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MOVIE・『アメリ』/BOOK・ゼッフィレッリ自伝

◆10月18日◆BOOK◆『ゼッフィレッリ自伝』フランコ・ゼッフィレッリ著 創元ライブラリ¥1700(税抜)◆

 文庫本にしてはかわいくない値段だけど、面白い本があると友人が教えてくれたのは数カ月前の事。
 オリビエ・ハッセーがジュリエットを演じた『ロミオとジュリエット』をはじめ『永遠のマリアカラス』などの映画監督にして、20世紀を代表するオペラ演出家でもあるゼッフィレッリの自伝は、下手な小説、映画なんかしっぽを巻いて逃げ出すほど波乱に満ち、かたずを飲んで読み進ませる、時に目眩を感じるほどゴージャスにして非常に人間味溢れる内容。解説まで入れると637ページに及ぶ長編ですが、一気に読んでしまうタイプの物語でした。(その割りには読むのに時間かかってましたが。それは恐らく、ゼッフィレッリが書いたのではなく、語った自伝である事に起因しているのかもしれません。どこに話しが行くのかちょっと分からない場合があったり、まあ、読みやすいものではない所もあるという事です。笑)

 まず、最初に驚かされるのはイタリアという国。キリスト教の国で私生児として生まれた子の扱われ方。そして、親戚の繋がり。ダ・ヴィンチの国の美術学校の解剖学的な教え。
 更に、第二次世界大戦中のイタリアは衝撃的です。私は今迄、こんなにイタリアがあの戦争で大変な事になっていたとは知りませんでした。パルチザンでの話しは非常に驚きであり、ゼッフィレッリに興味がなくても、戦争を知る上で非常に貴重な読み物になっていると思います。
 それから、フィレンツェに居るイギリス人の話し。フォスター原作の映画『眺めのいい部屋』を見た事のある人なら、きっと興味を持つエピソードです。ゼッフィレッリが撮った映画『ムッソリーニとお茶を』を観なければ。

 さて、戦争が終わってからがいよいよ本題です。ここからはもう、目眩がするほどゴージャスな人々が怒濤のごとく登場します。まず、彼の師匠にして愛憎の対象、映画監督ルキノ・ヴィスコンティ。彼を要所要所で助けてくれたココ・シャネル。1本映画を作ってしまうほど思い入れのある、マリア・カラス。手強い女優、アンナ・マニャーニ。その他にもトスカニーニ、ドミンゴ、エリザベス・テイラー、ジュディー・ディンチなどなど、20世紀という時代を彩った天才達を垣間みるには絶好の書。もちろん、ゼッフィレッリ自身がその一人なのですが。

 中でも印象的なのは、やはりルキノ・ヴィスコンティでしょう。率直に、単純に言ってしまえば、師匠、恋人、裏切られて別れた男というところなのでしょうが、彼への思いを彼は率直に語っています。が、ここが人の気持ちの面白いというか、複雑なところ。憎んでいる、許せないと今でも思っている風でありつつ、でももう故人だから許しているといい、でもルキノの最終的な恋人にして映画『ルートヴィッヒ』の主役男優、ヘルムート・バーガーの話しは驚くほど出てきません。言うまでもなく、意識的に書いていないのでしょう。
 ルキノのお葬式の話しですら、ヘルムートの存在は一切無し。お葬式に至る迄にも、ルキノは出て来ても、ヘルムートはほとんど出て来ない。彼等の関係を書いた下りは一切無かったはずです。いくつになっても、いつまでたっても、嫉妬なのでしょうか。面白くないのでしょうね。なるほど〜っと勝手に頷いて、まだ未練が?とか一人突っ込みを入れてしまいました。

 ゼッフィレッリに興味がなくても、20世紀という時代を垣間見るには絶好の書。自伝が嫌いな人でも、この人の波瀾万丈な人生には興味を覚えるはずです。何度も命を落としかけ、しかし未だ現役で勢力的に活動を続けるフランコ・ゼッフィレッリ。読んで損はありません。

 


◆10月11日◆MOVIE◆アメリ◆

 単館系の映画にしては、記録的なヒットを飛ばした映画「アメリ」。ジュネ監督の作品は「ロスト・チャイルド」を観てから私のチェック対象になっているのですが、天邪鬼気質が災って(笑)、彼の映画が万人に受けるようになってるのなら、まあわざわざ観に行かなくてもいいか。と、「アメリ」は観ずに放置したままになっていました。

 さて、天邪鬼でも気になっているのには変わりなく、BS系で放送されるのなら、絶対見るわよ!ってな訳でブームが去った2003年秋、放送された「アメリ」を漸く観ることに。
 最初からオフビートな感じは結構私のツボでくすくす笑いつづけ、最後までチャーミングな話しで、面白いと思いました。が、個性的な話しに一見見えつつ非常に上手くまとまっている、その計算された完成度の高さに、商品として優れている映画の匂いを感じ、面白かったけど、おしゃれだったけど、エモーショナルな映画というよりは、私の中を通り過ぎて行く映画だという感想を持ちました。(観たのがフランス映画だっただけに、1センテンスが長い感想だこと。笑)
 うーん。ちょっと格好つけてアメリ風に言うなら、クリームブリュレのカラメリゼのようなものではなく、カプチーノの泡のような存在感という感じ。

 ジュネ監督は、ロスチルの頃に比べたら、かなりソフト、非常に万人受けする映画を撮るようになったのだと、ちょっぴり寂しさも感じてしまいます。丸くなったというか。
 それにしても、この映画。自意識高めでちょっとおしゃれな生活をしたい女性には、答えられない!映画ですよね(笑)。フランスな香りが兆度いい感じでちりばめられてるし、恋愛もジョークも、いたずらも、実にコケティッシュな感じで上手い。

 さて、映画自体はそれぐらいの感想でしたが、先日この映画に関する興味深いドキュメントをNHKBSで見ました。アメリの舞台になったモンマルトルの丘。これが今、観光スポットになっているそうなのです。
 ムーランルージュのあった頃には賑わっていたこの界隈も、アメリ以前は閑散としていたようで、この映画のおかげで活気が戻ったと、町の人は喜んでいました。
 現在ここにはアメリを巡るウォーキングツアーまであり、その終着はアメリが働いていたカフェ。あのカフェは本当にあるんです。例のトイレも(笑)

 本当にあると言えば、あの八百屋さんもちゃんとあって、映画以来、映画と全く同じディスプレイにする事になったので、美しく陳列しなければならず大変だと店主は言ってましたが、アメリ様様で、店は大繁盛。2軒目のパン屋をオープンさせる事が出来たそうです。
 そして、野菜や果物の間には、例のノーム人形が飾られていて、店の前には「アメリ」のポスターが。すっかりアメリで人生が変わった人が、ここに居ました(笑)観光客は楽しげにそれらを見てまわっています。

 そんな活気が戻ってきたモンマルトルでは、ジュネ監督に(名誉市民だった?と思うのですが)式典を催して感謝状を贈りました。
 映画「アメリ」の世界的ヒットを本当に感謝しているとモンマルトルの人に言われ、にこやかに答えるジュネ監督。しかし最後に一言。
 「アメリのおかげでモンマルトルの地価が上がってしまってね。僕はアパートが買えなくなってしまったんだ。困ってる。」ヒットしすぎるというも、問題ありなんですね(笑)


<Sepember>


PLAY・『ビーシャ・ビーシャ』/MUSEUM・ジブリ美術館/BOOK・マダム小林の優雅な生活

MOVIE・『デブラ・ウィンガーを探して』/MOVIE・『クジラの島の少女』/PLAY・STOMP

BOOK・それはまた別の話/MOVIE・『永遠のマリアカラス』


◆9月27日◆MOVIE◆永遠のマリアカラス◆

 この作品は、フランコ・ゼフィレッリがマリア・カラスへ贈る愛の物語である。まさしくカラスへのオマージュ。彼女への愛と後悔が、この映画を作らせた原動力となっている。

 不世出の歌手、マリア・カラス。彼女の歌声、そしてエキゾチックな容貌。オナシスとの恋愛、破局。名声と没落、成功と挫折。死してなお、人々の記憶の中に生き、人々の口にその名がのぼるマリア・カラス。そんなカラスを見事に演じた女優、ファニー・アルダン。彼女なしにはこの映画は成功しなかったにちがいない。

 こんなにかわいらしく、痛々しい、そして魅力的で強い女性は見た事がないと思うほど、ファニー・アルダン演じるカラスはチャーミングである。あんなにひどい扱いを受けたオナシスの写真を見ては涙ぐみ、夜中に一人、絶頂期の頃の自分のレコード、蝶々夫人の「ある晴れた日に」をかけて泣き崩れるカラス。その姿を見ていると、そっとスクリーンの中に入っていって、慰めるべく肩を抱いてあげたくなるほどのかわいらしさだ。

 写真を並べてみればアルダンとカラスは似ていないのだが、映画を見ているうちにアルダンが本物のカラスに見えてくる。歌は全てカラスの歌声を使用。映画の中でも声と映像は別物という設定である。昔の声が出なくなり、隠遁生活を送るカラスにプロデューサーのラリー・ケリーが映像は今の君、声は絶頂期の君の録音を吹き替えで使って、オペラ映画を撮らないかともちかけるところから物語は始まる。

 劇中劇のカルメンは、実に豪華。セットもキャストも、全てにおいてゼフィレッリらしいこだわりが画面から溢れ出し、アルダンの輝くような魅力、そして何といってもカラスの歌声に完全にノックアウトされる。
 このカルメンだけ全編撮影してもらい、1本の映画として見せて欲しいぐらいだ。ホセを演じた若手イタリア人俳優、ガブリエル・ガルコに参った世の中の女性もそう思ったに違いない。
 とにかく、カルメンの撮影とその行方を見ているうちに、ゼフィレッリは本当にカラス自身で一本実は撮っていて、しかし何かの理由で世の中に出せずに今迄来ているのではないかと、勝手に想像してしまうほど、この企画とその結末は説得力がある。

 さて、見事な俳優人についても触れておきたい。まず、ゼフィレッリの化身であるプロデューサー、ラリー・ケリー演じるジェレミー・アイアンズ。いつもながら、不思議な魅力を放っている。
 見た目は昔から老けて見えるが、同時に若々しさも同居しており、その姿は魅力的。若いボーイフレンドを連れて歩いていても不自然さはなく、親子ではなくしっかりカップルに見える。カラスを気づかう心の優しさが非常に良くこちらに伝わって来る。扱いにくいカラスに手を焼きつつどうにか彼女の復活を成功させようと心を砕くラリー。非常に人間らしいキャラクターで、ジェレミーは軽やかに、かつ説得力を持って演じている。

 カラスの友人でジャーナリストのサラを演じるジョーン・プローライトは実に落ち着いたいい演技を見せてくれる。イギリスの舞台人の懐の深さを感じさせてくれた。サラという役の人ではなく、サラ本人が出ているのかと思うほど自然であった。

 そして、カラスを演じるファニー・アルダン。熱狂的なファンが未だ存在しているマリア・カラスという難しい役を堂々と、かつ魅力的に演じている。映画の中で彼女が身にまとうシャネルの装いも実に美しい。映画のラストで彼女が首から肩にかけているスカーフのエレガントな着こなしといったら。おしゃれというのはその人の内と外が一体となって初めて完成するという事を体現してくれている。
 パトリス・ルコントの作品「リディキュール」で既に彼女の素晴らしさには気付いていたが、この作品を観て、ますます彼女が好きになった。顔の各パーツは大きく、実際の背丈は知らないが、印象としては大柄で繊細には見えず、声は低く骨格は男性的。とどこをとっても、頑丈そうで内も外も強そうなのだが、非常にチャーミングでかわいらしい女性なのである。そして、フランスからしか排出されないようなテイストを持っている。ある種中性的にすら見える。この魅力はなかなか理解されないかもしれないが、一度気付いてしまうと完全に降参である。そう、まるでカラスの歌のように。

   マリア・カラスのファンには余り評判が良くないらしい「永遠のマリア・カラス」。しかし、これはあくまでもフランコ・ゼフィレッリから見たカラスであり、ドキュメンタリー映画ではなく、伝記映画でもない。彼にとってのカラスはこうだったのだから、「違う」という言葉は該当しない。
 20世紀から21世紀にかけて活躍する、世界的な演出家であり、カラスと一時を共に過ごした人間、フランコ・ゼフィレッリがカラスへの愛を込めて作り上げた映画。それが「永遠のマリア・カラス」なのだ。
 彼女の死後、こうしておけばよかった、ああしておけば良かったと、後悔している一人の男が彼女への愛を込めて撮り上げた一本の作品。カラスを未だ知らない人はもちろんのこと、彼女のファンでイメージが崩されてはたまらないと避けている人も、ぜひ一度観て欲しい。ファニー・アルダンとカラスの魅力に抗える人は居ないはずである。


 

◆9月26日◆BOOK◆それはまた別の話・三谷幸喜 和田誠著 文春文庫¥638(税抜)◆

 三谷幸喜と和田誠の映画談義。と書くと一言で終わってしまうので(笑)もう少し詳しく書くと、1作品を取り上げて、対談をするというコンセプトでこの本は構成されています。
 買ってから気づいたのですが、「キネマ旬報」に連載されていたものです。押し入れの雑誌を取り出せば、買わずに読めたのに・・・

 さて、この中で取り上げられる映画は「アパートの鍵貸します」「すばらしき哉、人生!」「裏窓」といった過去の名作から「トイ・ストーリー」なんて比較的新しいものまでランダムに選ばれた12本。
 読んでるうちに、観てない映画は見てみよかと思い、既に観てる映画ももう一度観ようかという気にさせられます。が、とってもマニアックなだけに、映画を余り知らない人には、固有名詞に結構「?」が飛ぶのではないでしょうか。映画初心者にはお勧めできませんが、映画好きにはなかなか楽しめる一冊。

 それにしても、三谷さんの「トイ・ストーリー」好き。夫人の小林さんがバズの写真を撮ってたので、好きなんだろうなと思ってましたが、そうですか。そんなに好きでしたか。私はどうしても、あの映画。怖くて痛くて、2度は観たくありません・・・


◆9月20日◆PLAY◆STOMP@シアター・ドラマシティ◆

 なぜか、今まで未見だったSTOMPを漸く見にいきました。この舞台の名前を聞いたのは遥か昔。TAP DOGSを観に行った前に確か彼等は来日していましたから、90年代後半に何回目かの来日公演を彼等は行っていたはずです。

 さて、噂は色々聞いていたSTOMP。個人的には、英会話のカナダ人講師がひときは熱く語ってくれたのが印象的で、彼女の身振り手振りと言葉の説明からおおよその検討はついていたのですが、それを記憶していてもなお、非常に刺激的で楽しい舞台でした。

 今やTAP DOGS、NANTAなど「え?これが楽器になるの?!この発想は凄い!」という驚きと興奮の舞台はかなり増え、斬新!というほどの衝撃はこちらに無くなってしまいましたが、恐らくその発想の本家本元となったのは、このSTOMP。
 一体どんなパフォーマンスを見せてくれるのかと楽しみにしながら会場に入ります。私の席は何と前から3列目。舞台開始早々、箒で撒き散らされた舞台のホコリを思いっきりかぶってしまいました。ああ、ビーシャビーシャ以来、体感舞台が増えている(笑)今回もまた、水が飛んで来たし。

 最前列の人のゴホゴホとホコリにむせる咳と撒き散らされた水に上がった悲鳴をものともせず、キャストたちは思いっきり大暴れ。マッチ箱、モップ、ドラム缶、紙袋に新聞、もう、全てが楽器になって行きます。家に帰ってから自分も試す人結構居るんじゃないでしょうか。

 途中、キッチン用シンクタンクを首からぶら下げ、後ろ向きに並んでバケツの中にわざと水を流し入れる(そう、まるで立ち○○○のような。ああっ。笑)など、ちょっとした(?)お遊びも入れながら、確かなテクニックと絶妙な間で、時間はあっという間に過ぎていきます。

 それにしても、それぞれのキャラクター設定、楽器になる日用品のセレクトなど、非常に良く計算されていて、本当に素晴らしい。この完成度の高さは良い意味で歴史を感じます。

 素晴らしいといえば、唯一の日本人キャスト「ミヤモト ヤコ」も、なかなか男前な女性という感じでGOOD。そして、彼女の刻む正確なリズムが心地良いのです。彼女は全体のベースとなるリズムを刻むことが多く、その正確さは誰もが認めるところ、という感じです。また、赤く染められた顔を隠しがちな髪、男性的なコスチュームが、ジャパニメーションに登場するボーイッシュな主人公みたいで、なかなかCOOL。
 個性的なキャストの中にあっても、この寡黙でテクニックのしっかりしたクールな彼女は目を引く存在です。海外の日本人のイメージも変わってきているんだろうなぁと思い、世界で活躍する日本人に嬉しくなってしまいました 。

 ロングランを続けるSTOMP。まだ観たことのない方はぜひどうぞ。


◆9月20日◆MOVIE◆クジラの島の少女◆

 ロードオブザリングの監督、ピーター・ジャクソンが登場して以来、注目を集めるようになったニュージーランド映画。その中でも、最もニュージーランド的と言っても過言ではないであろう映画が、この「クジラの島の少女」です。

 主人公は誕生とともに母を失い、男子が望まれるなか女として生まれたオマリの娘、パイケア。首長にしかないはずの不思議な力を持ち、孫を可愛がりながらも部族を導くのは男子である、という昔からの考えにこだわり続ける祖父との葛藤を持つ少女パイケア。美しいニュージーランドの自然とくじら、そしてオマリという種族を知ることが出来る映画です。

 そのくじらとの対話をはじめとして不思議な力を持つことから、ニュージーランドの「風の谷のナウシカ」と日本では言われた通り、パイケアもその身を顧ず自然に飛びこんでいきます。
 その姿、祖父との関係が見所なのですが、映画を見ている間中私が気になっていたのは、オマリの生活振りでした。職業についているとは見えない男達。民族の伝統を残す為に建てられた立派な集会場。
 彼等は職につけないのか、つかなくても生活できるのか。保護されているのかとか、色々考えてしまいました。
 オマリ族同士での結婚にこだわり、伝統を受けついで行く努力を続けるパイケアの祖父。マイノリティーといわれる人達の存続の難しさについて、考えさせられる映画でした。

 PS
 この映画でパイケア役のケイシャ・キャッスル=ヒューズは、アカデミー主演女優賞にノミネートされました。


◆9月13日◆MOVIE◆デブラ・ウィンガーを探して◆

 誰の上にも平等に降ってくるのは時間という止める事の出来ないもの。どれだけの富を持っていようが、どれだけの美しさを持っていようが、誰にも時は止める事ができず、逆らう事は出来ない。

 この映画には34人の女優が登場します。そして、この映画を撮っているのも女優ロザンナ・アークェット。彼女のインタビューに応じた女優達は、結婚、家庭、恋愛、子育て、仕事などなど、本当に率直に語っています。
 題名になっている「デブラ・ウィンガー」は映画『愛と青春の旅立ち』のヒロインで、今は引退している元女優。アークェットは、彼女は何故女優としての絶頂期に引退したのか、ぜひ彼女の話しを聞きたいと思い、この作品を作りました。

 さて、日本に住む私達には非常になじみ深いハリウッド映画。その作品に出演している女優達のゴシップ、結婚、離婚などは日常的に私達にも伝えられています。雑誌やネットなどでふーんとか、へぇとか思って摂取している、我々とは別の世界の話しだと思っているスターの日常ですが、彼女達も今更言うまでもなく、悩み苦悩しています。
 特に、アメリカの女優にとって40歳というのは非常に大変な時のようです。人にとって何が幸せなのか。仕事と家庭の両立は出来るのか。これはハリウッドの住人達だけでなく、全ての女性の共通の課題であり悩みです。

 それぞれの立場により意見は微妙に違いますが、ハリウッドという場所は非常に住みにくい所のようです。ハリウッドという場所の、男達が決める彼女達の商品価値。それとも彼女達は闘っています。これがフランスだと違うという台詞がありますが、言われてみれば、本当にハリウッド映画は若くてきれいな女の子好きですね。
 我々にしてもそうですが、上手く年を重ねて行くというのは、非常に難しい。そして、味のあるしわのある顔になるのは非常に難しい。老いの中に美しさを感じる。そんな人になりたいと、改めて思いました。

 全体を通してこの映画はインタビューが永遠と続き、その題名にある「探して」というほどデブラに会いに行く事は苦労して苦労して見つけだしたという物でもないので、そういう意味での達成感のような物はありませんが、特に30代、40代の女性には興味深い内容です。
 最後に。メラニー・グリフィスの家のクッションにある「臭」っていう刺繍、あれは何を意味するのでしょう?(笑)
 


◆9月8日◆BOOK◆マダム小林の優雅な生活 小林聡美著 幻冬舎文庫 457円(税抜)◆

 言わずと知れた、女優で三谷幸喜夫人である小林聡美。その人が書いたエッセイ集が本書である。と、これだけで終われない!だって、オットサンに心のアウトドア派なんだもの!!という事で、以下の文章が続きます。

 まず、「オットサン」これ、覚えてる人どれぐらい居るんでしょうかねぇ。私のこのHPにあるイタリア旅行記を今読み終えたばかりの人だったら、「おお!オットサン!!」と言ってくれるでしょうが、普通は「何それ?」ですよね。
 さて、オットサンとは何か。それはイタリア産耳掃除用怪しげ道具です。コルネみたいな白いロウを耳にさして火をつけるという恐ろしげなもの。
 私がイタリア旅行に行った時、日本のTVで紹介された後で、ツアーの人が山ほど買ってたんですよ。聞いた時、それって危険なんじゃ?と思ったのですが、三谷家では何と実際に使われていました。あぶないな〜(笑)写真まで入ってるし。今、この「写真」の言葉にぴくっときて、実物が見たい!と思った人は、文庫で確認してください。

 さて、次!心のアウトドア!もう笑うしかない。電車で読んでて困りました。三谷幸喜は何でも、ただの「アウトッドア派」ではなく「心のアウトドア派」なんだそうな。
 あはは〜。どう見ても都会にしか住めない人がね〜。アウトドア派には見えないよね〜って皆思いますよね?
 新婚旅行で行った急流くだりは二人の様子が目に浮かぶようで笑いのツボが押されっぱなし。同じ体験を三谷幸喜も「ありふれた生活」で書いているそうです。ぜひ読みたい!と思いつつ、持ち運びに便利な文庫落ちを待っているのですが、なかなかですねぇ。
とにかく、この興味深い夫婦の日常をちらりと垣間みられる上に、笑えて満足な一冊でした。


◆9月6日◆MUSEUM◆ジブリ美術館◆

 東京三鷹に「ジブリ美術館」が出来た時、「千と千尋の神隠し」DVD特典を見ながら、いつかは行ってみたいと思っていましたが、こんなに行くのが大変な美術館だとは思っていませんでした。何が大変ってチケットが取れないのです!

