レムケの亡き未亡人 Lemkes sel. Wwe.エルトマン・グレーザー (Erdmann Graeser, 1870-1937) 『レムケの亡き未亡人』 Lemkes sel. Wwe. Humoristischer Roman aus dem Berliner Leben. は人物の造形、せりふのやり取り、筋の運びが秀逸で小説としても一級品だが、産業化と人口流入が進み拡大を続ける当時のベルリンの社会・風俗がありありと描かれていて興味が尽きない読み物となっている。 出奔 Entlaufen「もう歌ってるよ、あの娘」――レムケ氏は驚いて言った。「今晩荷物をまとめて出て行きなさい――そう言ってやったんだよ――なのにもう歌っているよ、何の屈託もありゃしない。」長編小説『レムケの亡き未亡人』の冒頭である。ポツダム門の西側、ティーアガルテン南の、当時はまだベルリン市に編入されていなかったシェーネベルク(*)でビアガーデンを経営するレムケ夫妻。大事な一人息子のヴィレム(ヴィルヘルム)が使用人のアンナと相思相愛の仲になる。二人の関係を許せないレムケ氏がアンナの解雇を言い渡したところから物語は始まる。 ちょっと気の弱いヴィレムは母に泣きつくが、母はきっぱり言う。 「・・・お前は具合が悪くなるとお母さんが助けてくれると思っている――でも今度はだめだよ、ヴィレム、今度ばかりはお父さんが正しい。」 そして高飛車に付け加えた。「よく考えるんだ、お前が馬鹿をしようとしても、させないからね――あとで一人息子を不幸にしたなどと人に後ろ指をさされるようなことはしないって、お父さんと意見が一致したんだから。」その夜アンナは出ていくが・・・何とヴィレムを連れていくのである。働き者で愛嬌のある娘、明るく物怖じしない性格、すべてに前向きで積極的。アンナこそ当時の因襲にとらわれない新しいタイプの女性であろう。 『レムケの亡き未亡人』という奇妙なタイトルの長編小説の作者エルトマン・グレーザーはこの作のほか、『コープランク一家』『コープランク一家の子供たち』『アイスリーケ』『シュプレー川のローレ』など、19世紀から20世紀への世紀転換期のベルリンの町、そこに住む人々の生活を描いて人気を博した小説家で、そのリアルで細密な描写のために「ベルリン庶民の年代記編者」と呼ばれることもある。 資料が乏しく、生まれや生い立ちのことは詳しくはわからないが、ノレンドルフ広場とビューローボーゲンのあたりで育った、というからまさに『レムケ』一家と同じくシェーネベルクの住人だ。三人きょうだいの長男で、ベルビュー通りにあるヴィルヘルム・ギムナジウムとリューツォウ通りのファルク実業ギムナジウムで学んだ。 大学で自然科学を専攻するも途中でやめる。ウルシュタイン社の見習いから、「ベルリン・モルゲンポスト」「ベルリン絵入新聞」など同社が刊行する新聞の編集者に昇格した。1910年から「ベルリン一般新聞」、1920年からは歴史ある名門紙「フォス新聞」の編集に携わっている。このようにジャーナリストとして文筆活動をスタートし、やがて作家としても活躍した、という程度までしか調べがつかない。 作品の発表年など書誌的なデータも整備されていない。カール・フォス(**)によると刊行年は Lemkes sel. Wwe. (1907), Koblanks (1921), Koblanks Kinder (1929), Eisrieke (1931), Spreelore (1950) とされている。ドイツ国立図書館 Deutsche Nationalbibliothek のカタログを見ると、これら以外にも次の小説作品がリストアップされているが、
代表作と見なされる5作品に共通するが、『レムケの亡き未亡人』の登場人物たちはみな個性的で物語も語り口も面白いし、かつまた当時の庶民生活が細部まで描かれていて、実に楽しい読み物である。ただ、上で引用した部分から気づかれる通り、登場人物のせりふはほぼすべてがベルリン方言なので、慣れるまでは読むのに苦労させられる。 * 1920年の「大ベルリン」 Groß-Berlin 成立に先立って、1861年に北側の一部はベルリン市に編入されている (Schöneberger Vorstadt 参照)。レムケ氏のビアガーデンはその域内にあったかも知れない。