日本の卒前・卒後・生涯教育の問題点と可能なその改善策

本稿では、主に内科疾患を扱う臨床現場の実状を紹介することにより現行の医学教育に対して問題定義を行い、可能なその改善策につき論じたいと思います。

臨床現場での実際

私は現在、循環器内科をsub-specialityとして高度専門病院に勤務しています。循環器内科医である前に、患者の全体像をとらえられる一般内科医でありたいというスタンスで診療を行っています。紹介状を持った患者や、他医で治療を受けていたが本院で治療を受けたいという人を多く見てきました。今から述べることが日本の現状のすべてではないとは思いますが、問題のあった2〜3の症例を提示し、専門診療にまつわる話をしたいと思います。

脳梗塞の診断にて近くの脳外科に入院し、以後症状が改善したが時々発熱がみられた46才の男性が、脳梗塞発症5か月後に突然の心不全のため本院へ転送されてきました。検査の結果、細菌性心内膜炎が先天性大動脈弁に生じ、僧帽弁穿孔を合併し高度の心不全となったことが判明し、準緊急的な二弁置換術が行われました。初診時に神経学的診察のみではなく、一般診察から順序よく行い、簡単な一般採血結果を解釈できれば、脳梗塞の原因として細菌性心内膜炎と診断することはさほど難しくないと思います。そして、早期に抗生物質の治療が開始されていたならば、二弁置換をする必要がなかった症例でした。

80才の男性が胸・腹部痛のため近医を受診し、胃カメラでは胃炎と診断されましたが、症状が以後も1週間持続し、肝機能のデータも悪かったので消化器内科に紹介されました。GOTの上昇は心筋梗塞によるためと診断され循環器内科へ紹介され、即日入院となりました。近医は胃カメラを専門としていたため、患者の全体像をみないで、主訴が自分の専門領域によるか否かを判断するために、急性心筋梗塞症患者にまず胃カメラから検査を行ったと考えられます。

救急病院では最低限の医療レベルが一定していないため、どこに運ばれるか、誰にみてもらうかにより患者のその後の運命がかわることが多くあります。原因不明の呼吸不全を呈した46才の男性が、某救急救急センターで30日以上挿管治療されましたが、症状の改善なく体重の減少が著明であるため、家族の希望で本院へ転送してきました。長期の挿管治療により全身の筋肉の萎縮は強く、起立もできない状態でした。その病院では、主治医制ではなかったので、担当の医師は自分の責任である日、時間帯をしのぐことのみを考え、長期の診療計画が全くなかったように思われます。

検診や医療機器の発達により、かつては疾患と認識できなかったカラードプラ心エコー図による弁膜症やMRIによる脳梗塞を検査医師または開業医から疾患として説明され、パニックとなった患者が紹介されることが多々あります。新しい検査法の臨床的意義を勉強しないで、患者にその結果を正確に説明することはできません。

日本では、卒業後ほとんどの医師は大学の医局に属します。多くの医局は、学位と引き替えにはやく臨床研修を終え教室に寄与できる研究生活に入ることをすすめます。かりに、卒後5年間の臨床研修後に入局が許されても、日本の教室制度では昇進することが少し困難となります。このように、日本での卒後教育は臨床医を育成するより研究者を育成する傾向があります。一方、きちんとした臨床教育を受けていなくとも、開業すれば何科でも診療科として標榜できます。大学で長年にわたり基礎研究をしていた医師や、専門の手術のみを施行してきた外科医までが、内科開業医として内科疾患を診ることになります。学位の有無は重んじられますが、どこの施設で、どのような卒後教育を受けたということは不問にされます。

専門診療に目を向けると、消化器内科を標榜している医師ならば、1ヶ月前に胃カメラを施行し、異常がなかった患者が再び胃の痛みを訴えれば、胃ガンの見逃しは許されないということで、疾患を発見する率が低くても検査をすることが多いと思います。検査前確率が何%であれば、その検査は妥当であるのでしょうか?日本の専門診療科では、専門外の基礎的なことの見逃しは非難されませんが、自分の専門分野の疾患を見逃すことは許されないという雰囲気があります。

各専門医の資格を取得後も、日進月歩の医療情報のうちで患者に応用できるものについては勉強しなければなりません。しかし、日本では、学会の出席点数制のみで専門医を学会にひきとめ、実質的な生涯教育の内容は乏しく、単に学会に多大の収入が入るようなシステムになっています。

