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大和平野エリア(1) |
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12 矢田山(332m) A <1971.10.24> ![]() 矢田の地名はニギハヤヒノミコトが天からの降臨に先立って天磐船(あまのいわふね)から射た矢が落ちた所という伝承に基づき、山麓に一之矢塚(私たちの町内)、三之矢塚が、 矢田座久志玉比古神社境内に二之矢塚がある。 この辺りは万葉の「八田(やた)の野」であり、また『古事記』には天智天皇が 「八田若郎女(やたのわかいらつめ)を恋ひたまひて」贈った歌とその返歌が記されている。 近年、矢田山周辺は矢田自然公園として整備され、尾根筋には何カ所か展望休憩所が設けられていて、奈良盆地とそれを囲む山々を一望することができる。 東の山腹に「矢田の地蔵さん」で知られる金剛山寺寺(矢田寺)がある。日本最古の地蔵菩薩を祀り、今はアジサイ寺として花の季節には賑わう。 他にも山麓に、舎人(とねり)親王の創建と伝えられる東明寺(とうみょうじ)、白鳳時代の磨崖仏が残る滝寺廃寺跡がある。 近鉄橿原線郡山駅より徒歩約1時間で矢田寺(バスの便もある)。本堂右手から北へ30分で最高点(340m)。三角点は更に30分北の「小笹の辻」近くにある。松尾山からは尾根道を約1時間。近鉄富雄駅からは霊山寺、子供の森を経て1時間30分で三角点。他にも矢田丘陵には、さまざまなハイキングコースがある。 詳しくは次のページへ→ 矢田丘陵を歩く 矢田丘陵周辺の見所 |
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13 松尾山(315m) A <1971.10.24> ![]() 西山腹に建つ松尾寺について、『和州旧跡幽考』に次の記述がある。「延喜式では西松尾寺、又山号は 補陀洛山(ふだらくさん)。此山のかたち補陀洛山に似たりとて舎人親王の御建立ましまして、親王みづからきざみ給ひし十一面観自在の像をすへ給ひしなり」。本尊は別の千手観音立像で室町時代のものである。現在も「日本最古の厄除け観音」として特に二月の初午の日には参詣者が多い。 山頂は寺の10分ほど上で、NHKと民放TVの無人放送局と電波塔が立つ。 囲いの南西隅に三角点があるが、展望は寺境内の他、大和平野が一望できる国見台(稜線を北へ約10分)からの方が優れている。山頂北側の松尾湿原はハッチョウトンボやモウセンゴケなど、貴重な動植物の生育地である。 <写真:手前鉄塔のたつのが松尾山、遠景は大和葛城山> JR大和路線大和小泉駅より西へ45分で松尾寺。境内を抜けた三重塔横から入峰道を登る。寺から15分で頂上。法隆寺からは南大門から松尾道を行く。ゴルフ場横の分岐から松尾寺への山道となる(45分)。他に平群方面からの登路がある。 私たちは矢田山、または矢田寺から縦走し、これらの道は下山に使うことが多い。 |
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14 若草山(342m) A <?> ![]() 名前の通り、丸い小丘が三つ重なり、全体では菅笠を伏せたような美しい円錐形で、芝生に覆われている。頂上に、五世紀に築かれた前方後円墳、 鶯塚(うぐいす)がある。 『枕草子』には「うぐいすのみささぎ」と記され、塚の主については、仁徳天皇の皇后・磐之媛(いわれひめ)命、応神天皇の皇子・大山守皇子などの説がある。『大和名所記』は「俗につゞらおりの山といふ。三笠山の北にならびてあり」と記し、中務親王の 今も猶 妻やこもれる春日野の 若草山に 鶯ぞなく の歌を載せている。 古都奈良に春を呼ぶ行事として有名な山焼きは、毎年1月中旬に行われる。宝暦10年(1760)に起こった東大寺、興福寺、春日大社間の領地争いで、仲裁に入った奈良奉行がこの事件を五万日預かりとし、関係者立ち会いで山を焼いたのが始まりとされる。 他に害虫を駆除するため、芝生の芽生えを良くするためなど諸説がある。 春日神社前から10分で有料ゲートがある。ここから登り40分で三重目の山頂である。入山期間は3月中旬〜6月中旬、9月下旬〜11月下旬に限られる。北側からは、頂上近くまでドライブウエーがあるが、 徒歩では通行できない。三角点は鶯塚の石碑横にあり、西は眼下の奈良市街から生駒山、南は橿原市の大和三山、北に京都府南部と大展望が得られる。 |
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15 花 山(496m) A <?>![]() 1924年に国の天然記念物、1956年に特別天然記念物の指定を受け、1998年に「春日大社と一体となって歴史的景観をつくっている」として世界文化遺産に追加登録されている。 (写真は春日山全景) 現在、学術研究に限って立ち入りが許可されている。滝坂道を登り、石切峠近くの地獄谷、春日山両石窟群を見て、原生林の中の周遊道路(一般車通行禁止)を春日山(狭義)の麓に下ると、この山の雰囲気が味わえよう。とくに鶯滝周辺は古い祠が点在し、春日山信仰の原点であったことがうかがえる。近鉄奈良駅から東へ大仏前交差点を右折、 高畑町交差点(ここまで約40分)を左折して山へ向い滝坂道を登る。約5時間で春日山周辺を一周できる。 |
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16 芳 山(518m) B <1990.01.14>![]() 石切峠から誓多林集落に向い、八王子(八柱)神社横から芳山石仏を目標に左の山道に入る(峠から約40分)。 |
