拾遺集(31) Aus meinem Papierkorb, Nr. 31ラウラ Lauraフリードリヒ・ゲオルク・ユンガー Friedrich Georg Jünger (1898-1977) は1939年に『ラウラ』というタイトルの短い物語を書いた。これは30を超える短篇小説を残した作者の初めての作品(*)で、ユンガーが本格的に短篇小説を書き始めるのは、このあと10年ほどしてからになる。『ラウラ』は1950年の最初の短編集「ダルマチアの夜」に収録された。詩集や評論は別として、ユンガーの著作は多くが第二次大戦後に出されていて、短編集も自伝的なエッセーもすべて戦後の出版である。物語はこう始まる。 風車と水車、採掘場とレンガ工場が、少年時代の私に格別な印象を与えた。そこに近づくと薄気味悪い感情に、何かの恐怖にとらえられ、どうしても振り払うことができなかった。それらはよそのもの、まったく馴染みない類のものであった。できるだけ避けて迂回して歩いた。しかし同時にそれは私の空想を刺激した。秘かな引力を私に及ぼしていたのだ。だからあたりの丘に立つ風車の回転をいくら長く眺めていても飽きることがなかった。石炭のように黒ずんだ羽根は不安げに休みなく回転していた。それは広く開けた天に鋭く突き立っていた。黙々と独りで動いている回転には何か私を驚かせるところがある。あたかも絶望した存在が腕を伸ばしたが、容赦なくまた地面に引き下ろされているかのようだった。この動きには寡黙な希望喪失があり、それが私の心をとらえた。ここは開けた草原で、あちらこちらに小高い丘があり風車がたっている。のどかな牧歌的な風景に思われるが、主人公の「私」が受ける印象は「薄気味悪い感情、何かの恐怖」ein unheimliches Gefühl, ein Grausen で、それらは「私」にとって「よそのもの、まったく馴染みないもの」fremd, ganz unvertraut fremd という。しかしながら「黙々と独りで動いている回転」には心が捉えられるというのである。 そして物語の舞台となるレンガ工場については、こう語られる。 採掘場とレンガ工場も私には風車と同じであった。レンガ工場を目にするときに覚える戦慄には、さらに、荒涼と救いの無さの感覚が付着している。これらの施設はたいていがとても醜悪で、バラック小屋が付属する洞穴でしかない。小屋たるや工場で作るレンガをモルタルで固めただけ、いかにも愛想のないものだった。しかし建物の醜悪さだけが私を戦慄させるのではなかった。レンガに空気をあてて乾かす、屋根のない長い乾燥場、ここに製品が積まれていないとき、一見して骸骨に見えた。それはロームに穿たれた深い穴で、底にはあちこちに暗く静まりかえった池が出来ていた、泥だけの岸を持つ人工の池。もちろんロームにはアンモナイト、ベレムナイト、さまざまな二枚貝などの化石があり、採集欲が掻き立てられるものだった。だけどもこうした池のなんと静かだったことか、死せる池だ。開けた草原に丘が点在し風車がたっている。その一角に工場がある。ここが物語の舞台となるレンガ工場 Ziegeleien だが、これを目にすると主人公の「私」は、風車から受ける薄気味悪い感情に加えて、さらに「荒涼と救いの無さの感覚」がまとわりついた戦慄を覚えるのである。ローム(粘土地)の土を掘り出し、固めてレンガを作る工場施設の「たいていがとても醜悪」だとしても、こうした風景から受ける「私」の印象はいささか過敏ではないだろうか。 作者ユンガーは少年時代、一時期はハノーファーという都会に住んだが、たいていは自然豊かな風景の中で過ごした。中でも彼の故郷というべき土地はシュタインフーダー・メール湖 Steinhuder Meer 近くの、太古の自然が残っているような地域であった。ハノーファーに根拠を置いていたユンガー一家は、1907年、そこを離れて湖畔の小村に移住し、学校の都合で少し遅れてフリードリヒ・ゲオルクも家族に合流した。ここで彼は原始の自然と、わずかに人の手の入った自然を味わい尽くすことになるのである。何百年も前からここでは燃料となる泥炭が採掘され、またドレーン、排水施設、排水溝を設置して農耕も行われた。 フリードリヒ・ゲオルクは兄エルンストとともにこの土地をくまなく探索した。自伝的エッセイ『緑の枝』(**)によると(「緑の枝 -3-」参照)、自分たち独自の地図を作成し、「発見簿」を拵えて、動植物、化石、昆虫、鳥、ヘビ、珍しい植物、そして小川、池、小石・砂の穴、石切り場、古木、藪、アシの茂み、泥炭採掘場などすべての探索記録を付けた。森の中で小さな洞窟を発見し、石筍を観察、またコウモリを探した。廃棄された炭鉱の坑道にも好奇心を掻き立てられ、迷わないようアリアドネの糸よろしくロープを繰りつつ迷宮に分け入った。さらには骨壺や墓を探して土を掘り、採掘場ではアンモナイト、貝、矢石、森林砂岩に恐竜の足跡を探した。(Grüne Zweige S.46-49) 『ラウラ』に描かれるような丘の上の風車はもちろん、レンガ工場ではないものの泥炭採掘場といったたぐいの風景はすでに見聞・体験して馴染みとなっていたはずである。それなのに、最初の小説で、丘に風車がたつ草原の一角にレンガ工場がある風景が、「不気味、見知らぬ」と描かれるのはなぜなのか。この極端な違いはどこから生じたのか。これは何を意味するのか。 『緑の枝』によると、第一次大戦が終わった後、ドイツの敗戦という事態を受けて、ユンガーの父は家と地所を売り払った。一家は長年住み慣れたシュタインフーダー・メール湖畔の町レーブルクを去り、ザクセンの小都市ライスニヒ Leisnig に移住した。フリードリヒ・ゲオルクは自分が「育った家、庭、風景」を失った。突如、すべてが失われたのである。残ったのはその記憶だけであった。自分の「すべての根が大地から引き抜かれたような」(Grüne Zweige S.214) 気持ちであったが、この感情は新しいものではなかった。