 チケットは全て予約制。ローソンチケットのみでの販売で、時間指定。そして、発売は前月10日の1回。10時からの電話予約に友人がチャレンジしてくれましたが、全くかからず、会社の昼休みに私が直接ローソンに行ってロッピーを見た時には、既に平日までもがほぼ完売状態でした。たった2時間で9月の全チケットをほぼ売ってしまうジブリって・・・恐るべしです。夏休み終わっててもこれですよ。凄いです。

 という訳で、諦めていたところ友人が頑張って(一説には意地になってたという話しも。笑)キャンセル待ちで再チャレンジ。今度は運良く取れましたが、最終入場時間の夕方4時のチケットでした。因に、閉館時間は午後6時。滞在時間制限はありませんから、朝入っても夕方入っても閉館は6時という訳で、一番滞在出来る時間が短いコースです。
 さて、リベンジで見事勝利を勝ち取った友達ですが、残念な事に所用で急遽行けないことに。ビーシャビーシャのみで(でもお土産に紙粘土を足につけて)なくなく東京を去りました。

 予約当日。急な誘いにのってくれた弥生さんと私は美術館へ。三鷹駅からシャトルバス(言うまでもなく、ジブリキャラのペイント)が出ているのですが、そっちは満員だったので、徒歩(約15分と案内がありますが、普通に歩くともう少しかかります)で美術館へ移動しました。

 住宅街、川のほとりを抜け、井の頭公園へ。その一角にジブリ美術館はあります。一部歩道の狭いところもありますが、道は整備されていて、緑が多くなかなか気持ちのいい道です。
 歩くのが嫌いでなければ、天気がいい日には余裕をもって散歩気分で歩いていくのがお薦めです。道中、ジブリキャラの案内標識が所々に設置されていて迷うことは無いと思います。

 時間の余裕の無かった我々はかなりのスピードで歩き、4時の予約時間にどうにか間に合い美術館入口へ。ところが、ここがフェイクというか裏口で、何と大きなトトロが窓口で待っていました。おー、凄い。トトロのお出迎え!

 正式な入口に行くと、今度は人の行列が。皆チケットを手に並んでいます。入口の左手に見える美術館は、低い位置にありパステルカラー風の柔らかい色彩が施されています。
 保母さん風なスタイルのスタッフが待つ入口を入ると、すぐに素敵な天井画(フラスコ画)が目に飛び込んできます。ドア、窓のステンドグラスも良く見るとジブリキャラクターです!もう、天井画のトトロのキャラクター達と優しい太陽さん、そして目に鮮やかな植物にわくわく、ドキドキが始ってしまいました。良く見るとキキも居ます。

 スタッフの待つカウンターにチケットを差し出すと、噂に聞いていたフィルムのチケットに交換してくれました。私のチケットは男の子のキャラクターで、名前はわかりません。余談ですがこのカウンター。ちゃんと子供も手渡し出来るように 、踏み台が設置されていました。
 このフィルム製のチケットが館内にある映画館「土星座」の入場券になります。

 チケットを手にすると今度はゆるくカーブのかかった下りの階段に進むことになります。この階段の窓のステンドグラスがまた美しい。そして、壁につけられたランプシェードが欲しい!と思うほどに美しいのです。
 タンタン、タンタンと階段を下りていくと、やっと展示室が現れました。映画館「土星座」もこのフロアーにありました。入館者は一日1回しかこの映画館には入れない仕組みになっています。

 私の第一の楽しみは、ここでしか上映されていない「メイとコネコバス」。やっと見られる!とわくわくして土星座に行った瞬間・・・見事玉砕。この土星座はオリジナルの3作品を3ヶ月ごとに上映していて今の時期は「くじらとり」でした。知らなかった・・・思わず子供のように泣いてダダをこねたくなってしまいました。とほほ。どうしても「メイとコネコバス」が見たい人は、事前にチェックして時期を合わせてここに来ましょう。

 丁度上映時間になりそうなので、立ち見でもいいからと列に加わります。いよいよ開館。この映画館のサイクルは約15分。土星座の中は、古い映写機とベンチ式の椅子。劇場の壁はきれいな植物が描かれ、天井画は太陽と月。そして飛行機が飛んでいます。こじんまりした館内には上映を心待ちにしている子供達も沢山座っていました。うーん。このこじんまりとした大きさといい、壁画といい、雰囲気といい、素敵な空間です。

 上映開始の音とともに、壁の窓が閉じられます。暗室の完成です。そして、スクリーンには、子供達の声と手で、カウントダウンが始りました。

 ここでしか見られない、短編アニメ「くじらとり」。素朴でかわいい絵、そして子供達によるアフレコ。小さな子供から大人まで、皆スクリーンの作品に笑ったり声を出したりして楽しんでいます。
 短い上映時間のわりには見ごたえがあり、とってものびのびした気持ちで土星座を後に。いよいよ展示室に入ります。

 さて、まずはアニメのしくみが分かる「動きはじめの部屋」。この部屋のドアは木製で、そこにベネチア風吹きガラスがはめ込まれています。吹き口のあとがあるので、これは手作りのガラスです。
 この部屋の目玉は、巨人兵とハト、トトロ、ネコバス、メイ、サツキたちのゾートロープ作品 。巨人兵とハトの「上昇海流」は(トトロのゾートロープもだと思いますが)その昔「ウゴウゴルーガ」を作っていたメディアアーティスト岩井俊雄の作品です。
 作品に直接彼の名前が書かれているわけではないのですが、私の好きなNHKBSのデジタルスタジアム(通称デジスタ)のキュレイターズカフェで、建設当時岩井さんが、オリジナル作品を発表しているアーティストとして、他人の作品に関わるべきかどうか非常に悩んだが、結局参加したと話していました。この岩井さんの作品は、実にユニーク。気になるアーティストの一人なのですが、その作品を実際に見るのはこれが初めてです。

   子供で溢れている部屋の明かりは暗く、展示物にスポットライトが当てられています。入ってすぐにあるのが「上昇海流」奥にあるのがトトロです。この部屋では、絵が何故動き出してアニメーションになるのかが分かるようになっています。残像、錯覚が生み出す不思議。特筆すべきは、やはりトトロです。
 非常に大仕掛け、複雑で見事なゾートロープ。メイとサツキたちが大縄跳びをしていて、猫バスが空をぐるぐる飛んでいるといった風に、それぞれがバラバラの動きをしています。この縄跳びに入ってくる出る、入ってくる、出るがとっても不思議!!止まると人形が沢山置かれている円形の展示物なのですが、ひとたび動きだすと、本当に生きている!!子供に混ざって目を輝かせ、ガラスにへばりついてみてしまいました・・・

 再び階段とプロペラの扇風機が吹き抜け天井から下がっているロビーに出ます。吹き抜けの天井と床の間には渡り廊下も設置されています。光が多く差し込む設計で、ステンドグラスを通って室内に入って来る光には色がついています。全ての調度品にこだわりが感じられます。実に丁寧な作りです。

 さて、一階はこのぐらいにして、次の展示室へ。階段を上がり、製作の部屋に向かいます。今度の部屋は「映画の生まれる場所」。合計5つの部屋で構成されています。
 この中はアニメーターの机、製作時に使った資料、キャラデザイン画や風景画、セル画、セル用絵の具、脚本など、もう本当に今までここで仕事をしていたかのような展示がされています。
 壁に所狭しと貼られた写真も気が抜けません。なにせ、キキのモデル?になった女の子だったり、油屋の一部のような建造物だったり、とにかくもしかして、あの映画の、あのシーンの、あの人のモデル?という資料のオンパレード。そして、最初の設定と最終設定が分かるようなイラストも展示されていて、最初このキャラはこんなイメージだったの!!といった事もあり、とにかくファンならこの展示室で一日、いえ、数日潰せるはずです。脚本も自由に閲覧出来るようになっているのですから。そして、ガラスのショーケースには「メイとコネコバス」の絵コンテが。あーん、全編みたい!!とまだ未練が・・・

   一連のアトリエ空間を出ると、今度は暗幕のはられた部屋と人の行列が。ここでもオリジナル短編フィルムが放映中とのこと。タイミングが良かったので、早速入室。今度は宮崎さん自らが紅の豚風キャラになって、ナレーションを担当。飛行船の歴史のような10分程度のアニメーションが始まりました。宮崎アニメのファンならご存じの通り、宮崎作品は良く飛行船で空を飛んでいます。ナウシカもラピュタも紅の豚も。飛行船への思い入れが強い監督だと昔から思っていましたが、本当に好きなんでしょうね。
 凝った作品を見せてもらった後、展示室へ。天空の城ラピュタに因んだ展示品の数々。しかし!何故か私、この作品はまだ見ていなくて(宮崎作品でファンがかなり多い作品だけに、この告白は怒られちゃいそうですが、何故か縁が無くて・・・)展示している飛行機の名前が・・・忘れてしまいました。ヒーローが乗っているグライダーみたいな一人乗りの飛行機が展示されていました。

 さて、このフロアーにはネコバスゾーンがあります。大きなネコバスに子供達が乗っかって遊んでいるのです。ガラスの部屋の中では子供がキャーキャー、ワーワーやってネコバスにのっかっています。本物のネコバスに乗れるのなら乗ってみたいですが(笑)流石にこれに興味は持てず。
 それを横目にバルコニーへ。そこから螺旋階段をのぼり、屋上の巨人兵のレプリカを見に行きます。
 草がぼうぼうに生えた草地の中、巨人兵の巨大なオブジェが現れました。天空の城を見ていたら、もっと感動出来るかもしれませんが、私的には、大きいなぁ〜という程度でおりてしまいました(笑)

 次に図書室へ。すると!ここで「メイとコネコバス」の絵本を発見!迷わず購入。そして、私の好きな「耳をすませば」の中に出てくる「イバラード」の絵本も発見。このイバラードはCDROMで持っているのですが、なかなか美しく不思議な世界です。映画「耳をすませば」では猫のバロンの世界がこのイバラードになっています。実はこのイバラード。大阪の茨木がモデルになっているのです。作者は茨木で高校の美術の先生をしている人。彼の目に見える茨木はイバラード。この世界観には、宮沢賢治のイーハトーヴも作用しているのでは?と私は思っているのですが。

 さて、図書室を後にしてショップへ移動。その途中、セル画が数万円で販売されていました。やはり高いです。当たり前ですが。精巧なフィギュアもやはり高い。いずれも欲しいとは思いませんが・・・
 紅の豚の海賊の絵が目印のショップ「マンマ ユート」。これが・・・凄かったです。夕方でお土産タイムという事もあるでしょうが、入れないぐらいの混雑ぶり。日本語だけでなく、アジアからのお客さんの言葉が飛び交っています。見ると欲しくなるグッズもありますが、あのレジの列に並ぶと思うと、もういい。あきらめる、となってしまいます。傘をさして歩くネジ巻き式トトロとか、結構ひかれたのですが・・・急に俗世間に引き戻されるというか、とにかくこのショップだけは異空間でした。

 という訳で、再び美術館探索へ。渡り廊下を渡ってみたり、山神様も居るステンドグラスを見たり。時間によって光の加減でこの美術館は色々変化していくのです。面白い。そして回廊の鉄柵にはめ込まれている球形の色付きガラスを発見。それにそっと触ってみると、何とこの球、動きました!一つづつ色が違い、曲げられた鉄で覆われたガラスの球体。こだわりがここにも感じられます。
 また、女性用のレストルームにも行きましたが、ここもすみれなどの花をモチーフに、カントリー風なステンドグラスとタイルで作られていて、本当に美しい。隅々まで目が行き届き、こだわりをもってデザインされています。

 未だ凄い人込みのショップの横を通り、グッズはあきらめ、今度はパティオを目指します。今までいたフロアから階段を下りて行きます。ここにあるのは手こぎポンプ。そして、お日様の居る石畳。子供達が楽しそうに水をくみ出しています。トトロでメイとサツキが使っていた手こぎポンプは和風でしたが、これはちょっと洋風です。
 大人の私は、チャレンジする事なくそれを遠目で見て(笑)パティオ探索。マキ割りも体験出来るようです。ポンプの近くにガラスのケースにぎゅっと入った「真っ黒クロスケ」を発見!こっている〜っ。笑えます。

 もうすっかり夕方の香りのする三鷹の森のある夏の日。カフェの横を通りもう一度この美術館の各エリアを反芻して見落としはないかを確認。そしてその確認が終わった時、この場を離れる心の区切りがつきました。

 ジブリ美術館は、非常に丁寧に作られた美術館です。そして、丁寧に作られているだけに、非常にお金もかかっています。そして、入場者は短編映画を2本見る事が出来、素敵な空間を楽しめる上に、ジブリ作品の出来るまでを垣間みる事が出来るのです。それで、1000円なんていう入場料は安すぎると思っていたら、やはり入場料の収入だけでは赤字だという記事を読みました。
 寿命の短いアニメーター達の、絵が描けなくなってからの雇用対策でもあるんだよと笑って話していた宮崎さん。宮崎駿というアーティストと彼の意志を最大限尊重し、その意志を貫けるように知恵を持って実現化していくプロデューサー鈴木さん。その人たちの思いの詰まったジブリ美術館。
 世界中の美術館、博物館が資金難に苦しむ中、この場所が末永く維持されていくように、願わずにはいられません。

 宮崎作品を一つも見た事がないという弥生さん(あ、バラしちゃいました。笑)も、十分楽しめたと話していたこの三鷹の森の美しい美術館に、皆さんもぜひ一度行ってみてください。


◆9月5日◆PLAY◆ビーシャ・ビーシャ@赤坂ACTシアター◆

 思い起こせば数年前。NHKBSのブロードウェイ特集だったか、真夜中の王国のNY情報だったか記憶はもう定かではないのですが、オフブロードウェイで話題になっているという「人が飛び、びしょぬれになる舞台」の映像を見ました。
 そしてその数年後。今度はBSの「ラスベガス」エンターテイメントの特集で、またまたこの「オールスタンディングの観客の上を人が飛び、水飛沫が飛び散る中、観 客が大騒ぎしている」舞台を再見。言うまでもなく、その舞台とは「デ・ラ・グァルダ」のもの。

 うーん。私も体験してみたいけど、NYにもベガスにも行けない・・・と思っていたところ、何と!東京赤坂で2ヶ月近くの長期公演があるという情報が飛びこんできたのです。それも、類は友を呼ぶとは良くいったもので、いつも舞台を見に行く友人が私と同じくこの舞台が気になって(公演情報もその友人からでした)いた 事が判明。こうくればもう行くしかありません。
 という訳で、ジブリ美術館とセットにして小旅行を企画。赤坂ブリッツまで足を運びました。

 さて、今まで見た映像から想像するにこの舞台は危険。何が危険って半端じゃなくビショビショにされるはず。名前も「ビーシャビーシャ」だし(笑)
という訳で、何が起こるのかネットで早速調査。それによると、濡れる、汚れる、運が良ければ(?)出演者に抱えられて一緒に飛べる。濡れるは半端じゃないらしく、汚れるは足下。飛べるはともかく、濡れる汚れるはどうやら対策が必要らしいと察知。
 まず、駄目になってもいい履物にしろという事なので、考えた末小学校以来のバレ ーシューズを購入。洋服は全て洗濯機で洗えるもの。そして、濡れた後の着替えは荷物にならないように丸められるワンピースに決定。更に、貴重品の入れられるウェストポーチまで用意。我ながらかなり用意周到です。それとは対照的に、着替えを持たず何も用意してこなかった友人。その荷物の少なさを見ると、私が大げさなのかと少々後悔してしまうほどの身軽さです。

 と、対照的な二人で赤坂ACTに到着。この公演の後解体されるので、ロビーは 落書きの渦。そもそもが、このホールを取り壊すので、このグチャグチャになる「 ビーシャ・ビーシャ」の公演が可能だったのですが、それにしても派手に落書きされてます。

 中に入ると早速現れました。男女別の更衣室です。しかもコインロッカー付き。入ってすぐに渡されるビラにも、濡れる、ロッカーに荷物は入れろと色々書かれています。という訳で、素直にロッカーに移動。私は素足にバレーシューズ、貴重品はポーチに入れて準備完了。二人分の荷物をロッカーに入れます。余談ですが、このロッカー使用料金の収入もこの公演、ばかにならないと思います。

 再びロビーに出るとゆかた姿、制服から背広姿のサラリーマンまで、ありとあらゆる人がカオスのようになっていました。ドリンク片手に開演時間を待つ人、グッズを購入する人でとっても賑やか。いよいよか?!という頃になって、並んでくださいコールが始りました。

 パーフォーマンス時間は90分。大行列に並びながら、これから始まる事にちょっとドキドキして進むのを待ちます。やっと動いた!と思ったら、会場へ進む細い道に左折。わいわい、がやがやしているうちに、黒いトンネルのような中へ手招きされました。入口というより穴のようなものが2箇所。
 私は友達とはぐれないように気を付けながら一番最初にある入口に。入るとびっくりするような狭さ!既に人がぎゅうぎゅう詰めになっています。入ってまず気づいたのは天井の低さ。いえ、実はこれもしかけの一つなのです。

 満員電車状態の狭いスペースでは、既に勝手に盛りあがるグループが。そして不思議なBGM。南の楽園の夜の森みたいな、鳥の鳴き声のような音の中、高速道路を走る車の通過音が流れています。と、そのうちに、白い天井の上を人が通過!猛スピードで駆抜けて行きます。もう、信じられない速さ!笑うしかありません。
 刻々と変わる天井の色。そして何だかは分かりませんが、チップのようなものが天井にまかれます。そのライティングの美しいこと。と同時にそのチップ影が怪しげで・・・虫みたい・・・

 すると、感動的な起こりました。真っ暗になった天井に、一面の星空が出現したのです!!!この頃には上を見つづけているので首が痛くなっていたのですが、そんな事は簡単に吹っ飛んでしまうぐらい、きれいっ!!!
 おーっという歓声が上がり、もうすっかりエキサイティングモード。そして、不意にあっちこっちの天井を突き破って、人が降りてきたのです。始ったわね〜と思いながらギャーギャーわめきつつ天上チェック。4箇所ぐらいから人が降りてきてゲストにちょっかい出してます。そのうち、派手に天井が破けだし、さっきの得体のしれないチップが振って来ました。良く見ると、ちいちゃな飛行機!カラフルなプラスチックのおもちゃが上から降ってきたのです。
 と、どんどん天井がびりびりとやぶれ、我々の上に降り始めました。キャストがびりびりに破いて、白い紙の天井を我々に投げつけてきます。私の上にもがばっと降り、思わず丸めてキャストに投げつけた!!皆、雪合戦ならぬ紙合戦状態でギャーギャーわめきながら天井紙を振り回してます。
 天井がなくなった上を見上げてみれば、かなりの高さの本物の天井が。そして皆 が閉じ込められている部屋の周囲には鉄パイプの骨組みのバルコニーのようなものが設置されていました。そう、まるでキャストの止まり木のように。

 その下ではまだ紙の投げ合いが続き、会場はフラッシュ仕様に。もう、何が何だかわからない!!お互いの動きがフラッシュによって細切れに見え、BGMはアップテンポでほとんどクラブ状態。そこにキャストも入り紙の投げ合い。そのうちに雨のように水が降り出し、紙もぐちゃぐちゃ、洋服もぐちゃぐちゃ。ゲストは飛び跳ねて騒いでるし。
 その中、パフォーマンスは次々にあの手この手で繰り出されます。空からハダカの男が降ってきて人を拉致ったり、滝のような水が降って来たり、気づいたらずぶぬれのキャストが私にぶつかってきてたり(ドンとやられただけで、信じられないぐらい濡れました)、とにかく全員がぐちゃぐちゃ、びしょびしょ。

 と、いきなり「どいてください!」コールが。何とこの狭いギューギュー詰めの会場に、四角いテーブルのようなステージが出てきました。そのステージの上にはもちろん水がはられています。そして、ビジネススタイルの出演者達〔衣装は本当に会社帰りのサラリーマン風)がその上に乗って、パーカッションと声のBGMに合わせてステップを踏むのです。
 ステップの度に飛び散る水飛沫!結構近くだった私は言うまでもなくびしゃびしゃ。コンタクトが心配になるほど飛んできます。でも、そんなのは今や気になりません。
 舞台上のキャストのステップに合わせてゲスト全員で足を踏み鳴らし、音楽の掛け声にあわせて大声を張り上げます。凄い熱気で濡れた体も乾きだす始末。

 出演者たちの不機嫌な表情なのに、やってることは凄くて誠心誠意やっている!もかなりCOOL。カップルを見つけたら相手に見せつけるように取っちゃうのもNICE(笑)怪しいキャストがビッグハグして回ってるのもGOOD!

 ロックのコンサートに行って、席に座っているタイプの人は絶対に来たことを後 悔するでしょうが、飛跳ねっぱなし、叫びまくりの私なんぞにとっては、最高に楽しい90分。
 最初は短いと思いましたが、90分というのは良く計算された長さです。恐らくこの長さが出演者の限度ですね。それほど過酷な舞台です。何せ天井のワイヤーにつるされたまま、布の壁に何度も打ちつけられたり(布なので危なくはありませんし、パフォーマーも楽しそうにみえました)宙づり、フライングは当たり前の危険を伴うパフォーマンスですから。

 熱気で濡れたのも乾いたと思った頃、再び放水。ラスト近くで再びびしょびしょに。
 キャスト全員の楽器を使っての演奏があり、アンコールでまたもりあがり、遂に「体験」パフォーマンスは終了。騒いでいるうちに、夢のように過ぎ去ってしまった「ビーシャビーシャ」。本当にあっという間でした。
 これは、構成と出演者の勝利です。友達が製作過程が作り手にとって、とっても面白い仕事だったはずと言った通り、アイデアと遊び心満載のパフォーマンスでした。
 近くでやっていたら、絶対もう1度は見に来てるな〜と思っているうち に、場内に明かりがともります。その瞬間・・・

「きゃ〜っ。大変なことになってるっ!!」と騒ぐ友人の声が。見ると、例の紙天井が降った水に濡れ、ゲスト全員が飛跳ねていたものだから、何と!!!床でいい具合に練り上げられて紙粘土状態になり、友人のひざ下をまだらに彩ってくれていたのです。
 バレーシューズの私の勝利!!やっぱり侮るなかれ、ビーシャビーシャ!

