彼女が乗る船は蒸気船 Dampfer である。ヴァスコ・ダ・ガマの時代はもちろん帆船であった。人々が蒸気船で旅行したのは、すなわち蒸気船が貨客船として一般的だったのは、18世紀末以降のこと、そして遠距離移動の手段が空路となる20世紀半ばまでのことだろう。書店での場面で、『ルジアダス』の貴重な一六六九年版、という話題があって、古典のテキストが重んじられるのはそんなに古い時代ではないとも思われる。大使館やホテルの雇員、公園の園丁、書店の女店員の描かれ方から、そんなに新しい時代でもない、それやこれやで19世紀後半から世紀転換期のころと受け取っておくのが順当か。 ドロレスがまず出かけた公園で木立のアーチの下のベンチで休んでいると、ツタの枝垂れと見紛うヘビが迫ってきて、そこで働く園丁の一人が彼女の頭上、刃物でヘビの首を切り落とすという怖い思いをする。早々に公園を逃げ出し、書店へ向かう。ここでは若い女店員たちのドロレスに対する態度があまりに馴れ馴れしく、異様な雰囲気、ここまでくると異次元の世界である。 書店で彼女は、訪れたすべての建物でそうであったようにコーヒーが出され、それは香りが高く強くて、味はいいのだが不安を高める飲み物だった。書店員さんたちがなんと青白いことかと気づいた。愛くるしい少女たちが彼女を取り巻き、書物を彼女の椅子にまで持って来て、挿絵を見せるためにページを開くのだった。ほっそりと背の高いイネスが、驚いたことに『ルジアダス』のテキストを持ってやってきた;それは詩節にバレトの論証のついた貴重な一六六九年版だった。ドロレスはそれを開き、素晴らしい詩人がキューピッドの作業場を描写している一節を読んだ。詩行には引用されている詩句「鉄に焼入れするのに使う水は/不幸な恋人たちの涙」は、最後に紹介される『ウズ・ルジアダス』第9歌、31節中の二行である。キューピッドがニンフの情熱を燃え上がらせるため胸に矢を射る、その矢尻に焼を入れるとき、恋人たちの涙を使うという。ドロレスがその先を読もうにも女店員たちがぐいぐい大胆に迫って来るので、娘たちの熱でお手上げになるのである。»As águas onde os ferros temperavam,とあって、ここでキューピッドの武器は不幸な愛の涙で鋭くされる、と詩人は言っていて、それは彼女の心に迫るもの、彼女にため息をつかせるものだった。(S.82f.) インコのように書店の娘たちは彼女の方に身を傾け、彼女に話しかけてくる。しなやかなイザベルは、ミルクコーヒーの肌をしていたが、覆いかぶさってきたので、ドロレスは彼女の丸い立派な胸のふくらみを肩に感じた。若い抒情詩人マリア・ダ・グロリアは、その最初の詩が季刊雑誌に掲載されていて、ドロレスを目を輝かせて見た。彼女の口は半ば開いていて、雪のように白い歯を見せていた。植物エキスとパウダーの強い香りが娘たちから立ち昇っていた。(S.83)「インコ」と訳した Sittchen はインコとオウムを含む属名で、Wellensittich ならセキセイ・インコである。この場の客と店員との関係は尋常でない。娘たちは人馴れした小鳥のように寄ってくるのである。女店員の中に若い詩人もいる。名はマリア・ダ・グロリア Maria da Glória とされるが不詳。アイルランド系ポルトガル人の作家・文筆家 Maria O'Neill の家族に Maria da Glória Vahia de Barros de Castro (1905 - aft.1989) なる人物がいる。またポルトガル女王マリア2世 (1819-1853) も Maria da Glória で始まる長々しい名前である。 若い女店員たちのこの異様な生態は、否応なく『ウズ・ルジアダス』の第9歌にある「歓楽の島」を想起させる。叙事詩の方では、ヴァスコ・ダ・ガマの一行がインドから帰途に就いた時、彼らの功績と労苦に報いるため、ルシタニアの人々を守護する役目をジュピター(ゼウス)神から託されていたヴィーナスが、海洋の島々から一つを選んでニンフたちに接待させる、その島である。 筆者はポルトガル語は不案内なので、以下の邦訳、独訳、英訳を参考に紹介する;植民地の書店も、こうしたインド航海者の「歓楽の島」のミニチュア版のよう。語り手はそれを「キューピッドの作業場」と呼ぶ。もちろん『ウズ・ルジアダス』からの連想だろう。 その間に炎暑がどんどん強まり、女たちの肉体の殺到がドロレスには煩わしくなり始めた。取り囲んでくる娘たちの熱意は、それは同時に嘆きであり、そして密かに浸食する不機嫌、豊満さで和らぐのではなく増大する不機嫌だと思われた。彼女は公園の繁茂を思わずにはいられなかった。ふいと立ちあがって、別れを告げた。そうすると澄んだ響きの良い声がさらにまた沸き起こった;キス、抱擁、涙なしでは済まされなかった。キューピッドの作業場はいたる所にある、ここにもあった、しかしここの小さな神はそれをぞんざいに扱ったように見えた。優しさが、間違った場所でほとばしり出ると、疲れさせるものとなった。(S.83f.)ここでは『ウズ・ルジアダス』のニンフたちとは異なる、娘たちの「熱気と、密かに浸食する不機嫌」がある。ドロレスは書店を後にし、暑熱の中をホテルに戻る。途中、町から人影が無くなっていた。ホテルに辿り着いても、門衛もメードの姿も無かった。 彼女は鍵のボードから自室の鍵を取りエレベーターで昇り、眼までひりひりするほど汗まみれになって、部屋に入った。すぐさま服を脱ぎ、浴室に入ってシャワーの栓をひねった。肌に涼しさは感じなかった;水はパイプのなかで生暖かくなっていて、部屋中を歩いて湿り気を蒸発させて、ようやく涼しくなった。窓の日除けを少し引いて、まばゆい屋外を覗き見た時、向かいの建物の平らな屋根に黒いハゲタカがまるで一対の立像のように真昼の炎暑の中に立っていた。苛々して彼女は鳥から目を逸らし、通りを見下ろした。