すでに戦場で、士官候補生として数名の部下とともに、フランドルの戦線で生死の境をさまよったとき、荒廃した風景の中で、そのような感情が生まれ始めていたのだった。 ムルデ河畔のライスニヒという町の整った耕地や村の姿に接して、その風景に溶け込むことができなかったが、「匿名性という妙な魅力」 eigentümlicher Reiz des Inkognito (Grüne Zweige S.215) も感じられた。彼はその地で自分自身が「見知らぬもの」であった。それが心地よかった。「見知らぬ」fremd という言葉が新たなトーン、アクセントを持ち始めたのだ。(「緑の枝 -12-」参照) すべてが見知らぬものとなりうる。これは見知らぬ少女、見知らぬ花、見知らぬ家、と言ってみる。するとたちまち身中を消えがたい、謎めいた感覚が貫いた。この感覚がすべての知覚に加えられ、まるで山彦あるいは鐘の余韻のように、耳の中でなかなか消えなかった。いつもこの感覚は驚きを呼び起こした、慣れたもの・親しいものが消滅し、代わりに何か新規なものがその場を占めるからだ。明らかにこの感覚は心の深みに触れるものだった。その感覚の中で、ずっと無傷に持ち続けてきた所属の感情が損なわれた。敗戦後もしばらく軍務を続けて戦後処理にあたっていたが、やがて除隊して、将来の進路を決めなければならない時がきた。何をすべきかと考えても自分でこれと思うものは無かった。それで父の意向を忖度して法律家を目指すことに決め、ライプツィヒ大学の法学部に入学手続きを取った。選んだ分野、法律という学問には心から打ち込むことはできなかったが、講義はきちんと聴こうと決めていて、この決意を固く守った。 何回かの試験を経て、修習生として実習を重ね、新任法律家としての仕事に就いた。その仕事の内容も、彼にとっては疎遠で馴染めないものだった。司法の場、その拠点である裁判所が、ユンガーにはまったく非現実的な世界であった。 場所自体が仕事を難しくするのでなければ、手早く楽々とこなしたことだろう。そこは空想的な夢幻の場所であった。夢幻の場所は人の住まない荒地、もはや回転しない古びた水車があり、壊れた石に苔がむしているといった、そんな土地にあるとするのは誤りだ。夢幻の地は我々の大都会の真ん中に、多忙な活動の真っ只中にあり、ライプチヒの区裁判所は私にとって、これまで知った最も非現実的な場所の一つであった。すべてのものが疎遠になる、非現実の感情がそこで呼び起こされた。都会の市民生活の真っ只中に「すべてのものが fremd になる、非現実の感情」Das Gefühl der Irrealität, des Fremdwerdens aller Dinge がある、そうとしか感じられないユンガーは、自分は裁判官にも弁護士にも成れないと思い知り、ライプチヒを去ってベルリンに行く決意を固めた。 フリードリヒ・ゲオルク・ユンガーはいろいろな機会にロマン派の幻想作家ホフマンに触れているが、ずばり『E・T・A・ホフマン』 "E.T.A.Hoffmann" (***)というタイトルのエッセイがある。このテキストに直接に当たることはできないでいるが、最近入手したアンドレアス・ガイアーとウルリッヒ・フレッシュレの研究書(****)で内容が紹介されているのでそれを見てみよう。いずれによっても、このエッセイはホフマンの短篇を文学作品として論じるものではなく、ユンガーが当時考察を進めていた市民社会批判、産業化・工業化批判、機械文明批判の文脈でホフマンの童話・幻想物語を取り上げていることがわかる。フレッシュレによると、このエッセイでユンガーはロマン派の詩人ホフマンを、死に瀕している市民社会の現実を描き出した作家として見ている、という。(Fröschle, S.549-553) よく知られているように、ホフマンではほとんどの作品で現実世界と幻想世界との交渉・対立が描かれている。かつて人類は自然と調和して生きていたが、いまやその調和が失われ自然の言葉を理解できなくなっている、そうした現在の世界を描くのである。代表作と呼べるのが〈新しい時代のメールヘン〉なる副題を持つ『黄金の壺』であろう。主人公の大学生アンゼルムスは、副校長パウルマンとその娘ヴェロニカらと日々生活する現実世界から、文書保管顧問官リントホルストを通して火の精サラマンダーとゼルペンティーナの夢幻の世界に入り込む。アンゼルムスは現実と幻想の二つの世界を往還するようになり、最後はポエジーの国、アトランティスに入ることが許される。 二つの世界の対立という構図が、ユンガーの発想と響き合うところがあった。19世紀のホフマンは、現実の奥で四大の精霊(*****)が働く世界を童話・幻想小説として描く。現実世界の背後にポエジーの世界を想定、すなわち合理的認識が把握する世界像に対して、感性と憧憬が見る世界こそ真の世界とされる。20世紀のユンガーでは、人々は現実世界を自分で動かしているつもりでいるが、実は機械に動かされているとされる。これがユンガーの市民社会批判の根幹で、やがて彼の評論の代表作『技術の完成』Die Perfektion der Technik (1939 geschrieben, 1946 veröffentlicht) に結実するである。 ユンガーの二つの世界は(アンドレアス・ガイヤーによると)こう描かれている。市民階級は次第に衰弱してゆく過程で、精霊 Elementargeister を制御しているような相貌を見せる。精霊は『黄金の壺』のサラマンダーの王 Salamanderfürst が文書顧問官に成りすましたように、市民の衣装を着用することに順応してくる。こうして精霊は飼い馴らされたように思われるが、それは見せかけだけで、予測もつかない爆発が生じるにいたる。歯と爪で武装した実体が人間に襲い掛かり、一瞬にして、市民が影の下で生きていたこと、習慣が彼を欺いていたこと、「見かけの現実」Scheinwirklichkeit に信を置いていたことが明らかになる。