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「イラク戦争」参戦の非を認めたイギリス −英独立調査委 イラク戦争でのブレア政権判断を批判−

 7月7日のNHKニュースは下記のように報じていました。
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英独立調査委 イラク戦争でのブレア政権判断を批判
7月7日 5時30分 NHK

 イラク戦争への参戦に至る経緯や根拠を検証してきたイギリスの独立調査委員会は、戦争の大義とされた大量破壊兵器の存在を証明できないまま参戦に踏み切ったとして、当時のブレア政権の判断を批判する報告書をまとめました。

 イギリス政府が設置したイラク戦争を検証する独立調査委員会は6日、政府高官や軍の幹部への聞き取りなど7年間にわたる調査の結果をまとめた報告書を発表しました。

 報告書では、戦争の大義とされた大量破壊兵器について、「当時のイラクは経済制裁が続くかぎり
核兵器の開発は不可能だった」と指摘しています。そのうえで、生物化学兵器の製造についても「疑惑の域を出ない」として、当時のブレア政権は大量破壊兵器の存在を証明できないまま参戦に踏み切ったと結論づけました。

 また、焦点の1つとなっていたアメリカとの事前の合意について、「ブレア元首相がブッシュ前大統領に共同歩調を確約する文書を送っていた」として、開戦前に両首脳の間で旧フセイン政権の打倒に向けた合意があったとする見解を示しました。そのうえで、報告書では、「イギリス政府は武装解除などの平和的な手段を尽くす前に、大量破壊兵器に関する不十分な情報を基にイラク戦争に踏み切った」として、当時のブレア政権の判断を批判しています。

 今回、イギリスが不十分な情報を基にアメリカと歩調を合わせイラク戦争に参戦したと報告書が結論づけたことで、戦争に踏み切った判断は正しかったと主張してきたブレア元首相の責任を問う声が高まることも予想されます。

ブレア元首相 決断の正当性を強調

 報告書の発表を受けてイギリスのブレア元首相は6日、記者会見し、アメリカとともにイラク戦争に参戦したことについて、「10年間の首相在任中、最も困難な苦渋の決断だった。決断の責任はすべて負う」と述べました。また、大量破壊兵器の存在を証明できないまま戦争に踏み切り多くの犠牲者が出たと指摘されたことについて、「私には想像されている以上に、
後悔と謝罪の気持ちがある」と述べました。

 その一方、当時、フセイン政権が大量破壊兵器を開発しようとしていたとする情報があったとしたうえで、「フセイン政権は実際に化学兵器などを使用したことがあり、予測不能な大惨事を引き起こしかねないと考えられていた」と述べて、2001年のアメリカの
同時多発テロ事件以降フセイン政権への対応が差し迫った課題だったと、決断の正当性を改めて強調しました。さらに、フセイン政権を打倒したことが中東などでのテロのまん延を招いたとする批判については、「全く同意できない。フセイン自身がテロの根源であり、平和と自国民への脅威であり続けた。サダム・フセインがいなくなったことで、世界はよくなった」と反論しました。

兵士の遺族からブレア元首相の責任問う声

 報告書についてイラク戦争で死亡した兵士の遺族からは当時のブレア政権の判断を批判する厳しい内容となったことを評価する一方、ブレア元首相個人の責任を問うことを求める意見も聞かれました。

 イラク戦争で息子を亡くした女性は「驚いた。思っていたよりも厳しい報告書だった」と評価した一方で、「ブレア氏がなぜほかの解決策をとることなく戦争に突き進んだのか、私たちはまだ納得していない。ブレア氏は、独裁のフセイン氏を追い払おうとして、同じくらい悪いことをした。
戦争犯罪を裁く国際刑事裁判所で裁かれるべきだ」と涙ぐみながら話していました。また、弟を亡くした女性は「ブレア氏は私の家族を奪った世界で最悪のテロリストだ。イラクでは、市民が戦闘に巻き込まれて殺害され、今も破壊が続いている」と怒りをあらわにしていました。

 報告書の発表が行われたロンドン市内の会場の外では、市民団体による集会が開かれ、集まった人たちがイラク戦争の犠牲者たちの名前を読み上げたり、ブレア元首相を非難するシュプレヒコールを上げたりしていました。
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 イギリスは開戦から13年後になって、アメリカが始めたイラク戦争に参戦したことの非を認めました。この戦争の主犯はアメリカであり、イギリスは“共犯”にすぎないという気安さはあると思いますが、7年という歳月をかけて調査し、遅かりしとはいえ今回の当然の結論を導き出したイギリスには、一目置く必要があると思います。

 開戦当時から、アメリカが開戦の口実としたイラクの大量破壊兵器の存在は疑問視され、同時多発テロへの報復のようなタイミングで開始されたことも、アメリカの本当の意図は別の所にあるのではないかと疑念を払拭できない戦争でした。
(参照)E27.アメリカはイラクに宣戦布告するか
     E28.まだ発見されていないイラクの大量破壊兵器
     E29.アメリカがイラクを征服した目的
     E30.イラクと北朝鮮 アメリカの対応のダブルスタンダード
     E33.アメリカの大量破壊兵器捜索に期限はないのか

 それでは、アメリカのジョージ・ブッシュ(2世)大統領はなぜイラク戦争を始めたのでしょうか。それは優秀だった
父親(ジョージ・ブッシュ大統領)を見返してやりたいという一心からだったと思います。

 彼は優秀な父親にコンプレックスを抱いていたと言われています。若い時から父親と衝突することが多かったも言われていました。

 父は大統領として、イラクのクウェート侵入により始まった
湾岸戦争を指導し、多国籍軍を率いて勝利を得ましたが、バグダッドを目前にして一方的に停戦し、イラクを完全崩壊させたり、フセイン大統領を殺害することは思いとどまりました。

 バース党の世俗政権の独裁者サダム・フセインのイラクを崩壊させた場合イスラム政権が誕生しイラクの混乱は収拾がつかなくなり、ひいては中東全体の大混乱を招く恐れがあると判断したからです。今日では、彼の判断は極めて的確であったと評価できると思いますが、息子のジョージ・ブッシュ2世にはそれが分かりませんでした。
 完全勝利を目前にして一方的に停戦した父親を“臆病者”視したのだと思います。

 父親の後、8年後に息子が大統領になると、
同時多発テロが発生しました。これは、アルカーイダのオサマ・ビン・ラーディンが首謀者でした。イラクのサダム・フセインとは何の関係もない事件でした。
 しかるに息子のジョージ・ブッシュ2世は強引にそれをイラクと結びつけ、また、何の根拠もないにもかかわらず、
大量破壊兵器疑惑をでっち上げて、対イラク開戦の口実を作って開戦しました。愚かな息子には、父親に対するコンプレックスを晴らす絶好のチャンスが到来したと思われたのです。彼にとってはまず開戦ありきだったのです。
 この戦争は自衛を目的としない開戦であって、国際法上正当化できないという見解は当時にも明らかにされていました。

 湾岸戦争で大きな打撃を受けていたイラク軍は、短期間に崩壊しましたが、案の定開戦の口実とされた大量破壊兵器は影も形も発見できませんでした。
 今日のイラク・シリアなど中東地域の大混乱、「イスラム国」の台頭などはこのイラク戦争が引き金となったことは明白です。
 遅きに失したとは言え当時の有力な参戦国イギリスが、その誤りを認めたことは極めて意義深いことだと思います。

平成28年7月11日   ご意見・ご感想は こちらへ   トップへ戻る   目次へ