まるで町は死んだようだ、と思った。彼女は素裸だったが、そのままベッドに横になり、すぐさま深い眠りに落ちた。まるで一つの石ころのように、測りがたい深みに落ち込んでいくようだった、黒い輪の連なりを通って、そこでは意識はすべて溺れ死んだ。(S.84)意識はすべて溺れ死んだ、と。意識を失うときの描写として、「闇の中に落ちていった」というのは一般的によく用いられる表現。だが、「黒い輪の連なり」を通るとは? 真昼の炎暑がなお去らない中、ドロレスはビザを受け取りに領事館に赴いた。そう遠い距離ではなかったが、熱い照り返しの道を一歩一歩苦しい足取りで進んだ。ところが領事館の建物は扉が閉まっている。呼び鈴を激しく鳴らすと、上の窓から黒人の館員が顔を出したので、「開けて!」と怒りを込めて叫んだが、彼は指を一本口に立て、首を振った。そしてすぐに身体を引っ込め、窓の鎧戸を閉じた。彼女は途方に暮れたが、あの親切な領事はビザを港の事務所に送ってくれたのだ、と考えて港への道をとった。 蒸気船はすでに埠頭に横付けになっていた。遠くから煙突が高く港の塀を越えているのが見えた。船会社の事務所のある係船ドックに近づくと、海とタールと腐敗した果実の匂いが漂っていた。驚いたことに、ドック入口の鉄の門が閉じられている。彼女は少し戻って海沿いに歩いた、青く輝く海面が静かに広がっていた。大きな白いカモメが一羽、甲高く鳴きながら海上を飛んでいた。カモメの鳴き声は人の声を思わせた。私はどこに行くのだろう、とドロレスは思った。目の前に雪のように白い帆のヨットが停泊していて、近づいて行くと、誰かが合図を送っているのが見えた。それが領事だとわかり、ほとんど至福に近い安らぎがこみ上げてきた。 「これは一体どうしたのでしょうか?」とドロレスは尋ねた。彼は答えず耳を澄ましているように見えた。大気はとつぜん鈍い爆発音で裂かれた;砦の大砲が火を噴いていた。彼女は振り返って、丘を見上げた。火薬の噴煙が高みに漂っていた。そしてそのとき、巨大な黄色い旗がへんぽんと翻っていたのを見て死ぬほど驚いた。「いい風はやって来た、それと共に夜が訪れた」が物語の幕切れの一行である。さてヨットはどちらに向かうのか。道路には人影がなく、ホテルといい、大使館といい、港の様子といい、領事その人の振舞いも尋常でない。ドロレスのみならず読者も「これは一体どうしたことか?」と思わされる。そしてとつぜんの鈍い爆発音、火薬の噴煙。丘の上の「巨大な黄色い旗」とは何を意味する? 植民地に暴動が起きた?ドロレスは領事の「ルシタニア風の横顔」を見た、「ヘンリクに似ていた」と。二人はどこへ行く? [註記]ドロレスの亡き夫の名ヘンリク Henrik は、ポルトガル語ではエンリケ Henrique であろう。そしてエンリケと言えば、エンリケ航海王子 (Infante Dom Henrique de Avis, O Navegador) を想起するのではないだろうか。大航海時代の幕を開いた英雄と讃えられている王子についてはこのサイトで取り上げた(「エンリケ伝説」)ことがある。この物語は、領事の話す純正なポルトガル語の響きが「ルシタニアのさまざまな記憶」をドロレスの心に浮かび上がらせた、と言うところから始まり、その後に生起する出来事は現実の光景のようであり、彼女の記憶の世界に侵入してくる幻像のようでもある。物語の最後で、彼女は領事の風貌は亡き夫と似ていた、と言う。ドロレスにとってルシタニアの回想は、亡き夫の記憶であり領事はその回帰だったのかと、とってつけた解釈が浮かんでくる。 だが、そんな想像がちらつくのも、この時期のユンガーは「回想、回帰」Erinnerung, Wiederkehr の問題に思考をこらしていたからだ。1957年には「記憶と回想」Gedächtnis und Erinnerung というエッセイ集が出ているし、本作の含まれる第三短篇集「十字路」の4年後には第四短篇集「回帰」(Wiederkehr, 1965) が発表されている。『記憶と回想』の「帰還としての回帰の知覚」という項目で、こう論じている。 すべて考えたことは回帰するものである;これは思い出したことにも妥当する。しかし回帰には、考えたことと思い出したことを区別するよう我々に教示する違いがある。前半部分の最後で、書店からホテルへ戻ってベッドに倒れ込んだドロレスは「まるで一つの石ころのように、測りがたい深みに落ち込んでいくようだった、黒い輪の連なりを通って、意識はすべて溺れ死んだ」とあったが、黒い輪の連なりはニーチェの「永劫回帰」と結びつくのかと考えてしまう。輪 Ring という語はニーチェの《回帰の輪》"Ring der Wiederkunft" の教説を想起させるからである(ユンガーは戦後すぐの1949年に『ニーチェ』と題するエッセイを著している)。また彼がしばしば体験するデジャヴュ déjà vu もこれと関わるのかと考えたりする。 [註記]ユンガーとニーチェ思想との関連については「クジャク Die Pfauen」において少し詳しく触れました。物語の幕が降りた後、最後に、『ウズ・ルジアダス』第9歌、31節が引用される。 Nas frágoas imortais onde forjavam大意を記せば以下のようになるか; キューピッドたちが鋭い矢尻を黄色い旗とは? 植民地に何が起きた? ヨットを用意していた領事は、ドロレスを待って脱出したのか? ヨットはどちらに向かうのか? 前方には何がある? 二人は結ばれる? 周囲の出来事は二人には無縁のことと無視していい? この短篇の文体にはふわふわと流れる浮遊感があり、読後もしばし揺蕩う夢の世界が続く。ドロレスと領事は波間に漂い、読者は疑問符が浮き沈みする波に漂う。 [使用テキスト: Friedrich Georg Jünger: Werke. Erzählungen 3 (Klett-Cotta, Zweite Auflage, 2004) S.80-87] 最初の短篇集 Der erste Ezrählbandここ数回、第三短篇集「十字路」(Kreuzwege, 1961) に収録された作品を続けて読んできた。今回はさかのぼって初期短篇集に収められた作品を取り上げる。四つの短篇集を残したユンガーの第一短篇集は「ダルマチアの夜」(Dalmatinische Nacht, 1950) である。表題作の『ダルマチアの夜』については、ずいぶん昔のことになるが2010年にこの場で(「黒いゼニアオイ」参照)触れたことがある。夏にお勧めのドイツの小説は? というテーマでシュトルム『雨の精』(Theodor Storm: Die Regentrude)、ハイゼ『ララビアータ』(Paul Heyse: L'Arrabiata)を挙げた後、ユンガーの『ダルマチアの夜』と、『休暇』(第二短篇集所収)『黒いゼニアオイ』(第四短篇集所収)について簡単に紹介した。F・G・ユンガーは詩と評論で文筆活動をスタートし、短篇作家としてはやや遅い出発となった。第二次大戦後にようやく最初の短篇集が出版された。その収録作品は Laura; Der Sekretär; Der Wechsel; Felizitas; Dalmatinische Nacht; Beluga; Major Dobsa; Zwischen Mauern の8作。このうち、『ラウラ』と『フェリチタス』は昨年(1920年)にこのサイトで(「ラウラ」「フェリチタス」参照)紹介した。今回はここでは未紹介の『町役人』Der Sekretär と『約束手形』Der Wechsel を中心に、改めて『ラウラ』、『フェリチタス』、『ダルマチアの夜』にも目を配りつつユンガーの短篇小説の作風、特色といったものを探ってゆきたい。 『ラウラ』はユンガーの最初の、唯一戦前に発表された短篇作品であった。発表誌は「ノイエ・ルントシャウ」 (Die neue Rundschau, 1939) で、これが戦後の第一短篇集の巻頭に収録された。そして後に、生前最後に刊行された短篇選集にも再録し、そのタイトルに採用している。ここには「ダルマチアの夜」の8作のほか、4つの短篇集には含まれていない Der Hund; Der Blumenstrauß; Das Osterei; Ein Wiedersehn; Der Bettler の5作(*) が加えられている。「ラウラ」をタイトルにしたのは巻頭作品だからか、思い入れの深い作品だったのか、ともかく読者の印象に残る短篇となっている。 ユンガーの二つ目の短篇『ダルマチアの夜』は、『ラウラ』から10年後、悲惨な戦争が終わって間もなく ≫Story≪(**) という月刊雑誌に発表された。そして翌年に刊行された第一短篇集にこれがタイトル作として収録されたのである。その他の作品はこの短篇集が初出と思われる。 『町役人』Der Sekretär 第一短篇集「ダルマチアの夜」には長さも趣向もさまざまの8作品が収められている。『町役人』は『フェリチタス』と並んで、ごく短い短篇で、地方の小さな町の役所の、地位も容姿も冴えない事務官の物語である。 この人物は、もうずっと以前に亡くなったが、町の役所の事務官だった。彼が生まれ、育ち、死んだ小さな町は二枚貝か巻貝の殻のようで、彼がそこから出ることはなかった。結婚することもなかった。朝早く役場の仕事部屋に出勤して働き、午後遅く退出する。生涯にわたって申請書に向き合い書式に記入する。語り手の「私」はこの役人と役所の外で二度会ったことがあり、いずれも散歩の途中だった。一度目は、ある夏の夕べ、カラマツで覆われた低地の森でのこと。道がカーブするところで、前を行く役人に気付いた。遠目にも「ある種のぎこちない急ぎ具合と短足による小刻みの歩きぶり」で彼だとわかった。しばらく並んで歩いて、役人はカシの木の前で立ち止まった。ここはいまは寂れた光景だが、昔は「木の側にベンチがあって、ライラックやジャスミンの茂みで囲まれて」いたと説明する。恋人たちのランデブーの場所だったのではと「私」が問うと、仰せの通り、暖かい夜でここに一組のペアもいないことはほとんどなかったが、今ではまったく見なくなった。「いまは書類に残っているだけです」 書類に残っているだけ、と妙な言い方なので「私」が問い返すと、「私は町の福祉担当職員ですから、非嫡出子も扱っているのです。書類を読むと、それらの子供の多くがこの場所で生じているのです」とのこと。「私は笑い出さずにいられず、彼も共に微笑んだ」というエピソード。 もう一度の出会いは、ある冬の日のことで、「私」が町はずれの畑地をぶらぶら歩いていたときだった。辺りには丘、小さな森、畑があり、弱い風が上空で雲をなびかせ、冷たい霧の中から葉を落とした裸のポプラが影のように浮かび上がる。そこはかつて処刑場があった場所だった。そこで、やはり散歩の途中の彼と出会った。人々はここは幽霊が徘徊すると信じて、暗くなってから丘の上へ登ってくる人はいなくなった、と彼は言う。「だが死者が何をするというのでしょう。我々は何も恐れる必要はない」と。雪が降り始めた、濃密に、いよいよ濃密に、そして二人はしばし黙りこくって町へ向かった。その道すがら、役人はとつとつと語る。 「雪の降る時窓辺に立って雪片を見ていると、しばしば一つずつの雪片に狙いをつけて、地面か木に落ちるまで目で追ったものです。初め、どうして自分はそんなことをするのか、その雪片をそんなに注意深く追跡するのか、わかりませんでした。おそらく自分以外のどの人間も見なかった何かを見ることが喜びであり、雪片の場合それは確実なことでした。また石やら花やら一枚一枚の木の葉にも、自分はこれを見た唯一の人間ではないかと考えました。