かくしてホフマンの人物には「原始の完全状態」Zustand heidnischer Vollkommenheit があったが、「市民生活の完全なメカニズム」der vollkommenen Mechanik des bürgerlichen Lebens にはそれに相応するものが無くなった。この意味で市民社会の自然を喪失した精神が、原始の自然の精神性に向きあうのだ。市民社会の勝利は見かけだけのものに過ぎないことが明らかになる、と。(Geyer S.81-86) 法律家としての進路を放棄してベルリンに移ったユンガーは、その大都会の東地区で、これまで目にしたことのない人間の集団を見て、改めて fremd について深く感じるところがあった。わざわざ何度もアレキサンダー広場に出かけて、朝夕に行き交う労働者の群れの表情と動きを眺めたのである。『緑の枝』の続編にあたる回想記『年月の鏡』"Spiegel der Jahre. Erinnerungen" (1958) で、こう書いている。 休むことのない行進を見ていると、それが正確な時計に従っていることに気づいた。そしてそれが従属する力学に注意を引かれた。この忙し気な動きは何のためなのか? と自問した。いったいどこへ行き着くのか? そして、いかなる隠れた強大な力がこの無数の人々を動かしているのだろうか? 私は他者として、否、見えない者として歩き回っている、と考えて安んずることができた。なぜならここでこの瞬間に誰も個人の顔を見分けるに足るだけの時間と関心を自由にできるものはいないからだ。このように考えることで、われわれの独立性を増すことはできるが、自由を増すことはほとんどできない。人間と人間の見かけはもはや何の価値も有していなかった、冷たさと深い疎外感が動きの中に横たわっていた。そのとき私が長らく考え続けていた見知らぬものの姿が再び眼前に現れた。あたかも人間はこのごった返しの中に姿を現さざるを得ず、自らの動きを操っているのだと思われた。私は夢の町にいるような気がした。「深い疎外感」tiefe Entfremdung という。「よそもの」fremd にされた、という心象であろう。そして「見知らぬものの姿」die Gestalt des Fremden が浮かび上がってきたという。fremd とは 英 foreign に相当する形容詞で、fremde Länder「外国」とか fremde Sprachen「外国語」とか eine fremde Person「見知らぬ人物」のように用いる。述語としては Ich bin fremd in dieser Stadt. 「この町の者ではありません、この町のことはわかりません」とか Der Ausdruck kommt mir fremd vor.「この表現は妙なものに思える」のように使う。名詞化して Fremde「よそ者、外国人、異郷」 となり、また Fremdling「よそ者、外国人」という名詞も作られている。 A・ガイアーはこの短篇の fremd を、三つの相から分析している。『ラウラ』の「私」を支配する心象を巧みに整理し、説明していると思う。 この短篇で fremd なるものには少なくとも三つのヴァリエーションが絡み合ってある。一つは出来事の場面と基点としての不気味なレンガ工場。二つは語り手「私」にはそのメンタリティーがわからないイタリア人季節労働者。三つはここで形に現れる女性の不可解さ。まさにこれら fremd の三つの面に、我々はフリードリヒ・ゲオルク・ユンガーの作品で繰り返し出くわす。不気味な場所の fremd は子供の不安を呼び起こし、〈疎外〉の感覚を引き起こすことがある。見知らぬもの・理解不能のものの fremd はしだいに心の通うものになってくる。そして三つ目、女性なるものの fremd は、それは魅了し、イライラさせ、呪縛するものである。 ユンガーの短篇作品を通奏低音のように流れている fremd なもの、unheimlich なものが、最初の作品『ラウラ』からすでに顕著なのだ。この作品は、18歳の主人公「私」の、イタリアから来た労働者の娘、16歳のラウラと幼いジャコミーナの姉妹とのレンガ工場での出会いが発端で、「私」とラウラとの短い交流と、そしてあっけない別れの物語になっている。 しなやかで敏捷なラウラ、聞けばまもなく軽業師としてデビューする予定とのこと。二人は夜の真っ暗なレンガ工場で秘かに逢って親密な時間を過ごす。「レンガ工場の周囲を歩き回りながら、ここはこれまで自分にとっていかに不気味な場所だったことかと思った。そんな恐怖はもう覚えなかったが、いまだにそこが何もない空虚な場所、風景の中にぽっかり空いた穴と感じられた」(S.20) 二度目の夜のデートの際、かねてからラウラを熱烈に愛する、若いイタリア人労働者トマーゾが暗闇の中、足音を忍ばせ迫ってくる。その気配に感づいたラウラは、相手よりはるかに聴覚が鋭く身が軽いので、ここかしこから声をかけてトマーゾをからかう。 「ラウラ、どこにいるのだ」 呼びかけに返されたのは笑い声だけだった。いまは彼の足音も聞こえてきた、というのはもう暗闇を猫のように忍び歩くのはやめ、力の限り速く走っていたからだ。どれほど繊細で鋭い耳をラウラは持っていることだろう、私には聞こえない彼の忍び歩きを聞き取ったとは。それとも跡を付けてくると知っていたのだろうか。そんな考えは快いものではなく気が滅入って、刺すように私を苦しめ始めた。[中略]暗闇で何度か痛々しく物にぶつかりながらも、彼は走りに走り、また長い間沈黙を続けた。ついに身体を投げ出し、癇癪をおこしてレンガを叩きつけ、そして今度はありたけの罵り言葉を吐き出し、あたりにレンガを投げちらし、それが木造の乾燥場ですさまじい音を立てた。長く鈴を転がす笑い声が彼の受け取った答えだった。そして静まった。