 それにしても、いやあ、凄かった。来てよかったと言いながら出口に向かうと、何と今まで居た場所は舞台の上だったことが判明。舞台から客席に下りるステップがちゃんとついています。観客を全員舞台の上にあげてしまうなんて!劇場取り壊し前ならではの使い方です。

 さて、椅子の並ぶ客席を通過してロッカールームへ。すっかり黒いパンツに白のまだら模様が出来あがった友人の横で、さっさとワンピースに着替え、何事もなかったようにさっぱりした気持ちで帰り支度をします。
 更衣室内は犠牲者のぼやきがあちこちから聞こえてきます。やっぱり侮るなかれ、ビーシャビーシャ!

 では、舞台全体の感想を。とにかく仕事帰りにこれは快感でしょう!自己の解放といいますか。完全に体験型なので、のれない人にはこの上なく辛いパフォーマンスですが、叫んで跳べる人にはお勧めです。他ではない体験が出来ます。終わった後は紙粘土をのぞけば、気分爽快!そしてあの人ごみを上手くさばき、怪我人をださずに公演を続けているスタッフに拍手!

 さて、その後。ホテルに帰ってから友人が紙粘土な靴とパンツにブラシをかけて必至に取っていた(ちょっと無駄な努力に見えなくもなかったけど。笑)のは言うまでもありません。

 皆さん、日本では終わってしまいましたが、海外でビーシャビーシャに行く時には、汚れてもいい服と捨ててもいい靴でのぞみましょう。


<August>


BOOK・『ネバーランド』/BOOK・『神秘の短剣』/MOVIE・『キリクと魔女』
MOVIE・『パイレーツ・オブ・カリビアン』/BOOK・『オンリー・ミー 私だけを』
PLAY・『ウェストサイド・ストーリー』/BOOK・『バルバラ異界 1 』

◆8月29日◆BOOK◆バルバラ異界 1◆萩尾望都著 小学館 505円(税抜)◆

『残酷な神が支配する』の長期連載を終え、萩尾望都が久々に世に送り出した新作。それが『バルバラ異界』。実は、『残酷な〜』は気になりつつも読まずに居た為、今回はリアルタイムに読んでみようという漠とした思いで、久々に萩尾作品を手にしました。

 さて、今回は萩尾ワールドの一分野であるSF、それにサイコ的要素が盛り込ま れた作品で、「この人の頭の中は一体どうなっているのだろう」という広がりを相変わらずみせてくれます。
 ファンタジック&メルヘンチックな絵柄の陰にカニバリズムまで潜んでいるなんて、いつもながら一筋縄ではいかないのです。枯れることの無い才能の泉といいましょうか。その柔軟な思考力を考えると、やはりこの人は天才なのだと唸らされてしまうのです。

 リアルワールドとアナザーワールドという世界観だけでなく、他にもいくつかの共通点があるマトリックス(しかし、一作目に限る)と比べてみると、まだこの物語はスタートしたばかりですがその構築力と創造性の高さから、私は萩尾さんに軍配をあげてしまいそうです。

 マトリックスとバルバラは、その目に見える風景は全く異なる為、比較すること自体がおかしいのではないかと思うかもしれませんが、実際には眠っている人間が異世界で実際に生活しているという意識を持って生きており、各々がそこにコネクトして個ではなく、グループで一つの世界に存在しているというところが、非常に似ています。
 7年間眠り続ける少女青羽。夢の中に入り込める渡会。その息子のキリヤ。そして青羽が住み、渡会が入り込み、キリヤが作ったと主張するバルバラ。 2052年という近未来で繰り広げられる萩尾ワールド。まだこの物語は始まったばかりですが、1巻で既に多くが語られ、多くの謎が蒔かれています。

 若さ、老い、人が生きて行く上で必要な心の拠り所についてなど、哲学的な要素を内包するこの物語に、萩尾望都が今どういう方向に進んでいて何を感じ、何を見ているのかを考えながら、ゆっくりつきあって行こうと思います。


◆8月23日◆PLAY◆ミュージカル『ウェストサイド・ストーリー』@フェステイバルホール◆

 『ブロードウェイ・ミュージカル ミラノ・スカラ座バージョン ウエスト・サイド・ストーリー』という、とーっても長いタイトルを見た時、「ブロードウェイでミラノって、何だそれ? 」と思った私でしたが(多分そう思った人は多いはず)とりあえず、舞台で一度見てみたい作品だった為、不信感を抱いたまま、8月23日のソワレに足を運びました。

 さて、ウェストサイドと言えば、何といっても映画。ジョージ・チャキリスとリタ・モレノのダンスに魅了され、ラス・タンブリンが『略奪された七人の花嫁』の末っ子の時のかわいさは失われ、おじさんで不良青年に見えない〜とぼやきながらも、「クラプキー巡査の悪口」を聞くと、結構かわいいかもと思い、リチャード・ベイマーのトニーがだいこんに見えるとぼやきつつ、ナタリー・ウッドのマリアとのカップルのシーンは早送りというパターンを踏みつつ何度も何度も数えきれないほどLDを見た、そう、過去において中毒をおこした作品。実は、かなりウェスト・サイドファンな私。しかも、映画館で13回見たという母親譲りの為、生まれた時から家には映画のサントラがあり、「ミュージカル」イコール「ウェストサイド」みたいな育ちかたをしていたのでした。

 そんな母から「タッカー・スミス(映画でクールを歌っている)がリフを演じたブロードウェイの来日公演を見たけど、舞台より断然映画!」というのは聞かされていたので、逆に舞台に期待はほとんどせず、確認ぐらいの雰囲気でいざ鑑賞。

 まず、聞き慣れたオーバチュアが始まります。映画ではマンハッタンの絵が実写に変わり、クローズアップでリフが登場する劇的なところです。  幕があくとそこにあったのは、簡易なセット。まあ、仕方ないでしょう。そして、ジェットとシャークの抗争シーン。舞台の為、町中を駆け抜けるというスピード感が出ないのは仕方ない。だけど、ベルナルドが野性的すぎるっ!チャキリスの粋な感じが全く・・・仕方ないですね。はぁ。。。 そして、歌が始まると気付くのですが、この生オケ、全く遠慮しない!!!歌声よりオケの方が大きい!!声消してます。バランスというのがあるでしょう。不思議な人たちです。

 さて、リフはトニーの働くドグの店へ。どんなトニーなのかしらんと注目していると、ドグの店のネオン看板を取り付けているトニーが登場。そして、金網がはられた扉に右手をかけて立った時、左足が、左足が!!ひざから折れて横にちょんと添えられていました。こ、これは、どうみても女の子立ち。あー、これは、これは!率直に言ってしまうと、名付けるならカマトニー。(ああ、書いてしまった・・・)しかも背が低いです。声はビブラートがかかってて、響いていますが、優し〜い声。テナーですね。
 しかし、レニー(レナード・バーンスタイン)がホセ・カレーラスをトニーにしてCDを録った時のドキュメンタリーを見た時、ボロボロに駄目だしさせているカレーラスを見て、もしかして大根だと思ってたリチャード・ベイマーって上手かったのかも。あのトニーにはベイマーが正しいキャストだったのか?!と思ったのですが、今回もこのトニーを聞いて、もしかしてベイマーは凄い人なのかもと思ってしまいました。『ツインピークス』でオードリーの怪しげな父親役を演じていた最近のベイマーを見ては、偉大とは思えないけど(笑)

   さて、マリアとアニタのドレスの「1インチ!」のシーン。マリアは結構大柄。あのトニーにこのマリア?そしてチノとベルナルドが登場。おいおい。ちょっと待ってください。仕方ないんだろうけど、ダンスパーティーに行くのに、さっきの町中ケンカと同じ洋服?ちょっとそれは・・・せっかくだからちょっと凝って欲しかったなぁ。意気込みが感じられないです。。。

   そしてパーティー。これは舞台ならではの見どころがあるシーンです。なぜなら、映画だと、ジェットとシャークの同時進行のダンスが見られないからです。どっちかにスポットがあたり、同時に映るところでは両方が切れていて、そしてそのシーンではマリアとトニーが中心になる。という訳で、AMPのフィルム作品でもそうですが、舞台の上で色々な事が起こっているシーンは生でしか体験できないという事で、ここはかなり期待してしまいます。
 パートナーをシャッフルしようという試みは見事裏切られ、私の大好きなマンボのメロディーが聞こえてきます。そして、お互いに「マンボ!」と叫びあうシーン。左右でそれぞれが踊っています。さあ、私の好きなあのシーン。シャークの女性陣が片手を額の辺りにあげて、スカートを持ちながらステップを踏む。あのびしっと決めてくれるシーンです。そして、それに答える男性陣。チャキリスの男前なあの決めのポーズ。それは、舞台に現れる事はなくあっというまに通過。き、切れがない・・・
 リフのトンボをきるシーンも、仕方ないです。何せ映画のリフはトンボきって世に出てきたぐらいな人でしたからね。
 さて、マリアとトニーの出会い。このシーン。改めてこのダンスシーンの音楽を聞くと、完全にプロコフィエフのロミジュリと同じ曲の構成です。  出会い、そして一目惚れのシーンですが、相変わらずトニーは女性的で、マリアは背が高くしっかりタイプで立場が逆っぽく見えます。うーん。マリアの方が大きい。。。

 さて、ベルナルドに突き飛ばされるトニー。大丈夫か?と本当に心配になりそうですが、そのまま有名な「マリア」へ。声はのびてますが、やっぱり動き、物腰、全てソフトです。そしてオケの音がまた情け容赦なく襲いかかる・・・

 私の大好きなシーンアメリカが近付いてきます。しかし、映画と違ってシャークの女性陣だけでのアメリア。これが舞台では定番のようですが、やっぱり映画の迫力のダンスシーンを見なれているだけに、物足りないっ!ここは大胆なリフトがなくては!!

 逆にこうなってくると「トゥナイト」の方がいいです。マリアはさすがにいい声でした。トニーより大きな声で響いています。やはり名曲ですね。そして、この歌を聞くと、二人が主役に選ばれた理由が分かります。ダンス無しで歌だけで選べるキャラクターですし。

 さて、ここで不思議な事が。普通ならジェットの「クラプキー巡査の悪口」がドグの店の前で始まるところですが、何故か「クール」が始まりました。リフが生きててクールを歌う。これはびっくり!!リフが死んで気持ちを鎮めろという歌のはずなのに、何故ここに?クラプキーは好きなナンバーなのにカット??

   さて、二人だけのお店での結婚式などが終わり、決闘に向かうカルテットに。でも、ここはカルテットどころか5部か6部ぐらいにわかれている音楽的に醍醐味なシーンです。オケも絶好調の盛り上がりを見せる・・・だから皆の声が消されてるってば、と指揮者を思わずにらんでしまう。ジェットとシャークの決闘が始まり、マリアにとめてと頼まれたトニー登場。でも、やっぱり女の子の雰囲気が・・・彼には止められませんって感じです(笑)

 結果悲劇が決定的になり物語は急展開。マリアとアニタの劇的な私の好きなデュエットが始まります。楽曲として、本当に優れていると思います。そして、消された?と思ったクラプキーの歌は、何故かリフが殺されてからドグの店の前でジェットのメンバーが歌いました。ボスが死んであんなコミカルなナンバーを歌っている彼等ってちょっと???
 人殺しと言われながらもトニーはマリアに会いに来て、ベッドで愛を確かめあいます。しっかし、このシーン。トニーがマリアに覆いかぶさられていて、何だか全てを象徴しているような(笑)

 「Someday Somewhere」のナンバーで全く今まで登場していなかった女性ボーカルがドレスで登場し、トニーとマリアを含めコールドによるパフォーマンスが始まるのですが、このシーンは主役二人にとっては緊張のシーン。なぜなら、マリアが両腕を広げて十字を表し軽くジャンプし、トニーが抱えて少しリフトするシーンが入っていたのです。が、言うまでもなく歌メインの二人。そして、マリアがトニーより大きい。更に、トニーは背が低く痩せてて見るからに非力っぽい。という訳で、マリアが跳んだ、トニーが必死にマリアを抱えた、でもずるっと落っこちた・・・
か、かわいそうなマリア。背伸びして両手を広げたマリアにトニーがしがみついてる風にしか見えない二人に、クライマックスな音楽がのっかってきました。気の毒な。。。

 悲劇は更に続き、アニタはドグの店に行きひどい目にあい、いよいよ舞台はクライマックスへ。チノがトニーを撃ち、マリアの腕の中でトニーは息を引き取る。この悲劇的なシーンが終わる少し前、とっても大阪的なコミカルな一幕がありました。
 マリアがチノに殺されたと思い込んだトニーが「チノ、俺も殺せ!!」と叫んでいる。そこにマリアが登場。「マリア!」「トニー!」と互いに名前を呼び合って近寄ったそのとき、「バンッ!!!」という銃声が。実はその時、私を含め、会場中が静かな演出に、少々眠気を覚えていたようで、その思いきりのいい「バンッ!!!!」に、かなりの人数が飛び上がった!そして、黙ってない大阪人は次の瞬間、口々に「び、びっくりした〜っ!!!」としゃべり出す!会場中がびっくりした、びっくりした、びっくりしたとうるさくざわついた!!!と同時に、びっくりした時の常で、何だか笑っちゃう人続出。ああ・・・一番の悲劇的シーンの前にびっくり人の笑いが会場に伝染・・・大阪だわ。

 とは言うものの、舞台ではマリアの腕の中でトニーが息を引き取るシーンだったと気付いたびっくり人たちはすぐに口を閉じ、舞台に集中。終わると同時に拍手とブラボーのかけ声が。
 何だかんだと突っ込みを入れた数時間。それなりに堪能させて頂きました。しかし、クールとクラプキーの入れ替え。これって「ブロードウェイミュージカル ブロードウェイ版」なら映画と同じなのでしょうか?最後まで疑問が残ったのでした。


◆8月20日◆BOOK◆オンリー・ミー 私だけを◆三谷幸喜著 幻冬舎文庫 571円(税別)◆

 たまたま入った古本屋で300円で購入しましたが、定価でも損しない上に笑えて後ひき豆のように他の著作を探してしまう引き金になる一冊でした。チャゲアスファン以外なら誰もが楽しめるでしょう(笑)

 さて、このエッセイ集を読むと、あの『古畑任三郎』や『王様のレストラン』などを書いた人間の頭の中がどうなっているのかが、ほんの少し垣間みられます。そして、脚本家という仕事がいかに時間に追いかけられているのかも分かります。
 その上、彼が非常に普通の人でプチ意地悪な事も分かり、分かった事は何の役にも立ちませんが、一時の笑いが生まれ、そして『古畑』で今泉を演じてた西村雅彦はうるさい奴らしいという認識を持ち、人に教えてしまうのです。あはは。
 結婚前の彼の文章を読む限り、かなり子供好き。そして、朝日新聞のエッセイを読むと今はかなりの犬好き。そう、トビ君です。

 それにしても、彼の奥様小林聡美のエッセイにも興味が湧いてくる一冊でした。


◆8月16日◆MOVIE◆パイレーツ・オブ・カリビアン◆

 ジョニー・デップとオーランド・ブルームが出てて、私が見に行かないはずがないってな訳で、ディズニー映画は見なくなって久しいのですが、行ってきました。『パイレーツ・オブ・カリビアン』。

 これだけの興行収益を上げているという事は、見た人が非常に多いはずですから、今更私が内容についてどうこう言う必要は全くないのですが、とにかくジョニデが全てな映画でした。
 ニューズウィークも書いていましたが、本当に、彼に救われた作品です。何をさておいても、キャスティングって本当に重要だと、映画関係者は改めて思ったに違いない。何せ、今年の全米夏の陣を制したのは、ディズニー2作品、『ファイティング・ニモ』と『パイレーツ・オブ・カリビアン』でしたから。
 アトラクションをベースにした映画化シリーズの一作目、カントリーベアージャンボリーでこけた後、カリブでディズニーの首脳陣はさぞかしほっとした事でしょう。因に第三弾はホーンテッド・マンションだとか。

 さて、悪名高いジャック・スパロウを演じたデップ。もう独壇場というか、もしかして投げやり?っていうぐらい思う存分好き勝手。メイクといい、しぐさといい、しゃべり方といい、表情も、とにかく全てが彼オリジナル。という訳で、ジェフリー・ラッシュの存在感は薄くなり、ヒロインのエリザベスはオーランド演じるウィルよりジョニー演じるスパロウといる方が楽しそうだし、ウィル(オーランド)もお相手のエリザベス(ナイトレイ)といるよりスパロウと居る方が生き生きしている。ウィル&エリザベスより、オーランド&デップ(あえてこの組み合わせの場合はアクター名で書いているのがポント。笑)との間の方が、見ている側には「愛」が感じられるのです!!
 ウィルとエリザベスの間には「愛」がほとんど感じられないと思ったのは私だけでしょうか。まあ、演じてる方もそうだったようで、ヒロインのナイトレイは「撮影で一番楽しかったのは、デップとラム酒を燃やすところ!」と答えてましたしねぇ。。。愛の薄いカップルですね(笑)

 それにしても!ディズニーランドのアトラクション「カリブの海賊」がベースになっているので、随所にTDLで見た光景が盛りこまれています。
 襲われた街の人々が逃げまどったり、犬が牢屋の前で鍵をくわえてるシーンなど、色々懐かしい光景が実写で出てきます。がしかし!あの結構大人な雰囲気のアトラクションにジョニデのようなスパロウは存在するとは思えない。アトラクションより映画の方がファミリー向けエンターテイメントに仕上がっているのでしょう。  しかし、ジョニーのスパロウを見た脚本家はさぞかし驚いたはず。スパロウの女好きそうな台詞を、かなり物腰の柔らかいというより、かなり女性的なジョニー・スパロウが言うミスマッチ。これ、確信犯でデップがやってるだけに笑えます。彼のスパロウはローリングストーンのキースだそうですが、バイセクシャルの設定っていうのも入っているような。

 ところで、随所に見られるCGですが、一番の見せ場は骸骨と人間の闘いでしょう。しかし、最新の技術で仕上がっているこの場面、さほど驚きは無く、逆にその長さに眠くなってしまいました。同じ骸骨と人の闘いのシーンなら、大昔の映画『アルゴ探検隊』の方が手にあせ握る展開で、私の軍配はアルゴに迷う事無く上がります。

 と、つらつら書きましたが、ジョニー・デップとオーランド・ブルームが居ればいい人には、十分満足出来る作品です。デップの普通でない魅力(でも彼の同じ系統の演技なら『ドン・ファン』の方がずっと優れてます)と、オーランドの素朴なかわいさを見たい人は、ぜひどうぞ。何も考えなくていいエンターテイメント作品が見たい人もぜひどうぞ。大御所の字幕でも全く気にならない内容っていうぐらい分かりやすいです(笑)
 しかし、最後のサルは蛇足以外の何ものでもなかったなぁ・・・


◆8月16日◆MOVIE◆キリクと魔女◆

 スタジオ・ジブリ初の輸入アニメ。それが「キリクと魔女」です。
フランスの作品らしく、実に絵画的な美しい絵で物語は織り成されていきます。魔女が支配するアフリカのある村に、キリクというとっても小さな男の子が生まれます。彼は異常なほど小さく、とにかく走るのが速い。小さな身に似合わずパワフルで、一寸法師のような存在といえばいいのでしょうか。とにかく、何故?どうして?という疑問を抱いた時、彼はその歩みと同じくまっすぐに突き進んで行きます。
 人が悪になるには理由がある。人に酷いことをする人は、人から酷い事をされた過去があり、その傷が治らない限り、その人自身も周囲も痛みから解放される事は ない。それがこの物語の大きなテーマになっています。

 移ろいやすい人の心。現象だけを捉えて、その理由を考えるには至らない事による悪循環。この作品は、アフリカの一つの村で起る物語でありながら、その問題の構造は世界のあちこちで起っている内乱、紛争、テロ、戦争を連想させます。
 最後は愛の物語になり、この展開はフランスだわと、お国柄を感じさせられました 。とにかく、斬新なロボット達、ルソーの絵画を彷彿とさせる森の植物の美しさ、その絵の奥行きの深さなど、視覚的にも非常に優れた作品です。

 日ごろ日本のアニメを見なれた我々にとっては、その絵もさることながら、物の考え方、話の展開も斬新に感じられる作品でした。見る時には、ぜひ吹き替え版で。


◆8月13日◆BOOK◆
ライラの冒険シリーズ『神秘の短剣』フィリップ・プルマン著 新潮社\2100(税抜)◆

 ライラの冒険シリーズの二作目にあたる『神秘の短剣』で、物語は更にその世界を広げます。シリーズの一作目『黄金の羅針盤』は、我々の住む世界とは似ているけれども異なる世界でしたが、本作は我々の住む世界から物語は始まります。

 今回の主人公はウィルという少年。もちろん三部作を通しての主人公であるライラも登場し、物語の中心としているのですが、『神秘の短剣』という物語のみを考えるのなら、これはウィルの物語。行方不明の夫を待ち続ける病気の母親を抱える12歳の少年ウィルは、母親への愛と知恵で、彼等の生活を脅かす謎の存在と必死に闘って生きています。父親の失踪、それに絡んで執拗にウィルと母親を追い回す謎の男達。
 一作目と同様に、物語は子供向けのファンタジーというカテゴリーにはあてはまらず、殺人をも時と場合によっては仕方ないというヘビーな世界で展開していきます。
 精神を病んだ母を知人に預け、謎の男達との闘いを続けるウィルが辿り着いたのは、我々が住む世界とは違う世界。そこでライラとの出会いがあり、二人の運命は更に複雑なものになっていくのです。
 それにしても、一作目で既にその世界観に圧倒されましたが、更にその世界はスケールアップし、複雑化しています。二作目を読み終えた時、結局はキリスト教社会の話しなのだという結論に、我々のようなキリスト教社会の外にある文化圏に住む者は達するのだと思いますが、それにしても何という世界観、構築力でしょうか。

