クリストファー・ノーラン、一体どうしちゃったんだ?!
エンドロールを見ながら私には苦笑しか出て来なかった。それが彼の生み出したバッドマン3部作の3作目「ダークナイト・ライジング」を見終えての率直な感想だった。
彼の作品を最初に見たのは「メメント」。無理な話しではあるものの、面白い作品を作る監督が出て来たと嬉しく思ったものだ。ミニシアター系かなぁと思っていたら、あっという間にハリウッドデビュー。そしてバッドマンを手がけるほどのメジャーになり、大化けしたと思ったものだ。ティム・バートンの生み出したバッドマンとは全く別の、ノーランらしく緻密に作り込まれたバッドマンは「ダークナイト」でヒース・レジャーの死もあって伝説とも言われるような作品となった。
その後「インセプション」を発表。ノーランはクレバー過ぎて損をしているぐらい賢そうだと思ったものだった。その彼があの「ダークナイト」から4年。満を持して世に送り出した「ダークナイト・ライジング」だから出来が悪いはずがないと思い、劇場に行く前にはわざわざ彼のバッドマンシリーズ2本を見直すほどの期待をして出向いたのだ。
先に知人が数人観に行き、面白いと言った。3時間飽きる事はないと言うのでやっぱり出来は良いのだと確信していた。
役者は揃っている。スタッフも変わっていない。相変わらずクールなデザイン、実写にこだわった映画らしい画像。しかし、見ていて退屈しはじめた。
ここからはネタバレになるので、これから見る方、知りたくない方は読まないで欲しい。
今回の悪役、ベインは最強と言われているのに、ジョーカーのような強烈なインパクトが無い。故に最強に見えない。そして話しがたるんでくる。ベインを演じているトム・ハーディーが問題なのではない。顔がマスクで見えないからでもない。これだけの事をするからには強烈な「説得力」があってしかるべきなのに、感じられないのは何故だろうと思っていたら、首謀者は彼ではなかった。そういう意味ではトムはちゃんと演じていた。だからといって、首謀者であるコティアールが演じる「影の同盟」の末裔ミランダもインパクトに欠けていて非常に残念。二人とも良い役者なのに。「影の同盟」は「バッドマン・ビギニング」からの流れで3作目で再度登場するのは筋としては問題ないのだが、なまじ「ダークナイト」の出来がアメコミを超えた(というとアメコミファンから批判されるだろうが)別次元のモノになってしまったが為に、アメコミテイストの設定に戻ると「あれあれ?」と、それってひっぱってくるほどの設定だろうか?と思ってしまったのだ。だいたい、「影の同盟」ってちょっと説得力に欠けるし。あの変に東洋に神秘を見出す人たちって不思議な東洋を作り出してくれるので余計にしっくり感が遠のくのだ。そして強烈な狂気を見せたジョーカーの後、生半可な悪役では残念ながら役不足なのだ。
更にダメだしは物語の結末で仕上げとなった。
今回、ベインたちは「核爆弾」をゴッサムシティを破壊する為に使う。エネルギーとして平和利用しようと開発していた核を爆弾として入手、街の運命を握るのだ。どこから見てもNYに見える街が核爆弾に脅かされる。
この爆弾は私が字幕を読み間違えていなければ「周囲10kmに影響」するという。10km?核爆弾が?あり得ない。放射能はどうした。しかも、このサイズの爆弾が10km程度の破壊力とは思えない。
そして、街を救うべく最後にはバッドマンが新兵器、空飛ぶ「バッド」に核爆弾を結んで海に捨てに行く。それをゴッサムシティの市民は見ている。キノコ雲を見ている。そしてバッドマンのおかげで、街は助かったと言う。全員助かった、バッドマン、ありがとうと言う。
ちょっと待って欲しい。核爆弾である。キノコ雲が見える距離で市民は見ているのだ。爆発まで残り1、2分という切羽詰まった中で運べる距離はしれている。広島、長崎、福島で核の恐怖を知っている日本人には信じられない核爆弾の扱われ方に愕然とした。あの、頭脳明晰、リサーチはちゃんとして作品を作っているだろうと思っていたノーランが作った映画の結末がこれなのか?!と。製作スタッフは、「核爆弾」が普通の「ダイナマイトの爆弾」ぐらいに描かれている事に、誰も疑問を持たなかったのだろうか?ワーナーの重役も誰一人気にならなかったのか?