風車のある風景と薄気味悪いレンガ工場の描写、その中で繰り広げられる追跡と遁走。夜目がきいて身軽なラウラに暗闇の中で翻弄されるトマーゾの痛々しい絶望。その追跡劇に立ち会った「私」は、恋敵の痛めつけられる様子を、小気味よいとは受け取れなかった。「いまの場面はなにか自分の気持ちに逆らうものがあり、こらえることのできない悲しみに」(S.24) 満たされたのである。この場面における「私」の感情の急変には甚だしいところがある。続く物語の展開に、ここでは読者が fremd を覚えるのではないか。 真夜中のレンガ工場での、ラウラ追ってきたトマーゾに対する彼女の辛らつな振舞いを、主人公の「私」は度が過ぎると感じ、そのため二人は思わず喧嘩別れの状態になって、「私」は工場へは足を向けず、彼女と会わない日を送った。だが、その状態には一週間で耐えられなくなった。物語の結末は以下の通り。 一週間耐えたものの、ついに私は身も心もすべてがレンガ工場へと引き寄せられた。まだ朝なのに出かけ、ラウラを見ないうちは、彼女と和解しないうちはそこを離れないと誓った。私は、初めて彼女と言葉を交わした内庭が望める距離で、牧草地を長い間あちこち歩いた。だが彼女も彼女の妹も、それどころかそこで働く労働者の一人たりとも姿が見えない。ついにこの静けさが奇妙に思われて、私は内庭へ行き、乾燥場の横を通って工場主の事務所へ行った。そこに立っていると、工場主はちょうど出てきて尋ねるような眼でこちらを見た。「今日は仕事はないのですか」と彼に尋ねた。相手は煙突を指さした。そこで初めて煙が出ていないことに気づいた。「ああ、あのろくでなし、あのトマーゾめ」との「私」の叫び、これは二人の間を引き裂いたトマーゾへの憤怒でありながら、知らず知らずにラウラと自分自身への叫びでもあった。トマーゾの振舞い、ラウラの女心の謎、そして自分自身の感情の動き、これらすべて fremd なものへの痛苦の叫びなのであろう。 * "Laura" (1939) [in: Die neue Rundschau. 50. Jahrgang der freien Bühne] クジャク Die Pfauenフリードリヒ・ゲオルク・ユンガー Friedrich Georg Jünger (1898-1977) に「クジャクとそのほかの物語」(Die Pfauen und andere Erzählungen, 1952) という短編集がある。最初の短編集「ダルマチアの夜」(Dalmatinische Nacht, 1950) に続く第二の短編小説集である。表題作『クジャク』のほか、『アスパラガスの季節』『ボタン』『白ウサギ』『休暇』『とさか』など、ユンガーの短篇の様々な傾向を提示する10作品が収録されている。表題作『クジャク』Die Pfauen はストーリーに乏しい物語で、とある城館の庭園ですこぶる高齢の老人が肘掛椅子に座ったままひっそりと死んでゆく、主人公を巡る出来事としてはただそれだけである。老人は館の主で、庭園に多くのクジャクを飼っている。その地域は戦時下にあり、近辺ではどうやら敗色濃く退却してくる軍隊と避難民の行列が続き、遠くの砲声が次第に近く迫ってくる。この館も退却する軍隊の臨時の司令部となっている。そうした場所の数日間のお話である。 物語が生起する庭園はこう描かれる。 庭園は荒れ果てていた。周囲の高い塀はしっかりと残っている。というのは頑丈な石材が時の流れによく耐えたからで、幅広の天辺にはハシバミ、ニワトコ、野生のリラとキバナフジが茂っているのは、庭から伸びて行ったか鳥が種をまいたものだ。庭にまばらに生える古いオークが、小さな林を作ってたっぷりの光を通していた。ここかしこで薄暗くトウヒの小さな森ができていて、森と森の間に古い植え込みがあり、イトスギとクロベあるいはヒマラヤスギが残っていた。樹木のない地面もあって、そこは芝生が植えられていたが、手入れされずに伸び放題となっていた。通り道にも草が覆い茂っていた。小さな川が庭の片側の境界となっていたが、それはアシの茂る穏やかなせせらぎで、ここにもまた高い塀が走っていた。その石塀に穿たれたたった一つの小さな門はいつも閉じていて、茂みで覆われていた。大きな門は西側の道路に面してあった。 (S.107)物語の主要人物は、館の主の他に、やはり年老いた従僕と庭師の娘の、あわせて三人である。館主と従僕は古く長い召し抱えで、ほとんど一心同体と言えるほどの関係。主従はかつて若い時代、南の国に住んでいたらしく、その庭園でもクジャクを飼っていた。場面に登場する人物はこの三人以外に、仮の司令部の将校、それと末尾に姿を現すどうやら敵軍らしき二人の兵士のみ。作中に名前が与えられているのは従僕・アントンと、庭師の娘・テレーゼ、主の回想に現れる女性・ルチアの三人である。主人公は老人とか城主あるいは単に主と呼ばれるだけで、その名に触れることはない。 庭園に建つ城館は古びて広大である。そしてこの庭園に入る者は多数のクジャクがいることに驚かされる。藪の中、樹上、芝生の上、自由にふるまっている。冬でも雪を被りながら木の上で過ごして、朝になると地上に降りてくる。 冬が過ぎて、庭に明るい陽光が射すなか、老人は椅子に座っている。 肘掛椅子のそばには小さなテーブルがあって、上に葡萄酒の酒瓶、グラス、それに白パンの載った皿があった。彼はしばらく前から葡萄酒とパンだけで過ごしていて、ときおり一切れパンを千切って食べ、燃えるように赤い葡萄酒を一口飲んだ。またときおり草ぼうぼうの道を、青い上着の従僕が来て主人の方を眺めやった。従僕もまた大変な老齢で、ぎこちない足取りで慎重に庭園を横切ってきた。そして主人の前で立ち、しばらくの間二つめの椅子にゆったり腰かけ、主人を黙って見つめていた。というのは二人の老人はほとんど話をせず、多く話す必要もなかった。なぜなら二人は長年慣れ親しみ心を通わせて生きているからだ。