 本作で、一作目からのキャラクターで、私の好きな人物が命を落とします。その瞬間非常に悲しくなった自分の反応に、淡々と語られている物語であるのだけれど、読者にはしっかりと感情移入させながら読ませているのだという事を感じさせられました。

 『黄金の羅針盤』で始まった闘いが『神秘の短剣』で準備を整え、『琥珀の望遠鏡』で解決をみせる。ここまで広がった世界、闘いが辿り着くのはどこなのか。『琥珀の望遠鏡』のその厚さに怯まず、何層にも重なった世界に私も飛び込んで行く事にします。

 


◆8月7日◆BOOK◆ネバーランド 恩田陸著 集英社文庫\514(税抜)◆

 いつものように、恩田陸の「文庫落ち」を待っていた一冊がこの『ネバーランド』。これは、伝統ある男子校の高校生が、誰も居なくなった寮を舞台に、4人だけで年越しをする7日間の物語です。
 出入り自由、寮という広い空間でありながら、ある種の密室であるという特殊な空間の中で物語は展開していきます。伝統ある日本有数の進学校で、寮生が中心の男子高と言われると、連想するところは言うまでもなく、かの有名なラサールですが、似て否なる物と、あとがきで著者は書いています。

 さて、恩田陸定番の、魅力的な少年達が今回もぞろぞろっと4人出てきます。一癖も二癖もある彼等ですが、設定からして分かるように、全員勉強は人並みはずれて出来ますし、著者の描写を読む限り、見た目もなかなか良さそうです。少女漫画に出てくるような、というキャラクター設定ですが(著者自身、最初『トーマの心臓』をやろうと思ったと書いています)徐々に物語りはヘビーな方向に向かいます。

 著者得意分野のミステリーでもオカルトでもなく、書かれているのはそれぞれが抱える悩み。十分に大人だと本人たちは思っているのに、未だ保護者という大人に運命を握られているが故の憤り。
 それぞれに悩みながらも、究極まで思い詰めず、どこかスカンっと気分を変えて対処していくところは、彼等が賢いからなのか、書いているのが大人で女性の恩田陸だからなのか(笑)

 それぞれの「告白」ゲームが始まってからの物語の展開は、十分ミステリーでそれぞれのキャラクターの魅力と相まって、どんどん読み進んでいってしまいます。
 経験した事は無いのだけれど、何だか懐かしさを感じてしまう寮生活、高校生の頃の不安定な心。相変わらず恩田陸はノスタルジーの作家です。

 読み終わった後、一抹の寂しさを覚えると同時に、大人になった彼等に会ってみたいと思う。そんな一冊でした。


<June>


DVD・『マトリックス』/MOVIE・『アザーズ』/MUSIC・ミハイル・プレトニョフ
BOOK・『停電の夜に』/MOVIE・『北京ヴァイオリン』/PLAY・スーパー狂言『王様と恐竜』
BOOK・『ダレン・シャン8』/MOVIE・『マトリックス リローデット』

◆6月21日◆MOVIE◆マトリックス リローデット◆

 ゲームは制約が多い方が面白いものである。そして、物語も不可能があるからこそ、それに立ち向かう主人公たちの姿に心が動かされるのである。

 という観点からすると、このマトリックスの2作目リローデットは、その設定からして既に辛い状態にあり、物語としての生命力が弱い。
 1作目で救世主として覚醒したネオに今や出来ないことはない。何せスーパーマンより早く空を飛び、神霊手術ならぬ蘇生術まで身につけてしまった以上、何が起っても彼には解決できてしまうのだから。
 こうなって来ると、何があってもネオが解決するんでしょというのが脳裏をかすめ、手に汗握るドキドキ感は薄れてしまうのである。更に2作目の辛いところなのだが、我々にも変化が起っている。

 私たちが見た一作目のマトリックス。それは、ジャパニメーションなどの影響が見えながらも実に独創的な世界だった。その発想だけで既に勝利とも言えるほどに。
 ところがマトリックスの世界観に衝撃を受けた一作目と違い、二作目はマトリックスという世界に対して、私達は驚かなくなっているという辛さがある。また、マトリックスに影響を受けた作品が次々に作られたこの4年間、ワイヤーアクションはスタンダードになり、スローモーションも360度から撮った映像も、よほどの事がない限り驚かなくなってしまった。そして、あのスタイリッシュなデザイン、ゴムやビニールといった素材にも慣れてしまった。

 とにかく一種の「レボリューション」(これまたマトリックスの3作目のタイトルでもあるのだけれど)を起こした一作目の後、二作目は残念ながら同じようなレボリューションは引き起こせなかった。二作目だけに一作目で生み出した世界観の上にしか話しは成り立たないし、4年の間に著しくテクノロジーは変化しているので、たった4年の間の変化は著しく、最先端だったものがスタンダード、もしくは過去のものになってしまったのだ。アナログの固定電話回線しかアクセスできない制約はなければこの鬼ごっこは成立しないので変える事は出来ず、今回もネオたちはアナログの電話探しに奔走する。しかし、何でも出来てしまうネオが電話に縛られているというのは以前とは違い、説得力が希薄になってしまった。

 さて、本編である。設定の辛さに加え、今回この作品は無駄の無かった一作目とうってかわり、無理やり「リローデット」と「レボリューション」と2作創らんが為に話しを長くしたという印象が否めず、やたらと長く無駄が多い。
 まず、ザイオンで繰り広げられるダンスシーン。何故ゆえあんなに泥臭いのか。まるで原始時代の踊りのようで、ドラムにのって踊り狂う人間達。しかもこのシーンは長い。マトリックスの中でのスタイリッシュな彼等と対照的に生身の人間というのを全面に出したかったというのかもしれないが、果たして本当に必要なシーンなのだろうか?
 そして、ザイオンでのネオとトリニティのラブシーン。これもちょっと長すぎの感がある。
 こう印象に残るように撮っているところを見ると意味合いを見出したくなるもので、もしかして3作目で受胎があるのかもしれないと考えたりもしたが、それにしても一作目の物語のスピードに慣れた我々には、一作目と二作目がシリーズとは思えない時間の流れ方である。

 本作でも予言者オラクルが登場する。実は彼女もプログラム、そして彼女を守るセラピムもプログラムである事が分かる。しかし、マトリックスに縛られない存在で、まるでバグのように、作り手が意図せず生まれて来た彼等は、緑色のプログラム文字ではなく金色に光り輝き内容が見えない。残念ながらオラクルを演じたグロリア・フォスターは撮影の後急死したらしいので、3作目のオラクルは姿を変えるらしい。
 さて、オラクルが去った後登場するのは、プラグが抜けマトリックスの支配から自由になった、スミス。今や彼はエージェントではなく、増殖するスミスである。  今回劇場予告編、テレビCMで何度も何度もその映像がながれていた「スミス無限増殖の術」。これが驚くほど、CGが薄っぺらい。何故こんなにCG、CGしているのか聞きたいぐらいだ。
 『ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔』のゴラムの映像を見た後では、疑問がわくほど質感が無い。お金も時間もかけたはずなのに、どうしてなのか。そして、これを言ってしまっては話しにならないので言ってはいけないのだろうけど、空を飛べるネオがあんなに頑張ってスミスと闘う必要はどこにもない。ひとっ飛びであっという間に逃げ出せる。見せ場を作りアクションを見せる為に作ったシーンにしか見えないのは、ネオが超人になってしまったから。なかなか脚本家としては動かしにくい、悩ましい主人公である。

 さて、今回非常にフォトジェニックで注目を浴びたのがモニカ・ベルッチ演じるパーセフォニーとドレッドヘアーのアルビノの双子。残念ながらどちらもキャラクターの話題性だけで活かし切れていない印象が残る。
 モニカ・ベルッチは話題性の割にインパクトの薄いキャラで、キーメーカーとネオたちを結ぶ役を担いつつも、もう少し出し方があったんじゃないかという、もったいなさがある。トリニティに嫉妬させるシーンなどは、プログラムにも意志があるという、昔ながらのSF路線を踏襲しているのだが、何だかインパクトが薄い。字幕の問題だろうか。

 そして、アルビノの双子ツイン・ワン&トゥー。本来あの二人はマーシャルアーツOKらしいのだから、高速道路のシーンは空間移動で闘うよりも、もっと肉体を使っての闘いを見せた方が良かったように思う。VFXを見せるより、実際に動いたほうが彼等に関しては成功したのではないだろうか。という訳で、公開当時のCMの露出の高さから期待が膨らんでいた双子は、こちらの期待とは裏腹に、『スターウォーズ-ファントム・メナス』に出てきたダースモールと同じく、その存在だけは非常に有名であるにもかかわらず、我々の期待を裏切る消極的な活躍であっけなく消え去る。正に闘う為だけに存在し、その露出度の高さとあっけなさとに戸惑いすら覚える。
 キーメイカーが本当にアナログな普通の我々が持っている家の鍵のような鍵を作っているのは非常にらしい感じで私としては納得。背の低い冴えないアジア系のおじさんというのが、非常に監督の趣味と言う感じ。大友のコミックなんかに出てきそうなキャラクターである。

 さて、そのキーメーカーを連れて死闘が繰り広げられるという事で、話題になった高速道路のシーン。これは不可抗力で、監督のワチャウスキー兄弟は気の毒としか言い様がないのだが、この映画が始まる前の今後の上映予告映画映像に、ホラー映画『デッドコースター』というのがあった。道路で次々に考えうる最悪の交通事故が起こっていくという映像だったのだが、この映像のインパクトが強すぎて、『リローデット』の映像にさほど迫力を感じられなかった。だが、裏を返せば『デッドコースター』程度の映画の映像の記憶を忘れさせるほどのインパクトが無いという事であり、あれほど鳴り物入りで撮った割りには成功していないと言える。実際、一緒に見に行った友達全員が同じ感想を述べていた。問題である。
 トリニティを演じたキャリー・アン・モスの命を張ったアクション、バイクは非常にクールだが、またまた登場した超人ネオがやはり物語のドラマティック度を下げてしまう。映像の繋ぎも少々粗い。

 さて、物語のクライマックス。アーキテクト(マトリックスの設計者)とネオとの遭遇。思わず、ワチャウスキー兄弟はシュミレーションゲーム『シムシティ』ファン?と思うような展開に。人間とコンピューターの闘いだと思っていたら何と全てがアーキテクトが仕組んだものだという事が判明。バージョン6だと言われて、おいおいと突っ込みを入れたのはネオだけではなく、観客全員であっただろう。
 いつも数人人間を残しておくだの、予期せぬプログラムが生まれるだの色々語ってくれるが、全てを司っているつもりでも次々に予期せぬ事は起こるらしい。今回のネオはトリニティを選んだ。だから次の作品は『レボリューション』なのだろう。

 しかし、全ては私の作った世界とアーキテクトに言われてしまうと、一作目で聞いた時代設定が揺らいで行く。そして、コンピューターと人間の闘いの前の世界があったかどうかも揺らいでくる。そして、アーキテクトは何者だという事になる。彼はどうやって生まれて来たのか。そもそもの事の起こりは?何故に彼はマトリックスとザイオンをスクラップ&ビルドしているのか。それはビッグバンの前、宇宙には何があったのか?という話しにも似ていて、そうなると彼は「神」という事になるのだろうか。
 救世主ネオ、神であるアーキテクト、そして三位一体を意味するトリニティ。こう書くと、何ともスケールが大きい話しに聞こえるのだが、そうは感じられないのは何故なのか。それは設定と内容のバランスの悪さ、あるいは、この物語の結末に納得できるような収集がちゃんとつけられるのか?という半信半疑な心が作用しているのかもしれない。最後の最後で納得できず『レボリューションズ』を見終わった後怒っている自分の姿を想像してしまっている人は多いと思う。

 それにしても、6バージョン目だが、いつも予期せぬバグが生じたり思い通りにいかず、なかなか長持ちしないと嘆くアーキテクトを見て、「マトリックスってマイクロソフト社製だったのね」と言った友人の言葉が印象的だった。

   さて、謎を振りまき、必要かどうかは別にして3作目まで話しを広げた『マトリックス』の完結編『レボリューションズ』。結果はどうであれ、公開されれば早々に見に行こうと思う。


◆6月19日◆BOOK◆ダレン・シャン8『真夜中の同志』◆
ダレン・シャン著 小学館 1500円(税抜)

既にシリーズも8冊目になり、途中挫折組もかなり出て来ている頃かもしれませんが、読み進んでいる組の私は今回も迷う事なく購入しました。定価に8を掛けて、8冊分の内容を反芻してから冷静に考えるのは、やめておきましょう(笑)

 さて、7巻目から登場した「バンパニーズ大王」との本格的な闘いが続く8巻も、やはりバンパイアとバンパニーズの闘いに終始します。続く9巻で一つの区切りが来るそうなので、この8巻目は途中経過。という訳で、バンパニーズ大王が誰なのかという謎は残念ながらまだ解かれる事なく話しは終わっていきます。しかし!私が「もしかして、その大王は前に出て来た彼じゃないの?」と思っていたキャラクターが登場。推理ははずれましたが、やはり彼は一筋縄ではいかない奴になっていました。

 まあ、一言で言えば、ダレンの同窓会な8巻。おお、懐かしい!と思った人はそこそこの記憶力がある人で、え?誰だっけ??と前の巻を読み返した人は相当読み飛ばしている人だというのが試される内容です。
 さて、9巻は10月の発売。どういう決着になるのか、やはりまた発売日に購入してしまうのでしょうね。いつまで続く?ダレン・シャン。これが大王の正体より一番知りたい事だったりして(笑)


◆6月14日◆PLAY◆スーパー狂言『王様と恐竜』@大槻能楽堂

 茂山一族によるスーパー狂言の第三弾は『王様と恐竜』。まずは狂言『棒縛』からスタート。いつも主人が外出中に酒を盗みのみしてしまう太郎冠者と次郎冠者。今日の外出ではそうはさせまいと主人は太郎冠者を後ろ手に縛り、次郎冠者の両手を棒に括りつけてしまいます。これで大丈夫と安心して主人は外出していきます。
 ところがどっこい。酒好きな二人がじっとしているはずもなく、知恵を出し結局いつも以上?にどんどん、ぐいぐい飲んでしまうという、有名な狂言です。

 いつも古典作品を見ると思うのですが、本当に無駄がなく、かつ時代を問題なく飛び越え我々を楽しませてくれる。その完成度の高さに感心してしまいます。
 そして改めて実感した事。それは、能楽堂の素晴らしさ。お豆腐狂言の茂山さんちは、あちこちで公演をされていて、場所もホールも柔軟にセレクトされていますが、やはり能楽堂は素晴らしい。それ用に作られた舞台というのは、やはり見事なものです。入退場の形の美しさもさることながら、とにかく音の響きが素晴らしい。声、足を踏む音、全てが理想と思われる響きでこちらに届くのです。特に古典ではそれが顕著に感じられます。能楽堂の実力を感じ、感動してしまいました。

 さて、あっという間に『棒縛』は終了。いよいよ本日のメイン『王様と恐竜』が始まります。 狂言で恐竜?とその企画を聞いた時から興味津々でしたが、一体どんな恐竜なのでしょう。しかし実は、私の関心は「恐竜」よりも「王様」の方だったりするのですが。
というのも、朝日新聞一面トップにカラーで出た『王様と恐竜』の写真が余りにも強烈だったからです。これは思わず切り抜いて人に見せてしまったほど、インパクトがありました。何せ、王様がヒトラー髭(口ひげ)をたくわえ、頭にはアメリカNYの自由の女神の王冠をかぶっていたのですから。そして、会場に入った時にもらったリーフレットにも、松明持って左手を振りかざしたご満悦な千作じーちゃん扮する王様が全身写真で写っています。うーん楽しそう。

 さて、ざわざわしている会場に、茂山逸平、宗彦さんを含む若手数人が登場。舞台上に置いてある、紐付の大きな地球をぐるりと取り囲みます。何をするの?と全員の注目が集まる中、苦労して地球が天井近くまでひっぱりあげられました。その間観客は、あの紐をどうあの棒にひっかけて持ち上げるの?とか、上のフックにひっかからなかったらどうするの?とか色々考えて見守っているのです。完成時には思わず拍手が。更に唐相撲と同じように玉座セットも設置。この始まるまでの手続きのような作業により舞台に、注目が集まり、静寂が生まれ、そしていよいよ物語が始まりました。

 今回も原作、脚本はスーパー狂言の定番、梅原猛さん。そして、キッチュな衣装を含む舞台デザインは横尾忠則さん。太陽の国、無敵の大国の王トットラーは悩んでいます。オンリョウの国がどうしても自分になびかないのです。それさえ手に入れられれば彼は世界征服を成しとけるのに。そしてある日トットラーは大親友のカネ君、軍隊君、水爆君を呼び作戦会議を開きます。そこに大商人モクスケ、そして何故かカラス(本当は死神です)が参加。会議をしているうちに、戦争には「正義」がなきゃという事になり(とっても某大国を風刺してます)カネ君と水爆君が奮闘。どうにか正義を見方に付ける事に成功し、戦争に突入する・・・

 というのが序盤の話し。この、会議出席者の衣装、特に帽子が凄い!カネ君は頭に大きな「$」に似たマーク、軍艦には軍艦模型、水爆は雲の上に髑髏が付く。大商人モクスケは大きな頭巾、そして首には大きな大きなそろばんがかかっています。カラスは無気味なお面をつけ、手には鎌。呼ばれた正義君はスーパーマンそっくりの青い長そでシャツに「S」でなく「正」の字が入ったマークもちゃんとついています。水爆発射ボタンの入ったケースは、髑髏と放射能マークがヴィトンの模様を連想させる代物です。
 とにかくまあ、この会議のやり取りが面白い。特にモクスケ演じる茂山千五郎さん!この人、絶妙の間、軽やかさ、最高です。アドリブもかなりいけます。絶対に(笑)

   さて、とにかく正義もカネと恐怖で呼びつける事が出来、世界制覇を達成する為に行う、そしてトットラーの不安を払拭するために行う戦争の準備が整いました。
 そこにその噂を聞き反対表明をするトットラーの妻、王妃が登場。三人の娘を連れて乗り込んできます。この王妃、千三郎さんが「きーっ!!!」って感じでまたおかしい。いつも強烈な妻を演じてくれます。「ナマシマ」の時は野村サッチーもどきのドクターキートンの妻。そして今回はトットラーの王妃。金髪立ロールにドレス!マリーアントワネット(本物ではなく、あくまでもイメージ)か宝塚かって衣装でキャンキャンと正論をはいてくれます。そして三人の娘。これが三つ子?って感じの人形(笑)宗彦、逸平、茂の三人が黒子の衣装で一人一体づつ娘人形を持って動かしています。この人形がぬいぐるみって感じで、その下手ウマチックな見た目がまたツボ。動きといい、台詞といいこのシーンもまた爆笑でした。

 結局王様は水爆のボタン入りケースを前に悩みます。この中にあるのは3つのボタン。一つは水爆発射ボタン、もう一つは世界制覇の情報を全世界に発信するボタン、残る一つは何故か特注の糞尿を世界にまき散らす(誰だ、それ考えたの?ってなボタンですが)。
 そして悩むトットラーはいつしか夢の中へ。ここでやっと恐竜が登場。この恐竜がまた凄い。目が赤く光るのですが、恐竜というよりゴジラみたい。そして、何と説教してくれるんです!!恐竜が語る絶滅の恐怖。そして結局トットラーは一つのボタンを選択しました。それが、何と糞尿のボタン!!

 さて状況は一変。世界中に糞尿がまかれ、全員臭い臭いと大騒ぎ。今まで王様、王様と崇めていた取り巻きも、すっかり王様を見限りはじめます。そこにレポーターが登場。何とノーベル平和賞が王様に贈らたのです。その途端手のひらを返したような状況に。取り巻きがまた取り巻きはじめたのです。結局賢明な王妃は満足して、めでたしめでたし。

 と、ちょっと長くなりましたがこんな話しでした。恐竜になっていた千之丞さんと脚本の梅原さんが揃えば、必ず現代社会への風刺、問いかけが出てくるのですが、今回イラク問題もあり非常にタイムリーで考えさせられる作品でした。笑いの中に問題提起、社会批判がある。チャップリンの『独裁者』を見てみようかと思う作品でした。まあ、間違っても「糞尿のボタン」は出てこないでしょうね(笑)


◆6月14日◆MOVIE◆『北京ヴァイオリン』

※この映画が好きな人、内容を知りたくない人は読まないでください。

 チェン・カイコー監督の「さらば我が愛〜覇王別姫」に心打たれてから何年経っただろう。そして、「始皇帝暗殺」を最後に彼の作品は見ることはないかもしれないと思ってから、何年経っただろうか。ハリウッド進出を果たした「キリングミーソフトリー」に至っては、WOWOWでやっていても見ない状態で、もう昔の彼は居ないのね、と思っていた矢先、舞いこんできた新作の話し。それが『北京ヴァイオリン』でした。

 チェン・カイコーが久々に中国に戻って撮る。私的には『始皇帝暗殺』でお葬式出しちゃった(あ、言ってしまった・・・作品の出来が悪く見切りをつけてその後新作チェックをやめる事を、私はこう言います)監督ですが、でも今度は、今までの彼ではなく昔の彼が戻ってきた。そう、今度こそいいらしい!!という噂を聞き(どうやら『始皇帝』でお葬式出したのは私だけではなかったらしい。笑)昔の彼に戻っているなら!と期待を胸に劇場に向かいました。

 さて、この映画はその名の通りヴァイオリンがメインアイテムとして登場します。
 中国の田舎町。そこにしがない料理人とその一人息子であるヴァイオリニストの卵がいました。父子家庭の二人は強い絆で結ばれていて、父親は息子の才能を伸ばしてやることに一生懸命。もっとちゃんとした音楽教育を受けさせたいと一途に思う父親は涙ぐましいまでの愛情と努力で、息子をつれて北京に出ます。さて、彼らの運命やいかに?