このような状況を変えるには、長期展望を持って卒前・卒後・生涯教育を臨床重視型に変えていく必要があります。

卒前医学教育の問題と改善策

医学部6回生は、医師国家試験を目前に控えているため、疾患の病態を理解するより、丸暗記する傾向があります。国家試験のごとくにリスト内から検査法や治療法を選択することはできますが、臨床現場での実習が極端に少ないため、患者の問題点を自ら見つけてその解決方法を考える習慣はほとんどできていません。医師免許を取得した時点の日本の医師は、クリニカルクラークシップを始める前の欧米の学生レベルです。そのうえ、欧米の卒後研修が一般内科で3年であるのに対し、近々義務化される予定の日本の卒後研修が2年では不十分です。卒前教育のみでは臨床医としてはなにもできない現状では、卒後5年間の臨床研修が必須です。

一つの改善策として、以下のように、卒前教育としての2年間のクリニカルクラークシップを義務とし、卒後研修と連続性を持たせることを提案したいと思います。

医学部の3、4回生に対してクリニカルクラークシップの実施を実施するためには、各大学に総合診療部を新設させ、そこが各専門診療科をコーデイネートし、学生および研修医を指導する部署として存在すべきであると考えます。実際には、多くの大学で総合診療部は存在しますがそのようには機能していないところもあります。そこでは、研修医1-2名、2学年より各2名の計5-6名よりなるチームを構成し、その上に総合診療部の医師がつくような医療チームを想定しています。チーム内には適宜専門診療科の医師にも入ってもらいます。研修医が学生を、医学部4回生は3回生を教えることを義務づければ、教えることで自分の知識を整理できるようになると期待できます(1,2)。学生は、チーム医療に組み込まれ、意見を求められることにより、患者の問題点を自らピックアップして解決していく知恵、および社会人としての責任感を持てるようになることが期待できます。また、医師国家試験の選択問題とは異なり、実際の医療では、医学的な判断以外に、患者本人の好みや価値観、周囲の状況等を考慮する必要性があることを知るようになります。

卒前に臨床的な教育をあまり受けていないため、研修指定病院における初期研修開始時には、まず病歴や身体所見の取り方を繰り返し教えなければなりません(3)。卒前のクリニカルクラークシップの到達目標は、この卒後研修をスムーズにするために基本的な病歴聴取や身体所見の取り方を習慣づけることです。加えて、日常臨床で利用頻度が極めて高い心電図、胸部X線、一般採血(血算、肝機能、腎機能、電解質)の有用性と限界も習得すべき内容です。また、上級の内科指導医のもとで、外来で多くの新患患者の予診を取り、来院の動機を明確にすることや病歴を時系列に記載できることも目標とします(4)

総合診療部は学生に対してクリニカルクラークシップ終了時に客観的臨床能力試験(OSCE)にて問診技術と身体診察法の達成度を形成的に評価します。学生が長期間のクリニカルクラークシップを一生懸命に遂行するためには、すでに一部の大学で実施されているように講義時間を減らすことや、クリニカルクラークシップ中の指導医・研修医からの評価、並びにOSCEの評価が低ければ卒業を不可とすることが必要です。同時に、国家試験の内容においても、稀な疾患についての衒学的な問題の代わりに、臨床実習に熱心に取り組まなければ解答できない問題等に変更することが必要です。クリニカルクラークシップの実施は、大学病院だけでは不十分で、一般病院にも臨床教授等のポストを置き、教育責任者を明確にします(5)。総合診療部の教授は、各病院の教育責任者とその時代の社会のニーズにあった研修の目標設定、各病院の人数配分、病院間のローテートの有無について定期的に論じて、1年ごとに評価し、見直す必要があります。各病院に学生が長期ローテートしてくることは、勤務する医師にもよい影響を与えるように思います。

また、クリニカルクラークシップに平行して、卒前教育の一環として、福祉政策をはじめとする現在の医療政策の矛盾点を自ら気づくことを目的に、福祉施設を見学する機会を与えます。チームとして死にいく患者をケアすることを通じて、自らの死生観を形成していくことも大切です。