(S.108)館内の臨時司令部のあわただしい動き、道路を過ぎる避難部隊の車両の騒音、遠くに赤く燃え上がる炎、そうしたものには何の関心も向けず、クジャクに眼を注いでいる老人。 周囲のたいそう不穏な動きは彼には届かず、傍らをすり抜けて行った。彼は将校や兵士には注意を払わず、遠くの砲火をも気に留めず、陽を浴びて座って温まり、すぐそばをトコトコ通る色鮮やかなクジャクたちに眼を注いでいた。ときおり鉢に手を入れて一握りの穀物を投げてやった。雄鳥は彼の前で羽根を広げ、尾羽をきらきらとさせて広げる、彼は澄んだ冷静な目で雄鳥の振舞いを見る。 (S.109)周囲の混乱・騒ぎは老人の関心を惹くことはなく、クジャクを眺めている。視線はクジャクに向けられているが、彼が見ているのは記憶の中から浮かび上がってくる映像だ。 記憶のなかで何が触れ合うのだろうか? 生者と死者が触れ合って、その間には本当の区別があるようには見えなかった。生者は亡き者のように姿を消し、死者は生者のように動き、話す。記憶と夢はどこで区別されるのか? 両者の違いはおそらく異なる材料で組み立てられていることであろう。しかしその境界は淡くかりそめのもの、容易に入れ替わる。この年老いた男の関心は、若い時に暮らした大きな庭園にあった。その庭にも多くのクジャクが歩き回っていたし、それは何も珍しいことではなかった。というのも彼はこの美しい鳥がいつも好きだったし、飼えるときは飼ったからだ。だが眼前に映像として浮かび上がる、青年時代と老年時代の二つの大きな庭園が次第に似てきて、区別がつかなくなってきた。(S.110)ここに至ると読者にも、物語の中核はその場の出来事ではなく、椅子に座っている老人の心に浮かんでくる記憶にあることが明らかになる。もっと言うなら、いま身を置いているその場の庭園と記憶の中の庭園が入れ替わり入り混じるところ、その交錯が主眼となっている。二つの情景は判然とは区別がつかない。現にそこにいる庭師の娘と、かつて過ごした庭園の今は亡きルチアとが混じり合う。 記憶の映像の中へ咳払いが入ってきた。眼を開くと、従僕と若い娘が前に立っているのが見えた。ふたりを眺め、まだ見分けが難しく思われ、そして尋ねた:「そこにいるのはルチアかい?」何事かと主が問うと、テレーゼがクジャクの卵を盗んだ、との従僕の説明。「お前は卵を盗んだのか?」と質すと、少女が言うには、藪の中に巣を見つけて、よく見ようと卵を二つ取り出したとき、茂みから人が出て来てびっくりし、卵が落ちて割れました、と。その無邪気な弁明を聞くと、主は「卵はもっと優しく扱わないと」と言うだけで、咎め立てはしない。むしろそのときから、父は出征し母は亡くなったという娘をそばにおいて過ごすことにする。近さの感覚がなんだか安心できるのである。続く数日、太陽が出て彼はまた庭園で座り、少女は傍らに座って本を読むか手仕事をした。そして時々は居眠りをした。老人は眠っている少女の顔を見るのを好んだ。 ここで不思議なことが語られる。少女が眠りに落ちると、口を少し開いた顔がいくぶん愚かに見え、その「いくぶん愚かな表情」のために顔が「新たに」なったように思われる。新たな点は「生活していないこと、無知なこと、未経験なこと、そして痛みのないこと」だという。さらに深い眠りに落ちると、尋ねるような、驚いたような表情になる。テレーゼの顔を見ていて、ルチアと区別がつかなくなる。老人は「あたかも自分自身の記憶の中へ」入ってゆく気がする。このあたり "als ob" (英:as if)「あたかも~のよう」のフレーズが繰り返し使われる。本当にそうなのかは別にして、そのように思われるのだ。そしてこれらの「あたかも」は彼に臨終が訪れたことを気づかせる表現として機能しているように見える。 思い出すことは彼の負担にはならず、記憶は拡大して、彼をすっぽり受け入れようとしているかに見えた。あたかも自分自身の記憶の中へ入っていくかのように思え、そして記憶を呼び戻すなかで奇異の感覚が忍び寄ってきた。あたかも自分が遠く離れてゆくように思え、離れることで一種の近接が意識された、これまで感じたことのない近さが。ルチアの庭がテレーゼの座っているもう一つの庭と同じ近さにあった。あたかも一つの門が両庭園を結んでいるかのように、この門が開くかのように思えた。目を開けるとテレーゼが前に座っているのが見えた。道路では絶え間なく車両が動いて行き、遠くから砲声が高く低く轟いてきた。目を閉じると周囲に暗闇が広がったが、それは暗くはなかった、というのはそこからさまざまの明るく光る澄んだ記憶がやって来るからだ。私は死ぬのだ、と彼は思った。白いパンを一切れ食べ、燃えるような赤い葡萄酒を一口飲んだ。(S.112f.)老人が「私は死ぬ」と言い、語り手も「彼は死んだ」と語る。「痛みなく病むことなく、ごく老齢の男が死ぬように死ぬ。生が音もたてず抵抗もなく住処を出ていくような老齢である。生はそこにしがみついたり、おびえたりすることもない。それはふと浮き上がり、渡り鳥の群れのように、畑に立つ鳥が飛び立って青空に消えていくように離れていく。」ところが「別れは近くに迫っていたが、彼に時を与えた」と続いて、ここから彼が本当に息を引き取り、その死が従僕のアントンに確認されるまで、なおしばらくの出来事が描写される。臨時の司令部が引き払われ、老人の最期の行為が語られる。 アントンが再び草の道をやって来た。彼一人ではなく、横に将校がいた。背の高い痩せた男で、顔には極度の緊張と疲労困憊の色が浮かんでいた。館主はその場の自分を遠く離れていて、戻って来るには時間がかかり、初めは将校に気づかなかった。道はさらに長くなる、と彼は将校を観察しながら考えた、私はもうこの道は何度も行き来することはできないと。 (S.113)将校の姿に気付くのが遅れて、現実と夢の世界の往還の、言い換えれば今いる庭園とかつての庭園とを往き来する「道はさらに長く」なり、もう往還できなくなると自覚したのである。