しかしそこにはいつも何がしかの不確実さが残り、不安を感じたのです」この短篇の末尾にこうある。「私」が森を散歩していると、かつて彼と出会った森の道の曲がり角で、彼が出現するかのような気がする。「そして彼が何十年にもわたってこの景色のなかで繰り返してきた散歩はすべて、一つの輪を描いていたのだと気づいた。何度も何度も彼は町の周りを回って歩いた。この円をずっと繰り返した。どこへ? 何のために? 誰がそれに答えられよう」 『約束手形』Der Wechsel ライプチヒで大学近くの小さな書店を経営する「私」が物語の主人公。ある日ふと訪れてきたリングフィンガー博士がリトグラフ、タイポグラフィ、アナスタチック=リプリント法、製紙技術、冶金学に関する本など次々に注文し、最良の顧客の一人となる。付き合いが深まり、博士の行きつけのバーへ同道するようになる。バーの主はシュパニエ、その妻コーラと店を経営している。「私」はこの「コンパスで描かれたような、顔の表情、身体の動き、見事に均衡がとれていて、すべてが純粋に軽やかに釣り合って」いるコーラにぞっこん惚れこんでしまうのである。 ある夜のこと、店には「私」とコーラが二人だけだった。「私」はふんだんに飲み、そろそろ出ようとしていたところ、彼女が部屋でもう一杯コーヒーはいかがと誘ってきた。二人きりの空間で、「コーラは私の前に、高価で華やかな銀色の緞子で身を包んで立っていた。そしてまるで銀色のきらきら光る外皮から、金属のほのかに光る覆いから抜け出すように、着衣から抜け出た。ただ一つの動作で衣服を脱いだようで、身体を震わせ、ほとんど素裸で」そこに立っていた。このあとシュパニエとリングフィンガー博士が上がってくる。「私」は「何事も無かった素振りをするのが面倒だと思った。人生の何もかもが面倒に思われた、とりわけ他人との関係」が。そしてこの場でシュパニエの用意した紙片にサインする。 手形取引などとは一切無縁に過ごしてきた「私」は保証人になっていた。そして「厄災がまるで突然の土砂降りのように」降りかかってきた。「店を、本を、貯蓄を失い、身ぐるみ剥ぎとられ、ことの次第に気付いたときは、すでに乞食となって」いた。茫然自失の状態で街を歩く。娼婦の誘いに応じて店に上がり、さらに気持ちが沈んだ。少し明るい道に出ると広告柱があり、「贋金犯 手配書」のポスターの人相書がシュパニエとコーラだった。次の朝、「私」は警察に出頭した。面談した警部は黙って話を聞いた。警部はリングフィンガーに関心を示すが、住所も知らないと言うと「私」の申し立てを疑う。逮捕されていたシュパニエ夫妻がその場に連れて来られた。夫妻はリングフィンガーなどという人物はまったく知らないと白々しく言う。とどのつまり警察では「私」はまともに相手にされない。 ある夜、行く当てもなく「私」はライプチヒ中央駅の待合室のベンチに座り込んでいた。その空間は旅行者で溢れ返っていて、揃いも揃って草臥れ果て、疲労困憊の様子。「この世に、待合室以上にひどい場所があり得るだろうか、人間が家畜のように群がって、どうやって屠殺されるかを待っているこの場よりも?」と考える。その時、だしぬけに不思議な人物が登場する。 突如、体の片側に強い衝撃を受け、向き直ると横に見知らぬ人間が腰掛け、にやにや笑ってこちらを見ていた。私は腹を立てて、その楽しげな眼差しの赤ら顔の年齢の解らない男を検分した、一昔前のエレガントを示す裁断と生地ながら、いまやぼろぼろにくたびれた服を着ていた。謎の人物が消えたあと不思議なことが起こる。足元の床に革製のカバンがあることに気付き、人目に立たないように拾い上げ、急いで駅を離れる。バッグを開いて見ると、中身は大量の紙幣であった、そして、その金額が、なぜか「私」が損失した金額とほぼ一致していた。手提げバッグを破棄する前にしっかりと検めてみると補助ポケットから名刺が出てきて、飾ったイタリック体の文字で記されていた名前は、誰あろう「アレクサンダー・リングフィンガー博士」だった。 不思議な出来事だ。このバッグがリングフィンガー博士のものだとすれば、なぜ待合室の床に放置されていたのか。本人が置き忘れたのか、第三者が盗んだものか、先ほどの謎の男は関係するのか? この短篇では dunkel 「暗い、はっきりしない」という形容詞が多用されている、ここもはっきりしない経緯だ。このように、失った損失を回復する結末は、まさに「デウス・エクス・マキナ」というほかないが、結末のフレーズを見ると、読者だけではなく、「私」にとっても釈然としない物語であるようだ。 何と言うことだ? 私が拾った金は、明らかに私の金であった。だがそれで何もはっきりしたわけではない。それまでの不快感も無くならず、それは改めてまたやってきた。誰かが私を弄んだのだ、という印象を持った。そして出現したこのデウス・エクス・マキナの現れ方が気に入らなかった。さまざまな奇妙な考えが浮かんでは消え、夜じゅう私を眠らせなかった。そして翌日町を離れた。新しい書店を開く気はなかった、読んだことのない本を他人に勧める気にはもはやなれなかったからだ。実直な書店主が手形にサインさせられ、全財産を失うという、その犯行の中心となったリングフィンガー博士、不思議な造形である。年齢は四十前後、さっそうとした身なりで、「どこか新鮮な純粋さといった風があり、極上のシャツのみならず、柔らかでほとんどバラ色の肌と、ブルーのくっきりとした眼がこうした印象を呼び起こした。この眼の放つ視線はとても印象的なものだった」と描写される。買い上げた本が示す幅広い知への関心、それが後になってすべて偽札づくりと関係していたらしいとわかる。 リングフィンガーの幅広い知識、物の見方の鋭さ、新しい面を見出す観察眼に「私」が感心すると、「どうしてそんなことに驚くのですか? 