↑ トップに戻る 地下の小母さん亭 Zur unterirdischen Tanteさて、シェーネベルクのレムケ夫妻のもとを出奔して二人が赴いた先はアンナの叔母マリーのもと。ここでアンナのフルネームがアンナ・ツァンダー Anna Zander であると知れる。叔母マリー・プールマン Marie Puhlmann は発育が劣った小柄な婦人、頭頂が薄くなって白髪である。市内北部、ローゼンタール門の外のアッカーシュトラーセで小さな地下酒場を経営している。この地区はもともとフリードリヒ大王の時代にフォークトラント Voigtland からの移住者のために開かれたコロニーであったが、18世紀になると様々な地域からの流入者で人口が増大、世紀の末には多くの賃貸アパートが建った。叔母の店もそんな街に数多く作られたカフェや居酒屋の一つであろう。ヴィレムを外に待たせ、アンナは事情を説明する。叔母がアンナの軽はずみな振る舞いをとがめると、 「叔母さん、そんな言い方するならすぐにバイバイよ。そんなことのために来たんじゃないの。私がお店を手伝うとなれば嬉しいでしょう!」見慣れない単語が二つでてくる。いずれも「部屋」の種類を指すことは間違いなく、Kamurke は Kammer+chen が訛ったもの、Loschiestube は Lodge+stube のことと解しておく。この地下の間取りがよくわからないが、階段を降りてすぐは居酒屋の店舗、その奥に2部屋があるのか。 招じ入れられたヴィレムと対面する場面でマリア叔母がアンナのことを「私の姪っ子」 meene Nichte と呼んでいるので、彼女はアンナの父か母の姉妹になる(伯母か叔母かは不明)のだろう。この小説では「語り手」によって登場人物の家族・姻戚関係が詳しく説明されることはなく、それぞれの場面での会話やら地の文から徐々に分からせるという作りである。アンナの父母の現況は不明だが、母はおそらく亡くなっているのだろう。叔母マリア・プールマンは独り暮らしだが、独身なのか、結婚して離婚したのか、子供がいるのかいないのか、一切不明だ。 落着きなく心細げなヴィレムの肩を抱いて、アンナは言う。 「まだちょっと心配なのね? 大丈夫よ、心配なんか明日の朝にはすっかり無くなってるから! お父さんお母さんにどこにいるか、手紙を書いて知らせてあげられるでしょう。悲しい顔をしないこと、ヴィレム、私が悪いなんて思わないでね。何もかも自然にこうなってしまったの。それに自分の足で立つことを学ぶのはとてもいいことよ。じゃないと、いつまでも他人の言いなりよ。本当にそうだから!」空腹の二人は Boulette (ミートボール)と Solei (塩水につけたゆで卵)を食べた後、寝床をしつらえて就寝する。 こうして二人はマリー叔母の酒場に住み込むことになる。アンナは、みすぼらしい店内を改装し、外も入り口の色を塗り直すこと、店の名前をつけるなど提案する。料理についても「いまのように Boulette と Solei だけではだめ、酢漬けニシン saura Hering とかニシンサラダ Heringssalat とか、ポテトのパンケーキ Kartoffelpuffa とか、それに日曜日にはローストポーク Schweinebraten とかガチョウのロースト Jänsebraten くらいださなきゃあ」と言うのである。 そんなリフォームをすれば財布の底まではたくことになりかねないので、マリー叔母はうんと言わないが、どれだけ抵抗しても結局は折れることになった。なにしろアンナがそっとしておいてくれないのである。他の店はどうだったか、小さな店が居心地よい雰囲気になると突然繁盛したことをアンナは見てきた。そしてレムケ夫人からは厨房はどうしつらえるか、客の要求に応えるにはどんな料理を出すかを学んだ。「お客さんには、家でも母親の手作りでもこんなにおいしいものはない、と思わせないとね!」マリー叔母は説き伏せられ、カーテンを新しいものに取り換え、ペンキ職人を呼んで地下の明り取り窓の間の壁と入り口扉を明るい茶色で塗りなおした。そして塗り替えた壁に「あらゆる種類のビール」 Alle Sorten verschiedene Biere と描き、扉横には「ヴァイセとバイエルン・ビール、真正ノルトホイザー・コルン(*)」 Weiß- und Bayrisch-Bier, echter Nordhäuser Korn と描き、扉の上には、青色塗料で麗々しく「地下の小母さん亭」 Zur unterirdischen Tante と店名を描き出したのである。 