   というのが話しのあらすじで、ここに「父子の愛情物」と「都市と農村の発展の乖離が著しい変わりゆく中国」と「何でもお金がものをいう事への批判」というのやら、「物ばかりを追いかけてそれで幸せですか?」みたいなものが、どんどんプラスされ、なかなか盛りだくさん。というより、あれこれ盛り込みすぎでまとまりがない感じに仕上がっています。  親子ものなのに社会派もやりたいという揺れ動く監督の心がそのまま出ちゃったというか。色々なエピソードが融合する前に枝分かれというか。キャラも何だか一貫性がある人とない人が入り乱れていて・・・

 まず、この父子が最初に出会うヴァイオリン教師チアン先生。癖はあるけどもしかして凄腕教師?このキャラ設定からして大きく物語にかかわってくるの?この子のヴァイオリニストとして成功する鍵を握るの?と大きな期待をしていたら、音楽の上では通過点な人で、キャラも最後はきれいにまとまっちゃって何だかいい人になって、あれ?ってな感じ。うーん、何だか・・・ワン・チーウェンの演技はいいんですけどね。

 少年が出会うマテリアルガール、リリも実はいい人。演じている女優チェン・ホンもいい演技を見せてくれています。

 そして、一番問題なのは、何故かチェン・カイコー監督本人が演じている権威、ユイ教授。ねえ、監督。そろそろ映画出演から引退しませんか?『始皇帝暗殺』であなたが始皇帝の父として登場し、キャラ的にも物語的にも重要でいい所を持って行った記憶が鮮明に残っているのですが、今回もこの主人公の男の子の未来を握る有力音楽教師役、まあ言ってみれば準主役で登場されましたね。
 正直、出てきた途端どっひゃーと思って思わず笑ってしまいました。ちらっと自作に出る人はアルフレッド・ヒッチコックを筆頭に数々いらっしゃいますし、制作費の関係で主演したらしい塚本監督の「鉄男」とかもありますし、北野監督のようにそれがスタイルとなっている人ももちろん居るのですが、チェン・カイコー監督の場合、ご本人が出演していなかった頃の映画の出来が素晴らしかったので、その頃に戻って欲しいなと思ってしまうのです。その演技がどうこうではありません。バランスの問題ではないかと。どうしても自分が出ないと気が済まない風な昨今の作品は、何だか客観性というか、物語のバランスが崩れています。

 ここは一つ監督業に専念していただいて・・・まあ、ここは役者が本業の方に任せてもいいのではないでしょうか?
 ユイ教授の自宅の本棚に飾られていた、教授が右手を顔の前にもってきてポーズをとっている白黒のナルシスティックな写真ボードが目立つ位置に飾られているのを発見した時には、シリアスなシーンなのに笑いのツボがぎゅぎゅっと押されてしまいました。チェン監督って、自己愛が強いナルシスティックな人なんだろうかと、とってもそのパネルが気になってしまいました。

 しかも、この教授の初登場の仕方がまた凄い。新進気鋭のヴァイオリニスト、タン・ロンがコンサートで演奏を終え、拍手喝さいの中「今の僕があるのはこの人のおかげです!」と最前列に座っているユイ教授を紹介。教授はすくっとその場で立ちあがり、拍手喝さいの中舞台に向かう。花束をもらって愛弟子と供に観客の声援に答えるってこの登場シーンって、どんなもんでしょう。これを見ながら、監督は「一度こういうのやってみたかったんだよ」と長年思っていたのかしらとか色々考えてしまいました。まあ、この出来事がきっかけで主人公はこの教授に教えてもらう事になるので、華々しく印象的に教授が登場しないといけないんですけどね。それにしても、ちょっといかにもな絵に描いたような展開でした。

 まあ、演じたのが監督ご本人というのは差し引いても、このキャラの設定がまたわかりにくい。ヴァイオリニストとして成功している愛弟子を捕まえて、「心のない、金儲けに走った演奏はするな!」と非常に素晴らしい芸術論を展開するかと思えば、結構マテリアルな人だったりします。そして、これは本編とは関係ないのですが、毎朝生絞りオレンジジュースを飲まれ(余りにもこの生絞りシーンが良く出てくるので、今中国でお金持ちの必須アイテムに、この生絞りオレンジが入っているのか?とマジで思ってしまいました 。笑)たりもするのです。
 とにかくユイ教授は、美しい近代的なマンションにお住まいの、完全に都市型な人。そして自分の思った通りに振舞おうとする、ちょっと人の心を慮れない人物です。

 才能のある子を自宅に住まわせて教えているのは教育熱心な教師という感じなのですが、教える事に燃える教師というには俗なものが見え隠れして、良くわからない。何だか全体に中途半端なスタンスが一貫してあるというか・・・

 そして最後には、主人公チュンに「お前は本当はお父さんの子じゃない・・・としたら?ヴァイオリンと一緒に駅に捨てられた捨て子をあのお父さんが拾って育てたとしたら?」と仮定と言いつつ爆弾重大発言を大事な時期に、多感な少年に言っちゃったりなんかもしてくれる。ま、とにかく私にとっては終始良く分からない人でした。複雑な人物像というより、焦点が定まらない感じと言いましょうか。またこの捨て子設定も、何だか昔からある物語みたいで、妙にクラッシックな感じがしました。

 また、この「音楽には何の関わりもない料理人の子供に、いきなりヴァイオリン天才少年が誕生するなんて事、ありえないんだよ。ちゃんと遺伝というのがあって、彼が天才だったのはこういうわけだったんだよん。」と理由づけをいきなり展開しちゃうところなんか、そういう事だったの!と納得するより結構とっぴといえばとっぴで、これって本当に必要なエピソード?必然性があって出てきたというよりは、「それでも父さんはお前が一番!愛してるぞっという親子愛、涙路線の駄目押しアイテム」としてくっつけた物語のように感じたのは私だけでしょうか。私が素直じゃなさすぎるのでしょうか。
 いや、この映画はそんな風に見てはいけません。こんないい映画をこんなに色々突っ込みながら見てはいけないのです。
 こんな事を思ってみてたのは、ひねくれてる私だけだったに違いありません。なぜなら、劇場で泣いてる人が非常に多かったのです。そしてYahoo!の一般の人の映画評でも高得点をマークしてて評価は高いのです。

 でも、これがチェン・カイコー監督起死回生の作品とは私には思えない。そう、残念ながらそうは思えないのです。あの洗練された、スケールの大きさを感じさせた彼は何処に行ってしまったのでしょうか。

 映画のラスト。チュン少年はヴァイオリンではなくリウ父さんをとり、駅にかけつけそこで演奏します。ここでまた涙腺がぎゅぎゅっと押された方続出だったのですが、これを見ながら「この映画は音楽物ではなくて、やっぱり親子ものだったのか。しかし、この後この登場人物たちどうするのだろう?」と冷静に考えてしまいました。そんな人間をよそに、私の周りでは鼻をすする音が続出。ああ、皆さん泣いている。チェン監督、思惑当ってますよ。私は悲しくないけど。
 しかしこう周囲に泣かれると、私の方がおかしいのかと、今更ながら周囲の反応と己の反応の隔たりに戸惑いが生じてしまいました。
 まあ、とにかく皆さんの反応を見る限り、感動作としては成功して・・・いたのでしょう。きっと。役者陣は良かったです。本当に、いい配役でした。

 最後に。ラストシーン、あの場で泣いてた方、すみません。私、笑っておりました。


◆6月13日◆BOOK◆『停電の夜に』ジュン・ラヒリ著 新潮文庫 590円(税別)

 読んでいる間中、ショートフィルムを見ている気分になり、一作読み終える度に上質な時を過ごした幸せに包まれる。そして、どの話しも分かりやすい解決を見ることなく心に残像が残る短編集。それがこの「停電の夜に」です。
 作者のジュンパ・ラヒリはインド系アメリカ人。文庫本の写真を見ると、驚くほどきれいな女性です。その大きく美しい、そして力のある眼は彼女の鋭い洞察力をあらわしているかのようです。まだ30代半ばで若い作家ですが、登場人物に向けられる眼差しは深く落ちついています。

 彼女は新人ですが、この短編集に編集されている作品で、Oヘンリー賞、ピューリツアー文学賞等、各賞を受賞。輝かしい賞歴です。しかも、デビューしたてで。
 彼女の物語に登場するのは、インド系アメリカ人、そしてインド人。しかし、マイノリティーがどうこうではなく、ある人達の日常風景が静かに切り取られています。そのナチュラルさは心地よく、チャーミングさとウィットが感じられ、優れた作品に出会ったときに感じる、上質な時をもたらしてくれるのです。気付けば物語に引きこまれ、この人たちはどうなっていくのだろうと、時にはその動向をまるで知り合いになったような気分で見守り、読み終わった頃には短編にもかかわらず、長編を読み終えた時のような充実感とこの後どうしたのかしらという思いが残るのです。

 レイモンド・カヴァーの子供達と言われるミニマリズムの作家が、アメリカで沢山生まれた80年代後半から90年代前半。私も魅了された一人だったのですが、その時にジェームス・キャメロンやデーヴィッド・レービッドを見つけた時の喜びを、久々に思い出させてもらった一冊でした。


◆6月8日◆MUSIC◆ミハイル・プレトニョフ@ザ・シンフォニーホール

 久々にピアノが聴きたい。そう思っていた頃、目にとまったシンフォニーホールからの案内。今まで全く知らなかったピアニストですが、その経歴。その曲目に興味を覚え、早速チケットを購入。その後数ヶ月を経てからのコンサート当日でしたが、実際に演奏が始るまで、私は彼がどんな音でどんな演奏をするのか、全く知らずにホールに足を運びました。

 まず今回少しばかり驚いたのは、このコンサートの贅沢さ。会場に入るまで知らなかったのですが、これはロレックス主催の『時の記念日』コンサートだったのです。という訳で、入り口で立派なコンサートプログラムを手渡しされました。もちろんロレックスの宣伝を兼ねている内容ですが、それにしても普通のコンサートならこれだけ美しいプログラムは有料でしょう。チケットそのものの価格設定もだからリーズナブルだったのかと納得。会場にはロレックス関係者やその顧客らしき人の姿が見受けられ、何だかいつもより華やかな雰囲気が少し漂っています。

 さて、開演予定時刻より少しばかり遅れてプレトニョフが登場。チラシの写真見て、経歴を見て思った通り、一筋縄ではいかないような、人をくった雰囲気を持つおじさんです。黒の司祭のような上着を着て、何かもの言いたげな含み笑いのような顔を客席に向けています。侮れない雰囲気といいましょうか。ああ、期待してしまう。

 今日のプログラムは「展覧会の絵」の後、チャイコフスキープログラム「ロシアン・スケルツォ」「ドゥムカ」そして、彼が編曲した「眠りの森の美女」。
 すっと椅子に腰掛け、いよいよ演奏が始まります。ムソルグスキーの展覧会の絵は、ラヴェル編曲のオケ版が有名ですが、本来はピアノ組曲。以前はオケ版の方が好きでしたが、アワダジン・プラットやイーヴォ・ポゴレリチなどの演奏を聴くうちに、この曲はやはりピアノ曲なのだと思うようになりました。それ以来、色々な演奏者の「展覧会の絵」を聴くのが楽しみの一つになっています。組曲を通しで弾く時の構成、一曲ごとの解釈を聴く。それが醍醐味です。

 今日のピアノはスタインウェイ。この人はどんな音を出すのか。心地よい緊張が走ります。  有名なプロムナードのメロディーが会場に響き渡りました。ノンレガート気味な音の連なり。意外にも素朴な雰囲気で、オケ版の管楽器で始まるような 、いきなり大海原が開けるような劇的な解釈ではない。しかしその音の表情は豊で46歳の演奏家の円熟した良さが感じられます。
 モチーフが終わり、「小人」が始まると、雰囲気が変わり、ドキドキするような緊迫感が押し寄せてきました。表情を変えるプロムナード、そして私の好きな「古城」。私のイメージとしては、荒涼とした冷たい大地に昔の面影を残しつつ錆びれてしまった寂しげな佇まいを見せる城。低音の響きに美しいメロディーがのり、目の前に風景が広がっていきます。
 そしてまたプロムナードの後「チュイルリーの庭」。今までの重厚な雰囲気が一変して何と軽やかなのでしょう。「ビードロ」(牛車)は後半の音の広がりが感動的。何という音。何という音の広がり。その力強さに驚きを覚えていると今度は高音でささやかれるプロムナード。「卵のからをつけたひなどりの踊り」は実にコケティッシュ。その素早い動きに確かなテクニックを感じさせられます。「サミュエル・ゴールデンベルクとシュミュイレ」の印象的な冒頭。美術館で絵を見ているかのごとく、次々に変化を見せる演奏。ああ、醍醐味!

 プロムナードでまた私は美術館の通路に戻ります。次に何が登場するのか。今度は「リモージュの市場」。本来はフランスの朝市で女たちがおしゃべりしているという絵がモチーフになっているのですが、プレトニョフの女たちは他に類を見ないほどのおしゃべり!おもわず、そうそう。ロシアのおばさんたちはとってもおしゃべり。こんな風にきっとにぎやかいんだ!と妙に納得。そのスピードといい、あちこちでそれぞれにペチャペチャおしゃべりしている様は、見事としかいいようがありません。描写しつつ、どこかに演奏者の女性に対する視線までもがその音にふくまれているのです。
 そしてまた一変して「カタコンブ」。プロムナードの編曲なのですが、死者への語りかけであるこの一曲は、厳かな雰囲気を漂わせています。続く楽曲は「ババ・ヤーガ」その音量と劇的な音列に高揚感を覚えます。ああ、最高!その興奮のまま「キエフの大門」へ。ああ、何と厳かなんでしょう。何てスケールが大きいのでしょう。その重量感、大きさが体に伝わってきます。この大音響。この会場中に鳴り響く音。もう、これは一台のピアノの音ではありません。どこをどう弾けば、こんな音が出るのでしょうか。一人の人間、一台のピアノが生み出しているとは信じがたい音が私に降ってきます。もうこれは、宇宙を感じる音です。宇宙、そうプレトニョフの演奏する展覧会の絵で私は宇宙を感じてしまったのです!

 何という体験。そして何という感動。ピアノという楽器の可能性、奥の深さに改めて大きく心を揺さぶられました。そして、自分にはピアノという楽器を弾く事が出来るという事に感謝と感激の念が心の奥からわき上がってきます。もしピアノが弾けなかったら、弾ける事への憧れと弾けない事への悔しさで心乱されていた事でしょう。

 演奏が終わった時、会場は歓声と割れるような拍手で包まれていました。夢中で賛辞を贈る観客。そして同様の気持ちで拍手を贈る私。そしてその賛辞を一身に受けるプレトニョフ。しかし、本人は登場と同じようなひょうひょうとした感じで静かに、そして満足げに客席を見て舞台そでに帰ってきました。

 興奮の『展覧会の絵』の後の休憩。そして後半の開始。うーん。やっぱり凄いけど一筋縄では行かない癖のあるにくいおじさんです。ひょこひょこっと出て来て、含み笑いのような表情を客席に向け、そしてまた素晴らしい演奏を始める。人をくったような表情。憎いっ。何とも貴重なコンサートに来てしまいました。
 チャイコフスキープログラムでもプレトニョフの安定したテクニックとキャリアを積んだピアニストが持つ懐の深さを感じさせられます。そして、彼のもう一つの顔も『眠りの森の美女』で見せてくれました。

 作曲家としても作品を残しているプレトニョフ。その彼が編曲した『眠りの森の美女』が始まりました。ローズアダージオや長靴を履いた猫と白い猫など、すっかり頭の中ではバレエ映像が上映中。表情豊な楽曲に耳を傾けているうちに、あっという間に終了。そして相変わらず疲れているのでしょうが、ひょうひょうとしているプレトニョフ。鳴りやまない拍手に包まれたプレトニョフは、その演奏の激しさとは裏腹に、もの静かなそして例の微笑みをたたえ観客に答えています。

 ああ、今日また私のリストに来日したら絶対に行くピアニストが増えてしまいました。ミハイル・プレトニョフ。その驚くばかりのスケールの大きい演奏を、またぜひ聴きたいものです。


◆6月7日◆MOVIE◆『アザーズ』

 公開当時の興行収益が非常によく、主演のニコール・キッドマンもこの映画での演技を高く評価された事もあり、良く出来たホラー作品だろうと期待して見た作品でしたが、最終的に「あ〜それオチかぁ。カクッ」な一本でした。

 ネタバレになりますが、名付けるならシックスセンスオチで、これをあっかるーくやると「ビートルジュース」のジーナ・デービスとアレック・ボールドウィンになれるかもねってな感じ。

 でもニコールの美しさは健在で押さえた演技もなかなかいい。そして、ホラーに期待する思わせぶりでドラマチックな設定もOK。怖がりな私はこれぐらいの恐怖でもドキドキして真剣に見てしまいましたが、結末でどっと疲れが・・・今まで真剣に見ててバカだったわ〜という疲労がどどっと押しよせて来たのでございます。

 まあ、WOWOWで見て丁度良い感じでした。劇場でお金出して見てたら多分怒ってたね。


◆6月2日◆DVD◆『マトリックス』

 数年前にテレビ画面サイズで見たマトリックスを、リローデットを見に行く前に予習のため再見しておこうとレンタルして来たのがまずかった。  一度見たはずなのに細かいディテールを忘れていた私は、4年前の作品にすっかりやられてしまい、メーキングが見たくて思わずDVDを買ってしまったのです。 我ながらバカですね〜。すっかりのせられています。でも、その誕生から4年経った今でも、この作品は鮮度を保っており、ある時代の区切りとスタートを生み出した映画史に残る一本とまで思わせる力があります。

 見ていてまず関心させられるのが、どの絵が欲しいのか、作り手にはっきりしたビジョンがあるという事。どこにも迷いがありません。360度カメラが一周して撮られた映像も、ストップモーションもどれも未だに魅力的で、表現したいものと方法とが見事にマッチしています。ワイヤーアクションも美しく、クールです。そして、ストーリーもまだまだ古くはない。
 当時ネットに入りこむには全て電話回線接続だったので、アナログの電話を探して奔走する様は、現代では少々時代を感じるものかもしれませんが、これは壮大なる鬼ごっこでもあるわけですから、このルールは欠くべからざるもの。このルールがスリルを生み、物語を生み出しているのです。
 また、イメージカラーともなってるモニター画面の緑色の文字。これも既にレトロな感じですが、その古さがかえって異空間というか、いわくありげな雰囲気を生み出しています。

 ジャパニメーション(日本のアニメ)に多大な影響を受けた兄弟が生み出したマトリックスという世界。その世界観は、子供の頃から日本のアニメーションやコミックの洗礼を受けた私には、非常に理解しやすい世界です。
 士郎正宗や大友克洋、特に攻殻機動隊の士郎正宗の作品がこの映画に与えた影響は随所に見られます。サイバーパンクな映像、SM風な黒のラバー、レザー、ビニールで出来たタイトなコスチューム。それがまた似合う体型を持ったスレンダーな役者達の起用がこの映画の成功の重要な要素になっている。どのシーンもコマで進むマンガのように、絵がしっかり出来あがっているのです。しかも、彼等がトレーニングを受け、スタントを極力使わずに撮ったアクションシーンは実に見事。絵も動きもいいのです。

 さて、もう何年も経っているのでネタバレも何もあったもんじゃありませんから書きますが、人類が生きてると思っていた世界は実は仮想現実で、脳の中に存在するものだったというのがこの物語の起り。現実では人間はコンピューター達のエネルギー源として栽培され、胎盤のような器に入れられチューブで繋がれ、誕生から一度も実際に目を覚ますことなく羊水のような人工液の中に漬かって眠り続けているのです。
 脳から脊髄に等間隔につけられたチューブは、人間の出すエネルギーを収集し、コンピューターに吸収されていきます。しかし、コンピューターとの闘いの中で生き残った人間がいる場所があった。それがザイオン。まあ、とにかくコンピューターの糧にされた人類とコンピューターとの闘いなのですが、あの驚くべき理解力の持ち主、アメリカ人の何割がこの設定を理解したのか?!こっちの方が私にとっては、物凄く疑問!!!キャラクター達とデザイン全体の格好良さ、アクションシーンと破壊シーンの数々が「クールだっ!!」と、そのディテールだけにしびれて騒いでいた人も結構多かったのでは?

 とにかく物語は色々なディテールに満ちています。まず不思議の国のアリス。アリスを不思議の国へと誘う白兎は、アンダーソンの家に訪れた客が連れいた女のタトゥーになっています。そして、ネオが選ぶカプセルの薬。これは「私を飲んで」というラベルを見てアリスが飲む薬のイメージ。
次はキリスト教。救世主ネオは「NEO」で並び替えれば「ONE」で神。トリニティーは「三位一体」。などなど。キリスト教のベースがない私にはこれぐらいしか見つけられませんが、恐らくもっと色々隠されている事でしょう。

 救世主として覚醒したネオ。映画の最後には開眼したネオビジョンが披露されます。今や彼の目にはマトリックスはクリアーに見えている。弾丸はスローモーションで見え、片手でその動きを止めてしまう奇跡が起こります。何せ救世主は奇跡を起こすものですから。そして、エージェントがプログラムで書かれている事もネオの目には見える。それどころか、マトリックスそのものが全てプログラムである事が見えている。故に映画の終盤、ネオの視点からの映像は全てプログラムの文字が緑色の滝のごとく流れおちていくものになります。エージェントの形で動いているプログラムの緑文字も披露されています。
 ここで、何何?この映像は?緑?文字?と思っちゃった人は、マトリックスの根本が分かっていない事になっちゃうシーンです。

 まあ、全体を通して良く出来ていますが、気になるのはトリニティーのキスで生き返るネオ。いわゆる、王子様のキスで目を覚ますお姫さまの逆バージョン。ここまで良く出来た話しをこんな安直な、昔からのお約束で繋いでいいのか?!という、まあ考え方によっては、この監督達って案外ロマンチストなのね〜という展開ですが、ここだけが玉にきず。あそこまでやってて、これはちょっと脚本の甘さが出ているなと思った私はひねくれてますでしょうか?