あり得ない。何故だ。何故なのだ。原子力発電の是非が世界的に問われている今、この作品が公開されていて、誰もそこに疑問を投げかけなかったのだろうか。
バッドマンは架空都市の話しだ。ここにリアリティを持ち込む必要は無い。「核」と名言せず、なんだか凄い爆弾、で良かったのではないだろうか。何故そこにリアリティを持ち込んだのか。しかも「核爆弾」である。その爆弾は破壊力だけが問題視され、放射能については全く心配されていないし問題も起きないらしい。
核に対する認識の低さが、あの知的と思われるノーラン監督だっただけに私を愕然とさせた。あのノーランですらこの程度の認識なのかと。
一体これはどうした事だろう。頭によぎったのはスミソニアン博物館で確か20年ぐらい前に、原爆の展示がアメリカ政府の圧力で中止された事だった。ノーランの両親はアメリカ人とイギリス人。彼がどちらの国で学生時代を過ごしたのかまでは知らないが、彼は核の知識を持つ機会が無かったのかもしれない。この「核」に対する認識の無さが一般的なアメリカ人、いや、故意に核に対する知識を国民に持たせないように国がコントロールしているとしたら?
世界の人たちは、自分たちを守るためにもっと核の事を知る必要がある。この映画は世界中で上映されており、核爆弾の恐怖はこの程度だと信じる人たちが今日も沢山誕生しているかもしれない。そう思うと「ただの映画じゃないか」と言えないのだ。そして日本に住む我々は、これはおかしいよと、口々につぶやくべきではないだろうか。
ところで、核の話しとは別に驚きも多々ある作品だった。エンドロールで出て来たキャスト「マシュー・モディーン」の文字。えっ?どこに?!出てたっけ?!はともかくとして、ゲイリー・オールドマン演じるゴードンがバッドマン=ブルース・ウェインとは今まで気付いてなかった事実。えーっ、その鈍さ、警察官として大丈夫?!というのが一点。そしてこの作品は「最終章」とか「ラスト」とかずっと言われて来た訳だが、最後の最後に今回大活躍の若手警官が「ロビン」・・・あの「ロビン」が出て来てこのままシリーズが終わる訳がないじゃないか!!という訳で、この作品は間違いなく続くだろう。もちろんアン・ハサウェイのキャットウーマンも続投であるに違いない。
しかし、話題作のはずだったのに公開2週目でシネコンでは既に驚くほど小さなシアターに移動。夏休みで作品が多いから、というだけとは思えず。これは興行的に厳しい結果に終わるかもしれない。
三部作の続きが誕生するのか否かは、まだ良く分からないと思いながら劇場を後にした。
映画化すると聞いた時、「え?本当に出来るの?」と思った映画「へルター・スケルター」に行って来ました。劇場までは行かないなぁと思っていたのですが、岡崎京子の原作を貸してくれた友達に誘われて、結局行く事に。その友達というのが日頃映画を見ない人なので私としては誘われたのがかなり意外でした。
原作はもう何年も前に読んでいて、圧倒された作品です。最初に監督は蜷川実花、主演は沢尻エリカと聞いた時には、多分見ないだろうな〜と思ったのですが、「ボクラの時代」で蜷川×寺島×鈴木鼎談を見てから、面白いかもと思い、そこに友達からの誘いが。友達から、知り合いの漫画家が日頃褒めないのに褒めてたとも聞き、では行ってみるかとあいなりました。行ってみると思ったより入ってるんですよ。そして、見てみるとこれが面白かったのです。
見終わってまず思った事。岡崎京子という強烈な才能が描いた原作を映像化出来るのは蜷川実花ぐらいの個性が無いと無理だな、というか、蜷川実花、負けてない!!(笑)
出てくる部屋、出てくる部屋、全部蜷川ワールド!あれかなり私物とかも入ってるんじゃないかなぁと思って見ましたが、それなのにちゃんと「へルター・スケルター」になってるんですよ。凄いバランス感覚。
そして、沢尻エリカ頑張ってました。原作のリリコよりかなり線が細いとは思いましたが。原作のリリコには相手を飲み込んでやるという強さを感じましたが、
沢尻リリコはお人形感が強い。色気がない。でもそこがポイントなのかもしれません。