土曜日には入り口横に白いエプロンを掛けた椅子を置いて、本日は新鮮なブラッドソーセージとレバーソーセージ Blut- und Leberwurst があります、という目印とした。アンナの働きで店の様子は一変する。レムケ氏のビアガーデンで修業を積んでいて料理の腕は確か、そして元気で愛嬌のある娘が取り仕切る酒場は大いに繁盛する。 * ベルリン・ヴァイセとバイエルン・ビールの相克については「ベルリン対ミュンヘン」 を参照されたし。「コルン」とは穀物から作った焼酎。ノルトホイザーは古くからの歴史を誇るコルンの銘柄で、ビスマルクも愛飲したことで知られる。↑ トップに戻る 花嫁の花冠 Jungfernkranzヴィレムとアンナはいつまでも今のままでは過ごせないので、結婚式を挙げることにする。マリー叔母が式の日程が決まったことを報告するためシェーネベルクのレムケ夫妻を訪ねていった。夕方、疲れて帰ってきた叔母によると、父親はつっけんどんに「わしにはもう息子なんぞいない!」と取り付く島もなく、母親はひたすら泣くだけだったとのこと。ヴィレムに向かって「あんたには悪いが、私が若い娘であんたと結婚することになっても、あんな父親がいてはお断りだね」と言う。「お母さん泣いていた?」とヴィルヘルムは尋ねた。ほかのことは何も耳に入っていなかったようだ。 その日、「地下の小母さん亭」前に婚礼用に飾られた貸馬車が停まった。これは見ものとばかり、近所の子供がみな集まり大人も大勢押し寄せる騒ぎ。警官が整理に当たるなか、建物の管理人が撒いた白い砂を踏んで新郎新婦が現れ、日雇召使い Lohndiener のエスコートで馬車に乗り込み出発した。続いて地下から出てきた人々がもう2台の馬車に分乗して後に従った。 教会から戻った一行は「地下の小母さん亭」でお祝いのパーティーを開く。アンナは礼装を脱ぎ捨てるや、普段と変わらず忙しく立ち回る。この日も店は営業しているのである。新婦はカウンター席で接客、新郎は奥の席に集まった親戚たちの接待係りだ。集まったアンナの親戚で名前が挙がるのはアウグスト叔父、その妻のリーゼ叔母、マリー叔母の兄弟というカレル(カール)叔父、この叔父は「親戚一番の悪戯者」 Witzbold in der Verwandtschaft とされる。その盛んな悪戯ぶりのために、物語の主人公は実はこの人物ではないかと思わせるほどの存在である。これから数々の素っ頓狂な行動を繰り広げて人々を掻き回すことになる。この場でも、わざわざ指揮棒を持ち出して合唱の指揮をとろうとするなど、その片鱗を見せる。 やがて近所に住む手回しオルガン弾きがやってくる。会を盛り上がるためにアンナが依頼しておいたのである。ラズベリー入りヴァイスビール Himbeerweiße を一杯もらって、長々とお祝いの言葉を述べ始めるが、それを遮ってアンナは、 「まあ立派に暗唱なさったこと。でも長い時間をかけての練習など要らなかったのではないかしら。ここで演説はなくていいの。前置きなしに始めましょう。」と言って、口ずさんだ。アウグスト伯父は、「それで始めるのはどうかな。結婚式には《花嫁の花冠》 Jungfernkranz がふさわしい。」ということでオルガン弾きの演奏に合わせてみんなが歌う。「お入りなさい、お入りなさい、"Det hab'n Se sehr scheen auswendij jelernt, aber hätten Se sich man lieba nich erst so lange injeübt. Und denn sollen Se ja hier ooch keene Reden nich halten, fangen Se jleich ohne Korridor an!" Und sie trällerte: 「編んであげましょう――これはウェーバー『魔弾の射手』第三幕、第二場にある歌だ。オペラの初演から半世紀以上たっても、この歌はこれほどポピュラーであった。かくしてお祝いの夜は賑やかに更けてゆく。 * 皇帝ヴィルヘルム一世が1876年にライプチヒ市を訪れたとき、王子フリードリヒ・カール・フォン・プロイセンを招いた家の女性がこう言ったとされる。「殿下、お部屋に入ってくださいな!」