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<December>

Dance・眠れる森の美女 By New Adventures

◆12月15日◆Dance◆眠れる森の美女 By New Adventures◆

実に7年ぶりにマシュー・ボーンの新作を見た。
本拠地英国でマシューの「眠れる森の美女」が上演される事を、 New Adventuresのサイトで知った時から、久々の「マシュー・ボーン」 と「チャイコフスキー」の組み合わせに「見たい!」と思っていたが、 まさかまさか、NHK BSプレミアムで放送があるとは!これは正に事件で、放送日まで、一人「ローズアダージョ」をマシューなら どう料理するのか?とか、時代設定は?舞台の設定は?と色々 勝手に想いを馳せてドキドキして過ごした。そしてついにその日が訪れたのである。

始まった瞬間から、レズ・ブラザーストーンならではの色調に心奪われる。マシューとレズが生み出すダーク・ファンタジーの世界。ああ、このテイスト。月、闇。美しさと秘めた暴力性を持った異形の者たち。 そして、テリー・デイビスによるチャイコフスキー。
『Swan Lake』がマシューの男性版チャイコフスキー作品の決定版だとしたら、女性版はこの『眠り』になるのだろうという確信がすぐに生まれる。 妖精たちのメイクを見ては、『Swan Lake』の白鳥たち、『シンデレラ』のブルーカップルズを思い出す。「月」も『Swan Lake』で重要なアイテムだったし、「ベッド」も同じく重要な要素だ。

美術も衣装も洗練された美しさ。例えば妖精たちのスカートは、どうすればこれだけダークで美しくも繊細な色が重ねられるのだろうという素晴らしい出来。色彩のバランスと職人達の技にうっとりする。
そして赤ん坊のオーロラ姫の人形の良くできている事。演技力も相当なものだ。『Swan Lake』の「コーギー」から考えると、物凄い進歩で驚くばかり。

そして、驚かされたのはダンサーの水準の高さだった。ハンナ・ヴァサッロの踊るオーロラ姫。あの役は相当踊れないと無理だと素人目にも分かる。昔のマシュー作品が演劇的だったのに対し、よりバレエ寄り、よりダンス重視になった印象を受ける。リフトはより複雑になった。ドミニク・ノース演じるレオとオーロラのデュエットなど、かなりの難易度だと思う。とはいえ、随所にマシュー・ボーン特有の動きが盛り込まれており、どこから見てもマシュー作品で思わずにやりとしてしまう。

にやりとさせられると言えば、成人したオーロラを祝うシーン。ここからはEMフォースターへのオマージュと思われる。具体的に言うと、『眺めのいい部屋』と『モーリス』、小説よりむしろ映画のオマージュと思われる。 もう30年近く前の映画なので、知らない人も多いと思うが、この作品を連想させるものがちりばめられている。
今回の時代設定はどこから来たのか?と思いながら見ていたのだが、このシーンで「ああ、ここに繋げる為か!」と思わされた。

映画『眺めのいい部屋』はヘレナ・ボナムカーター演じるヒロイン、ルーシーが、親の決めた真面目な有産階級の男性とではなく自由奔放な若者ジョージと恋愛結婚をする物語だ。
その真面目な有産階級の男性、シシルをダニエル・デイ・ルイスが演じている。そのシシルそっくりな男性がマシューの『眠り』に出てくる。髪をきれいになでつけ、帽子をかぶり、鼻メガネをつけた男性だ。オーロラとダンスをするものの、振り向いてはもらえない男性。これはもう『眺めのいい部屋』のダニエルへのオマージュとしか見えない。確実にこれはあのシシルをイメージしている。

そして内に情熱を秘めた奔放な面を持つ『眺めのいい部屋』のヒロインルーシーは、「王女様には見えない自由奔放なオーロラ」と重なる。
またこのシーンで登場するテニスのラケット。これも『眺めのいい部屋』で印象に残るアイテムだ。 映画ではルーシーが弟、そして彼女に思いを寄せるジョージとテニスをするシーンがある。 シシルはテニスはせず(出来ず)、コートの外で読書。そしてジョージは婚約者の目を盗み、テニスコートでルーシーと熱烈なキスをする。
『眠り』ではオーロラの誕生祝いに集まった人々が、テニスラケットを持って踊るという事は、つまりその場所はテニスコート。シシルそっくりな男性はオーロラにアプローチしているが、オーロラの心は猟場番のレオのもの。 『眠り』では人々の目を盗んでオーロラとレオが「ローズ・アダージョ」の音楽にあわせて互いの想いのままに踊る。このシーンを見ながら「マシュー、ローズアダージオはそうきたか!」とまたにやり。

身分違いの恋に臆することなく突き進むレオ。そして身分違いで猟場番とくれば映画『モーリス』である。『モーリス』では一途な猟場番、ルパート・グレイヴス演じる(注)スカダーが、自分が仕えている主人の友人、ジェームズ・ウィルビー演じるモーリスと恋に落ちる。スカダーはモーリスの部屋に窓から忍び込むのだが、レオもオーロラの部屋に窓から入って来る。スカダーは自分の身分に臆することなくモーリスを想い、最後にモーリスは自分の身分を捨て、二人は結ばれるのだが、レオもオーロラとの身分の差は気にせずオーロラと両思いの関係である。

『眺めのいい部屋』と『モーリス』なんて、何と私好みな!というか、マシューそうですか。そこを持って来ましたか!である。この作品の原作はいずれもEMフォースター。このニ作品のオマージュが入っているというのは、私の思い違いではないと思う。