2次元の世界を生身の人間で撮る以上あのお人形感、生身の人間ぽくない事は必要なのではないでしょうか。なぜなら、あの作品はポルノではないから。猥雑なモノが入り込んではあの作品が本来描いているものからは離れてしまうから。
リリコは相手を利用する為、相手を試す為、空白を埋める為に体を重ねる。故に、画面から「性的欲望」がこちらに伝わってきてはあの物語は違うものになってしまう。だから女性監督が撮ったのは正解、そして人形っぽいリリコも正解。
蜷川実花の映画は今回初めて見ましたが、彼女がこの作品を今この時期に撮ってよかったと思いました。それは映画サイズの画になっていた事と、アーティストである彼女らしい個性的な美の世界が展開されていた事、そして映画として繋ぎがちゃんと出来ていて安心して見られたからです。彼女の以前の作品は見た事がありませんが、多分何作目かの作品で映画という媒体に慣れてきたのではないでしょうか。僭越ながら、ちゃんと映画になっていました。そして、ドラマ出身の監督にありがちなテレビサイズな画とは違いちゃんと映画サイズの画だったのは良かったです。残念ながら最近の邦画はドラマ出身の監督によるアップだらけのテレビサイズ映画が増えてきているもので。
そして、この作品を成功させた大きな要因はキャスティングです。全員が自分の求められている役割をちゃんと理解して演じているなぁと思ってみていました。その中でも特筆すべきは寺島、桃井のご両人。寺島しのぶは相変わらず凄いですが、何といっても桃井かおりがもう、凄すぎました。凄い女優だなぁって。どこから見ても「リリコのママ」ですよ。原作のママを忘れちゃうぐらい。思い出しても笑っちゃうぐらい。いやはや。妖怪みたいでした(笑)原田美枝子も怖かったけど。桃井さん、ダントツでした。
原作を読んでから数年。久々にこの作品を映画という形で見て感じた事。それは岡崎京子の凄さと病んでいる「消費社会」でした。岡崎さんがこの作品を描いたのは1996年。もう16年も前の話しです。でも、この物語は全く古くなっていない。それどころか、彼女が描いた世界がより現実味を増していた。やっと彼女に我々が追いついたというか。
今ほど整形、アンチエイジングが一般的でない、話題になる以前に彼女はこの物語を描いていました。顔の動きが変だ、とリリコの映像を見て検事が言う台詞が繰り返されますが、漫画家、絵を描く人の目には、整形をした人、人の手が入った顔には我々一般人には見えない違和感、普通の人ならこう動くはずである筋肉の動きがこの人は違う、というような事がはっきり見えるのかもしれません。韓流ドラマを見ていると、整形している俳優が多いので異質なモノを感じ怖いと友達が言っていましたが、1996年の時既に岡崎さんには異質なモノがテレビや映画から沢山見えていたのかもしれないなと思いました。実際、私も映画とかテレビを見ていて、アンチエイジング治療のせいでしょう。筋肉が動かない人の顔に恐怖を感じます。
そして彼女がこの作品を生み出した時から16年後の今、「消費」はますます加速しています。現代社会は「人」も消費していく。めまぐるしく入れ替わるアイコン。次々に誕生するアイドル、モデル、タレント。そして、情報もめまぐるしく消費される。雑誌、メディア、ネット、あちこちに情報が溢れ、人は飛びつき、あという間に消費して次の情報にまた飛びつく。消費の対象にタブーは無くなり、若さと美を手に入れるためには、他人の体の一部までもを消費する。加速していく「叶えられる欲望」の中で、人は本来の姿を忘れ「病んでいる」自分に気付かない。
沢尻エリカ主演という事で、やたらと作品とは別の所が話題になった本作ですが、原作を読めば分かるように、本作は色々なものを我々に投げかけてくる作品です。リリコの物語は、岡崎さんが交通事故にあい描けなくなってしまった為、完結していません。彼女に我々が漸く追いついた今、その先が読みたいという思いは強まるばかりです。リリコは一体どこに進むはずだったのか。。。
消費される事に抗い、冒険を始めたタイガーリリィ、リリコを演じた沢尻エリカ。彼女自身が消費されないと良いのだけれどと思いながら劇場を後にしました。