 それはともかく、キスで生き返る事に目をつむってもいいと思わせるほど、映画全体のクオリティは高く楽しませてくれます。
 私にしてみれば、今や「ロードオブザリング」のエルフ役で有名になった、でも私の中では、いつまでたっても『プリシラ』でドラッグ・クイーンになって踊るイメージのヒューゴ・ウィービング演じるエージェント・スミスが、見られるという事も貴重な一本。そして、メーキングを見ると、この映画がどうやって出来たのかが分かり、非常に興味深い。半端ではありません。凄いです。

 さあ、用意は出来ました。覚醒したネオのこれからの活躍を楽しみに、「マトリックス・リローデット」に臨みましょう。某番組でおすぎが5万〜100万払っても見る!と豪語したリローデットのは出来はいかに?!


<May>


MOVIE・『シカゴ』/MOVIE・『グリーン・デステ二ー』

MUSIC・ギドン・クレーメル・トリオ/MOVIE・『めぐりあう時間たち』

MOVIE・『過去のない男』/BOOK・『立花隆秘書日記』


◆5月27日◆BOOK◆『立花隆秘書日記』佐々木 千賀子著 ポプラ社 1500円

 あの「立花隆」の秘書を約5年間務めた人物が書いた日記、とくればそれだけで既に興味が沸くというもの。「知の巨人」とも言われる彼の日常を垣間見るチャンスなんてそうあるもんじゃありません。あの有名なネコビルの中は?日ごろの生活って?家族はいるの?睡眠時間はどれぐらいなの?なんていうどうでもいいけど、何となく日頃から気になっていた事。そんな疑問の答えが、この中にはギュっと詰まっているに違いない。そう、まさしく立花隆への私の好奇心に答える一冊がこの本なのよ!とばかりに手に取った訳でございます。
 私と同じ事を考えた人は日本中にはかなり居たようで、結構な売れ行きを記録。この元秘書だった佐々木さんはさぞかし懐が潤ったことでしょう。

 日記は彼女が失業していた時に新聞の求人広告で「立花隆 秘書募集」を見つけ、恐ろしい倍率を勝ちぬいて秘書になったところから始ります。
 筆者が秘書を務めた間には、オウム事件があり、田中角栄の死があり、立花さんが東大の教壇に立った時期もあり、はたまたスタジオジブリの「耳をすませば」で声優をした事がありと非常に盛りだくさん。東大の先端研や臨死体験などで立花隆がとにかく注目を集めていた時期にあたります。
 そして、優秀で多忙な人にはそれだけ優秀な秘書が要る。彼女の仕事ぶりは本書を読む限り、そつなくこなしていたのだと思います。でも、優秀な人ほどなかなか秘書という職業に向く人は居ないという、私の中での通説の通り、結局彼女は真の秘書ではありません。秘書は自分のボスに輝かしいほどの日が当っていても、自分は陰で彼を支えていなければなりません。
 そして、その評価が例え自分が思っているより低くても、その現状をそういうものだと割りきり、良しとする。何があろうと、秘書は自分の生き方というぐらいの特異な人でないと、プロの秘書は務まらない。英国の執事のように、秘書もまた特別な人、向き不向きが本当にある職業だと思います。

 本書は初め、めまぐるしい時代の流れの中、道先案内人の一人として存在していた「立花隆」の秘書としての生活を生き生きと描いています。しかし、次第に内容は彼女の立花への疑問に変わり、最後は恨み節になり、何とも後味の悪い結末を迎えます。まあ彼女にしてみれば、誠心誠意尽くしたのにこんな幕切れ?と不満に思ったのだと思いますし、その気持ちは分かります。お金の事も、まあ労働に比べれば安いでしょう。

 でも、あえていいたい。あなたが立花の秘書を務めた間に得たものはお金だけではなかったはずです。人脈という何物にもかえがたい財産を築けたのは、立花という人の秘書をしたから。あなたは彼から人脈というかけがいのない報酬を受けとっています。そして、得がたい経験も沢山しています。そして、この本も書けました。秘書にしか書けない、でも真の秘書なら書かない本書は、いくばくかの富みをあなたに齎したはずです。
 これは、今後も誰かの秘書業を続けたいと思ったら書けない本です。恐らく一生もう秘書はしないと決めたのでしょう。

 最終章近くに、立花さんのバブリーな生活のひずみが出てきて、そのつけを私までまわされてしまったというような事が書かれています。でも、人間働くばかりで楽しみがなかったら生きていけません。それは著者自身も全編に渡って書いています。
 逆に私が驚いたのは、立花隆ほどのライターでも、なかなか収入の面で苦労しているという現状です。
 一冊読み終えてみて、私に残ったもの。それは秘書という職業の難しさと、ライターという職業の大変さ。そして、書かずにはいられなかった人の、ちょっぴり不幸な人生でした。


◆5月24日◆MOVIE◆『過去のない男』

 記憶を無くした男が主人公だという認識のもと、「記憶喪失だから"過去のない男" なのだ」と思っていたら、「"過去=存在"がない"過去のない男"という意味でもあったのだ!」という作品でした。

 実はカウリスマキ監督の作品を今回初めてみたのですが、何ともいえない間が心地よく、うーん、どこまで行ってもカウリスマキワールドだわ〜、ヨーロッパならではのテンポだわ〜と、すっかりはまってしまいました。
 淡々と人々はセリフを言い、一見感情がないようにも見えるほどなのに、実は熱い血が流れてる!とにかく監督のカラーが作品全体に染み込んでいるのです。

 さて、この映画。一言で言うなら、「大人の寓話」でしょうか。ざっとストーリーを紹介すると、最初に主人公が夜盗に合い、病院であっという間に心停止。ご臨終の後、何故か突然むくっと起き上がり、病室から脱出。包帯を顔中ぐるぐるに巻かれ、ミイラ状態のまま川べりで倒れているところを、路上生活者もどきの家族に助けられます。この、自分たちもギリギリの生活をしているのに、人を助けてしまうというところに、何ともいえない人情があり、何か超越したものすら感じてしまうのです。貧しいのに豊な暮らしというか。困ってるのに困ってない生活というか。助けた家族のおやじさんがまた、味わい深い!
 彼なりに正装して配給のスープとパンの夕食をとり、ビールを飲みに行く。ちゃんと記憶のない男にもふるまってくれます。それも、とってもさりげなく。そして男のかわいらしさが滲み出てもいる。うーん。味わい深い。

 そして、どんな所でも稼ごうとする奴は居るってな訳で、川べりに住む人達にコンテナを貸して儲けてる男が登場。これが映画だからって訳でもなく、何とか住みかになっちゃうんですよね。電気だって無断でひけちゃうし、遂にはジュークボックスまで!入手。このギリギリの生活の中、生活には全く必要のない物が入りこんで来た後、生活はどう変わるのか?という経過がまた面白い。基本的にこの登場人物達は素朴で心が豊かです。

 話しはゆったりと進みつつも名もない男は徐々にこの土地に馴染み、生活の基盤が出来あがってきます。ふとした事から犬まで彼の生活には入ってきました。
 コンテナ大家が飼っていた犬「ハンニバル」(その名前とは似ても似つかないキュートな白い犬)。この犬がなかなかの名女優!そして、彼は救世軍で働く女性と恋に落ちます。この歳を重ねた女性と男の関係がいい感じなのです。

 終始物語りは淡々、淡々と進み、銀行強盗をしてしまった元経営者のおじさんのような、熱い心を持った登場人物ですら、急ぐことにないテンポで自らの思いを語り、無理のない速度で行動していきます。この熱い思いを秘めた低温の魅力といいましょうか。思慮深いとか、深いというのとはまた違う、カウリスマキのテンポの怪と申しましょうか。とにかく恐るべし、カウリスマキワールド!
 テレビサイズでも問題ありません。ぜひ、ケーブルテレビかレンタルビデオで、ハンニバルの顔を拝んでやってください。(ああ、最後は犬の宣伝で終わってしまった。笑)


◆5月24日◆MOVIE◆『めぐりあう時間たち』

 ニコール・キッドマン、メリル・ストリープ、ジュリアン・ムーアの三人が出演しているという事が、とっても話題だったこの映画。その「話題」を聞いたときには、別段心を動かされることもなく、まあ、テレビで見るかなぁ・・・ぐらいに思っていたのですが、監督が「リトル・ダンサー」のスティーヴン・ダルドリー、原作が「この世の果ての家」のマイケル・カニンガムときたら、やはり見に行かねばなるまい!と意気込んで劇場に足を運びました。

 さて、本作はバージニア・ウルフの「ミセス・ダロウェイ」をベースに3人の女性の生き方が描かれています。
 ニコール・キッドマンが演じるのはバージニア・ウルフ本人。バージニアは精神を病んでいます。
 ジュリアン・ムーアはバージニア・ウルフが書いた「ミセス・ダロウェイ」を読む主婦。彼女は満ち足りてるはずの生活に疑問を抱き、そこから逃げ出したいと思っています。
 メリル・ストリープはダロウェイ婦人と同じ名前を持つ編集者クラリッサ。HIVで余命幾ばくも無い詩人、リチャードから「ミセス・ダロウェイ」と呼ばれています。

 この物語は、一部の人からは「フェミニスト映画」と単純な認識をされてしまっているようですが、そんな安直なものではなく、一筋縄ではいかない「人生」を描いた作品です。
 前作「リトル・ダンサー」と同じく、ダルドリー監督は人の内面を表現する「表情」を役者から引き出すことに成功しています。人の心の揺れ動く様、繊細な心のひだを言葉ではなく、行動や表情で表し、画面に映し出すのです。そして、今回も子役が秀逸でした。ジュリアン演じる主婦の一人息子リッチー。彼の抱える不安が痛々しいほど画面を通して伝わって来ます。その大きな瞳が見ているもの、映すもの。そして、訴えるもの。繊細な彼の心の中を彼の瞳は語るのです。リッチーを演じたジャック・ロヴェロは実に繊細な演技を見せてくれました。
 今回話題になった女優3人の中で、特に印象に残ったのはジュリアン・ムーアでした。なるほど。女優のファンが多いはずです。玄人受けする女優というか、セン スがいいんですよね。本年度のアカデミー助演女優賞は『シカゴ』のゼタジョーンズが取りましたが、演技をみると私なんぞはジュリアンが貰うべきだったんじゃないかと思うのですが、いかがでしょう。まあ、これから絶対もらっていく人だと思います。彼女の主演作、『エデンより彼方に』も楽しみです。

 さて、ニコール・キッドマン。今回つけ鼻がとっても話題になっていましたが、そんな事はバージニアという人物を作り上げる上での一つにパーツにすぎず、立ち方、話し方、その全てがバージニア・ウルフという一人の女性を体現していました。バージニア本人に会ったことが無いので似ているとかそっくりとか言える訳ではありませんが、明らかにニコールの姿はそこにはなく、一人の作家が存在していました。
 入水自殺に至るまでの彼女の狂気、葛藤。作家という特殊な人の日常と、それに携わる人々の苦悩。それは現代に生きる編集者、メリル・ストリープ演じるクラリッサにも共通のテーマとして登場します。

 人に受け入れられない、人を受け入れない、一筋縄ではいかない詩人、リチャード。そのリチャードを演じたエド・ハリスがまたいい。HIVで余命幾ばくもない男と、彼のために心を砕く女をエド・ハリスとメリル・ストリープががっぷり四つに組んで演じていたのですが、さすがです。
 私個人としては特に好きな役者たちではないのですが、その実力には唸らされました。長い経験に裏付けられた確かな演技というのでしょうか。味というのでしょうか。かつては恋人どうしだったリチャードとクラリッサ。現在クラリッサは女性のパートナーと暮らし、人工授精で一人娘を得ています。一方のリチャードはゲイで(クラリッサは例外)今ではパートナーもおらず、クラリッサ以外には訪ねてくる人もいない孤独な状態にあります。その生きる希望を失っている彼を、どうにか生かそうと心を砕くクラリッサ。それは彼に対する愛情なのか、自己満足なのか。 もう人生にピリオドを打ちたいと思うリチャードは病気に負けているのか、それとも死を選ぶというは人としての最後の尊厳であり本人だけが持ちうる権利なのか。
 この「人が自ら死を選択をする事」というのは、この物語の大きなテーマです。リチャードもバージニア・ウルフも、そしてジュリアン演じるローラもその事を考え、一人で結論を出すのです。「自分で選択する死」を考えさせられているうちに、物語は新たな展開をみせます。

 「ミセス・ダロウェイ」の中のセリフ、「花は私が買っていくわ」という言葉以外共通点はなくバラバラに見えた3つの時代の3つの話しが、関係性を持ち始め、物語は終焉を迎えます。その瞬間、それぞれに興味深いと思い見ていた物語が立体的に立ち上がってくるのです。

 今回この作品は、一度では分からないと言われていました。どこが分からないのかは分かりませんでしたが(もしかして、リチャードの過去がらみでしょうか?)リピーターがいるのは良く分かる映画でした。
 たんたんと進んで行くのに目が離せず、静かに語られているのに登場人物達の心の中、感情は激しいのです。『シックスセンス』で母親役を演じていたトニ・コレット(別人かと思いました)、『ロミオとジュリエット』のジュリエットを演じていたクレア・デインズも良かったです。バージニアの夫役、スティーヴン・ディレインに至っては、イギリスの役者の層の厚さを感じました。全体にキャスティングが非常に良かった。そうそう、ジョン・C・ライリー、『シカゴ』でもそうでしたが、かわいそうな夫役でもてもてですね。

 『リトル・ダンサー』でデビューし2作目の『めぐりあう時間たち』で主演女優賞でしたが、アカデミー賞を受賞するまでになったスティーヴン・ダルドリー監督。次回作はまたまた私が気になるマイケル・シェイボン原作の作品だとか。これからも目が離せません。


◆5月22日◆MUSIC◆ギドン・クレーメル・トリオ@ザ・シンフォニーホール

実に久々のギドン・クレーメル。私が前回彼の演奏を聴いたのは、彼が若手音楽家を育てる為に作った「クレメラータ・バルティカ室内管弦楽団」のコンサートだった思うのですが、それから3年は経っているはず。昨年はギドンの病気で来日が中止になったという事。久々に見たら、ギドンも歳をっとったと驚いてしまうかもしれないと、ある程度覚悟のようなものをしながらコンサートに向かいました。

 さて、今回は「クレメラータ・バルティカ室内管弦楽団」にも参加している20代の女性、ヴィオラのウリジョナとチェロのスドラバをつれての「ギドン・クレーメル・トリオ」としての来日です。
 もともとチケット料金設定が安いギドンですが、若手の二人を連れているからでもあるのでしょう。巨匠ギドンのコンサートとは思えないロープライス(一番いい席で7000円、一番安い席で何と1000円)に、パンフレットは何と500円。この人の姿勢というものを感じてしまいます。

 場内が暗くなり、いよいよ三人の登場。言うまでもなく、先生と生徒という感じが漂っています。久々に見るギドンは、やはり歳を重ねていました。前のような研ぎすまされた感じがなくなっています。ですが、大病の後なのでしょうがふくよかでほっとしました。

 演目はドホナーニ、シュニトケ、そしてモーツァルト。最近ギドンの演目には、必ずシュニトケが入っているのですが、私はどうしてもこのシュニトケの音が苦手なのです。シェーンベルグが好きな人なら大丈夫でしょうが・・・どうもこの、12音音階系が苦手なのです。神経を逆撫でられる感じというか…やはりモーツァルトにホッとしてしまいます。

 さて、チェロとヴィオアラの二人。さすがギドンが連れているだけあって、非常に才能豊な若手音楽家です。なかなか懐も深い演奏をします。ですが、やはり若い。アンコールでピアソラのタンゴを弾いた時に、それははっきり出てしまいました。まあ、皆の記憶に鮮烈に残っているギドンのピアソラの録音の時のメンバーは、秀逸、百戦錬磨なおじさま達の演奏ですから、彼女達は分が悪すぎるのですが。

 全体を通して、いいコンサートでしたが、やはりあの、数年前のギドンの演奏と比べると精神的にも技術的にも時間の経過というのを感じてしまいました。とは言うものの、今回、彼が演奏を始めた瞬間の第一音には鳥肌がたちましたが。

 いくら素晴らしい演奏家にも、一番の盛りの時というのがあります。これはあくまでも私が感じたことですが、ギドンがピアソラに恋していた頃。映画「シャコンヌ」でバッハのシャコンヌを演奏していた頃。その頃がギドンが一番充実していた頃ではないかと思います。

 これからも来日したら必ずコンサートホールに足を運びますが、ピアソラツアーで感じた躍動感、しびれるような緊張は恐らくもう感じる事はないでしょう。その変わり、人生の厚み、味わいを求めて、彼の演奏を聴きに行きたいと思います。

 それにしても、アンコールであの独特の太い声で「次はピアソラの・・・」とギドンが言った途端わき上がった会場。彼は笑っていましが、なかなかピアソラの強烈なイメージは聴衆から抜けていってくれないとも思っているのかもしれませんね。


◆5月13日◆MOVIE◆グリーン・デステ二ー

 私が監督アン・リーを知ったのは、もう随分昔の話し。ベルリン映画祭で金熊賞を受賞した「ウエディング・バンケット」を見て以来、私の中ではかなり注目度の高い監督となりました。
 という割りには、アカデミー外国語映画賞まで撮ったこの映画を、今まで見ていなかった(しかもWOWOWで何度目かの放送でやっと見た)というのがとっても私らしいのですが(笑)

 とにかく、まあ、アン・リーなら面白いだろうと思って期待してみたわけです。が、しかし!役者はいい。アクションもまあ、無茶なワイヤー吊りで、忍者かミュータント(Xメン系)かというぐらいの超人的な跳躍力、空中浮遊、空中歩行&格闘も、こういう物語だからまあ、楽しんじゃいましょう!ていうか、吊られすぎでジタバタしてる不安げな足も面白い!と言う感じなのですが、いかんせん。脚本が駄目でした・・・
 まあ、これ以上どうしようもないんだろうけど、物語の終わり方も「おいおー いっ!」ってな感じだったし。せっかく大人カップルがいい演技を見せてくれていたのに。残念です。

 それにしても、アン・リー。ハリウッドに進出して、どーしちゃったんでしょうかね。「いつか晴れた日に」も見ておかなければ。新作「ハルク」はどうなんだろう?

 しかし・・・アン・リーよ。お前もか。とほほ。(その他のバージョンに、チェン・カイコーが居る。笑)


◆5月10日◆MOVIE◆シカゴ

 ブロードウェイで初めて見た舞台は、ミュージカル「シカゴ」。シューバート劇場でブロードウェイの洗礼を受け、余りの凄さにクラクラ来ながら見た思い出の作品。
 それ以来繰り返しCDを聴きつづけていた私にとって、「シカゴ」の映画化はわくわくする話しで、誰が、どんな風に映画化するのか、興味津々だったのです。それから時が経ち、HMVにサントラが並ぶ頃。とりあえず買っちゃえ!と先行して購入した映画「シカゴ」のサントラは、ダニー・エルフマンのアレンジはいかしてるものの、リチャード・ギアの俳優な歌、というかコミカルな声、というか、ちょっと辛いものが入ってる(笑)歌声に、「うーん。どうだろう」と、少々不安が生じ、更にロキシーがゼルウィガーと聞いて首を傾げ、ゼタジョーンズはまあ、元々ミュージカルに出てかたらと気を取りなおしてアカデミー賞を山ほど取った映画を見るべく、劇場に足を運びました。

 さて、お馴染みの字幕界の大御所のお名前がスクリーンに登場。この時点で、今日の映画鑑賞の字幕とヒアリングの比率をしっかり聞き取れないなりにも、ヒアリング多めに調整(笑)とは言うものの、ブロードウェイで見た時に、英語についていけず分からなくなっていた物語の詳細が今日、やっと明らかになります。

 物語は始まりから慌しく展開していきます。何せ人殺しが発端で、その後がメインですから、ちゃっちゃと殺人が起ります。
 ゼルウィガーのロキシー。この女優。ファンの方には申し訳ありませんが、何故いつも主役をはってるのか、やっぱり私には分からない・・・スクリーンに映った途端に花が咲くような輝きを彼女に求める気はありませんが、上手いけれども舌を巻くほどの演技とも感じられず・・・玄人うけするのかしら。

 さて、ベルマ役のキャサリン・ゼタジョーンズ。撮影当時既に妊娠中だったそうで、それを考えるとあの激しい動きをこなしたプロ根性はあっぱれですが、その昔「エン・トラップメント」で見せたスリムな体はどこかに行き、歌って踊ってると少々息が苦しそうで、ぎりぎりいっぱい頑張ってる風です。もう少し余裕があれば・・・まあ、何が何でも「オールザットジャズ」は私が歌う!と頑張ったとご本人が言っていたので、執念のベルマだったのでしょう。
 まあ、舞台でかの有名なウテ・レンパー演じるベルマを見たラッキーな私は、比較対象が凄すぎたのかもしれません。

 そして、弁護士ビリー・フリン演じるリチャード・ギア。この人は本当にくまなく仕事をしている!オールラウンダーというか、そのチャレンジ精神、そして次々に舞い込んでくる仕事の依頼。競争の激しいハリウッドで、これだけ長年に渡って活躍してるのは、本当に凄いことだと思います。ここまで来ると尊敬です。少々歌に難ありなんて、彼に対しては言えません。(って言ってるけど)
 とはいうものの、今回の一番はママ・モートンこと女看守長役のクイーン・ラティファ。前評判通り、実にいい味を出していました。演技、歌ともにいい味を出しています。

 とまあ、役者はこんな感じだったのですが、今回この「ミュージカル映画」は突然歌い出すミュージカルの特異なところを排除し、ミュージカルが苦手と言う人にも親しんでもらうように「これは空想ですよ」とか、「今歌って見せてますよ」とか、不自然に見えないようにする演出にこだわって作ったと監督が語ったとおり、見事に物語と歌のシーンの繋ぎがコントロールされていました。

 でも、その不自然さが無くなった一方で、作品自体はちょっと間延びしたというか、ごたごたした感じというか、忙しいにも関わらず、少々眠気が襲ってきました。舞台出身の監督なだけに、血が出るシーンは赤い布が使われたり、幻想的に見せたいシーンで布を天井から下ろしている舞台美術があったのですが、舞台では非常に映えるこの演出、スクリーンでは何だかごちゃごちゃして見えて、どうも映画というジャンルではミステイクな感じがちょっとしました。舞台では本当にいいんですけどね。
 そして、全体的に、フォッシーと比べると非常に健康的な演出は、何だか「粋」が薄れて、非常にエンターテイメントに仕上がってました。フォッシーを求めて見た人は、楽しむ為には別物であると認識しなければなりません。

 さて、ここまでロクに褒めもせず突っ走ってますが、極めつけ(笑)。今回も字幕がやってくれました。一人一人の罪人が自分の罪を語るシーン。英語圏の語りはちゃんと訳がついていたのですが、ハンガリー語になった途端、数分間字幕無し! これには驚きました。まあ、アメリカでも英語字幕が入っていなかったのかもしれませんが、それにしても・・・
 ネタバレになりますがここで書かせてもらうと(嫌な人は読まないでください)、このハンガリー人は後に最初の絞首刑に処される女性になるので、処刑シーンが出てくるのです。という訳で、何故彼女が捕まったのか観客が知ることは、非常に大切なところだと思うのですが、字幕が出ずハンガリー語でまくしたててるので、観客には何が何だかさっぱり分からず。CD歌詞カードにはちゃんと訳が入ってるのですから、せめて日本語字幕には出すべきだったのではないでしょうか。彼女は何の罪で処刑されたのか、気になってる人は多いはずです。というより、普通は気になります。DVD発売時にはどうなるんでしょうか?