("Königliche Hoheit, kommen Sie 'rein in die gute Stube!")↑ トップに戻る 亡き未亡人現る sel. Witwe. erscheintマリー叔母は地下の店も寝室もすっかり若夫婦に明け渡して中庭の奥に居を移した。このところも平面図を思い浮かべるのが難しいが、建物の廊下の突当り、ガラス窓の付いたドアを開けると、思いがけず広い空間があり木々が植わって園亭がある。そこは道路から入ると中庭の奥にまた庭があって驚かされる、という構造になるらしい。その園亭でコーヒーを淹れたり、編み物をしているマリー叔母の姿を窺うことができる。ときどき子供たちが遊び騒いだり歌を歌ったりして平穏を破られることもあるが、普段は静かに様々な物思いにふける毎日である。 そんなある日、地下の夫婦と顔を合わせて語るには、お化けが出たんだよ、思い出すとぞっとする、と。夜中になぜか目が覚めて、ベッドで身を起こしたが、コーヒーを飲んだ時のように頭ははっきりしていた。そこに亡霊が現れた、と言う。 「・・・この地下室が『地下の小母さん亭』となってから、何かが徘徊している、それだけは確かだよ。だから私、もうこの地下に籠るのはやめたし、上の世界に来たこと喜んでいるのさ。だがね、追ってくるんるんだよ、亡霊がどこまでも追い詰めてきたの。気を付けててね、前にも言ったでしょう、私、ある朝目覚めると死んでるんだ!」そのときアンナは、ヴィルヘルムが部屋の隅の暗がりをじっと見つめているのに気が付く。 「ヴィレム」と彼女は驚いて声をかける。「ヴィレム、どうしたの。しっかりして。そんな隅っこを見て何してるの?」読者はここで初めて《レムケの亡き未亡人》に引き合わされたのである。小説のタイトルは、あたりまえならストーリーの中で活躍する男か女の登場人物になるだろう。だがここでは故人がタイトルとなっている。ヴィルヘルムは、それは自分の祖母、父の母だと説明する。生前からとても信心深い人だった、と。 「いまはどうも落着きがないようだ――夜一人でこんな風にうろつくなんてまともじゃない。おとなしく棺の中で寝てなくちゃいけないのに。いちどぼくたちも墓参りに行ってあげよう。・・・」アンナはどうしても納得がゆかず、「亡き未亡人」だなんて、レムケの人たちはなぜ普通に「おばあさん」と呼ばないの、みんな変わっている、バカをさじで食べたのか、それとも霊に憑かれているのだ、と不満をぶちまけると、マリー叔母から「お前も今じゃレムケ家の一人だよ」とたしなめられる。このあとしばらくはギクシャクしたものの、いつしか収まって、地下では仕事に追われる日常が続く。終日忙しく働いてベッドに倒れこむだけの日々。アンナは「レムケの亡き未亡人が出てきたって構わないよ。ニシンをつまみ食いしたっていい。この山のような食器を洗ってくれたら助かるんだけれどね」と言うが、叔母は「洗い物をする幽霊なんぞ、どこの世界にいるものか。幽霊の洗ってくれた食器なんかでものを食べたくないよ。」 そのマリー叔母はそれから毎週日曜には教会に通うようになり、レムケの亡き未亡人は現れなくなった。しかし笑われ冷やかされるのが関の山だろうと、そのことは黙っていた。ただヴィルヘルムにだけは打ち明けた。 「ひょっとしたらあの幽霊、ちょっと散歩に行こうと思っただけかも知れないね。お前さんがどんな様子か見るためにさ。」以上が、レムケの亡き未亡人、初登場の次第である。このあと彼女は折々に出現する。どうやら幽明のあわいから物語の人物の行動に何かと影響を与えていくようだ。 ↑ トップに戻る 富くじ Lotterieある朝のこと髪をとかしながらアンナは、それまで亡霊沙汰を馬鹿にし茶化していたのに、「私もお祖母さんお化けのこと信じるよ、夢の中なんだけど昨夜出てきた」と夫に言う。どんな様子だったか問われると、「親しみやすい感じ、古くてしなびたリンゴのような顔、白いハンカチの四隅をつまんで頭上に掲げて中を見せようとする、それが何なのかどうしてもわからない」とのことである。ヴィレムが身を乗り出して、 「で、どんな風に見えたんだい?」「体の具合」という言い回しでアンナはおめでたなんだなと読者に知れるが、アンナの夢の意味は明らかにならない。だがそのあと話を聞いたマリー叔母は妙にきっぱりと言う。「何だったか私にはわかる。――富くじの券だよ――そうだよ!」 「それはあるかもね」――とレムケ若夫人は考えながら言った――「でも、それで何の役にたつのだろう?」