卒後教育と内科専門医の生涯教育の到達目標

卒後2年間の到達目標として、各分野における疾患に対する確立された治療に関する知識、内科を中心としたcommon diseaseの診断と初期治療ができ、内科学会が提唱する頻度が高い20の主訴に対する系統だてたアプローチとその緊急性の有無を判断できる知識・技術を持つことです。この時期には、これらの知識・技術に加えて「臨床医を続ける限り、患者に応用できる新しい知識・技術を生涯教育により習得する」態度を身につけることも重要です。

癌の化学療法を行えば、心不全にもなりえますし、癌が脊髄に転移すれば背部痛や脊髄横断症状が生じてきます。心房細動の患者が発熱すれば頻脈になり、高齢者では心不全にもなります。内科専門医とは、初期2年間の到達目標の習得に加えて、入院患者に対して主治医権を持ち、自分の専門以外のことが生じても他診療科の医師と相談し、総合的に自分で判断できる医師であると考えています。

研修医時代に得た検査法や治療法は、例え当時では確立されていても、日進月歩で進歩しているため、特に自分の専門分野以外についてはすぐに古くなります。内科専門医が生涯教育により習得すべき自分の非専門分野の知識・技術は、卒後2年間の研修医が目標とする知識・技術と同じレベルにすることが望ましいと思います。こうすれば、内科専門医の生涯教育の到達目標も明確になります。

現在の多くの卒後研修は、高度専門病院の専門診療科におけるローテート方式で行われています。専門的診療を要する重症の入院患者のケアが主体となるそこでの研修は、それなりの専門知識は得られますが、多くのcommon diseaseを経験する必要がある卒後初期研修には向いていません。一方、小規模な市中病院では、common diseaseを経験することにおいては高度専門病院より有利ですが、重症になったり状態が不安定であったり治癒に時間を要すれば、高度専門病院とは異なり患者は他院への転院を希望し、研修医はその結末を知ることができません。

指導医の多くは、ローテートしてきた研修医に自分の専門分野を詳しく教えすぎの傾向があり、「研修医にどこまで習得してほしいか」との哲学をもっている医師は少ないと思います。また、専門技術をまず習得して、はやく自分も専門医になりたいと思う若い医師が増加しています。指導医からすれば、研修医が本来習得すべき病歴・身体所見の取り方や医学判断力を教えるより、専門技術を教える方が簡単であり、また各専門診療科にとってもマンパワーとなりえるのでこれを是認しています。これは若い医師の専門指向に拍車をかけます。

10年以上前に内科専門医の資格を取得した我々が、自分の専門以外のことで、例えば気管支鏡の所見、心臓カテーテル検査や電気生理学的神経検査の分析、新しい抗ガン剤の様々な副作用を生涯教育として習得できるでしょうか?現実には各専門診療科はそのようなレベルを研修医に求めているのです。

具体的な初期研修の到達目標は各病院で文章化されています。しかし、ある領域の到達目標はその領域の非専門内科医が立てるべきであり、専門医が作ればとてつもなく高度なものとなってしまいます。我々の病院でも、このような作業を始めていますが、いかに医師同士の討論がかみ合わなく、各専門医が要求する最低限の知識が膨大であるということを実感しています。多くの内科専門医が納得するような具体的な到達目標を作る作業は時間を要しますが、長期的にはそれが日本の医療レベルをを標準化し、研修を効果的にする一番の鍵になると思います。

私は高度専門病院しか勤務の経験がありませんが、高度専門病院において、研修医を指導する責任者(臨床教授)や研修医の指導を仕事とする部署を作り、そこがその地域の生涯教育や卒前のクリニカルクラークシップを行っていくのがよいと思います。現在では、指導医のほとんどが、自分の専門診療科の仕事を持ちながら、研修医を教えています。教えることは、個人の全くの献身的好意です。それでは、責任も希薄になりシステムとしては極めて弱いと思います。

高度専門病院における方針の決定された専門治療を要する患者以外に、初診の患者の病歴と身体所見から、簡単な検査を依頼し初期治療を計画する能力は初期2年の研修の一つの到達目標です。それを可能にするためには、高度専門病院で入院治療を受け持つだけでは不十分です。高度専門病院では、外来へ来る患者自身が専門的治療を要し、また研修医が外来を持つことが難しいので、common diseaseが多い診療所等での外来実習を指導医のチェックを受けながらすることが必要です。

特殊治療・検査の研修(誰が研修を受けるべきか)