興味があればごくわずかな動きも見逃さないし、誰かが何のために動いているかに注意すれば、その動きを決めるハンドルを手にすることになるのです。すべてが手段となります。そして手段と目的の結果こそが動きに他なりません」 と言う箇所がある。これは犯行の企画・実行をあらかじめ解説しているかのようだ。 謎とサスペンスに満ちたこの作品はミステリーか。ハラハラさせられるスリラーではあるが、一般のエンターテインメントのジャンルには収まりきらないのではないか。《機械仕掛けの神》deus ex machina の扱いといい、ファンタジーに傾いた、あるいはシュールなと言うべきか、不思議な犯罪小説である。 ユンガーの初期の短篇は、彼の当時のエッセイや評論で示された問題意識、戦中から戦後にかけて考察を進めていた産業化・工業化批判、機械文明批判、市民社会批判(***)の延長上にあるようだ。文明の直線的な進歩などはまやかしに他ならなかった。人々は現実世界を自分で動かしているつもりでいるが、実は機械に動かされている、これがユンガーの市民社会批判の根幹と思われる。 『ラウラ』では、「薄気味悪い感情、ある恐怖にとらえられる」風景が語られている。すでに最初の短篇から、ユンガーの短篇作品を通奏低音のように流れている fremd なもの unheimlich なものが存在する。自然の風景だけでなく、現実社会、市民生活の真っ只中に「すべてのものが fremd になる、非現実の感情」がある。こうした心象風景には戦場で生死の境をさまい、荒廃した風景の中で親しい (heimisch) もの、自分の根拠がすべて失われた体験が潜んでいるだろう。 それが短篇作品では現実世界のただ中にファンタスティックな幻想世界が出現したり、両世界の交渉・対立という構図になったりする。第一短編小説集の二年後に出版された第二の短編小説集「クジャクとそのほかの物語」(Die Pfauen und andere Erzählungen, 1952) の表題作『クジャク』(「クジャク」参照)の舞台は、戦争のさ中、ある庭園で高齢の老人が肘掛椅子に座ったままひっそりと死んでゆく物語だ。椅子に座ってクジャクを眺めながら回想にふける彼の心に映像として浮かぶのは昔の庭と昔の女性ルチア。老人は二つの庭、二つの時間・場所を往還する。ここでは「記憶」が拡大し異形の広がりを見せて、そちら側に時間があるらしく見える。 初期の短篇群には、当時ユンガーが深く考察を巡らし、独自の解釈を施したニーチェの思想(****) が見え隠れする。あらゆる価値の転換、永劫回帰、時間経過の円環性が形象化されている。『町役人』では、役所の冴えない事務官が「何十年にもわたってこの景色のなかで繰り返してきた散歩はすべて、一つの輪を描いていた」のである。そしてまた散歩の途中、「私」が生前の村役人と出会ったのが、かつての若者の密会場所と処刑場跡、すなわち人間が生を享けた場所と生を失った場所で、ここからも円環が浮かんでこないだろうか。 [使用テキスト: Friedrich Georg Jünger: Werke. Erzählungen 1 (Klett-Cotta, Zweite Auflage, 2004) S.35-57] ドブシャ少佐 Major Dobsaドイツとロシアの戦争が勃発する直前のこと、シュテファン・フォン・イェンチィはブダペストへ帰ってきた。そのとき四十五歳で、長らく暮らしたアメリカを後にしてきたのだった。ブダペストに帰り着いて思い出したのは、第一次大戦時のハンガリー軍の古い戦友たちの中でオイゲン・チキィ将軍がおそらく最も声望があった、ということ。この将軍を訪ねるしかないと決意して出かけて行き、面会を許され入室すると、昔の友人は地図を壁紙のように張り巡らせた広い部屋で、手を後ろに組み行ったり来たりしていた。(S.132)前回はユンガーが短篇作家としてとして出発した第一短篇集「ダルマチアの夜」(Dalmatinische Nacht, 1950) から、『町役人』Der Sekretärと『約束手形』Der Wechsel を中心に紹介した。今回は同じ短篇集から『ドブシャ少佐』を読んでゆく。これは風変わりな短篇だ。ハンガリーの三人の士官が主たる登場人物。この三人、上に名前の出た Stefan von Jenczy と Eugen Csiky と、少し後に登場するタイトル・ロールの Moritz Dobsa は第一次大戦時のハンガリー軍の古い戦友で、ファーストネームで呼び合う間柄である。 [註]ハンガリー語の読み方:物語の幕開きはドイツとロシアの戦争が勃発する直前に設定される。その時期の東欧とハンガリーの位置づけなど、いくつか歴史上の出来事と時代背景を知っておくことが、この不思議な作品の読解に役立つだろう。 三人が士官として従軍し、友情を結んだ第一次世界大戦は、1914年、オーストリアのフランツ・フェルディナント大公が暗殺されたサラエボ事件をきっかけに、オーストリア=ハンガリーがセルビアに宣戦布告(7月28日)して始まった。汎スラヴ主義運動の高まりの中でロシアがセルビア側についてオーストリアと開戦したので、ドイツがロシアに宣戦布告(8月1日)、こうして三国同盟(独墺伊)と三国協商(英仏露)の対立関係から連鎖的に参戦国が増え、主要な欧州列強が全て参戦することになった。 [註]オーストリア=ハンガリー帝国とは:『ドブシャ少佐』の時代はその第一次世界大戦から二十年以上後のことになる。シュテファン・フォン・イェンチィは長らく暮らしたアメリカからブダペストへ帰ってきた。祖国を取り巻く緊迫した情勢を受けてのことだろう。ハンガリー軍の古い戦友たちの中で声望があって、いまは将軍として師団の司令官となっているオイゲン・チキィの許を訪ね、自分が働くことのできるポストを求めて話し合い、戦車による偵察任務を与えられる。 この話し合いから相当時間が経過した。