危うくヴィレムが「阿呆の使い」をやらされそうになったところで、ぶらりと店に入ってきた建物の管理人が話を聞いて、「そんな簡単に行くものか、だったら俺なんかとっくに百万長者だ」と口をはさむ。その彼の薦める方法は、「自分はもう降りる、これ買ってくれないか、と頼んでくるどこかの誰かからくじ買って、くしゃくしゃにして引き出しにしまって忘れてしまう、そうすると大当たりさ」というもの。じゃあ、ご自分がその通りにすればいいのにとアンナが言うと、「もう十年以上もやっているんだが、間が悪いことに、忘れることができないんだよ」とのこと。ああだこうだと遣り合ううちに叔母の提案も有耶無耶になってしまう。 それから数日がたち、富くじの話題も出なくなったころ、店にユダヤ人の行商が立ち寄った。客に品物を見せて購入を持ち掛けるが、一つも売れない。立ち去ろうとする、そのくたびれて空腹そうな姿を見てアンナは声をかける。「こちらへおいでなさい――コルンを一杯どうぞ――お代はいらないから」と。「商売はどう?」と聞いてやると、彼は背に負っていた荷物を下ろし、あれこれ見せて買わないかと持ち掛ける。アンナが「みんなガラクタでしょう、要らないよ」と断ると、 「それとも――」と行商は胸ポケットから皮の財布を取り出した――「ハンブルクの富くじ券はどうかね――哀れなユダヤの年寄りから買ってやってくだされ。これが最後の一枚なんで。きっと大きな額の賞金が当たるよ。自分で持っていれば金持ちになるんだけれど、でもこれ――」と感謝の身振りして、焼酎のグラスを指さした。アンナはふと、一度試してみるか、という気になり、そのくじ券を買う。商人が去ると、彼女はカウンターの陰に身を潜めて券をストッキングに差し込む。そして就寝時にベッドに隠した。 ヨーハン・ベックマン Johann Beckmann (1739-1811) の『西洋事物起原』に「富くじ」が取り上げられている。岩波文庫版の翻訳では第4巻である。初めに、ヨーロッパにはイタリア式(ジェノア式)ロットとイギリスでよく知られている普通の富くじの二種類がある。ロットはごまかしを伴い有害なものと証明されているので、ここでは普通の富くじだけを取り上げる、と言う。「富くじの完全な歴史を述べるつもりはない」と断りながらも例のごとく多数の文献から古代から当時までの豊富なデータが列挙されている。16世紀以降ではイタリア、フランス、イギリス、オランダの事例が紹介され、ドイツについては16世紀、17世紀、18世紀に始まった四都市の例を挙げている。 この富くじはドイツでも早くから知られていたに違いない。というのは、一五二一年に富くじはオスナブリュックの市議会によって創設されたと言われており、そして一五八二年に印刷された文書には、同じようなことが記載されているからである。しかし、賞品はまだ商品であった。ハンブルクでは、市民たちが矯正院の建設のためにオランダでの方法に従い富くじを企画し、市長が一六一一年十一月に承認し、一六一五年に実施された。ニュルンベルクで最初の富くじが一七一五年に実施された(中略)19世紀の末には多数の地方くじが乱立しており、過当競争を避けるため20世紀初めには統合が進められて7つにまで絞られた。マリーが手にした富くじはハンブルクのものとされるが、当時、富くじの販売と賞金はどういうシステムだったのだろうか。 さて、アンナの富くじ購入は思わぬ結果となるが、その顛末に移る前に、ヴィレムのアウグスト叔父訪問の場面を紹介しなければならない。 ↑ トップに戻る ノイ・ケルン Neu-Kölln「ねえ、ちょっとは外に出てきたらどう。できたら夕方までさあ」とアンナ。出かける気などまったくないヴィレムは迷惑顔だ。「どこへ行けと言うんだ。なぜ行かなきゃいけないんだ?」 ところが叔母までが外出を勧める。「そうだよ、出かけたら」とマリー叔母も言った。「お前さんがごろごろしていたら、つまづくだけなんだよ、今日は頼める用事もないし。親戚の家にでも行ってみたら。誰でもすることだよ!」ということで女二人に追い出された格好のヴィレムはやむなくノイ・ケルン Neu-Kölln に住むアウグスト叔父を訪ねることにする。現在の「ノイ・ケルン」は1912年までリックスドルフと呼ばれていた地域であるが、ここではベルリンに環状城塞が築かれてシュプレーの支流と城塞との間に新しく生まれた地区のこと。