 とまあ、ここまでほとんど褒めずに来ましたが、恐らく楽しめる作品なのだと思います。フォッシーのあのイメージに囚われていなければ。アカデミー賞の受賞数といい、映画館の上映期間の長さといい、ヒット作には間違いないのですから。私個人としては、大雑把に把握していた物語の詳細が分かって、めでたし、めでたし(笑)


<April>


PLAY・パリ・オペラ座バレエ団『ジュエルズ』/BOOK・『両性具有の美』
MOVIE・ボウリング・フォー・コロンバイン』


◆4月19日◆MOVIE◆ボウリング・フォー・コロンバイン

 以前からアメリカは「変だ」と思ってましたが、ある意味「狂ってる」だったのだと知らしめてくれたのが、この「ボウリング・フォー・コロンバイン」でした。
 これからこの映画を見る予定で、内容については一切知りたくない!という方は、ここから読むのをやめてください。

 映画は、この長編ドキュメンタリー映画の監督であるマイケル・ムーアが銀行で新しい口座を開くところから始ります。
「新聞で見たんだけど、新しい口座を開いたら銃をくれるっていうのをお願いしたいんだ」と、銀行窓口で係員に告げるムーア氏。ここでまず、度肝を抜かれました。
「え?我々が銀行でサランラップとかティッシュとか貰うのが、アメリカでは銃なの?!」と。しかも、銀行ですよ、ここは。
 銀行強盗が入る前から銃が何百丁(確か五百丁と言っていた)も地下倉庫に置いてある銀行なんて、常識では想像も出来ないでしょ?

「はい、ございます」と言って窓口の職員が取り出したものは、何と銃のカタログ。 どれがいいですか?と聞かれ、これと言って頼んだのは、ライフル銃サイズの大きな 銃。(詳しくないので、銃の種類は良くわかりませんが)それが窓口でぽんと渡される。
 いい銃だねと言って銀行の中で銃を構えるムーアが、この銃を手にするまでにした事は、「口座を開きたい」と告げ、銃に関する書類を一枚書いただけ。しかも、この書類がまた凄い。
 精神病暦があっても、逮捕暦がなければOK。更に注目すべきは「人種」の欄があること。「人種は重要よ」と言う係員はもちろん白人。精神病歴のある人は銃をもらえても、黒人は貰えないようなニュアンスが漂っていました。

 という幕開けで、「アメリカ社会にとっての銃って何?」という思いと「あいつら狂ってる!!!!」というショッキングな現実に打ちのめされてる間もなく、このドキュメンタリーは「いかにアメリカでは銃が軽く扱われ、多くの人の命を奪っているか」を白日のもとにさらしていくのです。

 ハンティングに猟犬を連れて行ったとき、飼い主がハンターの格好をふざけてさせたついでに銃まで持たせ、暴発の果てに飼い主が足を撃たれて歩けなくなったエピソード。
 Kマート(本当にありふれた大手スーパーです)で何百発でも簡単に変えてしまう銃弾。護身用に必要な量を遥かに超えた銃の保有。自衛するのは国民の義務で権利だと、集会を開いては銃の練習を繰り返す自警団。そして、異常なほど権力を持ち、激しい主張を繰り返す全米ライフル協会。

 その会長である「チャールトン・ヘストン」はアメリカで銃による悲劇が起る度、その惨劇に苦しむ住民、銃の犠牲者となり悲しみに打ちひしがれる家族がいる街に出向き、「我々は銃を手放さないぞ!」決起集会を開いて行脚しています。
 どう考えてもまともな人間の思考ではなりません。でも、彼はシンボリックなだけでしょうから、まあ、協会自体が狂っているのでしょうけれど。
 先日彼はアルツハイマーである事を理由に会長を辞任しましたが、会長がこの協会の方向を決めていた訳ではないでしょうから、全米ライフル協会は、同じ活動を続けていくのでしょうね。

 さて、題名にもなっている「コロンバイン」ですが、これはトレンチコート・マフィアといわれる、黒いコートに身を包んだ高校生2人が、母校であるコロラド州リトルトンのコロンバイン高校に乗りこみ銃を乱射。12人の生徒と1人の教師を殺害したのち、自殺するという衝撃的な事件から来ています。
 この二人が学校に乱入する前、彼等はボウリングをしていました。このボウリングのピン、人の形に似ているでしょう?実際「自警団」ではボウリングのピンを人に見たてて射撃練習をしています。

 彼等は何故この事件を起こしたのか。それを探る事で、ムーア監督はアメリカの現状を容赦無く暴いていきます。
 この事件が起ったとき、彼等が聞いていたあるバンドが問題になりました。この映画には出てきませんでしたが、黒のトレンチコートを着て高校の教室で銃を乱射する空想シーンが登場する、レオナルド・ディカプリオの映画「バスケットボール・ダイアリーズ」も問題になりました。
 さて、問題のバンド「マリリン・マンソン」は悪魔的、過激で非常に有害に見えるという事から、事件の前から嫌われていましたが、この事件の後では決定的になりました。ムーアはそのマンソン、そしてコロンバイン高校卒業者のマット・ストーン(過激と言われているアニメ「サウス・パーク」の原作者)、そして犠牲者の家族たちなど、さまざまな人に話しを聞いていきます。

 ここで明らかになるのは、権力者、現在力を持っている白人は人の話しを聞かないという事。自分たちの主張は山のように語ってくれますが、人の話しはまず聞かない。その中にあって、「コロンバインの人達にあったらどうする?」と聞かれたマリリン・マンソンが「話しを聞くよ。出きることは、それしかない」と言ったのが非常に印象的でした。ルックスはともかく、彼はとってもまともな人だと思ったのは、私だけではないはずです。
 ところで、この事件が起こった時の救急車や警察への通報時の会話が残っているのですが、それに加えてメディアとのやりとりも録音されており、映画の中ではその録音も再生されています。この時のやり取りは、現代社会の病んだ部分を見せつけられるもので、やりきれないものを覚えました。
 今、全てはマスメディアにとって、そしてそれを見る人にとっても、どんな内容であっても世の中で起こる事は一種のエンターテイメント、ショーであるようです。どんなに深刻で一刻を争う時でも、マスコミは自分達の報道を最優先に考え、それに答える人間も事件の方よりマスコミに取り上げられるかもしれない自分を優先してしまうような現象が起こっています。恐ろしい話です。この他の事例を見ても感じた事ですが、事件がショーになっている。そこに現代の恐怖があります。

 この惨劇の後には、何と6歳の男の子が学校で6歳の女の子を射殺するという衝撃的な事件が起りました。この時にも全米ライフル協会は集会を開くと同時に、ある会員は6歳の男の子を死刑にすべきだと主張してきました。恐らく彼の母親が、生活保護を受ける黒人女性だったからでしょう。親が黒人なら、子供も黒人ですから、彼等は容赦しないのです。

 全編を通して見ると、「アメリカの銃社会」は、貧困と人種問題、そして経済が絡み合っているというのが良く分かります。奴隷としてアフリカから無理矢理連れて来た黒人が南北戦争で解放された事から、白人は武装を更に強化しはじめ、クークルックスクランが活動をはじめ、全米ライフル協会が出来、未だに自衛、自衛と言って銃を何丁も保有している。
 「危機が迫っていると分かっているのに、自衛して何が悪い?銃を持っている事?それは、何だか安心だろ?自衛するのは国民の義務で権利さ。やられる前にやる。これは当たり前。」というこの感覚を見せつけられているうちに、「そうか。アメリカがイラクにやった事って、国内で白人達がやってるのを海外に持ち出しただけなんだ。疑いがあるなら、先にたたいちゃえって、この感覚、アメリカなら普通なのかも」という(まあ、イラクに関してはもちろん、そればかりではないのですが、そういう一面もあるという)現実に気付き、またそれはそれで、そら恐ろしさを感じました。

 それにしても、銃で人が命を日常的に命を落とし、防犯の為にセキュリティシステムにお金を払う人が多いアメリカの一都市、デトロイトと湖を挟んだだけの至近距離にあるカナダでは、鍵をかける習慣が無い人が多いという事実はまた、別の意味で衝撃でした。今時日本でもこんな事、ありません。世の中、まだまだ不思議な事が多いです。

 最後に。Kマートがこの映画をきっかけに、銃弾の販売をやめると宣言しました。そして、この映画をきっかけに多くのアメリカ人が自分たちの住む国を見つめ直しました。そして、アカデミー賞は長編ドキュメンタリー映画賞をこの作品に贈りました。これもまた、アメリカです。少しでも世の中が良くなりますように。願ってやみません。


◆4月18日◆BOOK◆『両性具有の美』白洲正子 著◆新潮文庫・400円(税別)

 白洲正子の名前は知っていても読んだことは無い…から漸く脱却した一冊目がこの本でした。内容が内容だけに(笑)もっと他にあるでしょうと言われそうですが、とにかく書店で平積みになっているのを見つけて、思わず購入してしまったのです。

 さて、言わずもがなのエッセイ集な訳ですが、冒頭は映画『オーランドー』。そこから折口信夫もちらりと登場しつつ、稚児、能、南方熊楠、源氏物語、天狗に遂にはカストラートのファリネッリまで、かなり広範囲、というより、ミックス、あるいは思いついたまま(笑)に書き連ねてらっしゃいます。

 学問をする上で師弟がフィジカルな関係を持つのに(折口信夫の場合なんぞは、プラトンの饗宴的ものより、もっと生臭い感じがするのですが・・・でも、そもそも饗宴を持ち出すべきでないかもしれない、日本特有な感じが漂ってますな)肯定的な所など、所々に、うーん。それはどうかなぁ〜寛大というか、感覚が違うなぁ〜と思うところはあるものの、日本文化の隠れているようで隠れていない、でも気づかない人は永遠に気づかない(笑)世界を垣間見るには興味深い本です。

 両性具有といっても、男性の話しばかりで、女性の両性具有の話しは出てきません。基本的に白洲さんは女性でありながら男性的、というより、むしろ彼女自身がメンタル的両性具有だったのだなぁ・・・という一冊でした。しかし、これを読む限り、薩摩って独特なお国柄だったのですねぇ。


◆4月5日◆PLAY◆パリ・オペラ座バレエ団『ジュエズ』@びわ湖ホール

 久々のルグリに胸ときめかせ、パリ・オペラ座バレエ団の日本公演最終日「ジュエルズ」に行ってまいりました。実は、私の中ではベストのバレエ団がパリオペなのですが、この日まで一度も生で見た事が無かったのです。数年前に「ルグリと仲間たち」の公演を見て以来、今度来日したら絶対に行きたいと思い続けていて、漸く念願かなってこの日を迎えました。

 とはいうものの、実はそんなにバランシン好きではないので、どうなのかしらと少しばかり躊躇したのが座席にも表れ(笑)2階の隅っこの席で見る事となりました。後悔先に立たずとはこの事です。もっといい席にしておけば良かった・・・

   幕があがり、その瞬間その舞台の美しさに、久々に見るクラッシックバレエの香り(と言っても、バランシンは古典ではないですが)にすっかり魅了されてため息が出てきます。
 いつも感じる事ですが、世界に名のしれたオペラ座のバレエ団、オペラは何が凄いって、まず群舞、合唱、オーケストラといった主役を支える人たちの実力が凄い!主役が出てこなくても、その凄さは一目瞭然。パリオペのコールドもさすがです。素晴らしい!やはり、これが伝統なのでしょうか。クリスチャン・ラクロワの衣装、舞台美術も美しい。この舞台美術、実にツアー向きです。

 まずは「エメラルド」が踊られます。あの美しい緑の石の、輝きとその石のカットが感じられる作品です。今回、最終日という事もあって怪我などが原因で、女性のエトワールが、次のルビーのクレールマリ・オスタしかいないという状態でしたが、皆さすがに手堅く踊っています。

 次にいよいよ、注目のマニュエル・ルグリが踊る「ルビー」が始まりました。初めて見るオスタと待ちに待ったルグリ。まず、オスタですが、好き嫌いが別れるところかもしれませんし、ファンの方には悪いのですが、私にはちょっとエトワールというには輝き不足に感じられました。研ぎすまされた鋭い動きが感じられないというか・・・コケティッシュな魅力があるのかしらと思うのですが、今までのパリオペのエトワール、ルディエールやゲラン、プラテルといったダンサー達を思い浮かべると、ちょっと、うーん・・・という感じ。まあ、当時は黄金期だったとも言えるのでしょうが。

 さて、いよいよルグリの登場。何と若々しい輝き。何と楽しげなのでしょう。彼を見て、これがバランシンなのだと、漸く理解出来たというか。さすがです。このコントロールが行き届いた動き。振付家の意図する所を見事に体現する感受性と表現力。ああ、東京まで行って彼の「バヤデール」のソロルを見るべきだった・・・と後悔してしまうほどに素晴らしい。
 最後まで私の中に疑問の残った(笑)オスタと、相変わらずパーフェクトなルグリ、そして美しく踊ったステファニー・ロンベールをメインにおいた「ルビー」があっという間に終わりました。上演時間20分。あー、何と短い。もっとルグリが見たい!ルグリだけでもう一度最初からアンコール!!

 さて、最後は「ダイヤモンド」。映画「エトワール」でたっぷり語ってくれたマリ=アニエス・ジローと、私にとっては久々のジョゼ・マルティネス。二人とも美しいダイヤの輝きを安定したテクニックと表現力で演じています。マルティネスといえば、映像で残っているヌレエフ版「ロミオとジュリエット」で、その昔ジュリエットの婚約者を演じていたのですが、その印象が私にはとっても強く、今の彼を見ると大人になったなぁ〜(はっきり言うと、おじさんになったなぁ〜だったのですが。笑)と妙にしみじみ。それにしても、いいダンサーですね。
 いいダンサーと言えば、ジローも本当に安定しています。今のパリオペで彼女がエトワールでない理由って何なのでしょう。

 3部に別れているジュエルズは、その美しさに見とれているうちに、あっという間に終わってしまいました。最後は千秋楽という事でNBSさんが用意したメッセージと紙吹雪が、出演者やスタッフで埋め尽くされた舞台に登場。凄い盛り上がりのうちに幕が閉じました。
 次にパリオペラ座バレエ団が来日してくれる時には、ぜひ全幕ものを見に行きたいと思います。

 それにしても、琵琶湖ホールの床は、バレエと相性が悪いらしく、キュキュ、キュキュと音がしきりになっていました。惜しい・・・


<March>


BOOK・『ダレン・シャン7黄昏のハンター』/BOOK・『象と耳鳴り』

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・ampSWAN LAKE 2003, Japan Tour Report Vol.1 
・amp SWAN LAKE 2003, Japan Tour Report Vol.2-1
・amp SWAN LAKE 2003, Japan Tour Report Vol.2-2
・amp SWAN LAKE 2003, Japan Tour Report Vol.2-3


◆3月20日◆BOOK◆『象と耳鳴り』恩田陸 著◆祥伝社文庫・562円(税別)

 ずっと文庫になるのを待っていた『象と耳鳴り』。表題作を含む短編集ですが、主人公はいずれも元判事の関根多佳雄。このおじさんというより、おじいさんに近い年齢の関根さんですが、非常に魅力的。そして、その息子春と娘夏も魅力的です。

 ジャンルとしては「本格派」になるらしいですが、そこは恩田陸。本格派好きには嫌われると分かっていながら、あえて言わせてもらうと、「そんなのこじつけじゃん!」(あ、今怒った人が居たかも)と言いたくなるような謎解きがほとんど無い。でも全くないという事は無い(笑)。でも、さほど気にならない。更に言うと、普通では通らない話しをその手腕で上手く通して見る、そこが作家の力量ですから、やはり彼女は上手いのです。

 一作ごとに趣向を凝らしていていて、どれも違うアプローチが見られますし、謎は解決していながら物語の余韻は残るという、なかなか味な話しが多いのです。
 私としては、春と夏の揃った「机上の論理」、春と多佳雄の「待合室の冒険」が好み。春、夏と魅力的な関根一家の話しがもっと読みたいと思うのでした。

 移動中の電車の中、何もない休日のブレイクタイムなど、ちょっと時間が空いた時に、つかの間の楽しみを提供してくれる、お薦めしたい一冊です。


◆3月15日◆BOOK◆『ダレン・シャン7黄昏のハンター』ダレン・シャン著◆
小学館・1500円(税別)

 今回うっかりしていて発売日の後に出版された事に気付き、その頃にはもう書店からはすっかり姿を消していた7巻でございました。いつの間に、こんなに売れる本に成長してたんでしょう(笑)結局Amazonで翌日入手しましたが。

 さて、前回6巻のFeeling Noteで、あまりにもネタバレなので書かなかったダレンのその後ですが、今回は・・・どうしましょう。書いちゃいますので、これから読む人は、ここから読まないで下さい。

 バンパイヤ元帥になったダレンは(この結末に、そんなのありか!!!と突っ込んだのは、私だけではあるまい。笑)多忙な日々を過ごしていますが、そこにまた皆の運命を握ると言われるミスター・タイニーが出没。クレプスリーとダレン、そしてミーハキャットは久々に旅に出ます。その間にダレンの大人への変身が始まるのですが、まあ、とにかく内容はいつもながら非常にシンプル。でも、やはりどんどん読んでしまう私。

 今回注目すべきは、クレプスリーの頬の傷の由縁、大人になったエブラ、そしてバンパニーズ大王の出現。7巻から先の3冊、9巻までが一つの話しらしいので、本書は全て「事の起こり」に終始します。ここでまた私の「バンパニーズ大王って、やっぱりあの最初に出て来た彼なんじゃ・・・」疑惑が浮上。

 さてさて、どうなるのか。ダレンは小学館が出しているので、次々発行ですから早々に答えを知る事が出来そうです。


<February>


BOOK・ロンドン骨董街の人びと/MOVIE・刑務所の中/PLAY・スーパー狂言『クローン人間ナマシマ』
MUSIC・ヴァイオリンの怪人ラカトシュ映画音楽を弾く


◆2月26日◆MUSIC◆『ヴァイオリンの怪人ラカトシュ映画音楽を弾く』@ザ・シンフォニーホール◆

 数年前、ロビー・ラカトシュの演奏をNHKの放送で見た時から、私の「関西圏来日公演には絶対に行くアーティストリスト」に彼はその名を連ね(名誉でも何でもない上に、そのリストは案外短い。笑)今回もその決定に従い、コンサートに足を運びました。

 前からふくよかなラカトシュは、更に成長を続け、「巨漢」という二文字が更に似合うようになっていましたが、その太い指から出てくるとは思えない、超絶技巧な音、演奏を今回も聴かせてくれました。それにしても、あの指で弦を押さえたら、2本いっぺんに押さえちゃいそうなのに(笑)間違えないんですよね。
 それどころか、光速(?)で動いてます。光速といえば、エルネスト・バンコーのツィンバロンも相変わらずの超絶技巧。相変わらず第ニヴァイオリンのラースロー・ボーニもいい味出してます。本当に大人の男達! で良い雰囲気なのですが、今回異変が!