館に置かれている仮の司令部の将校は撤収に当たって館主に、館に残る三名の避難を勧める。留まるというアントンの意向を確かめ、老人は「娘を連れていってもらいたい」と、テレーゼだけを帯同するよう依頼する。その上で老人にとって、最後に残された仕事は、ある品物をテレーゼに託すことだけ。アントンに命じて、館内から一つの箱を持ってこさせる。「お前に渡すものが役に立つか害になるか、それはお前次第で決まることだ」 そう言い聞かせる。箱を開けると目を逸らさずには済まないほどまぶしく「あたかも白く飛び散る火花の塊」のように輝く宝石・装身具が出てきた。ルチアの宝飾品だったが、テレーゼに委ねる。「誰にも見せないように、一言も言わないように」と。 彼女はテーブルに近づき、慎重に宝石と鎖に手を伸ばしたが、両手で掴みきれないので、テーブルに戻した。軽いカチャカチャ音を立てて箱とグラスに当たった。この娘を車に連れて行きなさい、とアントンに命じた。テレーゼは主人に近づき、その手の上に身を屈めるが、 「行きなさい」と彼は穏やかに言った、「もう行かなければならない」 彼は彼女がアントンと並んで家の方に行くのを見送った。そして再び記憶に向きあった。どれくらいの長さ、陽を浴びて座っていただろう? 短いか長いか、誰が決めることができようか? どんな時計もそのようなことを計測しない、というのは時間の正確な構造は時計で測れない、格子あるいは網を潜るようにすり抜けてゆく。彼は軽い足取りで庭園の並木道を、深く頭を下げる黒い姿の従僕たちの前を通って行った。背の高い緑のシダの掌状の葉が彼を囲む。同時にオークの木立でカッコウが鳴くのを聞いた。これは初鳴きだ、と思った。彼が分けた二つの庭園が一つになり、ただ一つの庭しかないと感じた。向かう先遠くに明るい姿がだんだん近づいてくるのが見えた。その姿は彼に合図をし、その明るさがあまりに強くなったので、彼は口をきけなかった。そこにじっと静かに座っていた、彼の周りにも静けさがあるので、クジャクの一羽がだんだん近くに来て、敢然とテーブルに飛び上がった。翼で葡萄酒の瓶をはたいたため、瓶は地面に音を立てて落ちて鳥を驚かし、甲高い鳴き声を挙げて飛び立った。(S.115f.)テレーゼを行かせて彼は再び、さまざまな記憶に向き合う。「彼は軽い足取りで庭園の並木道を、深く頭を下げる黒い姿の従僕たちの前を通って行った」というが、もちろん現実の老人は椅子に座ったままである。「生が音もたてず抵抗もなく住処を出て」いったのだ。娘を車に送り届けて戻って来たアントンは主人の魂がもはやここに無いことを知った。二つ目の椅子に腰を下ろし、主をじっと見ながら長いあいだ座っていた。「ついに立ち上がり、酒瓶を地面から拾い上げ、テーブルに置いた。死者のまぶたを閉じ、身体をていねいに毛布で覆った」あと、ゆっくり建物に戻った。 従僕は無人の館内を巡回し、各部屋に主人の死亡を知らせ、長年馴染んできた家具・調度に別れを告げるように見て歩いた。天窓を開けて屋根のテラスに登り四囲を見渡した。人影はなく、畑に牛馬の姿もなかった。通りは白茶けて空っぽで、避難民の流れは終息していた。アントンは屋根を降り、そして二度と建物から姿を現さなかった。やがて城館の窓から薄い靄のような煙がでて、次第に強く、激しい炎が上がった。「火はぱちぱちめりめりと音を立て、城館は松明のように、シャンデリアのように燃え上がり」、庭園のクジャクが騒ぎ出した。そして日が暮れたとき、見慣れぬ制服を着た二人の兵士やってきて、息絶えた老人と、オークの木に止まっているクジャクを見つけ、兵士は年老いた雄鳥の一羽を撃ち落とした。物語の結末はこうである: 鳥たちは銃声に驚き、止まり位置からばたばたと飛び立った。炎は一層強くなり、木立と茂みに赤い光を投げかけた。そして轟音と共に城館の屋根が崩れ落ち、強烈な炎が空に向かって立ち昇った。夜が、温かい春の夜が、大地に降りてきて、湿りと新鮮な葉の香りが漂った。 (S.118) 庭園の肘掛椅子に座る老人の描写から始まった物語。椅子に座ってクジャクを眺めながら回想にふける彼の心に映像として浮かぶのは昔の庭とルチア。老人は二つの庭、二つの時間・場所を往還する。ルチアとテレーゼが重なる。そして自分は遠く離れて行った。身体を庭に残したまま、生は「ふと浮き上がり、渡り鳥の群れのように、畑に立つ鳥が飛び立って青空に消えていくように離れていった」のである。 この年老いた男が関心を向けるのは、若い時に暮らした大きな庭園だ。その庭にも多くのクジャクが歩き回っていた。 最初の庭は暖かい地方にあり、そこは陽射しが強く陽光が明るい土地だった。光があまりに強かったので、それはずっと耳に一種のエコーを残し折々によみがえる、それは森や海の波に似たざわめきだった。この光のなかでヤシと背の高い緑のシダが育ち、その柔らかな樹葉が湿った蒸し暑さのなかで急速に開く。彼は目の前に大きな葉がはっきりと見え、また庭園からまっすぐ伸びるヤシとシダのある道も見える。ヤシは濃いブルーのなかに型抜きしたように立っていて、シダを通してまるで細かな羽毛のある格子越しに見るように道が見える。と、その道を彼に向かって白い服を着たとても若い娘がやって来る、娘と共に、おそらくは着衣が雪のように白いために、涼しさと爽快さの清流がやってきた。どこからこの明るい光は来るのだ? 雨が降ったに違いない、と彼は思った、雨粒がみな光できらめいている。「白い服を着たとても若い娘」はルチアであろう。 この短篇を通読して、読者は何か所かで、どうして? と奇異の念に襲われる場面に出会う。なかでもテレーゼを傍においた老人が「私は死ぬのだ」と思い、語り手も「そう、彼は死んだ」と語ってから召使のアントンが主の死を確認するまで相当の時間があること。不思議な構成になっている。 そして少女に対する老人の感覚である。少女を傍に置く、「そうする気になったのは、おそらく彼女の顔から読み取れる近似、ひょっとしたらまた彼女といることで得られる近さの感覚であったかもしれない」という。