同時に生まれた西側の「フリードリヒ・ヴェルダー」は広い面積を持ちベルリン第三の都市となるが、南側の「ノイ・ケルン」はごく狭い。(「ベルリン物語 -9-」の1685年地図 参照) アウグスト叔父の住まいがある「川辺のノイ・ケルン」 Neu-Kölln am Wasser はシュプレー川が本流と支流に分かれる川岸地域である。すでに城砦は撤去され(三角に尖った稜堡の痕跡が残る)、濠は埋められている(「クルミの樹」の1893年地図 参照)。ヴィルヘルムの目に映る「漁業地区」の風景は、シュプレー支流の対岸の旧ケルンとよく似た雰囲気で、遺作『シュプレー川のローレ』に共通する趣が漂う。彼の前には、生まれ育ったシェーネベルクとも、いま住んでいるアッカーシュトラーセともまったく異なる景色が広がるのだ。 とうとう漁業地区にやってきた。背の低い煤けた家並、ところどころにギルドの標識が飾ってあり、魚を入れる樽が歩道の真ん中にあって臭いを発散させている。シュプレーから突き出ている木製の柱に魚箱が吊られているのを見てヴィルヘルムは首を振るのだった。そのあたりで、緑色に塗装された大きな樽を荷馬車に積み込んでいる「大柄でちょっと両棲類のように見える」男がいたので、目指す家の場所を尋ねようと声をかけたところ、相手は何とアウグスト叔父その人だった。「こんにちは」と手を差し出したが、どうやらこちらのことを覚えていない風なので、「ほら、あの結婚式にいらっしゃったでしょう、あなたの姪のアンナ・ツァンダーの夫です」と自己紹介。 叔父のやりかけの仕事が済んで、家に招じ入れられる。階上の客間は、黒いソファーがあり金色額に入れた絵画が飾ってあったが、ちょっと魚の臭いがする。リーゼ叔母は改まった様子で彼を迎え、「どこにでもお気に召すところへおかけください」とソファーを勧めた。ヴィルヘルムはこのお上品な叔母がちょっと苦手である。話す言葉もさほど訛ってはいない。 「コーヒーはすぐにできますよ!」うちの親戚中でこれまでそんな話は聞いたことがない、などと非難を浴びながらも、コーヒーと「昔ドイツ風の ein Altdeutscher 」と勧められたケーキをご馳走になる。そのうち叔父も叔母もすっかり打ち解け、写真のアルバムを観たり、カード遊びをしたり。リーゼ叔母は最後には、ご両親のなさり方は間違っていない、和解するのが一番いいことだとヴィレムに言い聞かせるのだった。 地下酒場では、アンネが久しぶりに亭主のいない時間をゆったりと過ごしている。常連客用のテーブルで縫物をしているのだが、その手も休みがち。 やがて手が膝に落ちる。視線が部屋中を、この時間には客がいない空間を巡る。高い窓から弱々しく生気のない明かりが差し込んで――磨かれたテーブル、砂の撒かれた床、カウンター、天井から吊り下げられたストックのソーセージをぼんやりと照らしている。聞こえるのは、時計のチクタク音だけ。今日の仕事のこと、入り口のオレアンダー(西洋夾竹桃)に水をやらなければ・・・などと考えながら、アンナがうとうとしかけたとき、突如、地下室への階段をどたどた降りてくる足音ではっと驚かされる。入ってきたのはいつかの年老いた行商だった。 「ほうらね、若奥さん――この年寄りローゼンタールがどう言いましたかい? 自分が金持ちになるはずの、自分のために取っておいたくじと言ったよね、真ん中に幸運の数字がある最後の一枚だったから。間違ったことは言わなかったろう、奥さんは富くじで五千ターラー当たったんだよ!」どうやらこの衝撃でアンナは産気づいたらしい。異変が重なり地下の店内はもちろん店の周りも大変な騒動となる。周辺の騒ぎは夕闇がおとずれ点灯夫が街灯をつけて廻るときまで続いたが、そのころようやくヴィルヘルムが帰ってきた。最初、店内の狂騒の理由が分からなかったが、そこにアンナの姿が無く叔母だけがいるのを見て、何事が起きたのか呑み込めた。叔母が彼を奥の部屋に連れて行った。 しばらくして叔母が部屋を覗いてみると、ヴィレムはベッドの横で目を泣き腫らしている。叔母が「おやおや、喜ぶんじゃなくて泣いているのかい」とからかうと、また肩が震えだして言葉が出ない。 「やめてちょうだい、叔母さん」とアンナが言った。「ヴィレムはもうメロメロなんだから。これ以上刺激しないで。今日は私ぐったり弱ってるから、この人を介抱してあげられないよ。」と、産褥のアンナが言うのであった。 |