 いつものプロフェッショナルで落ちついているメンバーに若手のギタリストが、そう、ルーキーが加わっていたのです。その名はアッティラ・ロントー君。ラカトシュ本人は気に入っているようですが、うーん。どうなんだろう。他の皆は(笑)

 もともと私はボサノバ風ギターがそれほど好きではなく、それだけでもラカトシュの音に必要なのかしら?と疑問を感じるのですが、なんと、更にこの子は歌うのです!しかもどーもいただけない。
 私に言わせればとっても蛇足なメンバー(ひどい事言ってますね、私)なんですけど。マンネリ化を避けて入れてみたのかもしれませんが、うーん。。。浮いてるような気が。また歌が中途半端なのです。

 マイクが高い位置においてあったので、「もしかして、もしかして歌うの?!」と嫌な予感に苛まれていると、スキャットとは思えないけど、他に言いようの無い歌が始りました。聴いてるうちに、口元が緩んできちゃうほどに。幸せな笑いじゃなく、ぷっ系笑いとでも申しましょうか。うーん・・・これはどうした事かしら。

 舞台の上でこそこそっと、にこやかに余裕のおしゃべりしている、ラカトシュとルーキーを除くメンバーを見ながら、今度の来日の時にもこの坊ちゃんは来るのかしらんと思った私でございました。因みに、未だラカトシュは私のリストメンバーです(笑)


◆2月14日◆PLAY◆スーパー狂言『クローン人間ナマシマ』@シアタードラマシティ◆

 その名の通り、このスーパー狂言は長嶋監督ならぬ「ナマシマ」が一人ではなく「クローン」で沢山出てきます。そして、出てくるチームはジャイアンツならぬ「ジャイガンツ」という訳で、とってもパロディな狂言なのです。ここからは、その設定を聞いて面白そう!と思う人だけ読んでください(笑)

 まず最初に。私はジャイアンツファンではなく、野球ファンでもありません。よって、TVで野球をやっていても通しで見たことはありません。今回この舞台を見に行ったのは、「茂山クローン人間ナマシマ」だったからです。次に、それを演じる茂山家は京都在住なだけに、皆さん阪神ファンのようです。
 そして、公演のあった「シアター・ドラマシティ」は大阪梅田の劇場ですので、観客も恐らく大半が阪神よりのはず。が、しかし!この物語の舞台は巨人そっくりの球団なのであーる。それ故、観客はエントランスでオレンジ色に黒のストライプの入った紙製メガホンを渡され、応援に使うようにという思いきった演出に苦笑をもらし、多少の居心地の悪さを恐らく感じるのであーる(笑)更に、舞台が終わってから、読売ジャイアンツグッズ抽選会まであったのである!
 という訳で、全くトラファンでない私ですら、「この地域で大胆な(笑)」と思った趣向を凝らした公演でございました。

 さて、今回の舞台は2番組み。『蝸牛』と『ナマシマ』です。蝸牛は私が生まれて初めてみた狂言。その時はアダルトチームだったので、何ともいい味が出ていましたが、今回は若手チームの3人。宗彦君、逸平君、茂君の3人で、上手いんだけど、最初に見た蝸牛と比べると、やはり「まだまだだのう」という感じ。  やはり歳を重ねるというのは、実に意味があるものですね。

 さて、若さを感じた後、いよいよ「クローン人間ナマシマ」が始ります。まず登場したのは千五郎さん。その瞬間、やっぱり違う〜っ!!間といい、姿といい、最高です。メリケン国のスカウト(早い話が人買いだと言って笑いを買ってましたが)役で、装束は頭巾に和服と日本してるのですが、柄が星条旗だったりするのです。更に、赤毛のヒゲをもしゃもしゃとはやしています。

 公演があったのは、丁度松井が大リーグに行くことが決まったすぐ後。ここで随分脚本に狂いが生じてしまい、「1年前にタイムスリップして見て下さい」という千五郎スカウトの説明がつくことに。
 絶妙な間の話術ですっかり笑いの渦と化した観客が見守る中、いよいよ物語りが始りました。

 さて、人買いならぬメリケン国のスカウトは、ジャイガンツの練習場に現れ一人一人に声をかけていきます。松井ならぬマツキ、高橋ならぬタカガワ、そして清原ならぬキヨウミ。このキヨウミが最高!宗彦君が演じていたのですが、おかしかったです。本当に。当時清原が足をいためていたので、登場からキヨウミは「イタイイタイ、イタイイタイ」と大げさに足の痛さを訴え、まずレアな突っ込みで笑いをとります。そして、スカウトに「キヨウミはん、キヨウミはん」(何故か関西弁)と声をかけられ、すぐに人差し指と親ゆびで円をつくって手のひらを上にし、「銭や、銭。いくらだす?」には会場中が爆笑の嵐。「今の5倍」「いや、10倍や」「それは・・・じゃあ、7倍」「よっしゃ」。
 少なくとも、他の選手は躊躇いがあったのにこの即答。「この男には金しかないんかいなっ!!そうや。清原やったらこうくるわ。」ってな突っ込みと結論が会場の大阪人全員の頭のなかに浮かんでいたはずです。(笑)
 そして、「アメリカにはキョウミはんが好きな金髪の女の人がよーけおりますよ」という言葉にがははと笑いながらキヨウミ退場。それにしても、ノック練習の時の鼓の音が最高です。

 という訳で、すっかり主力選手を引き抜きにかかられた球団側は、苦肉の策でナマシマのクローン人間でナインを組もうとたくらみ、サッチーそっくりな妻を持つ、キートン博士にそれを依頼。うまく出来たものの、考えてみてください。一人でもあれだけの存在感?のある、あの長嶋そっくりなクローン人間ナマシマ。それが9人。おとなしくそれぞれのポジションを守ってるはずがない。
 ドリームチームはあっという間に「俺様が4番でないなんて許せない!」チームになり、崩壊の危機へ。まあ、世の中そんな上手くはいかないとコミカルに描きながら、クローンを生み出すことへの問題を提起するという、最後はシリアスでとっても梅原猛らしい結末に。

 それにしても、メガホンもって、巨人の歌を歌えといわれたら知らない!!と焦っていたら、「思いこんだら〜♪」の巨人の星の合唱でした。終演後行われた、ジャイアンツグッズが当たる抽選会。ジャイアンツのマスコット、あれを持って電車に乗ることを思うと、ちょっと恥ずかしいので、当らなくてよかったです。(笑)


◆2月14日◆MOVIE◆刑務所の中◆

 あの雑誌『ガロ』で書いていた花輪和一という漫画家が銃刀法違反で捕まり刑務所に入ったのは1997年。それから彼は2年7ヶ月をそこで過ごし、その後『刑務所の中』を発表。それを映像化したのが映画『刑務所の中』・・・
 という事実は何も知らず、ただ面白いらしいという評判と、崔監督で山崎、田口、香川と役者が揃えば間違いなさそうだという勘で劇場に足を運びました。

 まず、平日だというのに思いの他混んでいる館内に驚き(劇場の方に伺ったところ、週末には立ち見も出ている盛況ぶりだそうです)更に客層のアダルトさに、なるほどと唸らされました。スクリーンの中も外も、なかなか、渋い面々です(笑)

 さて、物語は中年の男たちが戦争ごっこをして遊んでいるところからスタート。このごっこ遊び。一部始終を撮影する人間まで居て、かなりの力の入れようです。そう、マニアだらけ。スクリーンに映し出されるのは、おもちゃで遊ぶ大人の男達。でも、良くも悪くも大人は大人。ちゃんと改造銃だって持っているのです。
 主人公花輪はダーティーハリーの持ってる銃がよほど好きだったのでしょう。同じモデルの改造銃を仲間に見せて自慢し、人の居ない川べりで水の入ったペットボトルに実弾を打ちこみ、いいなぁ〜と幸せを噛み締めているうちに捕まってしまいました。常々私は思っているのですが、法に触れるものが大好きな人って不幸ですよね。本当に。

 とにかく強制的に花輪の5人部屋刑務所暮らしが始り、そこでの生活が短いエピソードごとに綴られて物語は進んでいくのですが、何がおかしいって花輪がおかしい。更正する為に入った刑務所で、次々にささやかな楽しみを見つけ、それなりにエンジョイし、こんなに恵まれてていいんだろうか?と疑問を持ちながら日々過ごしている彼。そこには悲壮感、絶望感、逃亡願望なんてかけらもない!刑務所の規律を迷うことなく受け入れ従い、いい感じで刑務所ライフを送る花輪が居るのです。

 見ているこちら側は、「この刑務所の人達、ここから出たらどうするんだろう?」と逆に心配してしまうほどに務所生活に馴染んでいる彼等。何せ、正月前に出所が決まってる受刑者はブルーになるぐらいですから。確かに、今の世の中、寝る場所と食べ物が手に入らず路頭に迷って生きていくより、刑務所の中の方がいいなぁと思う人が居るかもしれない。いや、絶対に居る!ここのところ、刑務所内の暴力があばかれ問題になっているので場所によるとは思いますが、更正施設といより、福祉施設みたいな雰囲気が漂ってる刑務所も中には存在していそうです。
 原作を読んでいないので何とも言えないのですが、全編を通してかなり的確なキャスティングなのではないでしょうか。そうそう。ちょい役ですが、医師役の椎名桔平のインパクトは凄かったです。おかしすぎ。

 この映画、原作つき作品の中ではかなり健闘しているとうか、成功してると思います。ですが、漫画を読んだ時に感じるであろう間というか行間のようなもの、あるいはそこに流れている空気と時の経過していく速度は、原作と微妙に違うのではないかと感じられなくもない。ちょっと熟れていないような感じがどこなく漂っているというか。。。それはきっと、この映画に携わった誰よりも、原作者「花輪」の感覚が静かながらもある種ぶっ飛んでいる、別モードの人だからではないでしょうか。崔監督も山崎さんも、本質的にノーマルだろうから(笑)

 この映画の感想として、あの食事が食べてみたいとか、1週間ぐらいなら刑務所に入ってみてもいいかもとか色々聞きますが、私は遠慮しておきます。


◆2月10日◆BOOK◆「ロンドン骨董街の人びと」六嶋由岐子著・新潮文庫・514円税抜き◆

 英国古美術商の老舗、スピンクの社員になった最初で最後の日本人。それがこの長編エッセイを書いた六嶋さんです。

 さて、この本。何が面白いってイギリス人とロンドンという街が面白い。数回の旅行ですっかり土地鑑がついてきたロンドンの街ですが、所詮旅行者には街の本当の顔まではなかなか見えてこないもの。という訳で、この本を読んでいる間中、あのエリアにはこういう人が住んでいるのか!とか、グリーンパーク周辺ってそうなのね!とか、あの街を垣間見ているようで、発見の連続でした。更にそこに特徴のあるコレクターたち、古美術商スタッフ達が加わり、それを通して、イギリスという国のある側面が見えてくる。

 とにかく、ロンドンを旅したことがある人はもちろんのこと、英国に興味のある人にお薦めの一冊。その昔NHKBSで放送していたBBCのアンティーク鑑定会を見たことがある人にもお薦め!です。あの番組って、こうやって出来てたのか!と楽しめること必至です。


<January>

MOVIE・マイノリティ・リポート/MOVIE・ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔


◆1月23日◆MOVIE◆ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔◆

 一作目の「旅の仲間たち」に感動してから約一年。途中DVDの発売をはさみ、漸く2作目の「二つの塔」を見られる日がやってきました。しかも、一般公開より先に。プレス試写で見せてもらう幸運に恵まれたのです。(ご招待頂き、本当に感謝していますと、この場をかりてお礼申し上げます。)

 まず最初に、今回映画を見るにあたり、鑑賞に付随するもので一つ気になる点がありました。それは、一作目の上映当時から問題になっていた字幕の問題。
 一部の人はご存知だと思いますが、映画字幕の大御所である方の字幕翻訳が間違いだらけであると指輪物語のファンから指摘があり、ネット上で改善を求める署名活動がおこり、週刊誌でも取り上げられる事態に陥っていたのです。ファンが求めたのは、DVD発売時に誤訳を直すことと、2作目からはそのようなことが無いようにして欲しいという事でした。

 字幕という限られた字数制限の中では、ある程度の事は仕方ないという意見もあるでしょうが、1作目に関して言えば、生きてる人が死んだことになってたり、物語の本質を理解してるとは思えない訳になっていたりと、少々目をつむりにくい訳があったのです。
 私が感動し、すばらしい!と絶賛した1作目を見た友人知人の反応が、いまいち私と違っているというのも、もしかしたらこの字幕のせいかもしれないと後になって思い当たりました。
 実際、知人がDVDで吹き替えを見た時にそれは明かになりました。こういう話しだったのか!と言ったのは印象的でした(笑)字幕より、別の翻訳家が訳した吹き替え版の方が正確だというのがネット上では上映当時から言われ続けていました。

 私個人としては、前々から大御所の方の翻訳には疑問を抱き続けていたので(聞こえてくる英語との乖離が激しいことも多多あり。私レベルの英語力でもそのズレが分かるほどに)遂にこういう事態になったかと思ったりもしたのですが、とにかく論争にまで発展したのは、今回が恐らく初めてです。
 その、ピーター・ジャクソン監督の作った作品とは関係のないところで話題になった「ロード・オブ・ザ・リング」の続編の翻訳を、配給元は一体どうするのか?!というのが、今回結構気になるところだったのです。

 さて、待ち望んでいた上映が始ります。冒頭に出てくる「字幕翻訳」の名前に自然に目が行きます。やはり、1作目と同じ名前が現れました。しかし、今回は彼女の名前だけではありません。出版社が協力しています。そうか。改善策をとったのだと、妙に納得。ここからは物語に没頭です。

 まずは一作目でバルログと奈落の底へと落ちていったガンダルフの、その直前と直後のシーンが繰り広げられます。そして、前作で3つに別れてしまった「旅の仲間たち」のその後のそれぞれの旅が描かれるのです。
 物語の一番のメインであるのはフロドとサムですが、それに今回はCGで描かれるゴラムが加わるのです。このゴラムが実に良く出来ている!その表情は生きているようで、指輪に侵食された彼の心は2重人格のようになっているのですが、その演じ別けがまた素晴らしい。CGはここまで出きるようになったのかと驚くばかりです。
 製作者側も相当の自身があるのでしょう。スクリーンいっぱいにゴラムのアップが次々に登場します。そして、CGといえばもう一つ忘れてはならないのが歩く木です。こっちはメリーとピピンが出会い旅をする相手ですが、実に良く出来ています。
 重量感といい、表情といい、ゴラムと同様にこちらも立派なアクターです。CGはその他にも多用されています。大きな門の開閉を行っているトロルもCGですが、こっちも質感があいかわらず凄いです。CGが映画に使われるようになって久しいですが、未だ見た瞬間CGだと分かるものも多く、質感というか重量感の無さ、薄っぺらさが偽物と見破られてしまうポイントになっていると思うのですが、この作品に関しては、重量感や奥行き、幅といったものが本当に上手く出来ていると関心されます。戦闘シーンに出てくる狼に似た獣にしても、本当に重量感が良く出ています。

 さて、残る一組。レゴラス、アラゴルン、ギムリの三人は最終的にローハンに向かう旅につきます。と、ここでネタバレ。知りたくない人はここから読まないで下さい。
 壮絶な死を迎えたかに見えた「灰色のガンダルフ」はパワーアップして「白のガンダルフ」で復活し、彼等に合流します。すっかり神々しくなっての登場です。でも、でもでも。神々しいより人間くさい「灰色のガンダルフ」の方が見た目も含めて、断然!私の好みなんですけどねって、誰も聞いてないか(笑)白い髪に白い衣装で、いかにも神様になってますが、どーも、完成されすぎたキャラクターより、どこか欠けてる人の方が好きなんですよね。え?もう私の好みはいいって?

 さて、今回とにかくかっこいいのはレゴラスとアラゴルン。オーラーンド・ブルーム演じるレゴラスの金髪を見ていると、鬘の中はモヒカンだなんて、ぜーったい思えません(笑)それはともかく、とにかく彼の弓の腕は磨きがかかり、ヘルム峡谷での闘いに至っては、スケトボード技まで披露。かっこよすぎです!!

 でも、今回の主役は何といっても、アラゴルンでした。まるで物語全体が彼のもののよう。ローハンの姫君エオウィンならずとも、世の女性は大半がくらくら来てしまうはず。かくいう私も、一作目から彼の背中にやられてますから(笑)
 今回意外にもキャラクターが立ってきたというか、存在感が出たのはギムリです。彼の狂言回しのような、コメディアンぶりが、一作目とはうってかわっていい味、ポイントになっているのです。

 今回、悪役もなかなか濃いキャラ登場です。蛇のようなグリマ(蛇の舌)。はまり役すぎです。ブラッド・ドゥーリフという俳優が演じているのですが、彼は元から気持ち悪い人なのかと思っちゃうぐらい、メークも演技も自然。でも、ローハンの姫を演じるミランダ・オットーが、ちょっと輝きに欠ける・・・実は前々から思ってたんですけど、ピーター・ジャクソン監督って女優の趣味が良くないというか(笑)ちょっと私の感覚とずれているというか、輝くほど美しい人が彼の作品には余り出てこない!のです。
 ガラドリエルのケイト・ブランシェットは当り役だと思いますが、昔の作品「乙女の祈り」を見ても分かるように、けっこうしっかり体型の、生命力のありそうな強い女を選ぶ傾向にあるように思えます。

 キャラクターで言えば、今回ボロミアの弟ファラミア。うーん。ボロミア亡き後、同じ役者を弟役で出してくれたらいいのにと言った人がいましたが、私も一票!(笑)この役者、ムーランルージュにも出てたそうですが、どの役だったのか・・・そうそう。一作目の「字幕」で「死んだ事」にされてたボロミアの父が、「生きて」登場していました(笑)

 まあ、そんなこんなで物語とは関係ないところにチェックをあちこちに入れつつ楽しみましたが、物語そのものは3部作の中の2作目という事で、「通過地点」である宿命を背負っているだけに、1ほどの驚きはなく、まだ見ぬクライマックスである3ほどの盛り上がりには欠けるという感じでしょうか。
 でも、優れた作品である事は間違いなく、戦闘シーンなど手に汗握る展開で大作である事に間違いありません。ノーカット版しかも、メーキングオブがしっかりついた特別版DVDを絶対買うんだと決心するだけの力があります。今からDVDの発売が非常に楽しみです。

 でも・・・ローハンの石の砦、ヘルム峡谷での戦闘シーン。ちょっと言ってる数より画面に映る人数が、ずっと多く見えたのは私だけ?(笑)

とにかく最後の物語、「王の帰還」が今から待ち遠しいです。


◆1月4日◆MOVIE◆マイノリティ・リポート◆

 「フィリップ・K・ディックが原作」にすっかり気を取られて、スティーブン・スピルバーグとトム・クルーズがそれにくっついてる事をすっかり失念して劇場に足を運んで失敗しちゃったのが、この映画です。って言った瞬間から私がマイノリティーになってたりして(笑)でも、この映画は本当に穴だらけだった!!のです。

 まあ、確かに私がスピルバーグ作品を楽しめたのは『インディー・ジョーンズ』の頃までですし(あの「感動作には絶対泣き所を作らないと気が済まない体質」とかが苦手)トム・クルーズなんぞは『ハスラー2』以外何見てもダメモードで、『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』のレスタトに至っては、私的にはお葬式出しちゃった俳優だから(笑)用心すべきでしたが、あの秀作『ブレードランナー』の原作者ディックだから、もしかすると面白いかもと期待しちゃったのが間違いでした。原作は読んでいませんが、そっちは短編だそうで、それを2時間以上の長い映画にしちゃったのが、そもそもの間違いだったのかしら。

 では、ネタバレ領域に突入です。読みたくない人はここで読むのをストップしてください。

 まあ、とりあえず物語に開いた大きな「穴」についてだけ触れておきましょう。見た人は皆突っ込みを入れたに違いない、物語の根本に関わるが故に、普通ならどうにかして埋めておくだろうという「穴」が、何故か開きっぱなしなってました。

 その1。この映画の未来のアメリカは、個人確認を網膜で行っています。至るところに網膜を確認する装置が配置されていて、網膜がIDカードの役割をしているのです。という訳で、建物に入るのにも網膜確認がされるという風に、鍵の役目も担っている訳です。
 さて問題なのは、主人公の網膜。トム扮する主人公は警察官で、彼の網膜は警察署内のほとんどの部屋に入れるように登録されています。しかし彼は殺人を犯すと予言され、一転追われる身になるのです。
 至る所に設置された網膜認識装置。広告すらも個人認識をして、彼の名前を呼んで語りかけてくる社会。網膜がある限り、彼は何処にも逃れられない!という事なのですが、ところが、ところがなのです!!何故か追われる身の彼の網膜で開いてしまう警察署の鍵・・・
 普通、指名手配後に、その追われてる人間の網膜で組織の核である重要な部屋の鍵が開くわけないだろ!(怒) しかも、警察署の中の部屋!!しかも、一番能力のあるプリコグ、アガサをちゃんと盗んでトムは逃走してるしっ!(笑)大事な大事な予言者3人がぷかぷか水に浮いてる部屋の鍵って、今一番大切なんじゃないですか!?えっ?どうなのよ!!忘れてましたで済む話しじゃないのよ!!(エキサイト中。笑)
 とにかく、一番最初にすべき事をしてない警察って、間抜けすぎ・・・しかも、物語以外でこれは有り得ない。あれだけ網膜頼りにトム扮する主人公追いかけてるくせに、その警察署、お膝元がザルだなんて。ね、変な話しでしょ?

 さて、その2。この話しは、殺人事件が起きる前にそれを予知し、殺人を犯すと考えられた人間を事前に逮捕。殺人事件の無い社会に未来は進化しようとしている、という物語。その犯罪予言をしているのがプリコグと言われる予言者3人。でも、彼等は見た目はスキンヘッドに電極つけて水に浮かんでとっても「変」にされてますが(笑)れっきとした人間で、この世に3人しか居ない。彼等は永遠の命を持つわけではなく、特殊能力を持った突然変異の「人間」な訳です。
 このシステムを定着させようとする警官達が必死にこのシステムを守る法律を通そうとしているのですが、この3人しかいないプリコグが死んだら予言者なんて居ない訳で、そんな存続も怪しいもの、法律で通そうというのが土台おかしい!しかも、それを通すために命を落す人が続出なんて、ありえない!と思いっきり突っ込みを入れさせて頂きましょう。
 皆その映像の奇抜さにごまかされちゃいそうになってますが、実は未来は「進化した」話しではなく、この話しは未来に「不思議な人達が誕生」して、とりあえずその人達が生きてる間は予言逮捕が出来るんですよ〜という話しなのです。これって。ベースになるものが揺らいでるんですよ。そもそもが。元は短編だからかもしれないけど(笑)

 まあ、とりあえずこの2点が一番気になりました。何せ物語りの軸になるところですから。気になるといえば、プリコグの人権も気になるところ。彼等の人権って全く守られていないのです。朦朧とした中で水に浮かび、予言を続けている。嫌でも彼等は水の中から逃げられない状態になっている。つまり監禁状態で予言を続けるように義務づけられている。それに突っ込みを入れる人間が存在しない。未来は殺人も起こさないようにと考えるほど、人が守られている時代なのに、プリコグの人権は無視されています。
とは言うものの、トム扮する警官の登場で、物語の最後には予言逮捕システムそのものが廃止され、彼等は普通の人の生活に戻るのですが。しかし、解放された途端、アメリカンカントリーちっくな家に時代錯誤な格好で3人が出てきた時には、とってつけました映像すぎて笑えました。おじさんたち、やりすぎです(笑)セピアカラーにまでしてるし。

 未来の世の中はこんな風になるんじゃないかなという、カタログを見に行ったと思えば面白い映像満載ですが、それにこだわりすぎて、物語の展開に必要あるの?と思うシーンもふんだんに盛りこまれ、ちょっと長いよこの映画!になりかかっていました。しかし、娯楽作と考えると、まあ、こんなもんでしょうか。お金はかかってます。とにかく、お金はかけたい放題かけられたはず。トムとスピルバーグなら、お金は集まるでしょう。
 でも、でもね。この物語が難しくって(何処が難解なのかは理解に苦しむ)理解出来ないアメリカ人が沢山居て本国では今いちヒットしなかったという噂(事実なのかしら?)と、物語に大きく開いた「穴」について考える時、ハリウッド映画の行く末を心配してしまうのでした。大丈夫なんだろうか???


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