戦争が勃発し、戦車が配置につき、ロシアの奥深くまで侵攻した。一年近くが過ぎた。師団の被った損害は大きかったが、戦闘のこの時期はすでに過去のものとなっていた。どんどん速いテンポでロシア軍は前戦から引いて行った。彼らは巨大な地域を明け渡して退いた、退くのがあまりに速くて戦車ですら追いつけないほどだった。(S.133)「戦争が勃発し」とあるのは物語冒頭で言及された「ドイツとロシアの戦争」で、1941年6月22日、ドイツが、北はフィンランド、南は黒海に至る線から、イタリア、ハンガリー、ルーマニア等、他の枢軸国と共に約300万の大軍で対ソ侵攻作戦(バルバロッサ作戦 Unternehmen Barbarossa)を開始したことを指すのであろう。 (https://en.wikipedia.org/wiki/Operation_Barbarossa#/) Erich Marcks (1891-1944) は東方作戦の責任者としてヒトラーの企図したソビエト侵攻計画の最初のプランを作成した。(https://de.wikipedia.org/wiki/Erich_Marcks_(General)) 開戦(1941年6月22日のことだろう)から一年近くが過ぎたころ、イェンチィはチキィに呼ばれ、森林地帯への偵察行を命じられる。上図の作戦プランによると、ハンガリーから「第16軍」がキエフ方面へ進軍する計画なので、おそらくウクライナ領内を東方へ向かう途次のことであろう。当時、ウクライナはソビエト連邦の支配下にあった。そこは広い森林地帯で原生林ばかりではなく木材を取るための植林地が点在している。ここに「数千にのぼるパルティザン」が潜んでいた。 司令部でイェンチィに地図を示し、ハンガリーの国土より広い地域を指さしながら、鉛筆と巻き尺を手にしてチキィは説明する。 「ここはすべてが森だ。ロシア軍は、確認したところ、この森の領域から撤退した。いまは後方にいるが森の中にパルティザンを残している」[中略]部隊を進めるための斥候の役割を果たせということだろう、そうとう危険な偵察行になると予想される。戦車の座席は四つある、運転士と通信士の席の他に一つ空きがあるので、司令官の許可を得て同行者を伴うことにした。誰が良いかと考えていると、友人のモーリッツ・ドブシャの姿が目に入った。チキィ将軍と同様、第一次世界大戦時の戦友で、現役を続けていたためか、階級はイェンチィより上の少佐になっている。これこそ適材の人物だと思った、怖いもの知らずだし、気の合う男でもあった。 前席には左に電信技士バルトーク、右に運転士ブライナーが座っていた。後席左にイェンチィ、右はドブシャだ。午後のまだ三時ころ。雲一つない青空が広がる暑い夏の日だった。車両は簡素な防御装置を備え、乗員は機関銃を携行していた。運転士は三十キロのスピードで森の中へ入って行った。車中の四人はひたすら前の道だけに注意を払っていた。すぐ側面に迫っている森の壁の向こうに何が潜んでいるかは車からはちっとも見えなかった、木立のはじは藪が密生していたからだ。年経た太い幹の喬木が藪を見下ろすようにそびえているところでも、木々の間をこちらから見通すことはできなかった。いま走っているところは入念に規則正しく植林された森ではなかった。古い原生林で、広い範囲にまで勝手に広がっているのだった。木の種類は様々だったが針葉樹が優勢であった。ところどころ道の両側に巨大なカシの木が立っていた。(S.135f.)四人の男は気を張り詰め、地雷が埋められた可能性がないか、新しく穴が掘られた痕跡がないか、戦車の細い覗き窓から道に目を凝らして進んだ。だが針金とか木のバリケードはなく、パルティザンにも出会わず、一切の人跡はなかった。 森は完全に手つかずで、無人に思われた。陽光は道を越えて斜めに森に射し込み、緑の影となって消えていた。ときどきキツツキかハトが道の上を飛ぶだけだったが、ただ一度、イェンチィは水のたまった窪みに大きな青く光るヘビがくねくねと泳いでいるのを目にした。行程の中間点、後から部隊が進軍してくる地点に達し、さらに先へと進む。古い伐採地の傍らを過ぎ、針葉樹の区画を通った。ついに墓地が付属する村が現れた、少し大きい伐採地にある森の村だった。まだすっかり無人というのではなく、小屋から住人が姿を現した、ほとんどが若い娘か婦人と老人であった、男たちは召集されていたのだ。墓石と十字架の間に腰を下ろし、ワインと肉の食事をとる。ものも言わないモーリッツに「どうして静かなのだ?」と声をかけると、 「静かだって?」と少佐は言った。彼は身震いした、悪寒が走ったのだ。そして「この森は大きすぎる、シュテファン」と言った。「こんな大きな森はまだ見たことがない。太陽はなんと美しいことか。土に埋もれかかった墓石の荒れ果てたこの墓地、ここはあまりいい休息地ではないかもしれないが、光りの中にある、明るい、ここで私は息がつける、周りを見渡せる。森の中では気持ちが締め付けられた」再び森が彼らを迎えた。真っ暗な夜道を引き返す途次、イェンチィは襲い来る眠気と戦っている。そのときドブシャ少佐が声をかけてきた。戦車の進路が間違っていると言い張るのだ。イェンチィは外の景色を確認し、間違っていないと答える。しかしドブシャ少佐は、これは来た道ではない、運転士ブライナーは進路を間違っていると言い募る。 イェンチィは第一次大戦のおり、イェンチィ、チキィ、ドブシャの部隊が揃って連隊からはぐれたエピソードを持ち出す。あの日、ドニェストルの支流であったが、三人の士官がどの方角に進むか進路について、激しい口論となったが、最後にはイェンチィの意見に従って行動し、無事連隊に合流できた。「もし君たちの意見に従っていたら、どこへ行ったことだろう? きょう引き返したら辿り着くだろうところ、ロシア人のいるところだ。モーリッツ、私は決して間違うことのない方向感覚を持っている。