そして将来は?

私も47才になり、月に4〜5日のCCU当直はこたえるようになってきた。何をするにでも、健康あってのものである。憔悴しないように自己防衛する必要がある。

本院で行われている、たとえ高齢者であってもとことん最後まで行う高度先進(?)医療についても否定的に考えている。本院のような高機能病院では、患者に対する医学的適応を議論できても、患者をどのように見送る(死亡する)等や医学以外の判断材料については議論することができない。入院患者のなかでは、高度な医療を必要とする患者とケア中心の患者が混在し、その選択はおおむね主治医に任され、病院としての統一性がない。ある主治医は長期入院を不可とし安定すれば転院を促すが、ある医師は死ぬまで面倒をみる。本院のすべての医師が後者であれば、専門病院としては成立しなくなる。開業医と異なり、家族とは病院を介しての関係であり、濃厚な医師患者関係を築くのは難しい。

病院経営という点に関して、本院は残念ながら二流といわざるをえない。本院の評判がよいのは、看護婦が「ひのきしん精神」(天理教の自己犠牲しての人助け精神)でがんばること、多くの臨床病理の技師が優秀であること、一部の医師が患者のために一生懸命に医療を行っていること、奈良県の他の病院の医療レベルが低いことである。私は、何度かボトムアップとしての行動を病院に対して行ったが、日本の政府と同じで、誰が責任者か明確でなく、なんの返答ももらえなかった。この本院の姿勢は、残念ながらたぶん将来も変わらないであろう。

過去10年間、かなりの時間をさいて研修医の医学教育を行ってきたが、なんらかの形とした病院からの評価はなく、このままでは私の医学教育は本院ではボランテイア活動に終わりそうである。卒後研修の先進的な役割を来した本院で、私の医学教育に対する評価があって、そこから他の病院でも医学教育実績を評価できるのではと思っていた。院外からの臨床教授のタイトルを与えられたが、現在の病院からの評価がないというのは寂しい限りである。

本院は、私を育ててくれた病院であり、他院にない長所は多々あるが、2001年の4月までには退職を考えている。

1回しかない人生、大橋巨泉のような早期勇退することは経済的に不可能であるが、健康を維持したまま、いままで行ってきたことや医療について今後行いたいことができる環境にいたいと思う。昨年、某大学の総合診療部に応募したが、学位がないためか書類選考のみで却下された。2000年7月に、今までの教育実績、および総合診療に望むものとして論文を提出し、別の某大学総合診療部の教授に応募たが、またもや却下された。私は、教授というタイトルがほしいのではなく、医学生・研修医に影響を与えられるポストが欲しいだけである。それゆえ、たとえ教授に選ばれても、大学自身が改革の気持ちがなければ一人で立ち往生するだけであるので辞退しようと思っていた。それなら、むしろ以下に示す開業形態の方が、私が今後行いたいことは可能なのかもしれない。

現在、新しいタイプの開業も考慮中である。天理の開業医の先生を見ていて、残念ながら私のロールモデルとなり得なかったが、田坂先生のTFCメイルに参加させていただき、開業医で一生懸命するのも悪くはないと思うようになってきた。田坂先生に会っていなかったら、開業という選択は「でも・しか開業」になっていたと思う。

勤務医では、すべてのことが病院あってのことであるが、開業医ならすべてが自分の責任となる。その分、大変であるが、自由もきき、よい医療をしようとすれば制度の変更を行いやすいとも考えられる。また、経営的なことにも興味がある(10歳若かったら、ベンチヤー企業を興していたかもしれない)。ネットワークを導入し、メイリングリストを活用できる自分のオフィスを持ちたいと思っている。そこに医学生・研修医にきてもらい、外来診療実習からから、病歴・身体所見のとりかたとよく遭遇する主訴に対するアプローチの方法、医師患者関係、臨床倫理、危機管理能力を教えたい。卒前教育におけるこのようなニード(医学教育に開業医や診療所が関与する)は日増しに強まっている。また、最近講演させていただける機会が増えたが、高校・大学等を含めた公共の機関で、私の医療哲学、日本の制度のあるべき姿、カリキュラムプランニングの実際、臨床医学の重要性等を講演させていただきたいと思う。

あの有馬さんのように、短時間、短期間の接触でも将来性のある若い人たちによい影響を与えることができればと願っている。 2000-9-1