ピナ・バウシュの映画に行かないかと会社の人から誘われた時には、時間もないし・・・と思いましたが、その後友達がTwitterで褒めていて、また王様のブランチのミニシアターランキングで1位にはなってるしで、これはちょっと気になるかも、と考えを改めて劇場へ。
昔からピナの名前は知っていましたが、実際に見た事はなく、またテレビなどで断片を見ているだけでは何だか前衛的というか、私が好きなタイプではない気がして避けていました。
3D作品なので眼鏡をかけていざ、スタート。なぜ3D?と思いましたが、なるほど。これは3Dの意味がある。水とか、土とかといったものの質感というか、こちらに来る臨場感や、空間の奥行きが感じられる事に意味のある作品なのです。
作品を見ていて思った事。彼女には日常の動作全てがダンスに見えていたのだろうという事。そして、相手を信用していなければ絶対に出来ない振付けが入っているという事。あそこまで身を投げ出す振付けというのは見た事がありません。通常我々が観るダンスのリフティングなどというものとは違うのです。体を全く曲げずに倒れてくる女、そしてそれを受け止める男。その繰り返しが野原から始まり、何度も繰り返され、そのうちコンクリートの上でも倒れます。人間は防衛本能がありますから、あんな風に倒れるには訓練と相手との信頼関係がなくては、ダンサーといえど困難でしょう。また、男性が女性を横抱きに抱え上げますが、そのまま下にずるっと落とされるというのを繰り返す作品があります。これも身を投げ出す必要がある振付けです。しかも、身を投げ出す方はその瞬間に身構えたり決心したり、という気持ちをこちらに悟らせてはいけないのです。
ピナの描いたもの。それは、言葉では表せないけど確実にある「もの」。そして彼女はダンスを通じてそれを我々に伝えて来ます。春の祭典しかり、その他の作品しかり。バレエなどの魅せる「動き」ではなく心の中にある、渦巻いたり、もやっとしたり、とりつかれたり、押さえられなかったりする「もの」を表すための「動き」。そして、そこには水や土、椅子や布などが表現上のツールとして用いられます。そして一つの作品を切り取ったものではなく通しの作品として見た時、断片では絶対に感じられない「美」がそこには存在していました。体型もさまざまで、汗だらけで踊る、年齢も国籍も雑多な人々。彼らが美しく見えてくるのです。
ピナ・バウシュ。ダンスという言語を使った表現者。劇場まで観に行って本当に良かったと思い、もう少し早く知っていれば良かったと後悔しながら劇場を後にしました。
シャーロックホームズと言えば、NHKで長年放送されていたグラナダTVの「シャーロックホームズの冒険」というイメージですが、それをひっくり返したのがガイ・リッチー監督の映画「シャーロックホームズ」でした。
ジェイミー・ブレッド(映画マイフェアレディでフレディ役だった!)の演じるホームズは、50代ぐらいでしょうか。もう初老という感じで、それに合わせてワトソンもいい年でしたが、映画のホームズはロバート・ダウニーJrだしワトソンはジュード・ロウ。一気に若返ったし、ワトソンはかっこ良すぎない?とキャスティングを聞いた時には誰もが思ったはず。でも考えてみれば、原作からすると映画のキャスティングの年齢設定が正解なのかも。私、実はシャーロキアンとまでは言えませんが、それなりにホームズ好きなのです。ロンドンのシャーロックホームズミュージアムには2回行きました(笑)原作も文庫で読んでます。
さて、1作目はDVDで見て、これは面白い!と思ったので2作目は映画館で見ようと決めてました。今回個人的にはあちこちがつぼで満足しました。ロンドとかパリとか町並みを見てるだけでも、ヴィクトリア時代ってこんなだったのかなって楽しめましたし。一般的な作品の出来としては1作目の方が良かったと思いますが、2作目も私には楽しめる作品になっていました。
まず、ホームズとワトソンの関係については、ずっと怪しまれていますが、今回相当ホームズのワトソンへの執着が前面に押し出されています。原作も今までの映像作品も何となく匂わせる程度でしたが、本作は前面押しですよね?