と、ここで一つ気になる事が。
英国ロイヤルバレエの『眠れる森の美女』には、魅力的な男性ダンサーが女装して演じるカラボスが登場する。アンソニー・ダウエルのカラボスなど、それは秀逸だった。故にさぞかしマシューのカラボスも魅力的だろうと期待してた割には、結構あっさりしていて少し期待外れ。 私としては『シンデレラ』の「継母」ぐらいのインパクトを期待していたのだが、その割でない。
そして、カラボスの息子カラドックの登場でも、期待は『Swan Lake』の「黒鳥」ぐらい魅力的で心を鷲掴み!キャラだったのだが、そこまでのインパクトはない。はて。これは・・・?ダンサー、アダム・マスケルのせいなのか、それとも演出のせいなのか。

それはともかく、そうきたか!なライラック伯爵=ヴァンパイヤだった設定。最初から「リラの精」と「カラボス」がミックスされたキャラだと思っていたが、さすがマシュー。死なない、老いないとくればやはりヴァンパイヤが一番自然な設定である。

さて、遂に眠りについてしまったオーロラ姫。マシューらしく時代は現代へ。やっぱりここに来たかとまた、にやにや。森、月、羽を持つ異形の者、闇、ベッド、もう『Swan Lake』との共通点がそこここに!

さて、オーロラとカラドック。カラドックは自分がオーロラを眠らせてしまったのに起こす事が出来ない。このシーンのオーロラのダンスもまた素晴らしい。ハンナのダンサーとしての才能を感じさせるシーンだった。

だが何だろう。何かこう、欠けていると感じるこの気持ちは。 何だろう、質の高い作品なのに、何かが足りないと思うこの気持ちは。

自分の心に何だろう、何故だろうと問いかけながらノンストップで 展開する話しを追っていると、遂にカラドックとの結婚式のシーンへ。この場所にもぐりこんだレオ。彼とカラドックの仲間たちとのシーン。ここのマシューの音楽の使い方が光っている。プティパ版では結婚式で「長靴をはいた猫」が踊る曲だが、この音とマシューの振付との絶妙なシンクロ加減がもう、もうもう!まさにマシューマジック。改めて彼の才能を認識する。これぞ真骨頂。まるでオーダーメイドで作った音楽のように見えてしまうこの不思議。そして長い時を経てもチャイコフスキーの音楽が全く古くなっていない事を再認識させるこの素晴らしさ。素敵すぎる。

その後のライラック伯爵がカラドックに手をかけるシーンは、結構残酷と思わないでもないが、予想通りの展開。そしてレオとオーロラ、子供も揃ってのラストシーンも予想通りの展開だったが、とにかく全編を通して楽しませてもらった。

でも、何だろう。この、何かが足りない感は。

という訳で、終わった瞬間から私の中では反芻が始まり、自分の 心への問いかけが始まった。

ダンサーのレベルは上がり、セットも衣装も相変わらず魅了される美しさ。マシューの振付は相変わらず魅力的だし、チャイコフスキーの音楽も言うまでもなく素敵。一体何が足りないのか。

そして思い当たったのは、「せつなさ」だった。
マシュー・ボーン作品の大切な、大切な要素、それは「せつなさ」。

『Swan Lake』の王子のせつなさ、The Swanのせつなさ。
『シンデレラ』のシンデレラのせつなさ。
『カーマン』のアンジェロのせつなさ。
『Play without words』のアンソニーのせつなさ。
『くるみ割り人形』のクララのせつなさ。
『ラ・シルフィード』のジェイムズのせつなさ。
『シザー・ハンズ』のエドワーズのせつなさ。

この「せつなさ」こそが、マシュー作品の中の大切な要素であり 私の心をつかんで離さない部分なのだが、今回の『眠れる森の美女』 には「せつなさ」が無い。

原作からして「せつなさ」に乏しい話しだが、マシューが演出する からには、とにかく「せつない!」と思いたい。 ではどこに「せつなさ」を演出する要素を盛り込む事が出来るのか。 考えてみると、やはり、カラドックだと思う。

母親であるカラボスを殺されたカラドックの恋は成就されない。長い眠りにつかせたオーロラと彼は長年ともに過ごし、目覚めさせようとアプローチを続けていたと想像できる。観客に「せつなさ」を感じさせる可能性があるのはきっと彼。マシュー作品の「振り向いてもらえないせつなさ」を表現する事が出来たのは彼。自分では目覚めさせる事が出来ないオーロラとのデュエットで、そのせつない気持ちを表現して観客の心をつかむ事が出来る可能性があったのは彼。

これは、ダンサーの問題なのか、マシューの問題なのか。 年を重ね、落ち着いたマシューの「せつなさ度」が下がってしまったのかどうなのか。

その答えは分からない。今のマシュー作品はよりダンスに重きが置かれ よりバレエ的になり、演劇的要素は薄くなったように思える。

とはいえ、この作品が魅力に溢れているのは言うまでもなく、ぜひ来日公演をして欲しいと切に願う。マシューとレズの輝きに、そしてダンサーたちの才能に、劇場という空間で直接触れ合える日が来るように願っている。

(注) ルパート・グレイブスは『眺めのいい部屋』ではヒロインの弟役、『モーリス』ではスカダー役で出演していた。今はBBC『シャーロック』のレストレード役で活躍中である。


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