これは生まれつきのもので誤ることがない」 [註]ドニェストルとピアーヴェ:その話を持ち出しても、ドブシャは納得しない。「じゃあ、引き返す気がないというのか。私が命令したとしても引き返さないのか?」とまで言う。イェンチィは「将軍から指令を受けたのは私だ、これを変えられるのはチキィだけだ。君は私より階級は上だが、いまは私の随伴者に過ぎない。引き返さない、まっすぐ進む」と言い切る。 このやり取りがあって長い沈黙がきた。そのあと、「少し尋ねたいことがある」と少佐は言った。まだ言うのかとイェンチィはうんざりしたが、ドブシャが持ち出したのは思いもかけない芝居の話だった。《アウトワード・バウンド》という芝居を見たかと尋ねるのであった。ドブシャはブダペストで、イェンチィはニューヨークで見ている。芝居の筋書きを覚えているかと問われて、イェンチィはよく覚えていると、筋書きのあらましを語る。幕が開くと舞台は、酒場、客でいっぱいになってくる。バーテンダー、ウェイトレスが歌うと、そのリフレインを皆が声をそろえて歌う。そして次第にこの陽気な人々すべて死者であることがはっきりしてくる。酒場は、海上をさまよう死者だけの船の中にあったのだった。死者の船、一種のさまよえるオランダ人(*)であった。 なぜこの芝居の話を持ち出したのかと尋ねると、ドブシャは言う。 「我々も同じ状況にあるということだ。われわれも死んでいる、われわれは《アウトワード・バウンド》なのだ。君は信じようとしないだろう、シュテファン、だがな、ちょっとやってみればわかる、ブライナー運転士の肩を触ってみるだけでいい。そうすればそこには肩はない、空気を掴んでいることに気付くことになる。そうすればわれわれは死者によって運ばれていることに気付く」 (S.141)イェンチィはあっけに取られて、言葉も出ない。ただ一刻も早くこの偵察行が終わって欲しかった。どうして人間がこれほど唐突に気がふれるのか? この行程で彼を不安にさせたものは何なんだろう? 確信が失われたのか? 確信というのは、優越した力の庇護のもとにあると感じている人間の沈黙に裏付けられて生まれるのだ。自分の生き方にも、無思慮な放埓ではなく、これといえる根拠が無くそれゆえに壊れない信頼というものがあった。ブライナーはおとなしい、信頼のおける優れた運転士で、よき夫、よき父であった。 しかしどうして、とイェンチィは自問した、何もかも数え上げるのだ、どうして私はこれらのデータを列挙しようとするのだ、なぜいまブライナーのことを考えるのだ? こんなデータは単なる心証、作りごとの逃げ道だ。どうしてブライナーの肩を触らないのだ? どうして彼と私を隔てるこの短い距離を手で測って、彼が本当に血と肉から成る存在か、影かを確かめることができないのだ? そうした動きをすることが恥ずかしいのか、無駄な笑うべきことだから? いや、私は幻影に負けているのだ。この幻影が私の想像力の戯れなのか、私自身がその幻影なのか、もうそれすらわからない。動こう手を伸ばそうと努力した、だができなかった。いまは大きな汗の粒が額に浮かぶのを感じた;次々と、冷え冷えと戦慄がよぎった。そして突如、理性などは薄っぺらな脆弱なもろいものだと思い知った。自分の直下に、少しの隔たりもなく何か恐ろしいものが潜んでいて、解き放されるときをうかがっている、と分かった。隣で沈黙している友人から、冷気と闇が発していた。(S.143)やがて中間地点で師団の前哨部隊に行き逢って戦車は停止した。少佐は車を降り、すぐに道路の草の生えた斜面に身を投げた。イェンチィが身を屈めて懐中電灯で顔を照らして見ると、友人は深い眠りに落ちていた。翌朝早くドブシャ少佐に出会って、「君はまだ《アウトワード・バウンド》かい?」と尋ねると、話はまったく通じない。昨日の帰途のことだ、というと「帰りは私はずっと寝ていたろう?」と、「そして君は夢を見ていたのだ」と少佐は笑うのだった。 それから一週間後、新たな偵察から戻ってきて報告に上がったイェンチィは、ドブシャ少佐の戦車は被弾して火災を起こし、「あいつは跡形もなく燃えてしまった」と司令官から伝えられる。 悲劇的な結末だ。さてさて読者はこの結末をすんなり受け入れることができるだろうか。戦場の物語とはいえ突然の、不意打ちの出来事だ。あえて言えばこれも一種のデウス・エクス・マキナ、無理やりに物語を収束させたのでは、と疑いたくなるのではないか。 読者が物語の結末に違和感を覚えるとすれば、『ドブシャ少佐』の物語構成に重要な役割を果たす《アウトワード・バウンド》なる芝居の取り上げ方、筋書きの説明にも――ことにこの芝居を実際に見た者は――違和感を覚えるのではないか。これをドブシャはブダペストで、イェンチィはニューヨークで観たと語られるように、この演劇はおよそ例のない異様な設定とスリリングな展開で大評判となり、欧米各地で繰り返し上演(**)されたようだ。 今回、『ドブシャ少佐』を本稿で取り上げるにあたって、《アウトワード・バウンド》についてネット上でいろいろ調べてみた。するとこの演劇の台本はいくつかのヴァージョンが残っていて復刻再版もされていることが判明した。その中から私が取り寄せたのは1934年の SAMUEL FRENCH 社刊本(***)の復刻版だ。台本には初演の際の9名の配役が記されたあとに、3幕それぞれの書割が記されている。 第一幕、開幕シーンは朝、ラウンジに Ann が登場し、船室がわからなくなったと、バーでグラスを洗っている Scrubby に尋ねるところから始まる。Scrubby はバーの給仕だけでなく、船客の様々な注文に応える人物である。Ann が方角を確認した後、デッキで海を見ていた Henry に、こちらよと声をかける。彼が入ってきて船室係にあいさつし、二人が去った後 Mr. Prior が登場する・・・といった導入だ。 