傍の少女の顔から読み取れる近似とはルチアとの近似なのか。その先を読むと、 少女の首が傾ぎ、両手は膝の上に置かれ、口は少し開いていた。まるで自分の内面に聞き入っているかのように眠っていた。そして顔は、無意識に聞き耳を立てていることと軽く開いた唇のせいか、いくぶん愚かな表情のように見えて、それは彼が格別に好きな表情だった、その表情のお陰で彼女の顔が新たになるのだ。少女の顔が愚かに見える、それの新たな点は、生活していないこと、無知なこと、未経験なこと、そして痛みのないことだった。彼はあたかも夢幻の顔を覗き込んでいるような気がした、成熟することのない、それゆえに咲きにおう顔を覗き込むような。深い眠りに落ちると、その顔は何か尋ねるような、驚いたような表情になった。ここに、と彼は考えた、この顔に覚醒が明瞭に見えるのはどうしてか? 尋ねること驚くこと以外にあるだろうか。少女の顔から読み取れる近似がルチアとの近似だとすれば、近さの感覚とはかつての庭園と、その中のルチアとの近さなのだろうか。少女の「顔が新たになる」とは? 「新たな点は、生活していないこと、無知なこと、未経験なこと、そして痛みのないこと」とは? 「愚かさ」とはテレーゼのあどけなく無垢な表情からの印象だろうが、それで「新たになる」とは何故か。そのあと、記憶は拡大して、自分が自分自身の記憶の中へ入って行き、自分が遠く離れてゆくように思え、「離れることで一種の近接が意識された」とはどういうことか。読者の疑問は次々に重なってゆく。 肘掛椅子に座る老人は記憶を呼び戻す中でルチアの庭が近づいてくるのを感じながら、目を開けてテレーゼの姿をながめ、そして「私は死ぬのだ」と思い、「白いパンを一切れ食べ、燃えるような赤い葡萄酒を一口」飲み、そして「そう、彼は死んだ」と続くのである。 ここで語られる「記憶」がまた異形の広がりを見せて、読者にはやはり謎である。臨終を前にした老人には時間がもうないはず。しかし、記憶は拡大して、そちら側には時間があるらしい。なるほど改めて考えてみれば、記憶・回想は原理的には時間と切り離せない問題だ。またここでは時間の差は二つの庭園間の距離として、パラレルに描かれている。つまりはこの作品は時間(と空間)がテーマになっている。作中の何か所かで時間が論じられている。「時間」という言葉が最初に用いられるのは、老人が、周囲の騒動とは無縁に庭に座っている様子が描写される箇所だ。 庭に座っている老人は不穏な状態をわずかしか感受していなかった。そして感受したことを意に介することはなかった。やって来るもの、それは彼に来るものではなく、彼が構うものではなかった。前方にある未来としての時間、気がかりとしての時間は、もはや彼を動かすものではない。気がかりは終わった、彼は安全であり、もはや誰もこの安全を脅かすことはできなかった。アンドレアス・ガイアー(*)はこの箇所を取り上げて次のように指摘している。 既にここで老人が全く別の時間概念の下にあることが明らかになる。これは日常の明白と見なされるものに比して決してあいまいな時間概念ではない。ーー逆である:「睡眠と覚醒が行き来する高齢になると、ものがより透けて見える」のだ。ものが透けて見えるのは、こう我々は補うことができる、時間経過の円環性、同一物の回帰、を啓示し始め、そしてそれによってーーユンガーのニーチェ解釈の意味においてーーあらゆる出来事の同時性がいっそう明瞭に白日のもとに現れるからだ。ふむ、そう解釈されるのか。この短篇ではニーチェの「同一物の回帰」に通じる思想が語られているのだろうか。世界が、一切の存在が「永遠回帰」だとすれば臨終の老人にも無限の時間があろう。回想記『緑の枝』(1951) によれば、第一次大戦後、ユンガーはさまざまな思想家の書物、カントやヘーゲルを読んだが、「知り得ない本体(物自体)なるものが大いに想像を掻き立ててくれる」のでカントに集中して取り組んだこと(「緑の枝 -14-」) が語られている。あるいは、記憶は「過去の現在化」Vergegenwärtigen des Vergangenen である(「緑の枝 -6-」)と述べているところがある。これはさほど特異な定義だとは思えないが、「記憶」と「時間」とが明確に関連付けて取り上げていることは注目される。 ユンガーがニーチェに本格的に取り組んだのは第二次大戦前後のようである。いずれも小冊子ながら、戦前には『ギリシャの神々ーーアポロ、パン、ディオニュソス』(1943) を、戦後になって、『ニーチェ』(1949) を出している(**)。残念ながら私はこの両書にまだアクセスできていない。さしあたりここではガイアーの見方を紹介しておく。ユンガーは先立ついくつかのエッセーでニーチェに触れていて、1949年の『ニーチェ』はそれらをまとめたようなもの。これはニーチェ論と言うより、ニーチェを保証人にして自らの哲学を自己確認したもので、『力への意思』Der Wille zur Macht に基づくニーチェ解釈だという。 ユンガーの出発点はニーチェの説く「いっさいの価値の転換」、それは「力への意思」の無制限の肯定に由来し、結果においてーーユンガーによればーー否応なく《永遠回帰》ないしは《回帰の輪》の教説に着地するものである。正直に打ち明けるしかないが、ガイアーの読解の当否を私には判定できない。これは戦後のユンガーの思索の跡をたどって、『ギリシャの神々』 と『ニーチェ』を直に読み、『緑の枝』と、そのあとに書かれた『記憶と回想』をじっくり検討した後に、立ち返って考える問題であろう。 『記憶と回想』Gedächtnis und Erinnerung (Vittorio Klostermann / Frankfurt am Main, 1957) は手元にあるのでパラパラと眺めてみると、その「帰還としての回帰の知覚」という項目で、ユンガーはこう論じている。 