ワトソンの結婚についてのホームズの行動が、これでもか!!ってぐらい激しい(笑)ワトソンのハネムーンも不可抗力でそうなったとはいえ、自分が花嫁からワトソンを奪って、探偵と助手の自分たちにふさわしいハネムーンとも言える旅に巻き込んだように思えるし。そして最後はワトソンの為にモリアーティを命がけで封じる。何という愛!ですよ。彼の為なら命も投げ出せる!という思い入れの強さ(笑)
それにしても、ホームズのお兄さんって1作目からスティーブン・フライでしたっけ?忘れていました。映画『オスカー・ワイルド』でオスカーを演じていた彼。恋人のボージー役はジュード・ロウでしたから、この作品では久々の競演ですね。フライはカミングアウトしている俳優ですので、若いお付きを連れてると来ると、リッチー監督、ホームズ家をそういう位置づけにしたいんですか?と思っちゃいますよね〜。私だけ?ネイキッドで出てくるところは、変わり者、以上の意味があるのか。イギリス人なら分かるのかもしれません。
実は色々笑ってしまう事があって。ネタばれになりますが、ホームズ瀕死のシーンで、心臓に注射を「グサっ!!」てするシーン。あれって「パルプフィクション」のユマ・サーマン?!あっちはドラッグ中毒で心肺停止で、エリック・ストルツ演じる売人が蘇生させたんだけど。あのシーン、笑ったな〜。コカイン中毒のホームズだけに、そのオマージュ?まあ、このシーンでのホームズは爆破と胸の傷で瀕死だった訳ですが。
そして、スイスのシーン。あの絶対に目に入る滝を見た途端、モリアーティとホームズは落ちるって原作を知ってたら思いますよね。そこに至るまでが見てるうちに楽しみになりました。
ホームズとワトソンの舞踏シーンは、おーっという感じ。しかもワトソンにダンスを教えたのはホームズだって言うし。この二人って本当に密着度が高い!そうそう。男同士のダンスを問題視しない舞踏会は結構不思議(笑)
そして教授とのチェスゲーム。ビショップがワトソン、とか言ってるのを聞きながら、これまた勝手に小説「殺戮のチェスゲーム」を思い出したりして。映画では全く描かれていませんが、幼少時代のホームズの家庭教師はモリアーティ教授で、ホームズの母親と不倫していてホームズが女嫌いになった、という設定でしたよね?あれは別の映画の中でだけの設定だったのでしょうか?
とにかく曰く付きの二人の闘いは滝へのプロセスと分かっているだけにその組み立てが面白かったです。
それにしても、ラストシーン(笑)映画の最初の頃のフリがここに来たか!って。3作目もきっと出来る事でしょう。楽しみです。しかし、ワトソンいいな〜。ジュード、年齢を重ねてもいいなぁ。ボージーの頃の美青年から上手く年を重ねて、素敵です。ボージーの頃は憎いぐらいキラキラ輝いてて、今は渋さに心をつかまれます。ジュードもロバートも、この映画の中でボロボロ、ヨロヨロでも魅力的なんですよね。このコンビのホームズ。今後も期待しています。
年末ぐらいから、HDDの録画予約をする時に、画面左端に入るCMにいつも出てくるようになった「ドラゴンタトゥーの女」の文字と男女の写真。数年前にミニシアター系でやった映画をなぜ今宣伝してるんだろう、と眺める事数ヶ月。ハリウッドでリメイクして話題になってると知ったのは年が明けてからで、2月には劇場に座って観ていました。
主演はダニエル・クレイグとルーニー・マーラ。俳優は良さそうだけど、監督がフィンチャーって・・・と「セブン」からこの監督が好きじゃない私としては躊躇する状態でしたが、試写会で先に見て来た映画好きの知人が「フィンチャーらしくなくて良い!」と言うので、それが決め手で観に行く事に。
さて、この作品はスウェーデンで既に映画化されている3部作の最初の物語です。原作者はこの作品を書いてから若くして亡くなり、映画化された事も知らず、彼がこの世から去ってしまっているので続編も無いという、もう一つの物語がついています。
北欧というと、穏やかなイメージを持つ人も多いと思いますが、閉ざされた空間であり、犯罪も実際に多いとか。「ドラゴン・タトゥーの女」である天才ハッカー、リスベット。最初は彼女のピアスだらけで眉も無い見た目に躊躇しますが、見ているうちにどんどん彼女が魅力的に、かわいく見えて来ます。ダークヒロインの誕生、と書かれていますが彼女の弱さと強さに魅了される人は多いでしょう。 そしてジャーナリスト役のダニエル・クレイグ。やっぱり渋くてかっこ良い。 この二人が揃えば、このシリーズは正解でしょう。キャスティング、本当に良かったです。3部作の出来も保証されたようなものです。