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17 高円山(432m) A <2002.06.16>![]() 春日野に 時雨ふる見ゆ明日よりは 紅葉かざさん 高円の山 の歌があるほか、数多く登場する山である。 『大和志』には「白毫地村の上方にあり」、『和州旧跡幽考』には「三笠山の南にならびて、俗に白毫寺山といふ。高円山・高松山同山か」の記載がある。 現在は奈良の夏の夜を彩る大文字送り火の舞台となっている。 白毫寺横から霊園を通り、右手斜面の踏み跡を登ると尾根にでた。笹原になり、ややはっきりした道が合して大文字火床の下に出る。振り返ると眼下に奈良市街が見渡され、右手には春日山(御蓋山)とそれに被さるように若草山が見える。火床中央部に「慰霊奈良大文字送り火由来」碑がある。大文字焼きは明治以来の戦争で犠牲になった方々の鎮魂のため、昭和35年に始まったことが記されている。火床の草地を過ぎると、広葉樹林に広い道が伸びてきている。右へ登ると、樹木に囲まれた小高い場所に二等三角点と傍らの木に山名板があった(白毫寺から山頂まで1時間)。草地の広場を過ぎると奈良奥山ドライブウエーに出た。すぐ近くのに高円山ホテル前に展望台があり、万葉碑が立っている。大伴家持の「たかまどの 秋野の上の朝霧に 妻呼ぶ牡鹿いで立つらむか」の歌が、犬飼孝書の万葉仮名で刻まれている。ここは右手の若草山方面が尾根で隠されるので、展望は先の火床の方がよい。 |
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18 一体山(595m) A <2000.06.25>![]() 山名の由来は定かでないが、『大和志』山辺郡の項に「一台嶺。山高峻。之を望めば台の如し」という記述がある。位置が福住村の西とされ、また現在地名として残る一台峠と一体山の間には水間峠があるので、おそらく別の山のことと思われる。 しかし、一体山の別称を一台山ということからみると、頂上部が平坦な一体山の名も同様の起源を持つことが考えられる。 南側の大平尾町からは山頂近くまで林道が延びている。私たちは北側・大柳生の山口神社横から林道一体山線を歩き、小さな峠付近から山腹の草の生い茂った道を登った。山頂には無線中継のアンテナと建物、宝暦13年(1763)銘の役行者石像と三角点があるが、ヒノキ林の中で展望はなかった。 |
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19 神野山(619m) A <1975.05.25>![]() 山名は、古代から「神の山」として尊崇されていたためと言われ、南山麓に伏拝、助命などの信仰を表す地名が残っている。現在、山域一帯が神野山自然公園として整備されている。 西側の杉野にある神野山登山口からは、神野寺参道の松並木を経て約2q。他に北側の北野、南側の伏拝、助命からなどの道が山頂に通じている。広い山頂にはTV中継所や展望休憩所が建ち、北に鷲峰山など笠置山地、東から南にかけて曽爾の山々、額井火山群など、西は金剛・葛城までが一望できる。 また山頂付近はツツジの群生地として有名で、毎年5月にツツジ祭りが催される。 北東山麓には鍋倉渓がある。大小の真っ黒な石(角閃石斑糲岩)が幅30m、長さ数百mにわたって谷を埋め、その下を伏流水が流れている奇観で、1957年、奈良県天然記念物の指定を受けている。昔、神野山の天狗と伊賀・青葉山の天狗が喧嘩をして、伊賀の天狗が投げた石が鍋倉渓になったという伝説がある。 (写真) |
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20 城 山(529m) 別称 椿尾塁(つばおるい) B <2000.05.05> ![]() この山には別称に見るように、戦国末期にあった椿尾氏の山城址が残っている。なお、近くの都祁 村に吐山(はやま)の城山、馬場の城山、白石の城山がある。それぞれの山には、戦国時代に地侍の吐山氏、山田氏、多田氏が居城を築き、互いに勢力を競っていた。このことからも、大和高原が奈良盆地と伊賀盆地間の重要な戦略拠点であったことが分かる。 奈良市中畑町から名阪国道の下を潜って北へ行き、20分ほどで左の林道に入る。ヒノキ林の中の分岐を登り、二の丸址を過ぎると約1時間で本丸址の頂上に達する。(目標が少なくやや分かり難い)。山頂には赤い鳥居が並び、その奥に神号を彫った石碑が5つ立つ。三角点はその奥にあるが、ヒノキ林に囲まれ、僅かに北側だけが開けて低い山並みが見える。少し下からは南側の高峰山、大国見などの山々が望める。 |
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21 国見山(680m) B <2004.05.06>![]() 南側の別所から登った。ヤマトカントリークラブの横から山道に入り、笹を切り開いた急坂を登る。クヌギ林の中をいくと稜線のコルに出る。右の塔ノ森へ寄り道してみると、奈良時代のものと言われる六角屋根の石塔が立っている(往復10分)。コルから急なクマザサの切り開きを登り、666m三等三角点(点名・長谷)を越す。Y字形の分岐を左に取ると緩やかな尾根上のアップダウンとなり、林の中で再びY字形の分岐があり、右に折れ少し登ると周囲が開け明るい頂上に着いた(1時間)。 |
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