この Mr. Prior は悩み多く酒におぼれた若者、次に姿を見せる Mrs. Cliveden-Banks は上品ぶったマダム、そして若い聖職者の Duke、ロンドンの下町のおかみさん Mrs. Midgett、ビジネスマンの Mr. Lingley が登場してきて、こうした登場人物たちの言動が次第にちぐはぐな雰囲気をかもし出してくる。他の船客とは没交渉に過ごす若いカップル Ann と Henry の会話から二人は自殺していたことがわかる。たまたま二人の会話を耳にした Mr. Prior は船客がみな死者だと気づき、Scrubby に「我々はどこへ向かっているのか?」と尋ねると、「天国です、そして地獄です。同じ場所ですから」との答え。これが第一幕の幕切れである。 第二幕は同じ日の夜。船は出帆している。ディナーが終わった時間。ラウンジには電灯が灯っていて、時々開閉されるドアから見える外は漆黒の闇。Mrs. Cliveden-Banks が Duke や Mrs. Midgett と言い争ったり、同船者たちが様々なやり取りをしているが、Ann と Henry はそれに交わろうとはせず別の場所にいる。そこへやってきた Mr. Prior は、自分たちはみな死んでいるのだと説得する。初めは誰も相手にしないが、自分たちの行き先が誰もわかっていない、船員の姿がない、船に明かりが灯っていないことを知らされ、そして Scrubby が淡々と述べる言葉で、自分たちが死者であることを、半信半疑ながら徐々に納得してゆく。 第三幕は六日ほど後、となっている。 第一場、午後 Mr. Lingley がミーティングを開こうと提起した。審判に対してどう振舞うかを話し合おうとの趣旨らしい。それぞれ意見を述べるが、Duke は助言を求められても死者たちのなかで聖職者はどう振舞えばいいかわからない、It's a strange business, this being dead と。Ann と Henry が最後に登場するが、意見を言うことはない。そこへ姿を見せた Scrubby は審問官はどんなお方だ? と尋ねられると He's the wind and the skies and the earth 人の心の良いところ、悪いところすべてお見通しだ、と答える。彼はもう五千回も人々をそこへ送り届けているのであった。陸地に到着し、はしけで審問官 Thomson が船に乗り込んでくる。まず Duke から、そして一人ひとり面談してゆく。 第二場、同じ日の夜、船は再び動いている。ラウンジでは船室係の Scrubby がバーのグラスを片付けている。客は Ann と Henry だけが残り、なぜ自分たちは審判を受けなかったのだろうといぶかっている。私たちはどこへ向かっているのかと Scrubby に尋ねると、「行って戻る、戻って行く」forwards and backwards, backwards and forwards との答え。生に対してもっと勇気を持つようにというはからいだ、と。Scrubby は繰り返し彼岸と此岸の half-ways を往復していると言う――ギリシャ神話のステュクスの渡し守カローン、あるいは仏典に言う三途の川の渡し守の役割か。この境遇を逃れる方途は無いという。だが若いカップルにはすごい結末が待っていた・・・ 台本を読んで驚きました。これが同じ芝居の話だろうか。台本の《アウトワード・バウンド》と、物語中で語られるその芝居とが同じものと思えるだろうか。場面が進むにつれて船客は全員死者であることがわかる、という基本の筋書きに違いはないが、幕開けはまったく別の芝居としか思えない。物語中、イェンチィの記憶で語られドブシャも肯定するオープニングを再度確認すると、こうである。二人の対話のその箇所をここに残らず引用する。 「幕が開く。舞台に酒場が見える。バーテンダーがテーブルの後ろに立っている。テーブルの前の高い椅子にはウェイトレスと客が何人か座っている。ウェイトレスはイブニングドレス、客はフロックコート。そうだったか?」幕が上がって舞台に酒場 Bar が見える、テーブルの後ろに立つ Scrubby(台本には「客船の船室係の通常の制服を着用」usual uniform of a ship's steward)をバーテンダー Mixer としている。高い椅子には若い娘たち die Mädchen と数人の客が座っている。「次第に客が増えてきて・・・歌も歌う。バーテンダーはある歌曲を歌い、若い娘たちが歌い・・・みんながその歌に和して歌う」という流れだと、「若い娘たち」は客を接待するウェイトレスのように受け取れる。しかし台本ではその類の女性は登場しない。そもそも舞台に登場する若い女性は Ann ひとりだけである。 同一の芝居とは思えないほどだが、これはどこに原因があるのだろうか。この物語のイェンチィとドブシャの記憶――それは即ち作者自身の記憶であろう――が不正確なのか、あるいは実際の上演台本に改変があったのか。いずれにせよ《アウトワード・バウンド》はトラジコメディーの色合いを持ちつつ、観る者を否応なく死と向き合わせる演劇だ。イェンチィは「ドイツとロシアの戦争が勃発する直前、四十五歳」とあるので、ハンガリーの三士官は作者フリードリヒ・ゲオルク・ユンガーと同世代であろう。二つの世界大戦を兵士・士官として、市民として経験し、死の諸相を見続けたユンガーは、つねに「自分の直下に何か恐ろしいものが潜んでいて、解き放されるときをうかがっている」気配を感じていて、彼には「行って戻る、戻って行く」世界に対して固有の見え方があるのだろうか。 [使用テキスト: Friedrich Georg Jünger: Werke. Erzählungen 1 (Klett-Cotta, Zweite Auflage, 2004) S.132-145] |