手術症例の少ない心臓外科や脳外科では、施設の部長になって初めて独立して手術する権限が与えられ、初めは下手な手術が何回も繰り返されます。日本では何人の心臓外科医、脳外科医が必要で、1人前になるには何人の手術をすればよいかという議論はありません(6)。欧米とは異なり、担当科の医師が術後管理もしなければならない日本の現状では、大学病院の当該科では多くの医師を必要とします。しかし、すべての医師が将来心臓外科や脳外科の独立した執刀医にはなれません。大学病院で下働きをした医師に、将来できるだけ独立した執刀医になってもらうために、心臓外科や脳外科が病院に新設されることもあります。このため、外科医一人あたりの手術件数が少なくなり、効率の悪い医療の一因となっています。専門の研修を受ける研修医の数を制限し、その研修を受けなければ執刀外科医になれないとし、研修を終えた医師にはその成果をふるえる場所(ポスト)を提供すれば、日本の手術成績が向上すると思います。

内科の、特殊な検査や治療も同様で、将来その道に進む研修医のみがするべきで、一般内科や一般外科を専攻する研修医が単に経験として施行するべきものではないように思います。この議論は各専門診療科をローテートしてくる研修医に血管造影をはじめとする侵襲的な検査をどの程度させるかということと関係しています。

生涯教育の一つの方法

卒後ならびに生涯教育の一環としてクリニカルクラークシップを行える病院で以下のことをしたいと思います。学生や研修医とともに日常頻回に遭遇する問題の解決方法を、症例を通じて論議し、その分野の最近の知見をも盛り込めるような定期的なカンファランスを実施します。そのカンファランスでは、専門医からみて一般医(非専門医)にはどこまで知って欲しいか、どのタイミングで専門医におくるべきかを考察します(7)。これは、上記の到達目標を論じることにもなり、概念的な現在の生涯教育より、実践に即した生涯教育となります。学生・研修医を中心としたこのような症例カンファランスを他院の医師や開業医にも開放すれば、日常診療に必要な他科の知識が得られ、これがひいては生涯教育ともなり日本の臨床レベルの向上が期待できると思います。

 

指導医の保障と評価

日本では教育に対する評価はありません。約20年前、アメリカでレジデント教育を受けて帰ってきた多くの医師は、その熱情のみで若い医師を教えていました。しかし、日本の大学では教育実績を評価してもらえず、ある一定の年齢になれば仕事がきつくてやめていった人たちが多くいました。大学・一般病院で学生・研修医を教育していることに対して、研修医担当部長等の肩書きか特別の報酬を与え、一流雑誌に論文を書くことと同様に評価しなければ医学教育の発展はないと思います。

私自身、研修医の教育にかなり関与しているつもりですが、循環器内科の単なる医員であり肩書きや収入の面での特典は全くありません。月に4-5回のCCU当直が業務であり、いつまで体力がもつかと思っています。

まとめ

現在の主に内科領域における臨床現場の問題点を指摘しました。臨床レベルを向上させるためには、卒前教育としてクリニカルクラークシップを義務化し、卒後臨床研修と連続性を持たせることが必要です。初期2年間の到達目標は、内科専門医の専門外知識についての生涯教育習得目標と同じレベルにすることです。その中で、各領域の個別の到達目標の設定は特に重要であり、研修医を指導する機会の多い内科専門医の間で、お互いある程度の同意が得られるまで時間をかけて討論する必要があります。また教育に従事する医師に対する適切な評価、身分保障が必要であると考えています。

文献

1.伊賀幹二、石丸裕康、八田和大、今中孝信:2年次研修医による1年次研修医に対するベッドサイド教育 医学教育1999 30:187-189

2. 伊賀幹二、石丸裕康:初期研修医による夏期学生への身体診察法の指導

JIM 1999 9:172-173

3. 伊賀幹二、石丸裕康:卒後研修開始より1ヶ月間に行った身体診察の習得方法

JIM 1998 8 1040-1041

4. 伊賀幹二、石丸裕康、郡義明:医師免許取得直後の研修医に対する病歴聴取実習 医学教育 2000 投稿中

5. 伊賀幹二、今中孝信:卒前臨床能力の向上のための臨床教授制度の導入について 医学教育 1998 29:169-171

6. 板東興:心臓外科医 岩波新書 1999

7. 第13回近畿内科専門医勉強会 99.1.30 大阪