過激なシーンも多く、誰にでもすすめられるタイプの作品ではありませんが、ミステリーとしても、社会と人の心の闇を描いている点でも、良く出来た作品だと思います。そして福祉国家として名高いスウェーデンという社会につていも少し考えさせられました。
それにしてもルーニ・マーラは実に魅力的。実生活ではアメリカンフットボールチームのオーナーの家の出身でかなりのお嬢様だそうですが、凄い女優根性を見せてくれます。次回作も楽しみです。
私がこの作品を知ったのはいつの頃だったか。今でもはっきり覚えているのは、NYに到着したハロウィン当日。その時泊まったウィークリーマンションのTVをつけたら、チャイルドプレイのチャッキーとその花嫁のMCで映画を放送していたという事。ロッキーを9時台に放送してるアメリカって、放送コードうるさいって聞いてた割に凄いかも!!と思った記憶があるので、その前にはもうこの作品を見ていたという事なのですよね。そして我が家にはしっかりサントラCDがあります。
さて、今回「劇団新感線」でのロッキーホラーショー。別の舞台でこのチラシを貰った時、古田さんがあのロッキーの博士なの?!ティムの役なの?!凄すぎるっ!!!チャレンジャー!!!!と思ったのですが、まあ、あり・・・ありなのか?ありなんだろうなぁ。やっぱりありなんだぁ。と時間が経つに連れ慣れていき(笑)舞台を見た後では、完全にあり!!!だったなと。いや〜面白かったです。
まず映画の話しをさせてもらうと、この作品は間違いなくロンドンウェストエンドで舞台として幕を開けたはずです。それを映画化。ティム・カリーが博士でした。そして何と!この物語に出てくるバカップルの女の子がまだ駆け出しだったスーザン・サランドン!人に歴史ありですよ〜。最初見た時、スーザン・サランドンがスリップ一枚で歌っててびっくりしましたもの。ティム・カリーの女装も今となってはちょっとびっくりな過去ですが。でも、何とも魅力的なんですよね〜気持ち悪いけど目が離せない的な?(笑)そしてこのミュージカルの作者でせむしの執事&実は宇宙人なリチャード・オブライエン。彼は私がロンドンで見た舞台「チキチキバンバン」でチャイルドキャッチャーでオリジナルキャストでしたが(残念ながら私が見た時にはもう違う人になっていましたが)本当にああいう怪しい役がハマり過ぎ!!な人でこれまた魅力的。 ロッキーはカルトムービーで未だに高い人気を誇っていますが、映画として見た場合、あっちこっちめちゃくちゃで(笑)しっくり来ないな〜っていうか、場当たり的すぎて、うーん・・・という私にとっては微妙な部分も多い作品です。でも、タイムワープとか一緒に踊りたいし、ティム・カリーの歌うナンバーは魅力的でipodにもしっかり入れてるし(笑)無視は出来ない作品なのです。
で、今回の舞台。ローリーが出てくるけど、あの役はすぐ殺されちゃうしなぁとか色々思いつつの開幕。するとどうでしょう。映画のめちゃくちゃさが舞台のノリで一気に払拭されているではないですか!ああ、やっぱりこの作品は映画じゃなくて舞台なんだわ〜って思いました。面白い。凄い。目役茶だけど凄い。そして、最後のプールのシーンが舞台だから水が出せなくて、ジェスチャーだけで「水のシーンです」ってちょっと笑える。初めて見た人には絶対に伝わってない(笑)
水を得た魚のような古田さん。やっぱりこの人いい味だな〜。そしてグラムロックなローリー、この得難い存在!そして執事&宇宙人の岡本健一。この人、大人計画の「キレイ」でも思いましたが、アイドルだったとは思えない(笑)役者に徹してますね。
そして大満足だったのはアンコールのタイムワープ!一緒に踊れました♪そして、ローリーのギターにがっつり組んだ古田さん。ギターが終わるタイミングをはかる姿が、骨のおもちゃを投げてもらうタイミングを待つ犬みたいで笑えました。真剣な目をしてました(笑)
時間とお金が許せば2回は見たかったロッキーホラーショー。この作品と出演者たちの底力を見せてもらいました。今年最初の観劇は幸先よいスタートでした!
を見る