すべて考えたことは回帰するものである;これは思い出したことにも妥当する。しかし回帰には、考えたことと思い出したことを区別するよう我々に教示する違いがある。回想は記憶と区別するのがユンガーの考えである。こんな例を挙げている。例えば、すでに何度も見たことのある窓を見る、我々は窓を再度見ながら、最初に知覚した場所と時間に戻ることはない、同じものの回帰とこの回帰における帰還は、区別されるものだが、我々には顧慮されない、と。 思い出すことには一種の回帰がある。その回帰は我々が何かを思い出すとき、知覚するのみならず、回帰のなかでの帰還が生じる、という性質がある。すなわち時間と空間のなかで、それが現在思い出したことをそれに関連させるプロセスへ戻って来る。その中に同時に我々が自分自身へ戻って来る、自らの過去へ戻って来るところがある。これに関係しないことは決して思い出ではありえない。このあたりの議論は『クジャク』の構成を読み解くヒントになるのかもしれない。庭園で回想に向き合う老人には「回帰のなかでの帰還」があって、自分自身へ戻ってゆくのだろうか。 『クジャク』で「時間」が論じられるその他の部分を見ておこう。テレーゼを侍らせるようになってから。アントンと将校がやってきたとき、「館主はその場の自分を遠く離れていて、戻って来るには時間がかかり、初めは将校に気づかなかった。道はさらに長くなる、と彼は将校を観察しながら考えた、私はもうこの道は何度も行き来することはできない」(S.113) と思う。将校が「館へ急ぎ戻った。やるべき仕事はまだあった」からだとして、「時間もこのような関係にある。或る者にはほとんど無い、別の者は多く有る。問われるのは、何によって、どの出来事で時間が測られるかである」「死につつある者を苦しめるものは何もない;時間はあり、塀で囲まれた庭園は彼にとって残余を過ごす場所であった」(S.114) ここは先にも引用したが、テレーゼが去った後、老人が一人で陽を浴びて座っていた時間が「長いか短いかについて」、「どんな時計もそのようなことを計測しない、というのは時間の正確な構造は時計で測れない、格子あるいは網を潜るようにすり抜けてゆく」(S.115) という。その直後、老人の最期の場面で彼は「軽い足取りで庭園の並木道を、深く頭を下げる黒い姿の従僕たちの前を通って」ゆき、「向かう先遠くに明るい姿がだんだん近づいてくる」(S.116) のが見える。二つの時間と空間が一つになるのである。「明るい姿 die helle Gestalt」とは、ルチアの姿であろう。 このように「時間」が語られるが、いずれにせよ『クジャク』ではルチア/テレーゼを通して回想と時間が進行してゆく。どうもユンガーは女性との交渉の中で、様々な回想を体験していったようだ。『緑の枝』でも、レーブルクに住んでヴンストルフの学校に通っていたころ、家に住み込んでいた17歳くらいの少女、ウラ Ulla とごく親密になったあと交際が断たれたが、その時のことをこう書いている。「思い出が忍び寄ってきて、まるで失われた妙なる響きが鳴る郷愁のように苦しめる」と言い、「過ぎ去ったことは過ぎ去ったこと、どうしても戻らない、イメージの中でしか返ってこない」、それが辛い。日記をつければ苦しみが和らぐと考えてつけてみた。記憶は、再び呼び出すことで豊かになり、変化に富み、メロディアスになる。記憶にある様々なシーンは自由に再現できるようになり、それは甘美な刺激であった、(「緑の枝 -6-」)と言う。 またライプチヒ大学の法学生のとき、両親が移住したザクセンのライスニヒで親しくなった16歳くらいの娘、ブーリ Buri との交際では、双方が「以前一度会ったような気がする」と打ち明けるシーンがあり、その箇所でデジャヴュ déjà vu の問題が取り上げられている(「緑の枝 -13-」)。デジャヴュはニーチェもひんぱんに経験したようで、それが „ewige Wiederkunft“ の淵源だとする見方(***)もあるようだ。 この作品では、場面の背景にいつも「色鮮やかなクジャクたち」がいて、砲火の「赤い光が虹のように空に」かかり、「砲声が高く低く轟いて」くる。館の主は「燃えるような赤い葡萄酒」を飲んで死に赴く。主の死を確認したアントンはみずから建物に火を放ち「轟音と共に城館の屋根が崩れ落ち、強烈な炎が空に向かって立ち昇る」中で焼死する。これら色彩・音響が強い印象を与えるなかで、ルチアの「あたかも白く飛び散る火花の塊」のような装身具をテレーゼに託すとき、下着姿にさせて少女が恥じる様子を見せるシーン、これも印象深い。なぜ彼女に? と思わせるし、いささかエロチックな描写だと感じられよう。ユンガーの場合、記憶・回想はたいていが少女との関わりを通して語られるのはなぜか。《永遠回帰》とはなんだろう。 "Die Pfauen" のテキストは Dalmatinische Nächte und andere Erzählungen (Editions Rencontre Lausanne, o.J.) を用いた。[追記] 作中のクジャクの意味についても考えさせられるが、ユンガーは著書『東洋と西洋』Orient und Okzident. Essays (Hans Dulk, Hamburg 1948) 中の「イタリア、フランス、イギリスの庭園」の章でこう記している。 「ローマの庭園・・・クジャク、ハクチョウ、ハトなど華麗な鳥たちが飼われている。」 "Römische Gärten ... Prächtige Vögel, wie Pfauen, Schwäne, Tauben werden in ihnen gehalten." (S.303) また "Die Pfauen" と題された、5行連19節の長い詩(全95行)がある。最初の4節を、大意を付して引用しておく。
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